2013年11月2日。
《ヨルダンには、およそ170万人のパレスチナ難民の登録者がいると言われている。彼らは各地に集団で住みつき、そこは難民居住区(キャンプ)と呼ばれている。僕はそのうちの1つ、ワヒダット・キャンプを訪問した。》
アンマン市内からバスでおよそ15分。ダウンタウンの南側に位置するこの難民居住区は「ワヒダット・キャンプ」と呼ばれている。ここには約5万人が登録をされており、パレスチナから逃れてきた人々が身を寄せ合って生活をしている。
「難民キャンプ」と聞くと、ボロボロのテントに極貧の生活・・・というのをイメージするかもしれないが、一見するとそうは見えない。そこは巨大なスーク(市場)になっていて、活気もある。その様子だけを見ていると「あれ?難民キャンプってこんな感じなの?」という錯覚さえ覚えてしまいそうになる。
「ワヒダット・キャンプ」の中には数か所に学校があって、男子と女子が完全に分けられて学習をしている。そのことを事前に知っていたわけではないのだが(笑)、キャンプの中を歩いていたら学校を見つけたので、僕は「お、これは覗いてみよう!」と、ちょっとだけ中に上がらせていただいた。
すると!
寄って来る寄って来る!子ども達の群れ!
おかしを売っている大人まで、ガンガン絡んでくるではないか!
彼らは僕の腕を引っ張り、「welcome!welcome!」と、頼んでもいないのに僕を校内に引っ張っていく。何なんだ、この異様なまでの人懐っこさは?そして僕を、校庭の隅っこにいた先生の前に連れて行ってくれた。
でもね、子ども達は要注意なんですよ、どこの国にいっても。その可愛さを利用して、彼らはわんさか寄って来る。そして気を引いている間にバッグを開けたり、ポケットからお金を抜き取る。だから、子どもが大量に寄って来たときは要注意!絶対に必要以上に絡ませないことが大事なのだ。
だが、そうは言ってもやっぱり子どもは可愛い!みんな綺麗な目をしてるんだな~!
僕は注意を払いながら、彼らの案内に従った。「何か言われるかな・・・」とちょっと恐れていたら、「ヨルダンへようこそ!ささ、中に入って!」と、校長室まで案内してくれるではないか!
たまたま通りがかったどこの馬の骨とも分からない旅人の僕なのに、こんなに親切に対応していただいて・・・と思いつつも、こんなに簡単に中に入れて、俺がテロリストだったらど~すんだ?とか、何か裏があるんじゃないか?とか、色々詮索をする自分がいた。
人の親切心を疑うのって良くないですけど、親切な人には絶対に注意をしないといけないんですよね。下心いっぱいの人もたくさんいるので。僕たちは「親切心」に助けられて旅をしているのに、でもその「親切心」を疑わなければならない。その矛盾が、本当はとても嫌なんですけどね・・・。
校長室の中には数人の先生方がいて、そのうちの一人の先生(なのかな?)が、僕の案内をしてくれた。彼の名はYahiaさん。校内のことはもちろん、ワヒダット・キャンプのことも詳しく案内してくれた。
しかし、彼との会話が、僕にパレスチナ問題の根深さをまじまじと感じさせた。「ああ、やっぱりここは難民キャンプなんだな・・・」と、僕はハッとした。「なんだ、ただのスークみたいじゃないか」と僕は思ってしまったのだが、やはりここに住んでいるのは「パレスチナ人」だったのだ。
僕が「イスラエルに・・・」と発言したとき・・・
彼の目つきが変わった。「イスラエル?なんだその国家は?そんなもの、この世には存在しない!」と、口で言ったわけではないが、彼の目はそう語っているようだった。
彼は僕に諭すように教えてくれた。「ここはイスラエルじゃない、パレスタインという国家だ」と。
わずかなやり取りだった。でも、「イスラエルを認めない」その姿勢を感じたとき、僕は未だに続く紛争を肌で感じたような気がした。
僕が「この状況について、僕は少しでも理解しているつもりです」と発言したとき・・・
彼の目つきが変わった。「理解している?でも、あなたの国はイスラエルを支援しているのを知っているのか?」と、今度はしっかり発言をした。
それは知っている。日本とアメリカは同盟関係にあり、国策としてはアメリカ側に付く他はないのだろう。
僕は説明をした。国民感情としては色々な考え方がある。全ての日本国民が、全面的にイスラエルを支持しているなんてことはないし、日本人もそれなりに中東紛争については学んでいると。
