丹 善人の世界

きわめて個人的な思い出話や、家族知人には見せられない内容を書いていこうと思っています。

小説「白夜の人」[後書き]

2010年07月12日 | 詩・小説
[後書き]

 先年、双子の兄が妹に恋をする、というコミックが評判になり、映画化までされました。主役の双子の兄に、某アイドルグループの人気メンバーが映画初主演で扮し、妹を、ドラマ初出演のモデルの女の子が演じました。その某アイドルの名前と、本編の兄の名前が、偶然にも同じ発音になるのですが、これは全くの偶然です。こちらの方は、僕が当時使用していたペンネームから取ったもので、何にしてもアイドルタレントが生まれる前からこの名前でした。
 このタレントがグループ結成前から出演した映画を見て知っていたと言うこともあって、この映画を見に行ったのですが、正直、確か設定は中学生のはずなのに、とてもそんな風には見えないし、女性の方も、ただ背が高いだけの影の薄い印象しかありませんでした。その後いろいろなドラマに出演していってどんどん演技が磨かれ、今では立派な女優に育っているのは印象深いですが。
 同じ屋根の下で育った兄妹が恋人関係になることに、なんとなくモラル的に気にはなります。これがもし、兄妹と知らないで出会ってしまったのなら、それだけでドラマにはなるのですが、血のつながった兄妹でも結婚が可能という世界になると、まったく主人公が悩む必要もなくなって、ドラマにはならなくなるのですが。
 この物語でも、この部分がテーマになっていたのですが、戸籍上では何の問題もないけれど、モラル的にどうなのか、という問いかけがあります。もっとも元々の原作では主人公の二人が肉体的にも結ばれておしまい、という終わり方にしてしまったのですが、この結末に40年間悩んでいました。他の終わり方はなかったのかと。そんなわけで、今回、結末を変更することを条件に書き改めることにしたわけです。結果、後半は大幅改訂です。というよりも元の文章は廃棄して、まるまる書き下ろしと同じことになってしまいました。

 タイトルの「白夜の人」というのには、何の意味もありません。
 一番最初に考えたストーリーでは、白夜の国に旅行に行った主人公が、そこで出会った男性と恋に陥るのですが、実はその男性が双子の兄だった、という設定でした。そして、どちらかが亡くなってしまうと言う悲劇の物語だったのですが、さすがに中学生には、外国の描写やら書きにくい状況が多すぎて断念しました。で、設定を国内に変え、期間も1年ということにし、将来「結婚」ということも意識する高校生の物語にしました。この時点でも、まだこじつけ的に白夜を取り入れる案もあったのですが、めちゃくちゃ無理矢理な設定になってしまったので、とうとう最後には白夜にはこだわらないことにしました。もっとも、裏テーマとして、白夜のように、昼間だけのつきあいであればいいのに。夜のつきあいがなければ良いのに、ということも含めてはいますが。
 設定を変えた結果、当初はちょい役でしかなかった主人公の友人の出番が増えました。主人公に弟か妹がほしいな、と考えて、妹を登場させることにしたのですが、この妹が予定以上に頑張ってくれました。当初の予定よりかなり出番が増えました。今回の改訂版ではさらに、元の原作以上に増えました。よく考えれば、亡くなった女の子はこの妹の実の姉なんだから、もっとこだわってもいいんじゃないかと思い直したからなんですが。

 40年前と比べて現在は便利な時代になった物です。妹がどうして姉の秘密を知ったのか、作者も忘れていて、読み進めていくのが楽しみではあったのですが、原作では3人の幼児が一緒に写っている写真を偶然に見つけて、裏書きから3人とも同じ誕生日であることを知り、そこから秘密を知るという展開になっていたのですが、それではまだ無理があるように思ってはいました。現代なら、インターネットで記事の検索を行う過程で、偶然個人の秘密を知ることもあり得るのではないのか、個人情報がけっこうその気になれば手に入る時代なのかもしれません。もっとも本編のような、ここまで個人の事情を調べ尽くすことは無理だとは信じてはいますが。

 6章以降、話がどんどんふくらんで、どんどん元のストーリーから離れていきました。自分で一番なっとくできる形におさまったような気がします。6章は元を手直しした結果、1章におさまりきらなくなって、二つに分けました。元の章タイトルを残したかったからですが。
本当はこれで言えば9章で終わっていたはずでしたが、主人公の二人が一緒にならないのなば、一体どういう形になっていくのだろうか、ある設定を考えついて、10年後を書いてみたくなりました。3行くらいの追加で終わる予定だったのですが、読者の想像にまかせて、あえて書かない方が良いのではないかとも思ったのですが、どんどん話がふくらんで、丸々1章分の長さになってしまったので、新しく章を付け加えてみました。蛇足です。ない方がよかったと感じる人もいると思いますが、自分の意識の中では、ありきたりではありますが、すっきりまとまった気がします。

