丹 善人の世界

きわめて個人的な思い出話や、家族知人には見せられない内容を書いていこうと思っています。

散髪

2009年02月12日 | 個人史
昔はどこの家庭にも散髪用のバリカンがあった。手動で切っていく奴。
先日某映画で主演の某氏が共演者の奥さん役の人に断髪の場面で本当に切ってもらい、めちゃくちゃ痛くて限界まで我慢していたという話があったが、下手な人がやるとこれは相当に痛い。

ということで、できるならば家でやってはほしくはなかった。だからかなり小さい頃に、家計状態など気にかけることもなく散髪屋に行きたいとねだった。
表通りを出て、橋を渡ったところに散髪屋があった。子どもにはがまんしたお駄賃がでたりするのだが、普通は何が貰えたのか忘れてしまったが、小さな子どもには散髪後に「粟おこし」が貰えた。これ、本当言うとあまり好きではなかったのだが、それでも家で激痛をがまんしてやってもらうことに比べればまさに天国と地獄。

引越をした後、一度だけはわざわざ電車に乗って散髪に行ったこともあるが、新しい場所で新規開拓するのはなかなかできなかった。転校して電車にも乗らなくなって、仕方なく引っ越し先で散髪屋を探したが、駅前にあった店に入ったところ、おそらく宣伝用だろうが、散髪中の写真を撮られた。あの写真はその後どうなったのか知らない。その店に行ったのはその時限りだったから。

その後、家から駅に行く途中、もう少し丁寧に言えば通学路に「ロング」という名前の新しい散髪屋が開店した。この店とはそれこそその後長い付き合いになる。若い夫婦がやっていて(後に若い女の子が修行で加わったりとかもあったが)、隣の店では奥さんが美容院も始めたりもしていた。
この店に25年くらいだろうか通うことになる。いろいろ注文をつけることも面倒くさいので、「いつも通り」と一言言えばすむのが楽だった。

小学生の頃は七三に分けていて、気分で左分けから右分けに変えたりもした。本当はつむじに合わせて向きが決まるのだろうが。
中学は強制的に丸刈りだったので、面倒くさいから一枚刈りがほとんどだった。
高校でまた伸ばし始めてまた七三にする。
その後転居したのだが、転居後もこの店にわざわざ通い続けた。と言っても料金も安くはないので、年に3回、年度替わりの頃と夏頃、正月前の3回。その後超長髪にあこがれて長らく行かなくなったこともある。

そしてある日転機が訪れる。

ある日久しぶりにその店に行くと、世代交代がなされていた。
開店当初妊娠中だった奥さんが生んだ子どもが成人して跡継ぎとしてこの店に手伝いに来ていたのだった。で、いつも通りの注文をしたのだが、本来七三分けが基本なのになんとセンター分けにされてしまったのだった。
なんとなく落ち着かないままで日を送っていたが、しばらくするとそのセンター分けがやけにすっきりと落ち着いてしまった。最初はわざわざ長さも違うのに横分けを意識していたのに、そのうちにセンター分けの方がいいんじゃないかと。
で、数ヶ月後再びこの店に来れば、今度は主人しかいなくて、センター分けを注文したのに、実に中途半端な分け方をされてしまった。やはり年取った人には時代の流れについていけないのだろうか。

そしてその日を最後に散髪屋に通うことはなくなった。

しばらくは伸びるだけ伸びるに任せたりしながら、うちの家内の紹介で美容院に転向。実はこの美容院通いにもいろいろいきさつはあるが、散髪屋とはすっかり縁を切ってしまった。

ちなみにこの「ロング」という名前の店はまだ営業している。そばを通るだけで中を覗くことはしていないのだが。