今日は、那覇・宜野湾で国民運動セミナーを開催、又国会議員への教育基本法3点修正の陳情を行ったが、その間時間が出来たので、小禄の海軍壕と対馬丸記念館とを訪問した。学童疎開船の対馬丸の記念館は昨年オープンしたものである。映画や展示を見て驚いたのは、学童疎開が日本政府の悪意、即ち戦地になるので軍の食糧が確保の口減らしの為に考えられたのだと説明してあった。正に「日本(やまとんちゅ)悪玉史観」である。だが、展示資料を丁寧に読んでいくと、沖縄の明日を担う少年達を何とか救い、内地で教育を受けさせようとの善意から学童疎開が始まった事は明瞭であり、食糧事情の悪化は第2義的な問題なのである。実際、沖縄から疎開した少年たちは、熊本・宮崎・大分で教育を受け生き延びたのである。又、その為に政府は3県に対して特別の予算措置まで行っているのである。
何でもかでも日本政府が悪いとの主張には憤りを覚えた。その一方で、対馬丸をつけねらって撃沈したアメリカ潜水艦の非道なる行為に対する怒りも抗議も感じられない。この潜水艦はボーフィン号といって、四十数隻の日本船舶を血祭りに上げ、「真珠湾の復讐者」とのニックネームを持ち、今でも真珠湾のボーフィン記念公園に鎮座ましますというのである。本来なら、日本人はこの非道なる行為に憤り、真珠湾に行ってボーフィン号に石でも投げつけるべきなのに、悪いのはあくまで「危険な水域に学童を追いやった日本政府なのである」。確かに敵国潜水艦の出没する領海への出航は危険を伴ったであろう。だが、子供たちの将来を考えて、疎開船に護衛艦をつけてあえて危険な海へと船出したのである。確かに対馬丸は撃沈されてしまったが、それ以外の疎開船は無事内地にたどり着いたのである。軍艦でない商船までも狙って無差別攻撃した米国には非は無いというのか。先ず、弾劾すべきは米国のこの戦争犯罪ではないのか。
地元の方から聞いたのだが、沖縄では左翼が「沖縄には二つの敵が居た」との論が声高に主張されている。アメリカと日本である。そして、沖縄戦を語る場合、日本軍の悪逆さばかりが協調されている。沖縄の左翼学者は、日本軍から住民が如何にひどい仕打ちを受けたかばかり調べて発表し、日本軍が沖縄県民を助けた話や軍民協力の逸話などは全く無視しているとの事である。だから、日本軍こそ沖縄への侵略者であるという倒錯した議論が行われ、反日、沖縄独立論が生まれてくるのである。元々、日本軍批判は、共産主義の階級闘争史観による、「支配階級の国家権力が軍隊であり、その軍隊は民衆を弾圧する機関である」とのイデオロギー流布のために生み出されたものである。それが、共産主義が崩壊した今もかえって強化されている結果、単なる反日イデオロギーとなり、その結果「沖縄独立論」まで生まれて来ているのである。
左翼は沖縄戦の時、避難壕で「赤ん坊が泣いたので親子を追い出したとか、子供を殺した」等と言って日本軍を非難するが、「それは全体を守るためには志方がなかった事だ」と反論するのではなく、もっと根源的に考えをつめていくべきではないのか。よーく考えれば、「何故、そこに赤ん坊いたのか。昭和19年の10月10日の空襲以来、沖縄では県外や北部への疎開が推奨されたはずではなかったのか」「推奨されても避難した人が少なかったのだ」「何故」「北部では食糧事情が悪くとても避難など出来なかったのだ」「北部で餓死して死んだ人の統計が残っているのか」「何故、住民の一部は避難勧告に従わなかったのか」「当時の行政の対応には問題はなかったのか」「食糧対策は打てなかったのか」等等考えていくべき問題なのではないのか。そうすれば、未来に活かす事が出来る貴重な戦訓とする事が出来るはずである。
又、沖縄の戦いは「本土決戦」の戦いである。その時の日本軍の対応は世界各国の「本土決戦」の事例と比べたときどうであるのか。住民を巻き込んだ世界の様々な戦いとの比較研究を行うべきではないのか。欧州史や中国史などを見ていると戦渦に巻き込まれた住民は敗残兵から略奪強姦に会い大変な惨禍を受けている、又、敵兵によって皆殺しに会った例も少なくは無い。「日本軍が沖縄県民をひどい目にあわせた」と叫ぶ前に、世界の事例との客観的な比較を行うべきではないのか。
沖縄県民は純朴で良い人が多い、それ良い事に内地で追いやられた極左勢力が沖縄を自らの「反戦運動の牙城」として滅茶苦茶にしているのが現実である。そこで、提言だが、沖縄の反日左翼の分類を行い、それぞれの問題点と処方箋を明らかにして、沖縄の良識ある方々に配ったらどうだろうか。
例えば、①共産主義信奉者 ②沖縄独立論者 ③親中国派(華僑の子孫) ④親北朝鮮派 ⑤反米主義者 ⑥反日利権主義者 などが考えられる。
又、沖縄の人々に、「独立して幸せになりますか」「中国に編入されて幸せになりますか」と問いかけるべきであるし、「明治以来日本国と共に存在し、今尚日本である事は不幸なことなのですか」と問いかけるべきであろう。明治維新の時に、沖縄の人々に残された選択は「日本として生きていくのか、中国(清)として生きていくの、アメリカとして生きていくのか(ペリーは琉球を占領しようと考えていた)」しかなかったのである。