                    平成22年7月12日脱稿

小説「白夜の人」最終章:結婚式

2010年07月12日 | 詩・小説
最終章 結婚式

 あの日から10年が過ぎた。淳の結婚式が行われる今日の日を迎え、2年前にすでに結婚していた圭子は複雑な心境でこの日を迎えていた。
 10年の間に、いろいろな事が起きた。
 一つは、大学4年の時に、圭子は正式に養女となったことだった。きっかけは、デート中に偶然父と出会った圭子に対して、後に父から言われた一言だった。
「お前が誰と付き合っているのかなんかはどうでもいい。自分で決めた道をとやかく言うつもりはない」
「別にあの人と、今どうするってことはないんだから、心配しないでよ」
「でもな、圭子。いずれお前も、その人かどうかは知らないが、結婚ということになった時、今のままじゃ、森本の両親は式には出にくいんじゃないのか?相手の家族に事情を説明したとしても、列席者全員に知らせるわけにはいかないだろ。お前の花嫁姿を、送り出す両親として見せてやりたいとは思わないのか。どれだけ喜んでくれるのか。一番の親孝行じゃないのか?そろそろ考えた方がいいぞ」
 結婚を意識したことはなかったけれども、いずれその時が来た時に、その日が突然来るかもしれない、と思って大学を卒業する前に正式に手続きを取った。正式に籍を入れたわけだが、実際に変化する物は何もなかった。和子がことある毎に圭子の家に泊まりに来て、最初から『お父さん、お母さん』と、淳の両親を呼んでいたので、つられる形で圭子もそう呼ぶようになっていた。母の志津はいつも平静で、呼び方が変わったことに気づいていないような様子だったが、毎年この日にごちそうを用意するようになったのは、かなり嬉しかったからなのかも。父の洋介も、こちらも平静を装いながらも、日記にはしっかりこの日のことを記録していることを後になって知った。

 父の幸造が不慮の事故で亡くなったのは、圭子の結婚式の2ヶ月後だった。夫の支えがなかったならどんなに落ち込んでいただろうか。花嫁姿を父に見せることができたことが、ただ慰めだった。圭子は志津に頼んで、ひとみの遺品を父の遺骨と一緒に、母が眠る墓に埋葬した。今頃は親子3人で子育ての続きをやっているのかもしれない。
 圭子が結婚で家を出た後、入れ替わりに和子が圭子がいた部屋に入った。圭子に代わって親孝行をするというよりかは、この頃、家を出て一人暮らしをしていた和子を、実の娘のように可愛がっていた志津が呼び寄せたものだった。
 父が亡くなった時、圭子はひとみに散々文句をつけたものだったが、父を一人にしてしまったから、ならばひとみが父を側におきたくなった結果なのかもしれない、と責めるのをやめた。責められるのはむしろ自分たちなのかもしれない。だから和子の落ち込み方は激しかった。淳や両親がしっかり支えてくれてようやく立ち直ることができたようだった。

 礼子は宣言通り、大学で自分に一番似合った男性と巡り会い、5年越しの恋を実らせてゴールインした。大学は、さすがに家を離れての一人暮らしは認められなくて、家から通える隣県の大学に入学。まもなく2学年上の先輩と知り合う。彼は一年浪人していたので、年齢は3歳上だったが、一目惚れした礼子は、自分の感情が本物なのかどうか自信もなく、慎重に慎重を重ねて彼に近づいていったものだった。彼には年子の弟がいて、その弟とも親しくなったので、兄弟との自然な交際が始まった。数が合わないと言うこともあったので、いきおい圭子がかりだされることが多くなって、形としてはダブルデートのようなものだったが、礼子としては親しい友人と遊びに行くような感覚であって、淳と圭子の関係を知らなかったから、最初に紹介した時にも、この子にはれっきとした彼がいるんだから、手を出したらだめよ、と言っておいた。それでも徐々に4人でいるのが当たり前の関係になりだし、気がつくと、圭子と兄弟の弟だけの二人だけで会う機会も自然に増えていった。父に出会ったのもそういう時だった。
 5年間の交際期間を経て、礼子と先輩の晴れの結婚式の日、披露宴の席上で、いきなり新郎の弟から圭子にプロポーズがあり、その場で二つ返事で承諾したものだから、一同は大騒ぎ。披露宴は急遽、婚約発表の場と形を変えてしまった。
 自分の式を台無しにされた、と口では憤慨していた礼子だったが、一番喜んでくれたのも礼子だった。圭子のことがずっと気がかりでいた上、なんと親友が義理の姉妹になるというのだから、これ以上に結婚のプレゼントはなかった。形の上では礼子が義姉になるものだから、それからの礼子は偉そうだった。はい、はい、お姉様、と圭子はちゃかす一方だった。

 小学校の時の彼の墓参りには行かなくなった。お墓の世話をしてくれている人の存在を知ったことで、顔を合わせるのも嫌だったこともあり、完全にその人に任せることにした。でも、毎年彼の命日には、『友情を確かめ合う日』と称して、礼子と二人きりで過ごす日とした。これは二人が結婚してからも、お互いの旦那を交えない、二人だけの日として続けていた。もっとも、今年はできるかどうか、ちょっと難しい状況ではあるのだが。

