広島日本の誇りセミナー 【第4回歴史講座】 平成19年10月23日
熊 沢 蕃 山 心法の実践と幕府への献策
日本協議会 理事長 多久善郎
一、はじめに
蕃山先生を思ふ 桃の里人
世の為に尽して罪の名にかくれ露と消ゑにし身こそ尊とき
集義和書を読む
見る度に腸すゝぐ思ひしてありし面影書に浮み来る
(北総之実業 第18号 明治43年4月10日)
二、熊沢蕃山の生涯の概略
①武士としての練磨
「愚拙十六七ばかりの時、すでにふとりなんとせしに、……かく身重くては武士の達者は成がたからん、いかにもしてふとらぬやうにとおもひ立、それより帯をときて寝ず、美味を食せず、酒をのまず、男女の人道を絶こと十年なりき」
「江戸づめにて山野のつとめならぬ所にては、鑓をつかひ、太刀をならひ、とのゐの所にも。ねつゞらの中に太刀と草履を入、人しづまりたる後に、広庭の人気なき所に出て、闇にひとり兵法をつかひ、火事の時にも、見ぐるしからじと、人遠き屋の上をかけり候へば、まれに見付たる者は、天狗やいざなはんと。申たるげに候」(集義外書 巻二)
②学問への開眼
③師との出会い
④岡山藩の藩政改革
⑤幕府・藩老との衝突→致仕
⑥京都在住
⑦明石・大和郡山蟄居
⑧幕府への献策
⑨蟄居謹慎・古河にての終焉
三、中江藤樹との出会い 心法の授受
1、諸子は極りある所を学び、愚は極りなき所を学び候。其時には大小たがひなく候ても、今は大にたがひ申べく候。極りたる所は其時の議論講明なり。極りなき所は、先生の志こゝに止まらず、徳業の昇り進むなり。日新の学者は、今日は昨日の非を知るといへり。愚は先生の志と、徳業とを見て其時の学を常とせず。其時の学問を常とする者は先生の非を認めて是とするなり。先生の志は本としからず。先生いへることあり。朱子俟後之君子の語を卑下の辞と講ずる者あり。卑下にはあらず、真実なりと。(集義外書巻二)
2、予が先師に受けて違はざるものは実義なり。学術言行の未熟なると、時処位に応ずるとは、日をかさねて熟し、時に当りて変通すべし。大道の実義に於ては先師と予と一毛も違ふこと能はず。予の後の人も亦同じ。其変に通じて民人うむことなきの知もひとし。言行の跡の不同を見て同異を争ふは、道を知らざるなり。(集義和書巻十三)
3、不義を悪み、悪をはづるの明徳を固有すればなり。此明徳を養ひて日々に明かにし、人欲の為に害せられざるを心法といふ。是れ又心法の実義なり。先師と予と違はざるのみならず、唐日本と雖も、違ふことなし。此実義おろそかならば、其云ふ所皆先師の言に違はずとも、先師の門人にあらじ。予が後の人も、予が言非とし、用ひずとも、此実義あらん人は、予が同志なり。先師固より凡情を愛せず、君子の志を尊べり。未熟の言を用ひて先師を贔屓するものを悦ぶの凡心あるべからず。先師存在の時変ぜざるものは、志ばかりにて、学術は日々月々に進んで一所に固滞せざりき。其至善を期するの志を継ぎて日々に新にするの徳業を受けたる人あらば、真の門人なるべし。(集義和書巻十三)
4、其頃中江氏、王子の書を見て良知の旨をよろこび、予にも亦さとされき。これによりて大に心法の力を得たり。(集義外書巻六)
四、心法の練磨
5、愚が若き時分までは、武士たる者、金銀米穀の事、利得のものがたり、料理ばなし、色欲の言を恥とす。文武の二道ならざればいやしと思へり。詩歌管弦のあそび、弓馬のわざ、代々の名将勇士の物がたりなどなりき。今の武士の物がたりはあき人の会のごとし。文学は儒者坊主のわざとし、詩歌管弦は公家の事といひ、武勇は武芸によらずといひて、衣服飲食家居諸道具等に美を尽し、酒色にふけり、用たらざれば下をくるしめ、民をむさぼるのはかりごとを心とするのみなり。生れ出るより是を習の外、道ある事をしらず。(集義外書)
6、まことに妙壽院(藤原惺窩)以後の儒者は、甚だくだれり。実は商人のいやしき心根ありて、外には聖経の威をかりたかぶれば、人のにくめるも理りなり。人の悪しくいひなすにあらず、自ら己を賤しくせり。(集義外書)
7、【士の天職】
問学して心を正し身を修め、上は賢君のおこり給ふを待。下は凡夫のまどひをさとし、武事をよくして凶賊をふせぎ、天下を警固す。是を文武二道の士といふ。人を愛するの事也。(集義和書)
8、人見て嘉とすれども、神のみることよからざる事をばせず。人見てあしゝとすれども、天のみることよき事をばこれなすべし。(集義和書 巻四)
