元男組代表 添田充啓(高橋直輝)氏に受けた痴漢被害について
ソースから
元男組代表・添田充啓(高橋直輝)氏から3年前に受けた痴漢被害について、謝罪を求めます。
はじめに、痴漢行為については添田氏も事実を認めており、当初は私が要求した公開を前提とする謝罪文の作成にも応じていました。
しかし、書き上げられた謝罪文は事実について不足している箇所があり、また、添田氏の個人的な事情を長々述べて自己正当化をはかる主旨が見られたため修正を促したところ、一切の連絡を遮断され、以降、こちらからの呼びかけに応答のないまま3ヶ月近く経過しています。
そのため、これまでの経緯を公開し、添田氏からの謝罪を改めて求める次第です。
被害を受けてから3年の月日が流れていますが、この間、添田氏から誠意ある謝罪はなく、時に、公の場で性暴力事件について批判者の立場から言及している無自覚さは、自身が犯した行為を反省しているとは到底思えないものでした。
社会運動の場でも、それ以外の場でも、このような被害が二度と起こらないことを切に願います。
◆事件当日の詳細
添田氏とは、2014年8月に開催された、反差別について学ぶワークショップ終了後の飲みの席で初めて会いました。
都内の中華料理屋で行われた飲み会は、ワークショップ参加者の懇親会のような雰囲気ではじまり、そこに、主催の知人である添田氏ら数名が合流。
当時、反差別運動団体「男組」を主宰していた添田氏のことは見聞きしていましたが、実際に会うのはこの日が初めてのこと。
しかしこの時は、席も対面で離れていて、お互い自己紹介程度に留まり、会話はほとんど交わしていません。
異変を感じたのは、中華料理店を後にして、二軒目に移動してからでした。
私の隣に添田氏のほうから進んで座り、また、私が何度か離席しても戻るたびに隣に座るように促し、私の容姿について執拗に触れはじめました。
はじめは、飲みの席の冗談としてやり過ごしていたものの、次第に「今すぐホテルへ行こう」とエスカレート。
人目をはばからず何度もくり返しホテルに誘われ、その都度「それは無理です」と断り続けました。
あまりのしつこさに困惑していると、さらに、添田氏は、他の人もいる目の前でおもむろに錠剤を取り出して、飲みはじめました。
「これバイアグラより効く薬。寝てても勃つから。これ飲んだから、ホテル行こう」
錠剤を飲んでからは、たがが外れたように誘いが執拗になり、いくら断っても、「もうクスリ飲んだから。すぐホテルへ行こう」と、行く行かないの問答が続き、次第に、冗談では済まないのではないかとの危機感を覚え、私は途中から酒に手をつけなくなりました。
やがて、店の閉店時間になると、終電も終わっていたためタクシーを乗り合いして各々帰宅することに。
タクシーに乗り込むと、後部座席に添田氏、私、Kさん。
助手席にHさんの順番で着席。
KさんとHさんは、発車するとすぐに眠りにつき、ほどなくして添田氏も目をつぶって、私の身体にもたれかかってきました。
その直後。寝ている素振りをしていた添田氏が、私のTシャツの襟ぐりからいきなり手を入れて下着の中にまで伸ばし、直接、素肌の胸をつかんで触りました。
突然のことで混乱した私は、言葉が出ず、無言で添田氏の手をつかんで、下着の外に氏の手を出しました。
しかし、添田氏は相変わらず目をつむり、寝ぼけたそぶりをしながら、同様のことをさらに二度くり返しました。
何度拒絶をしても、周囲に人がいても平然と性的加害をしてくることに恐怖と屈辱感を覚えながら、狭い車内で身をよじって体を極力添田氏から離し、タクシーが自宅付近に到着すると即座に帰宅しました。
翌日、添田氏から一言だけ「ミサちゃん、昨日はごめんね」とツイッター経由でメールが届きました。
しかし、直後の混乱で判断能力が低下していたことや、元ヤクザであることを強調して暴力的な言動を積極的に行う添田氏の運動スタイルのようなやり方を自分にも向けられるのではないかという恐怖から、どう対応していいかわからず、人に相談することもできませんでした。
◆事件後の経過
以来、添田氏と直接的なやりとりはありませんでした。
ただ時折、メディアやネットを通して見る添田氏の発言は目に余るものがありました。
どうしても我慢ならなかったのは、添田氏が性暴力について正義を語るときです。