 圭子は、結婚を控えた数日前に、夫となる相手と礼子を呼び出し、自分の出生の秘密を余さずに話した。淳との関係を変に誤解されたくなかったからだ。
「どうして、もっと早く教えてくれなかったのよ!」
 礼子にはきっちり叱られたが、大変だったのね、といたわりの言葉をかけてくれた。 夫となる相手は何も言わなかったが、新婚旅行から帰った翌日、圭子を無理に連れ出して、母のお墓と同時に、ひとみのお墓にも行ってくれた。お参りが済んだ後、ぽつりと言った。
「俺は何も聞かなかったことにするから。ここには圭子のとても大切な人が眠っている、ということだけしか知らないから。そのつもりでいろよ」
 彼は、森本家は圭子が養女としてお世話になった家という意識をずっと変えないままで接していた。でも、2ヶ月後に圭子の父が急死した時、おろおろするばかりの圭子に代わって、全面的に式を手配したのも彼だし、父の遺骨を埋葬する時にもこんなことを言い出したのだった。
「なあ、お義父さんの遺骨、お墓に入れる時に、赤ちゃんの時使った何か、一緒に入れて上げないか?なかったら写真だけでもいいんだけれどな」
「何?誰の写真?私も和子も、赤ちゃんの時使った物なんてないんだけど」
 彼は圭子の返答を聞いていなかったように話を続けた。
「2歳の頃の写真がいいな。一番可愛いらしいし」
「2歳のって……えっ?」
 彼はその後何も言おうとしなかった。でも圭子は彼が言おうとしていることがやっとわかった。志津を訪ねて、ひとみの遺品をお墓に一緒に入れたいと申し入れた時、よく気づいてくれたわね、とほめて貰えた。遺品だけでなく、ひとみの遺影のコピーをいただいて、父と一緒にお墓に入れて、圭子の悲しみの心は少し癒されたような気がした。

 それから2年。淳の結婚式を迎えて圭子は落ち着かなかった。思いは複雑だった。どうしてこんなことになったのか。いろいろ思い返しても納得できていなかった。しかも、これからの長い年月、どうすればいいのかわからなかった。なにしろ、淳の結婚相手が圭子の妹の和子だったのだから。今日は身よりのいない、実際血のつながった者は一人もいない和子の母親替わりとして、圭子はとんでもない立場で列席することになっている。これが逆だったら、和子が自分の母親替わりなら勤められなくはないのだが。不安な圭子は相談相手として礼子にも来てもらってはいたが。

 一体いつから和子は淳とそんな関係になったのだろうか。一度聞いてみたことがある。すると、圭子と淳が双子だったことを知った時から意識していたと言う。その名前に感じる物があったとか。ただ、大好きな姉を奪ってしまう相手かもしれないと、最初に出会った時は緊張したが、第一印象が良すぎて、頭の中を完全に支配してしまう、一目惚れ現象に陥ってしまったという。自分でもこれは何だろうと混乱したが、圭子に連れられて淳の家に行って仏壇に手を合わせた時、ひとみの写真が笑っているように見えたという。お墓に行った時も、お兄ちゃんをよろしく、と言う声が聞こえた気がしたという。
 その後、義理の妹という立場をフルに利用して淳に近づき、目一杯甘え続けた。淳からは義妹という意識でしか接してもらえていないというのが不満ではあったが。
 父が長期の出張がある時はいつも圭子の部屋に泊まることにして、淳と接する時間を増やしていった。夏休みとかの長期の休みの時はなおさらだった。もっとも、母の志津とも気が合ったようで、淳がいない時にも志津に呼ばれて家に来ることも多かった。
 高校までは父と一緒に住む町になる学校に通ったが、大学は淳と同じ大学に入学した。3歳離れているから、大学での1年間が唯一同じ学内にいるチャンスだった。父と離れて暮らすことになるため相当悩んではいたが、そんな和子の気持ちを父の幸造は察していた。和子が密かに思う相手が誰だなのか、その時には知らなかったが、真剣に悩む様子に、自分の将来のため、自分の気持ちに正直に生きていくようにとの後押しで家を出る決心をした。 圭子の部屋で一緒に生活する方法もあるにはあったが、圭子の自立のためには離れて暮らす方がお互いに良いだろうという判断で、大学の近くに住むことになったが、休日のほとんどは淳の家にやってくるので、同居しているのとかわらなかった。おまけに、圭子がデートによく行くようになって、付き合ってくれないという名目で、母の志津がしきりに和子を連れ出して出かけることも多く、どちらが実の娘なのかわからないほどだった。
 大学での1年間はそれこそ時間が許す限り淳の側にいた。皆からは仲の良い妹として認知されていた。苗字が違うことを指摘されることはあっても、姉が養女に行く先の兄に当たるから、自分にとっても兄になる、という説明で、周囲は勝手に勘違いしてくれた。ブラコンと呼ばれても気にしなかった。一緒に同じ学校の空気を吸えるのはこの1年だけだったから。学年が上がり、淳がいなくなった大学ではあったが、淳に似合う女性を目指す和子は気を抜くことはなかった。友人も多くでき、中には和子に気がある男子学生もいたりしたが、1年間の効果は大きく、彼女をくどくなら、お兄ちゃんの了解を得ないとだめだよ、と回りが言ってくれたので、自分の気持ちを保ち続けることが出来た。