9、愚は朱子にも取らず陽明にも取らず、只だ古の聖人に取りて用ひ侍るなり。(集義和書)
10、君子は主と親との軽重を言はず。(集義和書 巻十一、議論の四)
11、【義経の画像一幅を掛けるのみ】
君子に三のにくみあり。其功にほこり、賞を受くること多き者をにくみ、富貴にして驕る者をにくみ、上に居て下を恵まざる者をにくむ。判官義経は其人がら道を知らず。勇気によりて失ありといへども、大功ありて賞を受けず。人情の憐れむ所なり。頼朝卿福分ありて天下を取ると雖も、不仁にして寛宥の心なし。人情の悪む所なり。頼朝判官に限るべからず。驕は天道の虧(か)く所、地道の亡ぼす所、人道の悪む所なり。謙は天道の益す所、地道の恵む所、人道の好む所なり。(集義和書巻三)
12、凡夫より聖人に至るの真志実学は、たゞ慎独の工夫にあり。(集義外書巻七)
13、君子の特色八箇条
一、仁者の心動きなきこと大山の如し。無欲なるが故に能く静なり。
二、仁者は太虚を心とす。天地、万物、山川、河海みな吾が有也。春夏秋冬、幽明昼夜、風雷、雨露、霜雪、皆我が行なり。順逆は人生の陰陽なり。死生は昼夜の道なり。何をか好み、何をか悪まん。義と倶に従ひて安し。
三、知者の心、留滞なきこと流水の如し。穴に導き器につきて終に四海に達す。意を起し、才覚を好まず。万事已むを得ずして応ず。無事を行ひて無為なり。
四、知者は物を以て物を見る己に等しからん事を欲せず。故に周して比せず。小人は我を以て物を見る。己に等しからんことを欲す。故に比して周せず。
五、君子の意思は内に向ふ。己独り知る所を慎んで人に知られんを求めず。天地神明と交はる。其の人柄光風霽月の如し。
六、心地虚中なれば有することなし。故に問ふことを好めり。優れるを愛し、劣れるを恵む。富貴を羨まず、貧賤を侮らず。富貴は人の役なり上に居るのみ。貧賤は易簡なり、下に居るのみ。富貴にして役せざれば乱れ、貧賤にして易簡ならざればやぶる。貴富なるときは貴富を行ひ、貧賤なる時は貧賤を行ひ、總て天命を楽みて吾れ関らず。
七、志を持する所は伯夷を師とすべし。衣を千仭の岡に振ひ、足を万里の流に濯ふが如くなるべし。衆を懐くことは柳下恵を学ぶべし。天空うして鳥の飛ぶに任せ海濶(ひろ)くして魚の踊るに従ふが如くなるべし。
八、人見て善しとすれども神のみること善からざる事をばせず。人見て悪しゝとすれども天のみること善き事をば之をなすべし。一僕の罪軽きを殺して郡国を得ることもせず。何ぞ不義に与し、乱に従はんや。
14、小人の特質十一箇条
一、心、利害に落ち入りて暗昧なり。世事に出入して何となく忙はし
二、心思、外に向つて人前を慎むのみ。或は頑空、或は妄慮。
三、順を好み逆を厭ひ、生を愛し死を悪みて願ひのみ多し。註、順は富貴悦楽の類なり。逆は貧賤患難の類也。
四、愛しては生きなんことを欲し、悪むでは死せんことを欲す。總て命を知らず。
五、名聞深ければ誠少し。利欲厚ければ義を知らず。
六、己より富貴なるを羨み、或は娼み、己より貧賤なるを侮り或は凌ぎ、才智芸能の己に勝れる者ありても益を取る事なく、己に従ふ者を親む。人に問ふことを恥ぢて一生無知なり。
七、物毎に実義には叶はざれども当世の褒むる事なれば之れをなし、実義に叶ひぬる事も人之れを毀れば之れを已む。眼前の名を求むる者は利也。名利の人之れを小人と云ふ。形の欲に従ひて道を知らざれば也。
八、人の己を褒むるを聞いては実に過ぎたる事にても悦びほこり、己を毀るを聞いては有ることなれば驚き、無きことなれば怒る。過ちを飾り非を遂げて改むることを知らず。人皆其の人柄を知り其の心根の邪を知りてとなふれども己独り善く、斯くして知られずと思へり。欲する所を必として諫をふせぎていれず。
九、人の非を見るを以て己が知ありと思へり。人々自満せざる者なし。
十、道に違ひて誉れを求め、義に背きて利を求め、士は媚と手だてを以て禄を得んことを思ひ、庶人は人の目を昧まして利を得るなり。之れを不義にして富み且つ貴きは浮かべる雲の如しと云へり。終に子孫を亡ぼすに至れども察せず。
十一、小人は己あることを知りて人あることを知らず。己に利あれば人を損ふことをも顧みず。近きは身を亡ぼし、遠きは家を亡ぼす。自満して才覚なりと思へる所のもの是れなり。愚之れより甚だしきはなし。
