「永遠の武士道」研究所所長 多久善郎ブログ

著書『先哲に学ぶ行動哲学』『永遠の武士道』『維新のこころ』並びに武士道、陽明学、明治維新史、人物論及び最近の論策を紹介。

中江藤樹⑪「孝徳の感通をてぢかくなづけていへば愛敬の二字につづまれり。愛はねんごろにしたしむ意なり。敬は上をうやまひ、下をかろしめあなどらざる義也。」

2020-08-21 15:22:23 | 【連載】道の学問、心の学問
「道の学問・心の学問」第十四回(令和2年8月21日)

中江藤樹に学ぶ⑪

孝徳の感通をてぢかくなづけていへば愛敬の二字につづまれり。愛はねんごろにしたしむ意なり。敬は上をうやまひ、下をかろしめあなどらざる義也。
                          (中江藤樹『翁問答』上巻之本)

 藤樹の人生は、遠く離れた母親に対する孝行への已むに已まれぬ思いにより、脱藩して武士を捨てて故郷に戻った事(寛永十一年・27歳)に象徴される様に、「孝」の実践が基礎となっている。

 藤樹は毎朝『孝経』を読む事を日課とし、「孝」の持つ深い意味を探求し、遂には「孝の哲学」とも言うべきものを打ち立てた。その哲学を「孝経心法」「天道図説」「人道図説」「心法図説」「凡心図説」「天命性道合一図説」などで解り易く図解している。そして、孝徳を備える事こそが人間にとって最も大切な事であり、それは「人間の様々な迷いは皆私欲から生じている。私欲は自分の身を自分の物だと思う事から起こっている。孝はその私心を破り捨てる主人公となる。」からなのだと述べている。

 その「孝」はつまるところ「愛敬」の二字に集約されると藤樹は言う。「孝の徳について悟った事を手近の言葉で表すと愛敬の二字につづまる。愛はねんごろに親しむ意味である。敬は目上の人をうやまい、目下の人を軽んじたり侮らないとの意味である。」と。「孝経心法」では「孝の理のわが心に備わるところを取り受用する事が愛敬である。(孝の文字は)上から下を見れば、老夫が子を携えている姿で愛の象(かたち)である。下から見れば子供が老人を戴いている姿で敬の象(かたち)となる。其の親を愛する心は、天下に於いて憎む者は居ない。其の親を敬する心は、天下に於いて慢(あなど)る者は居ない。愛敬の心で親に仕える事を一心の上に尽くせば、天地同根万物一体という性命の真理が明らかになる。」と記している。

 「愛」と「敬」とは一体不可分であり、それぞれの立場に於いて「愛敬」は様々な言葉で表現されていると藤樹は指摘する。「二心なく君を愛敬するのが忠。礼儀正しく臣下を愛敬するのが仁。良く教えて子を愛敬するのが慈。和順にして兄を愛敬するのが悌。善を責めて弟を愛敬するのが惠。正しい貞節を守って夫を愛敬するのが順。義を守って妻を愛敬するのが和、偽りが無く朋友を愛敬するを信、とそれぞれ名付けられている。」と。儒学における様々な「徳目」も全て「孝徳」=「愛敬」の別の呼び方に他ならないのである。

 孝は親と子が一体不可分である事を示している。それを貫くものが「愛敬」の精神である。「愛」と「敬」その双方の徳が一体となって身に付いた時に、向き合う対象が如何なるものであれ、天理に適う生き方が実現するのである。


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