 圭子が家を出て行く時、和子が代わりにやって来ると言うことは、お互いの親の間で決まったことだった。和子の想う相手が淳だと知った幸造は、圭子のいなくなった家で一緒に暮らすことが良いのでは、とさりげなく志津に提案し、一人暮らしでいるよりは自分の手元にいてくれるとどんなに心強いかと思っていた志津には、願ったり叶ったりの提案となった。
 引越は圭子がいなくなった2週間後に行われた。そんなに荷物もなかったし、圭子が使っていた家具でほとんど間に合ったことや、度々泊まっているので、日常品はほとんど家に置かれていたので、片付けも楽だった。
 夕食も、それが今まで普通に行われていた通りにすみ、台所の片付けの手伝いも終えて一人部屋に戻った和子は、圭子がいない部屋で、ここだけがこれまでと違う感覚ではあった。
 部屋にノックをして淳が入ってきた。
「何だか、圭子が初めてここに来た日のことを思い出すな」
「うん、知ってる。お姉ちゃん、お兄ちゃんのほっぺにチュウしたんだってね」
「えっ?どうしてそれを……?」
「あの日、メールをくれたの。お兄ちゃんのほっぺにチュウをしてやったぞ、うらやましいだろ、って。ずるいな!って返したら、じゃあ、あんたもここに来たら、って」
「ふうーん、そんなことあったんだ。でも、誤解しないでよ、圭子がキスしたの、その時だけだから」
「わかってる。だから、私も」
 そういうと、いきなり和子は淳に近寄り、淳の唇に自分の唇を押し当てた。
「……!?」
 口を塞がれているから、淳は驚いても何も言えなかった。長い時間だった。淳は両手を和子の背中に回して、優しく和子を引き寄せた。いつまでも可愛い子どもだと思っていたのに、いつの間にこんなに素敵になっていたのだろうか。淳はこのとき初めて、和子を一人の女性として意識しだした。

 これほどの長時間のキスはこの日だけだったが、二人だけで会った時の挨拶替わりとか、寝る前のお休みの軽いキスは二人の日課になった。淳にとっても意外なことに気まずさはなかった。それが当たり前の関係のような、いつもそうだったような、そんな自然な成り行きだった。
 和子の計画では、年内にでも婚約までこぎつければいいのに、と思っていたのだが、2ヶ月後の思いがけない父の急死で、そんなことを考えている心のゆとりは無くなってしまった。父に自分の思いを打ち明け、頑張ってこい、と後押しされて出て行ったのに、そのことが父の死につながったのではないかと、落ち込む一方だったが、すっかりふさぎ込む和子を、淳は毎日暖かく語りかけてくれ、時には眠れなくなる和子の枕元で、一晩中側にいてくれたこともある。
 父の遺骨を埋葬する日、ひとみの遺品も一緒に入れることを知り、父と母の眠るお墓に手を合わせ、姉も一緒に入ることが出来てよかったね、と言ったら、3人一緒にいられるからうらやましいでしょ、という声が聞こえた気がした。私も一緒に連れてって、と言ったら、あんたはまだダメ。お兄ちゃんと一緒になりたいんでしょ。お兄ちゃんを悲しませたら許さないんだから。と言われたような気がした。そして父の声も聞いたような気がした。和子は自分らしく生きていくんだろ。そのためにお父さんは嫁に出すつもりで送り出したんだから。前に言ったよな。どこに行っても、どんなことが起きても、和子は俺の大切な娘なんだから。
 和子はもう泣くのを辞めた。自分らしく、思ったように生きていくことが、父と姉の願いなんだと。そして元の和子に戻った。志津にいろいんなことを教えてもらい、淳にいっぱい甘え。洋介が語るくだらないおしゃべりにも付き合い、毎日を楽しく過ごした。

 父の一周忌。父の墓前で淳からプロポーズされて、ボロ泣きをした。二人の関係にまったく気づかなかった圭子は、一人卒倒しそうになって夫に支えられてなんとか立っていられた。
 その日、家に帰って母の志津に正式に話をした。父の洋介はどうしても帰れない長期の出張で家を離れていた。志津は少しだけ表情が渋かった。
「圭子を養女にもらって、それだけでも有難いことなのに、その上、和ちゃんまでうちの嫁になるなんて、亡くなったご両親に申し訳が立たないでしょ」
「はい、お母さんの気持ちはよくわかります。でも、お墓でお父さんに言われたような気がしたんです。自分の思うように生きろ。それがお父さんとお母さんが一番願っていることなんだからって。こんなわがままな、自分勝手な私ですけれど、どうかお兄ちゃんと一緒にさせてください」
「ありがとう、和ちゃん。こんな息子のどこがいいのかわからないれどね。まあ、いつかはこうなるんじゃないかって思ってたわ。あんたたち、いつでもキスし合っているほど仲も良いしね。」
「えっ!」
 淳と和子の声がハモった。
「で、子どもはいつ産まれるの?」
 和子は急に顔が真っ赤になるのを感じた。
「何言ってるんだよ、母さん!キスしただけで子どもができるわけなんかないじゃないか」
「なんだ、ガッカリしちゃった。意外ね」
「母さん!」
 和子は恥ずかしさ一杯で下を向いた。
「今の若い人たちって、もっと進んでいるって思っていたけれど。いいわ、許してあげる。和ちゃんも正式にうちの娘になるって言うのなら大歓迎よ。お父さんもきっと賛成してくれるわ。そうね、形だけでも正式に婚約決めましょうか。和ちゃんの身内は圭子だけだから、都合の良い日に来てもらいましょ」
「ありがとうございます。お兄ちゃんのこと大事にしていきますから、よろしくお願いします」
 和子は顔を上げて、それだけ言うのがやっとだった。
「あんたたち、もう兄でも妹でもないんだから、その『お兄ちゃん』っていうの、なんとかしたら?世間の恋人みたいにどうどうとしていてもいいのよ。そうね、せっかく一緒の家に住んでるんだから、たとえば、一緒にお風呂に入るとか……」
 思わず淳と和子は声も出せずに顔を上げ、志津に何か言いたそうにしたが、二人、顔を見合わせたとたん、想像してしまって、和子はこれ以上ないというくらい真っ赤な顔になって下を向いて、何も言えなくなってしまった。
「いきなり何言い出すんだよ!そんなことできるわけないだろ!」
 淳は声が裏返りながら言うのが精一杯だった。しかし、志津は平然な顔で続けた。
「そうね、あんたが入ってるところに和ちゃんが侵入できるわけないわね。おとなしい子だから。だったら、あんたが和ちゃんが入ってるところに入りに行きなさいよ。私が許してあげる。遠慮しないでいいから」
 和子のどこがおとなしいって……と思った瞬間、淳は母にからかわれているんだ、ということに気がついた。
「和子、お袋の言うことなんか真に受けたらだめだよ。冗談なんだから」
「いいわよ、私」
 小さな声で和子がぼそっと言った。
「えっ?」
「お兄ちゃんなら、いいわよ。……かまわないから……入ってきても」
「か・ず・こ……!?」
 淳まで顔が真っ赤になって、何も言えなくなった。でも、下を向いて照れている和子の顔を見ていて、どても可愛いと思った。