15、君子の日用常行、徳を成すを主意とする也。(中略)君子は日々に善を行て徳をなせり。心内に向て善を積て徳をなし、人にしられん事を求めず、独(り)善を行(ふ)事を楽めり。人も又その善行をみて学ぶ者あり、知らずして化する者あり」(易経小解)
16、予を方々よりそしりこめて、遠方よりたづぬる人にも、近里の同志にも、道徳の物語することもならぬ様にいたし、他出も不自由なる体に成候ば、外より見ては困厄の様に之有る可く候へども、予が心には天の与ふる幸とおぼえ候。配所の月つみなくてみむことあらまほしといへり。世をのがれたるごとくなる静なる月は、世にある人の見がたき事也。……たとひ外には罪のとなへありとも、我心に恥る事なくば、心は広大高明の本然を失ふべからず。(集義和書 補)
五、心法の実践
承応三年七月 旱魃に続く大洪水(流失家屋3739軒・流死者156人)・大飢饉(餓死者3684人)→この非常艱難の事態にかねて実践の学としての「仁政」の実現を期す
①藩庫開放して飢人の救済
②非常事態に対応すべく行政・司法・税の減免など藩主直轄にて施行
郡奉行・代官も直接小百姓らの声を聞き農村の実情にふれさせる
本来の民政官として「慈悲正直を以て万事取り行なうべし」
③諌の箱を設ける
④村回り等公儀の役の費用は全て藩庫から支出
⑤武士の在郷制
⑥災害復旧のため幕府から救済資金として金4万両の融通を受ける
「天人合一」の思想 自然の理法循環と人間の生活営為との調和
「仁政」の理念
漸進主義
倫理と道徳の確立
治山治水と農兵制
学校創設と人材養成
治山治水事業「山川は国の本也」(大学或問)「山川は天下の源なり。山又川の本なり」(集義外書)
〔長期的対策〕 植林 〔当面の応急策〕 川筋の変更・築堤や川床の浚渫
17、愚が和書の主意は、直にして近きにあり。無学の心にも通じ易く、文章の美なきものは、浅きがごとし。然れども近きと浅きとは、似て大いに異あり。(集義外書)
18、今の時に当て大道をおこさんものは、学校の政を先にして、人々固有の道徳をしらしめ、道理を弁へしむべし。法は望む人ありとも、抑ていまだ出すべからず。誠に専にして無欲に至らしむべし。礼文法度はおこりやすきものなり。抑るとも後世必ず備るべし。立がたきものは誠なり。至りがたきものは無欲なり」(集義和書 巻五)
19、【花園会約】全文九か条
第一条……それ武士は民を育む守護なれば、守護徳なくては叶ふ可からず。其徳の心にあるを仁義といふ。天下の事業にあらはるるを文武と云。故に明にして慈愛あるは文徳なり。明にして勇強なるは武徳也。良知明かなれば此徳素より我に備はれり。是(この)故に今諸士の会約致良知を以て号とす。……
六、時処位の思想 日本主義の確立
20、日本の四海にすぐれたるといふ事は、国土霊にして、人心通明なるゆへなり」(大学或問)
21、ただかす事能はず、かる事能はざるものあり。日本の水土によるの神道は、唐土へも、戎戎国へもかす事あたはず。かる事能はず。唐土の水土によるの聖教も、又日本にかる事能はず、かすことあたはず。戎国の人心による仏教も又然り。文字・器物・理学はあるべし、かすべし、かるべし。……有無をかへて用ふるは、道理の必然なり。文字の通ずる国は、中国・朝鮮国・琉球・日本なり。仏者は通ぜざるだに、かり用ひたり。況んや日本にはよく通じ、理学に便あり。其の上神代の文字は亡びたり。学は儒をも学び、仏をも学び、道ゆたかに心広く成りて、かり、かされざるの吾が神道を立つべきなり。(集義外書)
22、釈迦もし聡明の人にて、中国・日本へ渡られ候はば、茫然として新たに生まれたるが如く、後生輪廻の見も、何もわすらるべく候。唐土ならば聖人を師とし、日本ならば神道に従はるべく候。(集義外書)
23、中夏の聖人を日本へ渡し候はば……儒道と申す名も聖学と云ふ語も、仰せられまじく候。其のままに、日本の神道を崇め、王法を尊びて、廃れたるを明らかにし、絶えたるを興させ給うて、二度神代の風かへり申す可く候。(集義外書)
24、唐土の聖人は、是れを智・仁・勇の三徳と云ふ。日本の神人は、是れを三種の神器にかたどれり。神は心なり。器は象(かたち)なり。神璽・宝剣・内侍所の象を作りて、心の三徳を知らしむる経書とし給へり。其の外、神代の文字・言葉は絶えて伝はらず。ひとり三種の象のみのこりとどまり、至易・至簡にして、道徳・学術の淵源なり。高明・広大・深遠・神妙・幽玄・悠久、ことごとく備はれり。心法・政教、他に求めずして足りぬ。(集義外書)
