【連載】「日本の誇り」復活―その戦ひと精神(二十五)『祖国と青年』10月号
沖縄に荒れ狂ふ「全体主義」の亡霊
検定基準「沖縄条項」を目論む左翼勢力
沖縄では今、全体主義が吹き荒れてゐる。集団自決を廻る教科書検定に対し、県知事・県議会・市町村を挙げて「検定撤回」要求が行はれてゐるのだ。九月二十九日には、5万名を集めての県民集会を開催し、政府に検定撤回を迫るといふ。
沖縄戦初めの渡嘉敷島・座間味島への米軍上陸時に、島の住民が集団自決するといふ悲劇が生じた。その自決は軍に強要されたものであるとして、「反軍反日」思想の根拠にこの事件は取り上げられて来た。だが、本誌八月号で紹介された様に、軍命令は存在せず、当事者による「沖縄集団自決冤罪訴訟」迄起こつて真実は明らかになりつつある。かくて、文部科学省の検定意見にも「軍命令」の文言の修正が反映された。ところが、沖縄県民「挙げての」検定撤回要求といふ摩訶不思議な政治圧力が意図的に形成されつつある。
私は、九月十四日から十六日にかけて日本会議全国縦断キャラバンで沖縄を訪問した際、その実態を知るべく様々な方とお会ひしてお話を伺つた。神社関係の方々は冷静に事態を見てをられ「論点がすりかへられてマスコミが連日騒いで正論が通らない、どうしやうもない」とお手上げの状況だつた。「慰安婦」問題と同じで、「軍命令」が立証できないので、「軍の関与がなかつたはずが無い」と論点をすり替へてゐるのだ。
自民党の県議の方々ともお会ひしたが、本音では検定には異論なく集会への強制参加には疑問を持たれてゐた。しかし、参加せざるを得ない状況に追い込まれてゐる。当初は県知事も自民党もこの県民集会には中立を保つてゐたのが、連日マスコミが煽り、極左の連中から家族や後援会長等にまで圧力がかかり、「反対出来ない」状況が作られて行つたといふ。参議院選挙を控え「マスコミを敵に回せない」状況で、県議会も「撤回決議」を上げざるを得なかつたさうだ。
更に参議院選挙敗北の後は、「安倍政権による歴史歪曲反対」の声が尚一層強くなり、その流れに乗つて、県知事が県庁職員に、教育長が校長に、市町村長が役場職員に、県及び市議会議長が議員に「集会参加」を呼びかけるといふ公権力による思想強要が生気してゐる。「バスに乗り遅れるな」で自治体・団体全てが集会参加を呼びかける状況だ。バス会社に対して迄、当日の集会場への運賃は無料にすべきだと要請してゐる。当に「翼賛体制」「ファシズム」状況が生れてゐる。
明らかにこの状況を戦略的に作り上げて来てゐる左翼のプロ集団が存在する。公的機関を脅し上げて反対意見を封殺し、賛同させて動かざるを得ない状況を作り上げるのは左翼の常套手段である。集会事務局は県議会に置かれてゐるが、県議は寄り付かず、左翼活動家のなすがままだといふ。又、県知事には、普天間基地移設問題での政府との取り引きカードにしたいとの思惑もあるやうだ。
沖縄では、新聞の「沖縄タイムズ」と「琉球新報」がそれぞれ20万部を発行してをり、本土紙は沖縄で印刷されず直送の為、部数的には圧倒的に少ない。新聞二社は、連日「新証言」などと言つて集団自決や沖縄戦の悲惨さを扇情的に訴え、その最後に「この事実が検定によつて抹殺されやうとしてゐる」と結び、集会参加を訴えてゐる。
「集団自決軍命令説」の発端は昭和二十四年に沖縄タイムズが出版した『鉄の暴風』にある。米占領下に出されたこの書物は、わづか三ケ月の取材で、日本軍の悪を暴く事を目的として書かれた。その虚構性は曽野綾子氏の著書や当時の体験者の証言で明らかになつてゐるにも拘らず、今回沖縄タイムズが火付け役となつて問題が再燃した。
地元の人によると、沖縄タイムズ幹部のの極左が、今回の煽動の中心で、それに琉球新報の幹部も同調してゐると言ふ。沖縄タイムズにとつては、負ければマスコミとしての権威失墜となる為、社運を賭けてキャンペーンを張つてゐるやうだ。