昨年の春、ツイッターがある痴漢事件について話題を占めていたとき、添田氏が「痴漢許せないな、俺がしばいてやる」とコメントをしていた時も、また、数ヶ月前に公になったジャーナリストによるレイプ事件について「性犯罪を受けた上に、顔と名前を出してまで(被害者が)訴えないと性犯罪が裁かれない社会はおかしすぎる」というコメントを添田氏が賛同の意味でリツイートしていたのを見たときも、私にしたこととの矛盾をどう考えているのかーー添田氏が反省しているとは思えませんでした。
また、同じことを添田氏はくり返すのではないか。
3年という月日を要したものの、添田氏に公開を前提に謝罪を求めることを決めました。
友人を介して連絡をとると、添田氏も当初は反省の様子を見せ、要求にも応じて話は進んでいました。
しかし出来上がった謝罪文は納得のできるものではありませんでした。
1・下着の中に直接手を入れて複数回胸を触ったことが記載されていない
2・薬を目の前で飲んだことが記載されていない
3・うつ状態だったことや反社会的な生活をしていたことなどの個人的な事情の弁明に、謝罪よりも多くの文章をさいている
以上の3点について、修正を求めたところ、「少し検討させてください」という返信の直後に、やりとりをしていたツイッターの相互フォローを解除した上に鍵垢にされ、以来、連絡を一切受け付けない姿勢を示され続けています。
共通の知人を通して連絡を促してももらいましたが、3ヶ月近く経ったいまも、連絡はありません。
添田氏に、二度とこのようなことをしないという反省と謝罪を求めることは、添田氏にとって「検討」の必要なことだったのでしょうか。
この一件以来、添田氏がこのことを周囲にどう伝えているのか、または伝えていないのか、不安と不信が募り、社会運動の場に赴くことは減りました。
しかし、これは運動内部のある特定の人物が起こした問題で、このことが社会運動の掲げる理念そのものを否定するものではありません。
社会運動の中心になっている人物の加害行為を訴えることで、反差別や反辺野古基地などの社会運動に否定的な立場の人たちを利することになりかねないのではないかと、公にすることを長らくためらっていましたが、問題を公にすることで運動内部の風通しが良くなることを願い、今回の公表に踏み切りました。
ソースから
民進党の有田ヨシフ議員(左) と「しばき隊」(中央のサングラス男)
ソースから
元男組代表・添田充啓(高橋直輝)氏から3年前に受けた痴漢被害について、謝罪を求めます。
はじめに、痴漢行為については添田氏も事実を認めており、当初は私が要求した公開を前提とする謝罪文の作成にも応じていました。
しかし、書き上げられた謝罪文は事実について不足している箇所があり、また、添田氏の個人的な事情を長々述べて自己正当化をはかる主旨が見られたため修正を促したところ、一切の連絡を遮断され、以降、こちらからの呼びかけに応答のないまま3ヶ月近く経過しています。
そのため、これまでの経緯を公開し、添田氏からの謝罪を改めて求める次第です。
被害を受けてから3年の月日が流れていますが、この間、添田氏から誠意ある謝罪はなく、時に、公の場で性暴力事件について批判者の立場から言及している無自覚さは、自身が犯した行為を反省しているとは到底思えないものでした。
社会運動の場でも、それ以外の場でも、このような被害が二度と起こらないことを切に願います。
◆事件当日の詳細
添田氏とは、2014年8月に開催された、反差別について学ぶワークショップ終了後の飲みの席で初めて会いました。
都内の中華料理屋で行われた飲み会は、ワークショップ参加者の懇親会のような雰囲気ではじまり、そこに、主催の知人である添田氏ら数名が合流。
当時、反差別運動団体「男組」を主宰していた添田氏のことは見聞きしていましたが、実際に会うのはこの日が初めてのこと。
しかしこの時は、席も対面で離れていて、お互い自己紹介程度に留まり、会話はほとんど交わしていません。
異変を感じたのは、中華料理店を後にして、二軒目に移動してからでした。
私の隣に添田氏のほうから進んで座り、また、私が何度か離席しても戻るたびに隣に座るように促し、私の容姿について執拗に触れはじめました。
はじめは、飲みの席の冗談としてやり過ごしていたものの、次第に「今すぐホテルへ行こう」とエスカレート。
人目をはばからず何度もくり返しホテルに誘われ、その都度「それは無理です」と断り続けました。
あまりのしつこさに困惑していると、さらに、添田氏は、他の人もいる目の前でおもむろに錠剤を取り出して、飲みはじめました。
「これバイアグラより効く薬。寝てても勃つから。これ飲んだから、ホテル行こう」