25、三種の神器則神代の経典也。上古には書なく、文字なし。器を作りて象とす。玉を以て仁の象とし、鏡を以て知の象とし、劒を以て勇の象としたまへり、云々。神代の文字言葉は絶えて伝はらず、ひとり三種の象のみのこりとゞまり、至易至簡にして、道徳学術の淵源也。高明広大。深遠神妙、幽玄悠久、尽く備はれり。心法政教、他に求めずして足りぬ。(水土解)
26、名号文字は人の通じやすきものを用ふべし。かると云ふとも可なり。三種の神器の註解は、『中庸』の書にしくはなし。上古の神人出でたまふとも、此の書を置きて、別に註し給ふべからず。(集義外書)
●全国六十六州の「国学」には教師として公卿の子弟を迎える事を献策
学問文化の保持者である朝廷公家を推戴して文化国家を再建
●『源氏物語』を愛読、和歌をたしなみ、雅楽に精通して諸楽器に堪能だった文人蕃山
七、国家救済の已むに已まれぬ献策 『大学或問』
27、此一巻もしやと御目に懸け候。我等露命今年中も知れず候。日本之為に候。
来年か来々年はだつたん(韃靼)可参かと存候。来年参候へば当年八九月、をそくて十月より御備不被成では、十一二月に成ては孔明・長良も及がたかるべく候。其御備に大事御ざ候。今世間の軍法は日本の中にての事に候。北狄にたいしては又各格の事御座候。当秋中用意不仕では来春夏之合戦成不申候。(書簡集拾遺)
28、「大学或問」巻首
和漢に通ずべからず、古今にわたるべからず、今をすくふ活法なり。其人を待て行はるべし。
29、諸侯不勝手にて、武士困窮すれば、民に取ることつよくて、百姓も困窮す。士民困窮すれば工商も困窮す。しかのみならず浪人余多い出で来て、飢寒に及びぬ。是れ天下の困窮なり。天下困窮すれば、上の天命の冥加おとろへぬ。天命おとろへては、いかんともする事なし。堯曰く、「四海困窮せば、天禄永く終えん」と。然らば諸大名の困窮は、上の御為あしき第一なり。然るを御為よしといへるは、覇術にしても、分別あさき事なり。(大学或問)
30、北狄唐土(もろこし)を取りて、本邦に来りし事、度々なり。今已に唐土を取れり。よも来はせじと思ふたのみは、武備にあらず。今北狄来りなば、彼と合戦までには及ばず、内虚にして、人心散ずる事あらん。(大学或問)
●「北狄は外邪なれば治し易し。吉利支丹は内病なれば治しがたし。此内病の生ずる根本は、人心のまよひと庶人の困窮によれり。(集義和書)」と考えている蕃山にとっては、貨財の権を富商に握られて、諸侯は参勤の費えに疲弊し、ために士民の困窮はきわまれりともいうべき内病のあるところを明らかにして、「世のほろびなん」とする危機感に迫られて、敢て抜本的な対策として、参勤交代制をやめ、武士の帰農と庶民のくつろぎをはかり、籾使いの経済に立かえり、天下文明の教を起し、富有大業の仁政の行なわれることを期して、直言に及んだのが「廿一ヶ条」の献策に外ならなかったのである。それが幕府の忌憚にふれて、ために禁錮の身となったとしても、なんら蕃山に悔るところはなかったであろう。(後藤陽一「熊沢蕃山の生涯と思想の形成」)
●『大学或問』は内憂・外患の危機感を深めた蕃山が、幕府に政策転換、改革を求めた献策であった。」(吉田俊純『熊沢蕃山 その生涯と思想』)
31、行く雁に関はなくともおほやけのいましめあれば文もつたへじ
32、木がらしに落るもみぢはくちぬともつきせぬ春に華や咲かまし
小夜あらし四方の落葉はうづむともわけゆく道はしる人ぞしる
(小夜嵐夜半の落ち葉はうづむとも分け行く道は知る人ぞ知る)
八、参考文献
日本思想体系『熊澤蕃山』(岩波書店)
井上哲次郎『日本陽明学派の哲学』(古書・明治33年初版・昭和10年十七版・冨山房)
『叢書 日本の思想家4 中江藤樹・熊沢蕃山』(明徳出版社)
宮崎道生『熊沢蕃山 人物・事蹟・思想』(新人物往来社)
日本の名著11『中江藤樹・熊沢蕃山』(中央公論社)
偉人研究第十七号『熊澤蕃山言行録』(古書・明治41年発行・内外出版協会)
『陽明学第6号 熊沢蕃山特集号』(二松学舎大学陽明学研究所)
徳富蘇峰『近世日本国民史 徳川幕府思想篇』(講談社学術文庫)
人物叢書『池田光政』(吉川弘文館)
吉田俊純『熊沢蕃山 その生涯と思想』(吉川弘文館)
『陽明学・一〇〇のことば』(未来塾・明徳出版社)
『日本のこころ・一〇〇のことば』(未来塾・明徳出版社)
『一〇〇の古典・一〇〇のことば』(未来塾・明徳出版社)
