ある日むち打ち症になった。
朝起きると、首が持ち上がらない。横向きになって、手で体を起こしてやっと起き上がれる状態。原因はあった。
体育の鉄棒の課題が、高鉄棒での蹴上がりから、巴と続けての飛び降り。
蹴上がりというのは、体操選手が、鉄棒に飛びついて軽やかにさっと上に上がる奴。両足を鉄棒に近づけてさっと蹴ると勢いで体が上に上がる。巴というのは、鉄棒にくっついた状態での連続逆上がりの変形で、体を鉄棒につけない状態で回るもの。そのままの勢いで前に飛び出すまでの連続技のテスト。
実はこれが得意だった。
蹴上がりは楽々と出来て、中学生レベルでは高鉄棒にぶら下がった状態で、何度か足を振った後で両足を鉄棒に近づけて上がるのだが、僕のレベルでは足を振るのは2回まで。後には鉄棒に飛びついたそのままの勢いで上に上がれるくらいだった。
余裕綽々でテスト前を迎えていたのだが、テストの1週間前、突然出来なくなった。
いわゆる、コツを忘れる、という奴で、今まで軽くできていたのに、ある日突然できなくなっている。
これにはあせりまくった。もう毎日毎日、休み時間は必死で練習した。何しろ以前には出来ていたのだから、何故できなくなったのか不思議で仕方がないし、コツさえ思い出せばできるはずだと思っているはずだから、必死で練習して、とたんに両手に豆がいくつもできた。数えると、両手で9つ。そして、テスト前日にその9個の豆が全部つぶれた。
テスト当日は悲惨な両手だった。両手にハンカチを巻いて鉄棒に向かうのだが、やっぱりできない。仕方がないので低鉄棒に移ったが、ハンカチがすべるのでうまくいかない。結局、ハンカチを取って、9個のつぶれた豆のあとをそのままに素手で鉄棒を握って、なんとか課題を(低鉄棒でだが)こなした。
さすがにすごい手でやったものだから、良い点をつけてもらえた。
豆の治療には、当時はヨードチンキを塗るのだが、これが傷口にはとてもしみる薬。普通は、片手でつける手の手首を押さえて我慢するのだが、何しろ両手共にめくれているので、押さえる手がない。悲惨な思いで薬を付けた。
そして、翌日、頭が持ち上がらなくなった。
早い話が、鉄棒の練習のやり過ぎで、極端に首を振り続けたものだから、むち打ちとまったく同じ症状になったという。脱臼の時に何度もお世話になった整骨医に行って首を固定してもらう。
産まれた時から首は弱い方だった。赤ん坊の時も首の座りが普通の子どもよりも遅かったそうだが、その時の症状が実はいまだに完治はしていない。肩の懲りもそのせいで怒ることが多いし、数年後に2週間入院した時も、眠れなくて氷枕を使いすぎて、首の骨が歪んでしまって、退院後、脳神経科で首の牽引に通い続けたことも。
むち打ちになると、脳に血が通いにくくなるので、とたんに視力が低下した。
首が悪くなると視力も悪くなるので、首を痛めないように気をつけてはいるが、現在は、裸眼では視力検査表の一番大きな字も読めないくらい。まあ乱視がきついせいもあるのだが。
それ以外にも、いつか忘れたが、首をいわゆるプロレスで言うウエスタン・ラリアートという技のように、腕で首に打ち込まれて、のど仏が引っ込んだままというのもある。
当然ながら、この時からメガネをかけるようになった。
朝起きると、首が持ち上がらない。横向きになって、手で体を起こしてやっと起き上がれる状態。原因はあった。
体育の鉄棒の課題が、高鉄棒での蹴上がりから、巴と続けての飛び降り。
蹴上がりというのは、体操選手が、鉄棒に飛びついて軽やかにさっと上に上がる奴。両足を鉄棒に近づけてさっと蹴ると勢いで体が上に上がる。巴というのは、鉄棒にくっついた状態での連続逆上がりの変形で、体を鉄棒につけない状態で回るもの。そのままの勢いで前に飛び出すまでの連続技のテスト。
実はこれが得意だった。
蹴上がりは楽々と出来て、中学生レベルでは高鉄棒にぶら下がった状態で、何度か足を振った後で両足を鉄棒に近づけて上がるのだが、僕のレベルでは足を振るのは2回まで。後には鉄棒に飛びついたそのままの勢いで上に上がれるくらいだった。
余裕綽々でテスト前を迎えていたのだが、テストの1週間前、突然出来なくなった。
いわゆる、コツを忘れる、という奴で、今まで軽くできていたのに、ある日突然できなくなっている。
これにはあせりまくった。もう毎日毎日、休み時間は必死で練習した。何しろ以前には出来ていたのだから、何故できなくなったのか不思議で仕方がないし、コツさえ思い出せばできるはずだと思っているはずだから、必死で練習して、とたんに両手に豆がいくつもできた。数えると、両手で9つ。そして、テスト前日にその9個の豆が全部つぶれた。
テスト当日は悲惨な両手だった。両手にハンカチを巻いて鉄棒に向かうのだが、やっぱりできない。仕方がないので低鉄棒に移ったが、ハンカチがすべるのでうまくいかない。結局、ハンカチを取って、9個のつぶれた豆のあとをそのままに素手で鉄棒を握って、なんとか課題を(低鉄棒でだが)こなした。
さすがにすごい手でやったものだから、良い点をつけてもらえた。
豆の治療には、当時はヨードチンキを塗るのだが、これが傷口にはとてもしみる薬。普通は、片手でつける手の手首を押さえて我慢するのだが、何しろ両手共にめくれているので、押さえる手がない。悲惨な思いで薬を付けた。
そして、翌日、頭が持ち上がらなくなった。
早い話が、鉄棒の練習のやり過ぎで、極端に首を振り続けたものだから、むち打ちとまったく同じ症状になったという。脱臼の時に何度もお世話になった整骨医に行って首を固定してもらう。
産まれた時から首は弱い方だった。赤ん坊の時も首の座りが普通の子どもよりも遅かったそうだが、その時の症状が実はいまだに完治はしていない。肩の懲りもそのせいで怒ることが多いし、数年後に2週間入院した時も、眠れなくて氷枕を使いすぎて、首の骨が歪んでしまって、退院後、脳神経科で首の牽引に通い続けたことも。
むち打ちになると、脳に血が通いにくくなるので、とたんに視力が低下した。
首が悪くなると視力も悪くなるので、首を痛めないように気をつけてはいるが、現在は、裸眼では視力検査表の一番大きな字も読めないくらい。まあ乱視がきついせいもあるのだが。
それ以外にも、いつか忘れたが、首をいわゆるプロレスで言うウエスタン・ラリアートという技のように、腕で首に打ち込まれて、のど仏が引っ込んだままというのもある。
当然ながら、この時からメガネをかけるようになった。