しかし、彼の目つきは厳つかった。僕は未だに続く紛争を肌で感じたような気がした。
僕が「パレスチナの難民キャンプに、少しでも力になりたいと思っているんです」と発言したとき・・・
彼の目つきが変わった。「力になりたい?じゃあ、今あなたは何をしてくれるんだ?」と、これもハッキリと発言した。
僕は・・・すぐに何も言い返せなかった。そして、少し間を空けて僕は言った。「僕は日本で教員をしている。だからここでの現状を少しでも日本の子ども達に伝えて、関心を持たせたい。それが一番の貢献だと思っている」と。
彼は少しだけ笑った。そして、「ぜひそうしてほしい。ここでの真実を、何が正しいのかを、パレスタインの現実を、日本に伝えてほしい」と、彼は小さな声で力強く話してくれた。僕は未だに続く紛争を肌で感じたような気がした。
やはり、ここは「パレスチナ紛争の難民が居住している難民キャンプ」なのだ。一見すると、平和なスークにしか見えない。活気もある。でも、ちょっと踏み込んで話をすると・・・そこには言葉にならない感情と数十年続く対立がある。
大量の血が流され、多くを失った人々がここにいる。僕は日本人で、正直パレスチナ紛争の痛みを直接味わったことはない。しかしここには、その「痛み」の真っ只中にいる人々が住んでいる。今、この目の前にいる。
正しいのはどちらなのか?イスラエル?パレスチナ?ユダヤ人?アラブ人?
もし僕が同じような状況でユダヤ人と話をしたら、きっとまた全然違う答えが出てくるのだろう。
あまりにも深い、この歴史。何でこうなってしまうんだろう。何がいけないんだろう。誰のせいなんだろう。僕たちに出来ることは何があるんだろう。
パレスチナ難民キャンプの学校を訪問させていただけたことは、僕にとっては本当に大きな財産になった。でも、心の中はモヤモヤガ張りつめていた。
帰りのバスの中で、1人考える。「俺って何なんだろう・・・。」
2013年11月2日。夜になると何故かフロアに水が溜まり、滑ってこけそうになるアンマンの安宿にて。
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《ヨルダンには、およそ170万人のパレスチナ難民の登録者がいると言われている。彼らは各地に集団で住みつき、そこは難民居住区(キャンプ)と呼ばれている。僕はそのうちの1つ、ワヒダット・キャンプを訪問した。》
アンマン市内からバスでおよそ15分。ダウンタウンの南側に位置するこの難民居住区は「ワヒダット・キャンプ」と呼ばれている。ここには約5万人が登録をされており、パレスチナから逃れてきた人々が身を寄せ合って生活をしている。
「難民キャンプ」と聞くと、ボロボロのテントに極貧の生活・・・というのをイメージするかもしれないが、一見するとそうは見えない。そこは巨大なスーク(市場)になっていて、活気もある。その様子だけを見ていると「あれ?難民キャンプってこんな感じなの?」という錯覚さえ覚えてしまいそうになる。
「ワヒダット・キャンプ」の中には数か所に学校があって、男子と女子が完全に分けられて学習をしている。そのことを事前に知っていたわけではないのだが(笑)、キャンプの中を歩いていたら学校を見つけたので、僕は「お、これは覗いてみよう!」と、ちょっとだけ中に上がらせていただいた。
すると!
寄って来る寄って来る!子ども達の群れ!
おかしを売っている大人まで、ガンガン絡んでくるではないか!
彼らは僕の腕を引っ張り、「welcome!welcome!」と、頼んでもいないのに僕を校内に引っ張っていく。何なんだ、この異様なまでの人懐っこさは?そして僕を、校庭の隅っこにいた先生の前に連れて行ってくれた。
でもね、子ども達は要注意なんですよ、どこの国にいっても。その可愛さを利用して、彼らはわんさか寄って来る。そして気を引いている間にバッグを開けたり、ポケットからお金を抜き取る。だから、子どもが大量に寄って来たときは要注意!絶対に必要以上に絡ませないことが大事なのだ。
だが、そうは言ってもやっぱり子どもは可愛い!みんな綺麗な目をしてるんだな~!
僕は注意を払いながら、彼らの案内に従った。「何か言われるかな・・・」とちょっと恐れていたら、「ヨルダンへようこそ!ささ、中に入って!」と、校長室まで案内してくれるではないか!