熊 沢 蕃 山 心法の実践と幕府への献策
日本協議会 理事長 多久善郎
一、はじめに
蕃山先生を思ふ 桃の里人
世の為に尽して罪の名にかくれ露と消ゑにし身こそ尊とき
集義和書を読む
見る度に腸すゝぐ思ひしてありし面影書に浮み来る
(北総之実業 第18号 明治43年4月10日)
二、熊沢蕃山の生涯の概略
①武士としての練磨
「愚拙十六七ばかりの時、すでにふとりなんとせしに、……かく身重くては武士の達者は成がたからん、いかにもしてふとらぬやうにとおもひ立、それより帯をときて寝ず、美味を食せず、酒をのまず、男女の人道を絶こと十年なりき」
「江戸づめにて山野のつとめならぬ所にては、鑓をつかひ、太刀をならひ、とのゐの所にも。ねつゞらの中に太刀と草履を入、人しづまりたる後に、広庭の人気なき所に出て、闇にひとり兵法をつかひ、火事の時にも、見ぐるしからじと、人遠き屋の上をかけり候へば、まれに見付たる者は、天狗やいざなはんと。申たるげに候」(集義外書 巻二)
②学問への開眼
③師との出会い
④岡山藩の藩政改革
⑤幕府・藩老との衝突→致仕
⑥京都在住
⑦明石・大和郡山蟄居
⑧幕府への献策
⑨蟄居謹慎・古河にての終焉
三、中江藤樹との出会い 心法の授受
1、諸子は極りある所を学び、愚は極りなき所を学び候。其時には大小たがひなく候ても、今は大にたがひ申べく候。極りたる所は其時の議論講明なり。極りなき所は、先生の志こゝに止まらず、徳業の昇り進むなり。日新の学者は、今日は昨日の非を知るといへり。愚は先生の志と、徳業とを見て其時の学を常とせず。其時の学問を常とする者は先生の非を認めて是とするなり。先生の志は本としからず。先生いへることあり。朱子俟後之君子の語を卑下の辞と講ずる者あり。卑下にはあらず、真実なりと。(集義外書巻二)
2、予が先師に受けて違はざるものは実義なり。学術言行の未熟なると、時処位に応ずるとは、日をかさねて熟し、時に当りて変通すべし。大道の実義に於ては先師と予と一毛も違ふこと能はず。予の後の人も亦同じ。其変に通じて民人うむことなきの知もひとし。言行の跡の不同を見て同異を争ふは、道を知らざるなり。(集義和書巻十三)
3、不義を悪み、悪をはづるの明徳を固有すればなり。此明徳を養ひて日々に明かにし、人欲の為に害せられざるを心法といふ。是れ又心法の実義なり。先師と予と違はざるのみならず、唐日本と雖も、違ふことなし。此実義おろそかならば、其云ふ所皆先師の言に違はずとも、先師の門人にあらじ。予が後の人も、予が言非とし、用ひずとも、此実義あらん人は、予が同志なり。先師固より凡情を愛せず、君子の志を尊べり。未熟の言を用ひて先師を贔屓するものを悦ぶの凡心あるべからず。先師存在の時変ぜざるものは、志ばかりにて、学術は日々月々に進んで一所に固滞せざりき。其至善を期するの志を継ぎて日々に新にするの徳業を受けたる人あらば、真の門人なるべし。(集義和書巻十三)
4、其頃中江氏、王子の書を見て良知の旨をよろこび、予にも亦さとされき。これによりて大に心法の力を得たり。(集義外書巻六)
四、心法の練磨
5、愚が若き時分までは、武士たる者、金銀米穀の事、利得のものがたり、料理ばなし、色欲の言を恥とす。文武の二道ならざればいやしと思へり。詩歌管弦のあそび、弓馬のわざ、代々の名将勇士の物がたりなどなりき。今の武士の物がたりはあき人の会のごとし。文学は儒者坊主のわざとし、詩歌管弦は公家の事といひ、武勇は武芸によらずといひて、衣服飲食家居諸道具等に美を尽し、酒色にふけり、用たらざれば下をくるしめ、民をむさぼるのはかりごとを心とするのみなり。生れ出るより是を習の外、道ある事をしらず。(集義外書)
6、まことに妙壽院(藤原惺窩)以後の儒者は、甚だくだれり。実は商人のいやしき心根ありて、外には聖経の威をかりたかぶれば、人のにくめるも理りなり。人の悪しくいひなすにあらず、自ら己を賤しくせり。(集義外書)
7、【士の天職】
問学して心を正し身を修め、上は賢君のおこり給ふを待。下は凡夫のまどひをさとし、武事をよくして凶賊をふせぎ、天下を警固す。是を文武二道の士といふ。人を愛するの事也。(集義和書)
8、人見て嘉とすれども、神のみることよからざる事をばせず。人見てあしゝとすれども、天のみることよき事をばこれなすべし。(集義和書 巻四)
9、愚は朱子にも取らず陽明にも取らず、只だ古の聖人に取りて用ひ侍るなり。(集義和書)