 日曜日、圭子が正装してやってきた。対して和子や淳も両親も正装していた。帰れないと言っていたはずの父までも、なぜかこの席にいた。圭子が久しぶりに家に里帰りすると聞いて、仕事も何もほったらかして戻ってきたらしい。
 しきりに圭子に話しかける洋介をさしとどめて、とにかくかたぐるしい儀式はすませてしまおうと思っていたのだが、なかなかそういうわけにはいかなかった。結局は和気藹々のまま気軽な話に落ち着いてしまったが、式は父の三回忌が終わった後ということになり、母替わりを圭子が勤めることと決まって圭子はあせるばかりだった。礼子がそばにいてくれるという条件でようやく落ち着いた。
 和子の婚約のことを礼子に知らせると、意外にも二人が付き合っていることを知っていたそうだった。二人が一緒にいる場面をよく見かけていて、まあ兄妹づきあいをしていることは聞いていたけれど、和子と目をあわせた時に、困ったような表情をしたのに気づいて、耳元で囁いたという。
「このこと、圭子には黙っておいてあげるわね」
 ほんの冗談で言ったつもりだったのに、和子は、
「すみません、お願いします」
 という返事だった。本当に圭子にしゃべることができなくなって、ちょっとつらかったそうだ。まだ圭子から秘密を聞かされる前だったから、姉妹で淳を取り合っての血なまぐさい争いがいつ起きるかと、そればかり気にしていたそうだ。後で思えばつまらない心配だったのだが。

 和子と淳の結婚式の当日を迎えて、圭子は複雑な思いだった。
「ねえ、これからあんたのこと、何て呼べばいいの?お兄ちゃんの花嫁さんだから、やっぱりお姉さんって呼ばないといけないのかな?」
「えっ?そんなこと気にしてたの?」
「だって、私には重大な問題よ。ただでさえどちらが姉かわからないって、昔から言われ続けていたのに。本当に姉妹逆転してしまうなんて、思いもしなかった」
「お姉ちゃんって心配性ね。そんなこと考えもしなかったわ。お兄ちゃんに相談してみたら?」
 そう言うと和子は笑い出してしまい、答えてはくれなかった。
「ねえ、あんた。いつまでお兄ちゃんって言い続けるの?」
「だって……お兄ちゃんはお兄ちゃんだもの。悪い?」
「これから先、他人から誤解されたらどうするの?兄妹だと思ったら結婚してるって、とか」
「いいじゃない。それくらい許してよ。お姉ちゃんにとっては実のお兄ちゃんだから、この先何があっても変わらないだろうけど、私にとっては、お兄ちゃんって呼び続けていないと、私から逃げて行ってしまうかもしれないから必死だったんだから」
 そんなことを言われたら何も言えなかった。兄も姉もいるようで、実際には和子と血のつながった者は一人もいなかったのだから。
「ごめん。あんたの気持ち、何も考えてあげなかった。あんたが今日の日をどれだけ待ち望んでいたのかなんて。お姉ちゃん、だめよね」
「ほら、また落ち込んでる。そんなことないからお姉ちゃん。私にとって、ずっとずっと大切なお姉ちゃんなんだから。これからも仲良くやっていこうよ。お姉ちゃんが泣いてどうするのよ。お父さんもお母さんもお姉さんも見てるから。ほら」
 机の上に3人の遺影が飾られていた。圭子は写真に向かって心の中で語りかけた。
『お父さん、お母さん、ありがとう。和子も今日、花嫁になります。晴れ姿を見てやってください。ひとみ、ありがとう。あんたのこと知って、驚いて、悲しくなったこともあったけれど、今日までのこと、みんなあんたのおかげね。感謝してる。これからも私たちを守っていてね』
 検査も受けたが、和子には母やひとみを襲った病の元は見られなかった。今日まで何の異常もなく、健康でやってこられたのも、先に亡くなったみんなが守ってくれていたからだと信じていた。ふと圭子のお腹が動いたような気がした。不安な気持ちを落ち着かせるように、双子が入った大きなお腹を押さえてみた。3人の写真が笑ったように見えた。