錠剤を飲んでからは、たがが外れたように誘いが執拗になり、いくら断っても、「もうクスリ飲んだから。すぐホテルへ行こう」と、行く行かないの問答が続き、次第に、冗談では済まないのではないかとの危機感を覚え、私は途中から酒に手をつけなくなりました。
やがて、店の閉店時間になると、終電も終わっていたためタクシーを乗り合いして各々帰宅することに。
タクシーに乗り込むと、後部座席に添田氏、私、Kさん。
助手席にHさんの順番で着席。
KさんとHさんは、発車するとすぐに眠りにつき、ほどなくして添田氏も目をつぶって、私の身体にもたれかかってきました。
その直後。寝ている素振りをしていた添田氏が、私のTシャツの襟ぐりからいきなり手を入れて下着の中にまで伸ばし、直接、素肌の胸をつかんで触りました。
突然のことで混乱した私は、言葉が出ず、無言で添田氏の手をつかんで、下着の外に氏の手を出しました。
しかし、添田氏は相変わらず目をつむり、寝ぼけたそぶりをしながら、同様のことをさらに二度くり返しました。
何度拒絶をしても、周囲に人がいても平然と性的加害をしてくることに恐怖と屈辱感を覚えながら、狭い車内で身をよじって体を極力添田氏から離し、タクシーが自宅付近に到着すると即座に帰宅しました。
翌日、添田氏から一言だけ「ミサちゃん、昨日はごめんね」とツイッター経由でメールが届きました。
しかし、直後の混乱で判断能力が低下していたことや、元ヤクザであることを強調して暴力的な言動を積極的に行う添田氏の運動スタイルのようなやり方を自分にも向けられるのではないかという恐怖から、どう対応していいかわからず、人に相談することもできませんでした。
◆事件後の経過
以来、添田氏と直接的なやりとりはありませんでした。
ただ時折、メディアやネットを通して見る添田氏の発言は目に余るものがありました。
どうしても我慢ならなかったのは、添田氏が性暴力について正義を語るときです。
昨年の春、ツイッターがある痴漢事件について話題を占めていたとき、添田氏が「痴漢許せないな、俺がしばいてやる」とコメントをしていた時も、また、数ヶ月前に公になったジャーナリストによるレイプ事件について「性犯罪を受けた上に、顔と名前を出してまで(被害者が)訴えないと性犯罪が裁かれない社会はおかしすぎる」というコメントを添田氏が賛同の意味でリツイートしていたのを見たときも、私にしたこととの矛盾をどう考えているのかーー添田氏が反省しているとは思えませんでした。
また、同じことを添田氏はくり返すのではないか。
3年という月日を要したものの、添田氏に公開を前提に謝罪を求めることを決めました。
友人を介して連絡をとると、添田氏も当初は反省の様子を見せ、要求にも応じて話は進んでいました。
しかし出来上がった謝罪文は納得のできるものではありませんでした。
1・下着の中に直接手を入れて複数回胸を触ったことが記載されていない
2・薬を目の前で飲んだことが記載されていない
3・うつ状態だったことや反社会的な生活をしていたことなどの個人的な事情の弁明に、謝罪よりも多くの文章をさいている
以上の3点について、修正を求めたところ、「少し検討させてください」という返信の直後に、やりとりをしていたツイッターの相互フォローを解除した上に鍵垢にされ、以来、連絡を一切受け付けない姿勢を示され続けています。
共通の知人を通して連絡を促してももらいましたが、3ヶ月近く経ったいまも、連絡はありません。
添田氏に、二度とこのようなことをしないという反省と謝罪を求めることは、添田氏にとって「検討」の必要なことだったのでしょうか。
この一件以来、添田氏がこのことを周囲にどう伝えているのか、または伝えていないのか、不安と不信が募り、社会運動の場に赴くことは減りました。
しかし、これは運動内部のある特定の人物が起こした問題で、このことが社会運動の掲げる理念そのものを否定するものではありません。
社会運動の中心になっている人物の加害行為を訴えることで、反差別や反辺野古基地などの社会運動に否定的な立場の人たちを利することになりかねないのではないかと、公にすることを長らくためらっていましたが、問題を公にすることで運動内部の風通しが良くなることを願い、今回の公表に踏み切りました。
ソースから
民進党の有田ヨシフ議員(左) と「しばき隊」(中央のサングラス男)
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