10、君子は主と親との軽重を言はず。(集義和書 巻十一、議論の四)
11、【義経の画像一幅を掛けるのみ】
君子に三のにくみあり。其功にほこり、賞を受くること多き者をにくみ、富貴にして驕る者をにくみ、上に居て下を恵まざる者をにくむ。判官義経は其人がら道を知らず。勇気によりて失ありといへども、大功ありて賞を受けず。人情の憐れむ所なり。頼朝卿福分ありて天下を取ると雖も、不仁にして寛宥の心なし。人情の悪む所なり。頼朝判官に限るべからず。驕は天道の虧(か)く所、地道の亡ぼす所、人道の悪む所なり。謙は天道の益す所、地道の恵む所、人道の好む所なり。(集義和書巻三)
12、凡夫より聖人に至るの真志実学は、たゞ慎独の工夫にあり。(集義外書巻七)
13、君子の特色八箇条
一、仁者の心動きなきこと大山の如し。無欲なるが故に能く静なり。
二、仁者は太虚を心とす。天地、万物、山川、河海みな吾が有也。春夏秋冬、幽明昼夜、風雷、雨露、霜雪、皆我が行なり。順逆は人生の陰陽なり。死生は昼夜の道なり。何をか好み、何をか悪まん。義と倶に従ひて安し。
三、知者の心、留滞なきこと流水の如し。穴に導き器につきて終に四海に達す。意を起し、才覚を好まず。万事已むを得ずして応ず。無事を行ひて無為なり。
四、知者は物を以て物を見る己に等しからん事を欲せず。故に周して比せず。小人は我を以て物を見る。己に等しからんことを欲す。故に比して周せず。
五、君子の意思は内に向ふ。己独り知る所を慎んで人に知られんを求めず。天地神明と交はる。其の人柄光風霽月の如し。
六、心地虚中なれば有することなし。故に問ふことを好めり。優れるを愛し、劣れるを恵む。富貴を羨まず、貧賤を侮らず。富貴は人の役なり上に居るのみ。貧賤は易簡なり、下に居るのみ。富貴にして役せざれば乱れ、貧賤にして易簡ならざればやぶる。貴富なるときは貴富を行ひ、貧賤なる時は貧賤を行ひ、總て天命を楽みて吾れ関らず。
七、志を持する所は伯夷を師とすべし。衣を千仭の岡に振ひ、足を万里の流に濯ふが如くなるべし。衆を懐くことは柳下恵を学ぶべし。天空うして鳥の飛ぶに任せ海濶(ひろ)くして魚の踊るに従ふが如くなるべし。
八、人見て善しとすれども神のみること善からざる事をばせず。人見て悪しゝとすれども天のみること善き事をば之をなすべし。一僕の罪軽きを殺して郡国を得ることもせず。何ぞ不義に与し、乱に従はんや。
14、小人の特質十一箇条
一、心、利害に落ち入りて暗昧なり。世事に出入して何となく忙はし
二、心思、外に向つて人前を慎むのみ。或は頑空、或は妄慮。
三、順を好み逆を厭ひ、生を愛し死を悪みて願ひのみ多し。註、順は富貴悦楽の類なり。逆は貧賤患難の類也。
四、愛しては生きなんことを欲し、悪むでは死せんことを欲す。總て命を知らず。
五、名聞深ければ誠少し。利欲厚ければ義を知らず。
六、己より富貴なるを羨み、或は娼み、己より貧賤なるを侮り或は凌ぎ、才智芸能の己に勝れる者ありても益を取る事なく、己に従ふ者を親む。人に問ふことを恥ぢて一生無知なり。
七、物毎に実義には叶はざれども当世の褒むる事なれば之れをなし、実義に叶ひぬる事も人之れを毀れば之れを已む。眼前の名を求むる者は利也。名利の人之れを小人と云ふ。形の欲に従ひて道を知らざれば也。
八、人の己を褒むるを聞いては実に過ぎたる事にても悦びほこり、己を毀るを聞いては有ることなれば驚き、無きことなれば怒る。過ちを飾り非を遂げて改むることを知らず。人皆其の人柄を知り其の心根の邪を知りてとなふれども己独り善く、斯くして知られずと思へり。欲する所を必として諫をふせぎていれず。
九、人の非を見るを以て己が知ありと思へり。人々自満せざる者なし。
十、道に違ひて誉れを求め、義に背きて利を求め、士は媚と手だてを以て禄を得んことを思ひ、庶人は人の目を昧まして利を得るなり。之れを不義にして富み且つ貴きは浮かべる雲の如しと云へり。終に子孫を亡ぼすに至れども察せず。
十一、小人は己あることを知りて人あることを知らず。己に利あれば人を損ふことをも顧みず。近きは身を亡ぼし、遠きは家を亡ぼす。自満して才覚なりと思へる所のもの是れなり。愚之れより甚だしきはなし。
15、君子の日用常行、徳を成すを主意とする也。(中略)君子は日々に善を行て徳をなせり。心内に向て善を積て徳をなし、人にしられん事を求めず、独(り)善を行(ふ)事を楽めり。人も又その善行をみて学ぶ者あり、知らずして化する者あり」(易経小解)