                完


小説「白夜の人」第9章:出発

2010年07月12日 | 詩・小説
第9章 出発

 冬休みに入る前に、学校に転居の届けだけは出しておいた。親の転居で、本人だけが親戚や知り合いの家に残るケースは普通によくある話のようで、別に何の問題もなく受理された。喪中と言うこともあり、年末年始は特別なこともせず、引越の準備に追われる毎日ではあった。例年なら礼子と神社に初詣に行ったりするのだが、さすがに今年は誘われることもないだけでなく、会うことも少なくなった。礼子は本気で東京の大学への受験を狙っているようで、勉強をしまくっているらしかった。
 転居は正月明け、三学期が始まる前に行う予定だった。父と和子は何度か引っ越し先に出かけ、転校の手続きや、新しく住む家で、持って行かずにそちらで購入するものなどを手配したりしていた。その間、圭子は少しずつ自分の荷物を淳の家の、新しく圭子の部屋になる空き部屋に運び込んでいた。部屋は思った以上にきれいにされていて、掃除などは簡単にすみ、徐々に圭子の色に部屋は染まりだしていた。

 さすがに礼子にまで内緒というわけにはいかず、いよいよ転居が近づく数日前、礼子を喫茶店に呼び出し、淳の家に引っ越すことを打ち明けた。
「やるじゃん。結婚を前提に既成事実を作っちゃおうということね」
 驚くより先に、礼子の想像ははるかに飛躍しすぎていた。
「違う違う、そんなのじゃなくて。和子は中学だから転校と言うことになるけれど、私はあちらで通える高校見つけるなんてできないから、誰か知り合いで、空いている部屋もある家はないかって探してたら、淳君のお母さんがそれを聞きつけてね、一緒に住まないかって声をかけてくれたの」
「でも、同じ家に同じ年の若い男女が一緒に暮らすのよね。間違いがあってもおかしくないシチュエーションよね」
「礼子、変なドラマの見過ぎよ。そんなことあるわけないでしょ」
「わからないわよ、淳君も家ではいつ狼に変身するかわかんないし。餌が目の前にあって、じっとしてるってのも、ドラマではむしろそっちの方がありえないわよ」
「ドラマならね。でも現実ってドラマのように単純にはいかないものよ」
「そうか、わかった!淳君のお母さんって、息子が変な気を起こさないために、あえて自分の目の届くところに相手を置いておこうとしてるんだわ。怖い、怖い」
「確かに怖いかもね。お手伝いさん雇った気分で散々こきつかわれて、毎日私は涙涙で、王子様が迎えに来るのを待っている……、って、そんなはずないでしょ、もう」
「はいはい、乗せた私が悪うございました」
「でね、このこと誰にも言わないでね。学校の誰かに知られて、変な噂立てられるのも嫌だから」
「でも、連絡網の住所とかで気づかれるかもしれないね。どうするの?」
「そうっか。うん、その時はね、おばさまが私のこと、すっごく気に入って、以前から娘が欲しくてしかたがなかったから、私を養女にするつもりで、家に慣れてもらって、時期が来れば正式に養女にするつもりだ、って筋書きで説明することになってるの」
「ほんと!?あんた、淳君の家の養女になるの?そんな話、できてるんだ!」
「だから、誰かにばれた時の口実よ。近所の人にもそんな風に言ってごまかすことになってるの。ほんとに養女になるってことじゃないから」
「そうよね、淳君と義理とはいえ兄妹になっちゃったら結婚できなくなるしね。あれっ?義理の兄妹ならできるのかな?どうなんだろ、あんた調べてるよね、そこのところ」
「ううん、知らない」
 調べなくても結果はわかってる。戸籍上は他人であっても、実際には血のつながった実の兄妹なんだから、結婚とかはすでに考えないことにしていた。実の兄妹だとわかっただけで、距離がぐっと近づいた、それだけで十分だった。
「待てよ、そうか、判ったわ」
 礼子の想像はさらに飛躍を始めていた。
「二人は実は異母兄妹なのよ。それでお互いの母親がいがみあってたのよ。うん、そうに違いない。それなら話が合うわ」
「えっ!何、それ。また何かのドラマ?」
 礼子、鋭い!でも惜しいな。異母じゃなくて同母なんだよ。
「うん、同級生が実は異母兄妹で、二人ともそのことを知っていて口をきかなかったんだけど、血を分けた関係だから卒業までに話をしてみたい、って、最近読んだ小説にそんなのがあった。あれっ?圭子と淳君は別に嫌ってるわけでも、口をきかないってこともないわね。すっごく仲いいし。この考え、いいとこついてるな、って思ったんだけどな」
 いつか礼子には打ち明けてもいいかもしれないな、と何となく圭子は思った。何となく、だけど。

