「道の学問・心の学問」第八十三回(令和3年12月13日)
石門心学・中澤道二に学ぶ③
「聞きわくる心の中の誠こそ教によらぬさとりなりけり」
(『道二翁道話』四編巻中)
中澤道二の道話には、道歌の様な和歌が多数出て来る。道二は、心学の教えを聞く者の日常生活に即して解り易く説き、その要点をこの「道歌」で印象づけるのである。その幾つかを紹介しよう。
〇聞きわくる心の中の誠こそ教によらぬさとりなりけり
心の中に備わっている「誠」は、正しい判断へと人を導く。それは万物を生み出している天に繋がっており、その誠のままに生きる事が「悟り」である。「誠」は「良知」と言い換えても良い。
〇生れ子が次第次第に智恵づきて仏に遠く成るぞ悲しき
〇気もつかず目にも見へねどいつのまにほこりのたまる袂(たもと)なりけり
〇よいものを生れ付には持つてゐれど皆ポンポンにかすめ取られる
〇欲深き人の心と降る雪は積(つも)るにつけて道を忘るゝ
本性は善そのままであるにも拘らず、知らず知らずのうちに、世間知により心の埃が積り、ポンポン(欲望)にかすめとられ、道を忘れてしまう。何と悲しい事である事よ。
〇我よきに人の悪(あし)きがあるものか人のあしきは我あしきなり
〇いさかひは実に山びこのこだまかや我しづまれば向ふ音なし
自分だけが良く、相手だけが悪い事等ありえない。いさかいの原因は自らにあるのだ。こだまの様に、自分が静まったなら相手も静かになるのだ。自らを省みよ。
〇傀儡師(からくりし)胸にかけたる人形箱仏出そうと鬼を出そうと
〇地獄餓鬼畜生あしゅら仏(ぶつ)菩薩何にならうとまゝな一念
全てが、自己の心から生まれて来るのである。仏になるも鬼になるも、自分次第だ。心に発する一念によって地獄にもなり、天国にもなるのである。
〇雲はれて後の光りと思ふなよ、もとより空に有明の月
〇白露の己が心をそのまゝに紅葉にをけばくれなゐの玉
人間の本心に立ち返った時に、光輝き万物をありのままに写す心の悟りを得る事が出来る。
〇道といふ詞(ことば)に迷ふことなかれ朝夕をのが為す業と知れ
人の道は、決して遠い所にあるのでは無い。本心に立ち返り、自らに課せられた務めに励み、周りの人々と和して心温かく、豊かに暮らす日々の営みの中に「道」は存する。
石門心学・中澤道二に学ぶ③
「聞きわくる心の中の誠こそ教によらぬさとりなりけり」
(『道二翁道話』四編巻中)
中澤道二の道話には、道歌の様な和歌が多数出て来る。道二は、心学の教えを聞く者の日常生活に即して解り易く説き、その要点をこの「道歌」で印象づけるのである。その幾つかを紹介しよう。
〇聞きわくる心の中の誠こそ教によらぬさとりなりけり
心の中に備わっている「誠」は、正しい判断へと人を導く。それは万物を生み出している天に繋がっており、その誠のままに生きる事が「悟り」である。「誠」は「良知」と言い換えても良い。
〇生れ子が次第次第に智恵づきて仏に遠く成るぞ悲しき
〇気もつかず目にも見へねどいつのまにほこりのたまる袂(たもと)なりけり
〇よいものを生れ付には持つてゐれど皆ポンポンにかすめ取られる
〇欲深き人の心と降る雪は積(つも)るにつけて道を忘るゝ
本性は善そのままであるにも拘らず、知らず知らずのうちに、世間知により心の埃が積り、ポンポン(欲望)にかすめとられ、道を忘れてしまう。何と悲しい事である事よ。
〇我よきに人の悪(あし)きがあるものか人のあしきは我あしきなり
〇いさかひは実に山びこのこだまかや我しづまれば向ふ音なし
自分だけが良く、相手だけが悪い事等ありえない。いさかいの原因は自らにあるのだ。こだまの様に、自分が静まったなら相手も静かになるのだ。自らを省みよ。
〇傀儡師(からくりし)胸にかけたる人形箱仏出そうと鬼を出そうと
〇地獄餓鬼畜生あしゅら仏(ぶつ)菩薩何にならうとまゝな一念
全てが、自己の心から生まれて来るのである。仏になるも鬼になるも、自分次第だ。心に発する一念によって地獄にもなり、天国にもなるのである。
〇雲はれて後の光りと思ふなよ、もとより空に有明の月
〇白露の己が心をそのまゝに紅葉にをけばくれなゐの玉
人間の本心に立ち返った時に、光輝き万物をありのままに写す心の悟りを得る事が出来る。
〇道といふ詞(ことば)に迷ふことなかれ朝夕をのが為す業と知れ
人の道は、決して遠い所にあるのでは無い。本心に立ち返り、自らに課せられた務めに励み、周りの人々と和して心温かく、豊かに暮らす日々の営みの中に「道」は存する。
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