16、予を方々よりそしりこめて、遠方よりたづぬる人にも、近里の同志にも、道徳の物語することもならぬ様にいたし、他出も不自由なる体に成候ば、外より見ては困厄の様に之有る可く候へども、予が心には天の与ふる幸とおぼえ候。配所の月つみなくてみむことあらまほしといへり。世をのがれたるごとくなる静なる月は、世にある人の見がたき事也。……たとひ外には罪のとなへありとも、我心に恥る事なくば、心は広大高明の本然を失ふべからず。(集義和書 補)
五、心法の実践
承応三年七月 旱魃に続く大洪水(流失家屋3739軒・流死者156人)・大飢饉(餓死者3684人)→この非常艱難の事態にかねて実践の学としての「仁政」の実現を期す
①藩庫開放して飢人の救済
②非常事態に対応すべく行政・司法・税の減免など藩主直轄にて施行
郡奉行・代官も直接小百姓らの声を聞き農村の実情にふれさせる
本来の民政官として「慈悲正直を以て万事取り行なうべし」
③諌の箱を設ける
④村回り等公儀の役の費用は全て藩庫から支出
⑤武士の在郷制
⑥災害復旧のため幕府から救済資金として金4万両の融通を受ける
「天人合一」の思想 自然の理法循環と人間の生活営為との調和
「仁政」の理念
漸進主義
倫理と道徳の確立
治山治水と農兵制
学校創設と人材養成
治山治水事業「山川は国の本也」(大学或問)「山川は天下の源なり。山又川の本なり」(集義外書)
〔長期的対策〕 植林 〔当面の応急策〕 川筋の変更・築堤や川床の浚渫
17、愚が和書の主意は、直にして近きにあり。無学の心にも通じ易く、文章の美なきものは、浅きがごとし。然れども近きと浅きとは、似て大いに異あり。(集義外書)
18、今の時に当て大道をおこさんものは、学校の政を先にして、人々固有の道徳をしらしめ、道理を弁へしむべし。法は望む人ありとも、抑ていまだ出すべからず。誠に専にして無欲に至らしむべし。礼文法度はおこりやすきものなり。抑るとも後世必ず備るべし。立がたきものは誠なり。至りがたきものは無欲なり」(集義和書 巻五)
19、【花園会約】全文九か条
第一条……それ武士は民を育む守護なれば、守護徳なくては叶ふ可からず。其徳の心にあるを仁義といふ。天下の事業にあらはるるを文武と云。故に明にして慈愛あるは文徳なり。明にして勇強なるは武徳也。良知明かなれば此徳素より我に備はれり。是(この)故に今諸士の会約致良知を以て号とす。……
六、時処位の思想 日本主義の確立
20、日本の四海にすぐれたるといふ事は、国土霊にして、人心通明なるゆへなり」(大学或問)
21、ただかす事能はず、かる事能はざるものあり。日本の水土によるの神道は、唐土へも、戎戎国へもかす事あたはず。かる事能はず。唐土の水土によるの聖教も、又日本にかる事能はず、かすことあたはず。戎国の人心による仏教も又然り。文字・器物・理学はあるべし、かすべし、かるべし。……有無をかへて用ふるは、道理の必然なり。文字の通ずる国は、中国・朝鮮国・琉球・日本なり。仏者は通ぜざるだに、かり用ひたり。況んや日本にはよく通じ、理学に便あり。其の上神代の文字は亡びたり。学は儒をも学び、仏をも学び、道ゆたかに心広く成りて、かり、かされざるの吾が神道を立つべきなり。(集義外書)
22、釈迦もし聡明の人にて、中国・日本へ渡られ候はば、茫然として新たに生まれたるが如く、後生輪廻の見も、何もわすらるべく候。唐土ならば聖人を師とし、日本ならば神道に従はるべく候。(集義外書)
23、中夏の聖人を日本へ渡し候はば……儒道と申す名も聖学と云ふ語も、仰せられまじく候。其のままに、日本の神道を崇め、王法を尊びて、廃れたるを明らかにし、絶えたるを興させ給うて、二度神代の風かへり申す可く候。(集義外書)
24、唐土の聖人は、是れを智・仁・勇の三徳と云ふ。日本の神人は、是れを三種の神器にかたどれり。神は心なり。器は象(かたち)なり。神璽・宝剣・内侍所の象を作りて、心の三徳を知らしむる経書とし給へり。其の外、神代の文字・言葉は絶えて伝はらず。ひとり三種の象のみのこりとどまり、至易・至簡にして、道徳・学術の淵源なり。高明・広大・深遠・神妙・幽玄・悠久、ことごとく備はれり。心法・政教、他に求めずして足りぬ。(集義外書)
