「永遠の武士道」研究所所長 多久善郎ブログ

著書『先哲に学ぶ行動哲学』『永遠の武士道』『維新のこころ』並びに武士道、陽明学、明治維新史、人物論及び最近の論策を紹介。

故山下巍介氏逝去10年で墓参に伺う

2006-10-16 22:07:47 | 日々の出会い・感動
10月15日、日本会議熊本の同志と共に、故山下巍介氏の墓参に天草の倉岳まで行ってきた。早いもので、山下さんが亡くなられて、はや十年の歳月が流れた。私と山下さんとは丁度10歳年が離れていたので、私の年齢、即ち52歳で亡くなられたのである。山下さんは、日本会議熊本の前身である日本の伝統を守る熊本県民会議の事務局長として、自衛隊法改正運動、昭和天皇御在位60年奉祝運動、昭和天皇ご平癒祈願運動、今上陛下ご即位奉祝運動、皇太子殿下ご成婚奉祝運動そして平成7年の終戦50周年運動を推進していかれた。又、日本青年協議会副委員長として椛島委員長の名補佐役で全国の同志から「巍介(ぎすけ)さん」と仰がれ親しまれていた。大きな身体と大きな心を持った大丈夫であった。終戦50年の運動の一環として、熊本県内の忠魂碑の写真集製作を志されて平成7年から8年にかけて県内の忠魂碑・慰霊碑の調査及び写真撮影に奔走された。更には、明治以来の英霊たちの戦いの歴史についても研究して文章化されたのであった。原稿や写真も揃って文章の校正を印刷屋に出されていた。だが、その途中に肝臓癌で倒れられ、平成8年10月17日に逝去されたのだった。

山下さんの墓前で私は、日本会議熊本の運動の現状と日本協議会の結成について報告を行った。山下さんは亡くなられる直前に「九州から黒潮の如く怒涛の進撃を行って日本を変革せん」との志を語られていた。今年は、悠仁親王殿下のご誕生による皇位継承の危機克服、安倍真性保守政権の誕生と、吾々の運動にとって喜ばしい出来事が続いている。それ故にこそ、今こそ山下さんの志を実現する確かな第一歩を記さねばならない。墓前に誓いと祈りを込めた。山下さんの墓石の後ろには倉岳が聳え、前方には海が眺められる。亡くなられた山下さんと同じ年齢を迎え、これからは山下さんの分まで日本国再興の為に力を尽くさねばならぬと強く思った。ご子息の正順君も大きく育っている。

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