たまたま通りがかったどこの馬の骨とも分からない旅人の僕なのに、こんなに親切に対応していただいて・・・と思いつつも、こんなに簡単に中に入れて、俺がテロリストだったらど~すんだ?とか、何か裏があるんじゃないか?とか、色々詮索をする自分がいた。
人の親切心を疑うのって良くないですけど、親切な人には絶対に注意をしないといけないんですよね。下心いっぱいの人もたくさんいるので。僕たちは「親切心」に助けられて旅をしているのに、でもその「親切心」を疑わなければならない。その矛盾が、本当はとても嫌なんですけどね・・・。
校長室の中には数人の先生方がいて、そのうちの一人の先生(なのかな?)が、僕の案内をしてくれた。彼の名はYahiaさん。校内のことはもちろん、ワヒダット・キャンプのことも詳しく案内してくれた。
しかし、彼との会話が、僕にパレスチナ問題の根深さをまじまじと感じさせた。「ああ、やっぱりここは難民キャンプなんだな・・・」と、僕はハッとした。「なんだ、ただのスークみたいじゃないか」と僕は思ってしまったのだが、やはりここに住んでいるのは「パレスチナ人」だったのだ。
僕が「イスラエルに・・・」と発言したとき・・・
彼の目つきが変わった。「イスラエル?なんだその国家は?そんなもの、この世には存在しない!」と、口で言ったわけではないが、彼の目はそう語っているようだった。
彼は僕に諭すように教えてくれた。「ここはイスラエルじゃない、パレスタインという国家だ」と。
わずかなやり取りだった。でも、「イスラエルを認めない」その姿勢を感じたとき、僕は未だに続く紛争を肌で感じたような気がした。
僕が「この状況について、僕は少しでも理解しているつもりです」と発言したとき・・・
彼の目つきが変わった。「理解している?でも、あなたの国はイスラエルを支援しているのを知っているのか?」と、今度はしっかり発言をした。
それは知っている。日本とアメリカは同盟関係にあり、国策としてはアメリカ側に付く他はないのだろう。
僕は説明をした。国民感情としては色々な考え方がある。全ての日本国民が、全面的にイスラエルを支持しているなんてことはないし、日本人もそれなりに中東紛争については学んでいると。
しかし、彼の目つきは厳つかった。僕は未だに続く紛争を肌で感じたような気がした。
僕が「パレスチナの難民キャンプに、少しでも力になりたいと思っているんです」と発言したとき・・・
彼の目つきが変わった。「力になりたい?じゃあ、今あなたは何をしてくれるんだ?」と、これもハッキリと発言した。
僕は・・・すぐに何も言い返せなかった。そして、少し間を空けて僕は言った。「僕は日本で教員をしている。だからここでの現状を少しでも日本の子ども達に伝えて、関心を持たせたい。それが一番の貢献だと思っている」と。
彼は少しだけ笑った。そして、「ぜひそうしてほしい。ここでの真実を、何が正しいのかを、パレスタインの現実を、日本に伝えてほしい」と、彼は小さな声で力強く話してくれた。僕は未だに続く紛争を肌で感じたような気がした。
やはり、ここは「パレスチナ紛争の難民が居住している難民キャンプ」なのだ。一見すると、平和なスークにしか見えない。活気もある。でも、ちょっと踏み込んで話をすると・・・そこには言葉にならない感情と数十年続く対立がある。
大量の血が流され、多くを失った人々がここにいる。僕は日本人で、正直パレスチナ紛争の痛みを直接味わったことはない。しかしここには、その「痛み」の真っ只中にいる人々が住んでいる。今、この目の前にいる。
正しいのはどちらなのか?イスラエル?パレスチナ?ユダヤ人?アラブ人?
もし僕が同じような状況でユダヤ人と話をしたら、きっとまた全然違う答えが出てくるのだろう。
あまりにも深い、この歴史。何でこうなってしまうんだろう。何がいけないんだろう。誰のせいなんだろう。僕たちに出来ることは何があるんだろう。
パレスチナ難民キャンプの学校を訪問させていただけたことは、僕にとっては本当に大きな財産になった。でも、心の中はモヤモヤガ張りつめていた。
帰りのバスの中で、1人考える。「俺って何なんだろう・・・。」
2013年11月2日。夜になると何故かフロアに水が溜まり、滑ってこけそうになるアンマンの安宿にて。
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