25、三種の神器則神代の経典也。上古には書なく、文字なし。器を作りて象とす。玉を以て仁の象とし、鏡を以て知の象とし、劒を以て勇の象としたまへり、云々。神代の文字言葉は絶えて伝はらず、ひとり三種の象のみのこりとゞまり、至易至簡にして、道徳学術の淵源也。高明広大。深遠神妙、幽玄悠久、尽く備はれり。心法政教、他に求めずして足りぬ。(水土解)
26、名号文字は人の通じやすきものを用ふべし。かると云ふとも可なり。三種の神器の註解は、『中庸』の書にしくはなし。上古の神人出でたまふとも、此の書を置きて、別に註し給ふべからず。(集義外書)
●全国六十六州の「国学」には教師として公卿の子弟を迎える事を献策
学問文化の保持者である朝廷公家を推戴して文化国家を再建
●『源氏物語』を愛読、和歌をたしなみ、雅楽に精通して諸楽器に堪能だった文人蕃山
七、国家救済の已むに已まれぬ献策 『大学或問』
27、此一巻もしやと御目に懸け候。我等露命今年中も知れず候。日本之為に候。
来年か来々年はだつたん(韃靼)可参かと存候。来年参候へば当年八九月、をそくて十月より御備不被成では、十一二月に成ては孔明・長良も及がたかるべく候。其御備に大事御ざ候。今世間の軍法は日本の中にての事に候。北狄にたいしては又各格の事御座候。当秋中用意不仕では来春夏之合戦成不申候。(書簡集拾遺)
28、「大学或問」巻首
和漢に通ずべからず、古今にわたるべからず、今をすくふ活法なり。其人を待て行はるべし。
29、諸侯不勝手にて、武士困窮すれば、民に取ることつよくて、百姓も困窮す。士民困窮すれば工商も困窮す。しかのみならず浪人余多い出で来て、飢寒に及びぬ。是れ天下の困窮なり。天下困窮すれば、上の天命の冥加おとろへぬ。天命おとろへては、いかんともする事なし。堯曰く、「四海困窮せば、天禄永く終えん」と。然らば諸大名の困窮は、上の御為あしき第一なり。然るを御為よしといへるは、覇術にしても、分別あさき事なり。(大学或問)
30、北狄唐土(もろこし)を取りて、本邦に来りし事、度々なり。今已に唐土を取れり。よも来はせじと思ふたのみは、武備にあらず。今北狄来りなば、彼と合戦までには及ばず、内虚にして、人心散ずる事あらん。(大学或問)
●「北狄は外邪なれば治し易し。吉利支丹は内病なれば治しがたし。此内病の生ずる根本は、人心のまよひと庶人の困窮によれり。(集義和書)」と考えている蕃山にとっては、貨財の権を富商に握られて、諸侯は参勤の費えに疲弊し、ために士民の困窮はきわまれりともいうべき内病のあるところを明らかにして、「世のほろびなん」とする危機感に迫られて、敢て抜本的な対策として、参勤交代制をやめ、武士の帰農と庶民のくつろぎをはかり、籾使いの経済に立かえり、天下文明の教を起し、富有大業の仁政の行なわれることを期して、直言に及んだのが「廿一ヶ条」の献策に外ならなかったのである。それが幕府の忌憚にふれて、ために禁錮の身となったとしても、なんら蕃山に悔るところはなかったであろう。(後藤陽一「熊沢蕃山の生涯と思想の形成」)
●『大学或問』は内憂・外患の危機感を深めた蕃山が、幕府に政策転換、改革を求めた献策であった。」(吉田俊純『熊沢蕃山 その生涯と思想』)
31、行く雁に関はなくともおほやけのいましめあれば文もつたへじ
32、木がらしに落るもみぢはくちぬともつきせぬ春に華や咲かまし
小夜あらし四方の落葉はうづむともわけゆく道はしる人ぞしる
(小夜嵐夜半の落ち葉はうづむとも分け行く道は知る人ぞ知る)
八、参考文献
日本思想体系『熊澤蕃山』(岩波書店)
井上哲次郎『日本陽明学派の哲学』(古書・明治33年初版・昭和10年十七版・冨山房)
『叢書 日本の思想家4 中江藤樹・熊沢蕃山』(明徳出版社)
宮崎道生『熊沢蕃山 人物・事蹟・思想』(新人物往来社)
日本の名著11『中江藤樹・熊沢蕃山』(中央公論社)
偉人研究第十七号『熊澤蕃山言行録』(古書・明治41年発行・内外出版協会)
『陽明学第6号 熊沢蕃山特集号』(二松学舎大学陽明学研究所)
徳富蘇峰『近世日本国民史 徳川幕府思想篇』(講談社学術文庫)
人物叢書『池田光政』(吉川弘文館)
吉田俊純『熊沢蕃山 その生涯と思想』(吉川弘文館)
『陽明学・一〇〇のことば』(未来塾・明徳出版社)
『日本のこころ・一〇〇のことば』(未来塾・明徳出版社)
『一〇〇の古典・一〇〇のことば』(未来塾・明徳出版社)
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