内地は昭和27年に主権を回復したが、沖縄は昭和47年までアメリカの治世下にあつた訳だから、江藤淳氏の指摘した「閉ざされた言語空間」は実に27年間も沖縄を支配した。米占領検閲下に生み出された反日イデオロギーを「沖縄の心」として、内地に対する「特殊性」を主張してゐる所に沖縄の悲劇を感じる。
九月十六日の沖縄タイムズには、県の代表が文部科学省に撤回署名を持つて行つた記事が掲載されてゐたが、その中で、同伴した民主党代議士が文部科学省の検定基準の中に「沖縄条項」を入れさせねばならない、と主張してゐた。左翼が火を着けて中国や韓国の圧力で設けられた「近隣諸国条項」の「沖縄版」を再現しやうとしてゐるのだ。その為に「沖縄県民全てが怒つてゐる」といふ形を示すために県議会・全市町村議会で撤回要求の意見書を採択し、この県民集会を官民上げて盛大に成功させやうと仕掛けてゐる。戦略的に生み出されてゐる「沖縄県民の総意」の欺瞞を明らかにせねばならない。
「沖縄条項」が出来たら沖縄は日本では無く、中国韓国と同じようになつてしまふ。内地から追い出された左翼勢力が、沖縄を「反戦平和」の最後の砦として「聖域」化して、内地に対して反転攻勢に出やうとしてゐる。既に、長崎で行はれた九州県議会議長会で、沖縄県議会議長が「撤回決議」を提案して却下されてゐる。都道府県議会や市町村議会への働きかけも始まり、議決した議会も既に出てゐる。
沖縄の街中には、九月二十九日の集会のポスターもステッカーも無く、町は平穏そのものだつた。ところが、新聞だけは毎日毎日大々的に集会キャンペーンを繰り広げていた。十六日の琉球新報には、内地の識者として野中広務のインタヴューが大きく掲載され、更には沖縄の政党代表(8党)の座談会が掲載されて、全党一致して集会の成功を誓ふと書かれてゐた。米兵による少女暴行殺害事件の時には普天間に八万名が集まつて抗議集会を行つたといふ。現実に起こつた事件なら理解できるが、歴史問題、しかも歴史的虚報に基づく問題で果たしてどれ位集まるのか疑問だ。私は、再度沖縄に身を運んで真実を見極めたいと思つてゐる。
沖縄に荒れ狂ふ「全体主義」の亡霊
検定基準「沖縄条項」を目論む左翼勢力
沖縄では今、全体主義が吹き荒れてゐる。集団自決を廻る教科書検定に対し、県知事・県議会・市町村を挙げて「検定撤回」要求が行はれてゐるのだ。九月二十九日には、5万名を集めての県民集会を開催し、政府に検定撤回を迫るといふ。
沖縄戦初めの渡嘉敷島・座間味島への米軍上陸時に、島の住民が集団自決するといふ悲劇が生じた。その自決は軍に強要されたものであるとして、「反軍反日」思想の根拠にこの事件は取り上げられて来た。だが、本誌八月号で紹介された様に、軍命令は存在せず、当事者による「沖縄集団自決冤罪訴訟」迄起こつて真実は明らかになりつつある。かくて、文部科学省の検定意見にも「軍命令」の文言の修正が反映された。ところが、沖縄県民「挙げての」検定撤回要求といふ摩訶不思議な政治圧力が意図的に形成されつつある。
私は、九月十四日から十六日にかけて日本会議全国縦断キャラバンで沖縄を訪問した際、その実態を知るべく様々な方とお会ひしてお話を伺つた。神社関係の方々は冷静に事態を見てをられ「論点がすりかへられてマスコミが連日騒いで正論が通らない、どうしやうもない」とお手上げの状況だつた。「慰安婦」問題と同じで、「軍命令」が立証できないので、「軍の関与がなかつたはずが無い」と論点をすり替へてゐるのだ。
自民党の県議の方々ともお会ひしたが、本音では検定には異論なく集会への強制参加には疑問を持たれてゐた。しかし、参加せざるを得ない状況に追い込まれてゐる。当初は県知事も自民党もこの県民集会には中立を保つてゐたのが、連日マスコミが煽り、極左の連中から家族や後援会長等にまで圧力がかかり、「反対出来ない」状況が作られて行つたといふ。参議院選挙を控え「マスコミを敵に回せない」状況で、県議会も「撤回決議」を上げざるを得なかつたさうだ。