 転居前日、引越荷物をすべて送り届けて、家族3人最後の夜をホテルで過ごした。母が入院中には旅行なんて考えもしなかったから、家族3人だけでホテルに泊まるのは初めてのことだった。一晩中、くだらないおしゃべりをして、眠るどころではなかったが、この時間をずっと記憶に残しておきたくて、むしろいつまでも起きていたかった。
 翌日、駅には淳と淳の父親の洋介が来ていた。
「今日はわざわざすみません。これから圭子がお世話かけますけれど、よろしくお願いします」
「ええ、心配なさらないでください。家内も圭子……さんを迎える準備を、心うきうきさせながらやっています。まあ私にしてみれば騒ぎすぎだと思うくらいに」
 実はそわそわしているのは、むしろ洋介の方だと聞いている圭子と和子は、笑い出しそうになるのを必死でこらえていた。
「お兄ちゃん、お姉ちゃんをよろしくね。不器用で怒りっぽくて、イライラすることが多くなるかもしれないけれど、我慢してね」
「こらっ、曲がりなりにもあんたのお姉さんを捕まえて、何言ってるの。そりゃ、起用とは言えないかも知れないけれど、あんたが悪さをするから怒ってるだけでしょ」
「それを日本語では不器用で怒りっぽいって言うの。ほっとするわ、お姉ちゃんの世話から解放されて。ごめんなさいねお兄ちゃん。押しつけることになっちゃって」
「それ以上言うと本気で怒るからね」
 でも本気で怒るつもりはまったくなかった。こんな憎まれ口も明日からは聞けなくなるんだ。いつまで笑ってられるのかな。圭子は自分の笑顔に自信がなかった。
 発車を告げるベルが鳴りだした。
「お父さん、和子、元気でね。着いたら電話でもメールでもちょうだいね」
 ふと和子の表情がとたんに変わって、大粒の涙が流れ出した。
「ごめん、お姉ちゃん。泣かないつもりだったんだけど、だめ。……嫌だよ、お姉ちゃんと別れるの。お姉ちゃんも一緒に来てよ」
「何言ってるの。お姉ちゃんに、ここに残れって言ったの、あんたの方じゃない」
「わかってる。一番いい方法を選んだつもり。でもそれとこれとは別。お姉ちゃんのそばにずっといたい」
「私の面倒見るの苦労するって言ったばかりじゃない。解放されてほっとしてるんでしょ」
「嘘。みんな嘘。わかってるくせに。お姉ちゃんの意地悪」
「私も、あんたにいつまでも頼ってばかりなのを辞めることにしたの。やっと決心がついたのに、くじかせるつもり?」
「だって……」
 圭子の目から、いつのまにか涙がぼろぼろ流れ出していた。二人ともその涙を止めようとは思わなかった。
「どこに行っても、何があっても、姉妹でしょ。私たちの心は一つよ。いつでもメールちょうだい」
「毎日送る。一日に10回は送る」
「いいけど、授業中はやめてよね。授業中に泣き出したくないから……」
 ベルが鳴り止み、ドアが閉まり、ゆっくりと列車は動き出した。
「皆さん、お元気で。圭子もしっかり頑張るんだぞ。ひとみができなかった親孝行、しっかりやってくれるようにな」
「お父さんまで、泣かせないでよ。わかってるから。お父さんも体に気をつけて。無理したらダメだよ」
「私がついてるから大丈夫。お父さんのこと、任せて、お姉ちゃん、お兄ちゃん、さよならーー」
 列車は駅から離れていった。
「和子……」
 圭子は小さな声でつぶやいた。いろいろな思い出が蘇ってきた。喧嘩をして口も聞かない時もあったけれど、あの時、どうしてまた仲良くなったのだろう。姉妹という不思議な絆が理屈を超えて二人をつなげていたように思う。それは、二人の血がつながっていないと知った今でも太い絆でつながり続けている。それは実際に血がつながっている淳の家族に対する物よりずっと太いものだ。同じような絆をこれから作っていかないといけない。そんなことが出来るのだろうか?理屈じゃない。自分たちを引き合わせたひとみの力、思いを信じることなんだと自分に言い聞かせていた。

 洋介の車に乗って淳の家に着いた。母の志津がやさしく出迎えてくれた。今日からここが自分の家なんだ。圭子が家に入って最初にやったことは、仏壇のひとみの遺影に向かうことだった。
「ありがとう、ひとみ。今日からあなたのこと『ひとみ』って呼ぶわね。私、十分なこと何もできないけれど、私のこと守ってね。何かあったら、あなたの責任だからね。遠慮なくあなたのこと怒るから。おばさまとも、おじさまとも、淳君とも仲良くできるように力づけてね。それから、あんたの妹の和子のこと、大切に思ってくれてるのなら、あの子のことも守ってよね。あの子、一度も口に出したことないけれど、本当は怖がってるのよ。私、知ってるから。お母さんとひとみが同じ病気で亡くなったこと。あの子もいつか同じ病気になるんじゃないかって、心配してるって知ってる。今、お母さんと一緒にいるの?だったらお母さんと一緒に和子を守っていてね。もしあの子に何かあったら、ただじゃおかないから、覚悟しててよね」
 夕食まで部屋の片付けを淳が手伝ってくれた。淳が言うには、圭子がここに来ることが決まってからというもの、両親はそわそわし続けだったとか。無関心を装っているような父の洋介でさえ、仏壇に話しかけることがあって、近くで聞いていると、カーテンの色は何が良いと思う?と仏壇のひとみに話しかけていた。圭子が入る部屋も毎日のように掃除をし、丁寧に拭き掃除までしていたという。道理で誰もいなかったはずの部屋が綺麗なわけだった。
 夕食後、部屋に戻って片付けの続きを行った。荷物はそんなに多くないのに、父と和子のことが気になってなかなかはかどらない。夕食前には和子から、今着いた、と簡単なメールが届いたけれど、あちらの方が荷物も多いから大変だろう、メールを打ち返しても返事は返ってこなかった。
 ドアをノックする音が聞こえた。入ってもいいかい、という淳の声に、いいよ、と返事をするとパジャマ姿の淳が入ってきた。
「まだ片付けやってたんだ。もう遅いよ、疲れてるだろうから、早く寝たら?」
「うん、もう寝る。今日はありがとう」
「これから、よろしくな。でも変な物だな。君が同じ家に住むことになるなんて。去年まで思いもしなかった」
「ひとみが起こしてくれた奇跡だって思ってる。あ、そうそう、『ひとみ』って呼ぶことに決めたから、そのつもりでね」
「そうか。じゃあ、僕も君のこと『圭子』って呼ぼうかな。お圭じゃおかしいし」
「やっとおかしいって気づいてくれた?進歩したわね」
「圭子……は、うちの親父とお袋のこと、なんて呼ぶつもり?」
「うん、やっぱり、おじさま、おばさま、かな。どうしても慣れないから。……いつか呼べるようになるとき、来るのかな?それよりさ、外国に3年いたって言ってたわよね?」「ああ、小学校の時だけどね」
「3年もいたら、習慣とか慣れる物なの?」
「けっこう自然になっちゃうね」
「あのさ……、私、一度やってみたかったことがあるんだ。いいかな?」
「何?」
「今日はありがとう。そしてこれからもよろしく」
 そう言うと、圭子はいきなり淳に近づき、淳のほっぺたに軽くチュウをした。
「えっ?」
 いきなりのことで驚く淳だったが、圭子の顔はみるみる真っ赤になっていった。
「もう寝るから、部屋、出て行ってね」
 追い出すように淳の体を押して部屋の外に出すと、ドアを閉めながら圭子が言った。「お休みなさい……お兄ちゃん……」
 淳の目の前でドアが閉められた。しばらく立ったままだったが、
「お休み、圭子」
 そういうと、キスされた頬を押さえながら、自分の部屋に戻っていった。

『お兄ちゃんか。悪くない響きだな』
 にやにやしている自分に気がついた。自分も父親の血を引き継いでいるんだな、と思った。
『でも、学校でお兄ちゃんなんて声かけられたらどうなる。言い間違えた、なんて言い訳通用しないだろ。あいつに兄がいたなんてことないんだから。和ちゃんが呼んでるからうっかりうつってしまった、なんて言い訳でもするんだろうかな』
 淳は、圭子の赤くなっていった顔を思い出した。
『明日の朝、顔を合わせたら気まずいな。どんな顔をして会えばいいんだろ。あいつもたぶん今頃、気まずい思いしてるかも。お互い、気まずくて話もしなかったら、お袋、変に思うだろうな。そうだ、良いこと思いついた!朝会ったら、お早うって言って、ハイタッチしてやろう。これなら自然だし、スキンシップも取れるるから、変に思われないでいいかも』
 思いつきに嬉しくなって、今夜は眠れそうにないだろうな、と思った。これから毎日どうしよう。圭子を加えた『家族4人』の生活を思って、何だかワクワクする思いだった。しかし、この時、淳は知るよしもなかった。和子と再会した時、和子が、圭子を無視して自分に飛びついてくるようになることを。

 圭子は真っ赤になっていた。
『あんなことするんじゃなかった』
 反省しても遅かった。気分を落ち着かせるために和子にメールを打っていた。
『淳君のこと、お兄ちゃんって呼んでみたよ。もう和子だけのお兄ちゃんじゃないからね。ほっぺたにお休みのチュウもしちゃった。うらやましいだろ。』
 和子は何て返事をくれるかな?『やったね、お姉ちゃん』とか。いやいや、『お姉ちゃんだけ、ズルイ』なんて言ってくるかな。だったら返事してやるんだ。『うらやましかたら、あんたもここに来なよ』って。
 まさか、一ヶ月後の休日に、本当に和子が泊まりにやってくるなんて、この時には思いもしなかった。あの、別れの号泣は何だったのか。それはまだ先の話になる。
『明日の朝、どんな顔でお兄ちゃんに会えばいいのかな』
 同じ事を圭子も悩んでいた。そして、淳と同じ考えにたどりついた。
『何でもなかったかのようにハイタッチしてやろう。驚いた顔を無視して、平気だぞって』
 そんなことを考えると、これからの生活が楽しくなってきた。
『ひとみができなかった仲の良い兄妹をしっかりやろう。それがひとみの願いなんだから。大好きな妹と別れてまでここで暮らすんだから、ひとみがヤキモチ焼くくらい仲良くなるんだ。ひとみには怒る権利ないからね』
 今夜は眠れそうにもなかった。まるで夜のない国に来ているかのような感覚を感じていた。