元来沖縄は、言語的にも日本の古語と語彙を同じくし、かつ民俗宗教も近いものがある。日本と中国は宗教・文化・言語が全く異なっているが、沖縄は中国よりも日本との同一性の方が多い。沖縄では、日本と中国との文化文明の違いについてもっともっと多く語り、日本の歴史の素晴らしさや日本民族の誇りについて浸透させて行くべきである。そうすれば自ずと「日本を選択した事の幸せ」が実感されていくものと思われる。
何でもかでも日本政府が悪いとの主張には憤りを覚えた。その一方で、対馬丸をつけねらって撃沈したアメリカ潜水艦の非道なる行為に対する怒りも抗議も感じられない。この潜水艦はボーフィン号といって、四十数隻の日本船舶を血祭りに上げ、「真珠湾の復讐者」とのニックネームを持ち、今でも真珠湾のボーフィン記念公園に鎮座ましますというのである。本来なら、日本人はこの非道なる行為に憤り、真珠湾に行ってボーフィン号に石でも投げつけるべきなのに、悪いのはあくまで「危険な水域に学童を追いやった日本政府なのである」。確かに敵国潜水艦の出没する領海への出航は危険を伴ったであろう。だが、子供たちの将来を考えて、疎開船に護衛艦をつけてあえて危険な海へと船出したのである。確かに対馬丸は撃沈されてしまったが、それ以外の疎開船は無事内地にたどり着いたのである。軍艦でない商船までも狙って無差別攻撃した米国には非は無いというのか。先ず、弾劾すべきは米国のこの戦争犯罪ではないのか。
地元の方から聞いたのだが、沖縄では左翼が「沖縄には二つの敵が居た」との論が声高に主張されている。アメリカと日本である。そして、沖縄戦を語る場合、日本軍の悪逆さばかりが協調されている。沖縄の左翼学者は、日本軍から住民が如何にひどい仕打ちを受けたかばかり調べて発表し、日本軍が沖縄県民を助けた話や軍民協力の逸話などは全く無視しているとの事である。だから、日本軍こそ沖縄への侵略者であるという倒錯した議論が行われ、反日、沖縄独立論が生まれてくるのである。元々、日本軍批判は、共産主義の階級闘争史観による、「支配階級の国家権力が軍隊であり、その軍隊は民衆を弾圧する機関である」とのイデオロギー流布のために生み出されたものである。それが、共産主義が崩壊した今もかえって強化されている結果、単なる反日イデオロギーとなり、その結果「沖縄独立論」まで生まれて来ているのである。
左翼は沖縄戦の時、避難壕で「赤ん坊が泣いたので親子を追い出したとか、子供を殺した」等と言って日本軍を非難するが、「それは全体を守るためには志方がなかった事だ」と反論するのではなく、もっと根源的に考えをつめていくべきではないのか。よーく考えれば、「何故、そこに赤ん坊いたのか。昭和19年の10月10日の空襲以来、沖縄では県外や北部への疎開が推奨されたはずではなかったのか」「推奨されても避難した人が少なかったのだ」「何故」「北部では食糧事情が悪くとても避難など出来なかったのだ」「北部で餓死して死んだ人の統計が残っているのか」「何故、住民の一部は避難勧告に従わなかったのか」「当時の行政の対応には問題はなかったのか」「食糧対策は打てなかったのか」等等考えていくべき問題なのではないのか。そうすれば、未来に活かす事が出来る貴重な戦訓とする事が出来るはずである。
又、沖縄の戦いは「本土決戦」の戦いである。その時の日本軍の対応は世界各国の「本土決戦」の事例と比べたときどうであるのか。住民を巻き込んだ世界の様々な戦いとの比較研究を行うべきではないのか。欧州史や中国史などを見ていると戦渦に巻き込まれた住民は敗残兵から略奪強姦に会い大変な惨禍を受けている、又、敵兵によって皆殺しに会った例も少なくは無い。「日本軍が沖縄県民をひどい目にあわせた」と叫ぶ前に、世界の事例との客観的な比較を行うべきではないのか。
沖縄県民は純朴で良い人が多い、それ良い事に内地で追いやられた極左勢力が沖縄を自らの「反戦運動の牙城」として滅茶苦茶にしているのが現実である。そこで、提言だが、沖縄の反日左翼の分類を行い、それぞれの問題点と処方箋を明らかにして、沖縄の良識ある方々に配ったらどうだろうか。
例えば、①共産主義信奉者 ②沖縄独立論者 ③親中国派(華僑の子孫) ④親北朝鮮派 ⑤反米主義者 ⑥反日利権主義者 などが考えられる。
又、沖縄の人々に、「独立して幸せになりますか」「中国に編入されて幸せになりますか」と問いかけるべきであるし、「明治以来日本国と共に存在し、今尚日本である事は不幸なことなのですか」と問いかけるべきであろう。明治維新の時に、沖縄の人々に残された選択は「日本として生きていくのか、中国(清)として生きていくの、アメリカとして生きていくのか(ペリーは琉球を占領しようと考えていた)」しかなかったのである。
元来沖縄は、言語的にも日本の古語と語彙を同じくし、かつ民俗宗教も近いものがある。日本と中国は宗教・文化・言語が全く異なっているが、沖縄は中国よりも日本との同一性の方が多い。沖縄では、日本と中国との文化文明の違いについてもっともっと多く語り、日本の歴史の素晴らしさや日本民族の誇りについて浸透させて行くべきである。そうすれば自ずと「日本を選択した事の幸せ」が実感されていくものと思われる。
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