えつこのマンマダイアリー

♪東京の田舎でのスローライフ...病気とも仲良く...ありのままに、ユーモラスに......♪

第4章 手術 7.

2007年06月08日 | 乳がん闘病記
7.
 「K畑さ~ん、K畑さ~~ん」という女性の声で目が覚めると、私はすでに病室のベッドの上にいた。看護師が忙しそうに動いている。夫がベッド脇に立っていた。朦朧としていて何が何やらよくわからない。ぼんやりとした頭で気づいたのは、手術前に渡した大判のバスタオルの上に寝かされていることだった。このとき初めて使用目的がわかったのだ。

 急に吐き気に襲われ、「気持ちが悪い…」と洩らすと、夫が看護師に伝言ゲームのように伝える。看護師が急いで金属製のそら豆形の器を夫に渡し、彼が顔の脇に置いてくれるが、間に合わず戻してしまった。と思ったが、何も食べていないので、出る物はなかった。セ~~~フ……。
 「痛いところはないですか?」と看護師が訊くので、「左脇が少し痛いです」と言うと、「痛み止めを点滴に入れておきましょうね」と言われた。
 F先生が様子を見に来たらしい。吐き気があったことを看護師が伝えると、「吐き気止めを点滴に入れておきましょう」と言うのが聞こえた。

 夫に時刻を訊くと、17時過ぎだと言う。4時間半も空白の時間があったのか?!w(☆o◎)w その間の様子を夫から聞く。彼はすでにY先生とF先生から術後の説明を受けていた。
 彼によると、
 ・術中の迅速病理診断では、腫瘍はやはりクラスIVだったが、
  予定どおり切除した。正確な診断は、術後の病理診断を
  待たなければならない。その結果によって、今後の補助治療の
  方針を決める。
 ・腫瘍の大きさは2cmだった。
 ・リンパ節転移は無し。乳頭も乳房も温存できた。
 ・出血は30ccと非常に少なかった。
 ・脂肪が少なく、整形には工夫が必要だった。

 「整形にはだいぶ苦労したみたいだよ」と夫が笑いながら言う。図解で詳細を説明されたらしい。「どうせそうでしょうよ」と開き直るしかない。とにかく、温存できて本当によかったと胸をなで下ろす。
 朝の部長との面談では、放射線治療について質問したと言う。―これでも、私のために少しは勉強したのかしら…―
 父の大腸がんの手術の後、主治医に摘出した腫瘍を見せられたことを思い出して、「腫瘍を見た?」と夫に訊いてみると、見せられなかったとのこと。すぐ病理検査に回されたのだろう。

 1時間ほど夫にいてもらい、特段辛いことも、サポートしてもらうこともなかったので、帰ってもらった。隣のベッドにはルームメイトのKさんの気配を感じたが、挨拶する元気はまだなかった。

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