中学3年から、転居する高校2年の秋まで、市立図書館に通った。
別に本を読みに行ったのではなく、宿題等の勉強の場所として利用していた。だからほとんど本を借りたことはない。
最初は友人に連れられて行ったのだが、静かで広くて勉強しやすい雰囲気だったので、学校から帰るとすぐに図書館に出かけた。
高校が紛争で授業がまともに行われなかった時も、早退して図書館に行ったこともある。
地下に食堂もあって、夕方にはうどん等を食べたこともけっこうある。
間食をしても家では普通に食べていたのではあるが。
大きな思い出は、ある時友人が、面白い小説が載っている、ということで、それまで手に取ることさえなかった中央公論という雑誌を持ってきた。お堅い雑誌というイメージのある雑誌で、一生手に取ることはなかったと思われる雑誌だったのだが、載っていた読み切りの小説のあまりにもの面白さに惹かれてしまった。
その後、その作者が書いた連載小説を読むために、その小説のためだけにその雑誌を購読することになるのだが、それが「赤頭巾ちゃん気をつけて」だった。
それがその年の芥川賞を取ったというニュースを聞いた時はずっこけてしまった。芥川賞なんて小難しい賞が、やにわに身近な存在に思えてきた。
この小説、作家、映画に関しては別項に譲るとして。
転居をしてからは地元の図書館に行くことはなくなった。勉強するような場所ではなかったこともある。自宅以外の勉強をする場所というのは貴重な存在だと思う。
別に本を読みに行ったのではなく、宿題等の勉強の場所として利用していた。だからほとんど本を借りたことはない。
最初は友人に連れられて行ったのだが、静かで広くて勉強しやすい雰囲気だったので、学校から帰るとすぐに図書館に出かけた。
高校が紛争で授業がまともに行われなかった時も、早退して図書館に行ったこともある。
地下に食堂もあって、夕方にはうどん等を食べたこともけっこうある。
間食をしても家では普通に食べていたのではあるが。
大きな思い出は、ある時友人が、面白い小説が載っている、ということで、それまで手に取ることさえなかった中央公論という雑誌を持ってきた。お堅い雑誌というイメージのある雑誌で、一生手に取ることはなかったと思われる雑誌だったのだが、載っていた読み切りの小説のあまりにもの面白さに惹かれてしまった。
その後、その作者が書いた連載小説を読むために、その小説のためだけにその雑誌を購読することになるのだが、それが「赤頭巾ちゃん気をつけて」だった。
それがその年の芥川賞を取ったというニュースを聞いた時はずっこけてしまった。芥川賞なんて小難しい賞が、やにわに身近な存在に思えてきた。
この小説、作家、映画に関しては別項に譲るとして。
転居をしてからは地元の図書館に行くことはなくなった。勉強するような場所ではなかったこともある。自宅以外の勉強をする場所というのは貴重な存在だと思う。