更に参議院選挙敗北の後は、「安倍政権による歴史歪曲反対」の声が尚一層強くなり、その流れに乗つて、県知事が県庁職員に、教育長が校長に、市町村長が役場職員に、県及び市議会議長が議員に「集会参加」を呼びかけるといふ公権力による思想強要が生気してゐる。「バスに乗り遅れるな」で自治体・団体全てが集会参加を呼びかける状況だ。バス会社に対して迄、当日の集会場への運賃は無料にすべきだと要請してゐる。当に「翼賛体制」「ファシズム」状況が生れてゐる。
明らかにこの状況を戦略的に作り上げて来てゐる左翼のプロ集団が存在する。公的機関を脅し上げて反対意見を封殺し、賛同させて動かざるを得ない状況を作り上げるのは左翼の常套手段である。集会事務局は県議会に置かれてゐるが、県議は寄り付かず、左翼活動家のなすがままだといふ。又、県知事には、普天間基地移設問題での政府との取り引きカードにしたいとの思惑もあるやうだ。
沖縄では、新聞の「沖縄タイムズ」と「琉球新報」がそれぞれ20万部を発行してをり、本土紙は沖縄で印刷されず直送の為、部数的には圧倒的に少ない。新聞二社は、連日「新証言」などと言つて集団自決や沖縄戦の悲惨さを扇情的に訴え、その最後に「この事実が検定によつて抹殺されやうとしてゐる」と結び、集会参加を訴えてゐる。
「集団自決軍命令説」の発端は昭和二十四年に沖縄タイムズが出版した『鉄の暴風』にある。米占領下に出されたこの書物は、わづか三ケ月の取材で、日本軍の悪を暴く事を目的として書かれた。その虚構性は曽野綾子氏の著書や当時の体験者の証言で明らかになつてゐるにも拘らず、今回沖縄タイムズが火付け役となつて問題が再燃した。
地元の人によると、沖縄タイムズ幹部のの極左が、今回の煽動の中心で、それに琉球新報の幹部も同調してゐると言ふ。沖縄タイムズにとつては、負ければマスコミとしての権威失墜となる為、社運を賭けてキャンペーンを張つてゐるやうだ。
内地は昭和27年に主権を回復したが、沖縄は昭和47年までアメリカの治世下にあつた訳だから、江藤淳氏の指摘した「閉ざされた言語空間」は実に27年間も沖縄を支配した。米占領検閲下に生み出された反日イデオロギーを「沖縄の心」として、内地に対する「特殊性」を主張してゐる所に沖縄の悲劇を感じる。
九月十六日の沖縄タイムズには、県の代表が文部科学省に撤回署名を持つて行つた記事が掲載されてゐたが、その中で、同伴した民主党代議士が文部科学省の検定基準の中に「沖縄条項」を入れさせねばならない、と主張してゐた。左翼が火を着けて中国や韓国の圧力で設けられた「近隣諸国条項」の「沖縄版」を再現しやうとしてゐるのだ。その為に「沖縄県民全てが怒つてゐる」といふ形を示すために県議会・全市町村議会で撤回要求の意見書を採択し、この県民集会を官民上げて盛大に成功させやうと仕掛けてゐる。戦略的に生み出されてゐる「沖縄県民の総意」の欺瞞を明らかにせねばならない。
「沖縄条項」が出来たら沖縄は日本では無く、中国韓国と同じようになつてしまふ。内地から追い出された左翼勢力が、沖縄を「反戦平和」の最後の砦として「聖域」化して、内地に対して反転攻勢に出やうとしてゐる。既に、長崎で行はれた九州県議会議長会で、沖縄県議会議長が「撤回決議」を提案して却下されてゐる。都道府県議会や市町村議会への働きかけも始まり、議決した議会も既に出てゐる。
沖縄の街中には、九月二十九日の集会のポスターもステッカーも無く、町は平穏そのものだつた。ところが、新聞だけは毎日毎日大々的に集会キャンペーンを繰り広げていた。十六日の琉球新報には、内地の識者として野中広務のインタヴューが大きく掲載され、更には沖縄の政党代表(8党)の座談会が掲載されて、全党一致して集会の成功を誓ふと書かれてゐた。米兵による少女暴行殺害事件の時には普天間に八万名が集まつて抗議集会を行つたといふ。現実に起こつた事件なら理解できるが、歴史問題、しかも歴史的虚報に基づく問題で果たしてどれ位集まるのか疑問だ。私は、再度沖縄に身を運んで真実を見極めたいと思つてゐる。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます