2013年11月22日。
《エジプトには以前も来たことがあるのだが、今回驚かされたことが1つある。それは「予想以上の貧しさ」。そして僕は、ヨルダンのある他タクシー運転手との会話を思い出した・・・。》
ヨルダンからフェリーでエジプトに入国した僕は、まずダハブという街に向かった。最近日本人のバックパッカーの間では人気のこの街だが、海岸線沿いの華やかなリゾート地のすぐ裏にある現地の人々の貧しい暮らしに、僕は愕然としてしまった。
(詳しくは、この前の僕のブログをご覧になっていただけたら嬉しいです。)
http://blog.goo.ne.jp/team-nondakure/e/184bc7411dd6e059908684cc4509804c
ダハブのあと首都のカイロに向かった。カイロではエチオピアのビザを取得することが目的だったので、目的を果たした僕はサクサクと南部の街・アスワンに向かったのだが・・・。
このアスワンに着いて街を歩き、すぐに感じたことがある。
「何だか・・・貧しいな・・・。」
この「貧しい」という言葉を軽々しく使うのは良くないのかもしれない。物質的には「貧しくない」のかもしれない日本だって、精神的に見たら果たしてどうなのか?「豊か」だと言えるのか?何を以て「貧しい」のか「貧しくない」のか、その定義は困難であろう。
その議論は少し置いておいて、僕がここで「貧しい」と表現したのは、物質的な意味である。以前エジプトに来た時はあまり感じなかったのだが、今回僕はものすごくこの国の「貧しさ」を感じている。
アスワンの街は小さく、2つの大きなメインストリートくらいしか普通観光客は歩かない。
そこを歩いている分には「ああ、エジプトだな」という感じなのだが、一歩道を外れると、「あれ、こんなに貧しい国だったっけ」と感じずにはいられない、かなり荒廃した街が広がっているのだ。その街の様子に、僕は驚かされた。
エジプトの客引きはかなりしつこい。黙っていても勝手に話を進めて買わせようとするし、「これいくら?」と聞いても、まず100%ぼったくってくる。
正直何度も「あ~うぜぇなこいつら!」と思ったことはある。しかし彼らが住んでいる街を見、そして彼らも必死に生活のためにものを売っていることを思うと・・・しつこくついてくることもぼったくってくることも、そこに悪意を感じられなくなる。「先進国」と言われている国からやってきた1人の人間として、どのような接し方をすることが本当に正しいのか、深く考えさせられてしまう。
ある客引きと、こんな会話をした。
「ヘイジャパニーズ、グッドプライス!カモン!」
「ノー、アイハブノーマネー。」
「ノーマネー?ノーノー、ユーハブマネー!」
「ノー、ノーマネー。」
「ノー!ユーカムエジプト。ユーハブマネー!」
僕はハッとした。「そうか、僕はエジプトに来ている。ということは、金があるということか・・・。」
あまりにも当たり前と言えば当たり前の話だ。僕が言う「ノーマネー」は、彼らに通じるはずがない。僕が言いたい「ノーマネー」は、彼らの感覚とは異なるものなのだ。彼らの「ノーマネー」と僕の「ノーマネー」は、別の世界の話なのだ。
僕はヨルダンに着いてすぐの、あるタクシー運転手との会話を思い出した。
ヨルダンの空港に着いた僕は、バスに乗って市内まで移動した。そこからはセルビスと言われている乗合いのタクシーか普通のタクシーで移動するしかなかったのだが、ちょうど金曜日だったので(ヨルダンでは金曜日が祝日にあたる)、仕方なくタクシーに乗ることにした。
そこでタクシーの運転手と値段交渉をしていたのだが、僕はその中で「アイアムプア、ノーマネー」という表現を使って、値段を安くしようとした。
その時、運転手は僕にこう言った。
「貧しい?金がない?何を言ってんだ、あの人を見ろ、あの人は今を生きるために、ゴミを拾って生きている。あれを貧しいというんだ。オマエは日本でああいう生活をしているのか?違うだろう。オマエは貧しくない、金も持っている。そうだろう?」
僕らからちょっと離れたところには、ゴミを拾う浮浪者の方がいた。運転手の彼は彼を指して、僕に強い口調で言ったのだ。
僕は何も返せなかった。何の言葉も出てこなかった。値段交渉をしているのに、僕の方が完全に気圧されてしまい、強く言えなくなってしまった。
僕たち日本人はよく「ノーマネー」という表現を使って、客引きを断ったり値段交渉をしたりする。しかしその「ノーマネー」とは、いったい何なのだろう。
僕たちは世界的に見れば、間違いなく「金がある」国民だ。決して「ノーマネー」ではない。
バックパッカーはいわゆる「貧乏旅行」だ。でも、本当に貧乏なの?本当に貧乏なら、そもそも旅行なんて行けないじゃん。旅をしている時なんて、結局は無収入なんでしょ?それでも旅できるんだから、贅沢なもんだよね。
そんな自問自答が、僕の頭を過ぎる。
ベネズエラで仲良くなった青年とよくフェイスブックで連絡を取っているが、彼はよく僕にこう言う。
「僕の夢は世界中を旅することなんだ。マサキは今旅をしていて羨ましいよ!僕もいつか世界中に行ってみたい。でも今は、なかなか仕事が見つからないんだ。まずは仕事を見つけないといけないんだ。」
彼はとっても気さくに僕に連絡をしてくれる。でも僕は、その返信に困ってしまうことがある。
僕は日本という国に生まれて、決して裕福な家庭だったわけじゃないけどこうして旅も出来て、今を生きている。僕は彼に、どんな言葉を返すべきなのだろう。彼の心の内は、本当はどのようなものなのだろう。
僕は今旅をしている。多くのものを学んでいるつもりだけど、その反面色んなものがどんどん分からなくもなってくる。
また同じ結論になってしまうけど・・・それでいいと思って今、世界を歩いている。その絶望感と無力感が、新たなスタートになると信じている。僕みたいな愚かな凡人が、すぐに悟れるはずがない。だから、その悩みを抱えることでいいんだと、僕は信じている。
明日もきっと、たくさんの客引きが僕に声をかけてくる。何といって僕は断るべきなのか。こんな小さなことすら、僕は分からないんだなぁ・・・。でもさ、正直言うとさ、ホントにしつこくてうざいって思ってしまうんだよなぁ・・・。
2013年11月22日。アスワンの中心部にある、部屋でもWi-Fiがガンガン入ってくれて大変有り難い安宿の一室にて。
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《エジプトには以前も来たことがあるのだが、今回驚かされたことが1つある。それは「予想以上の貧しさ」。そして僕は、ヨルダンのある他タクシー運転手との会話を思い出した・・・。》
ヨルダンからフェリーでエジプトに入国した僕は、まずダハブという街に向かった。最近日本人のバックパッカーの間では人気のこの街だが、海岸線沿いの華やかなリゾート地のすぐ裏にある現地の人々の貧しい暮らしに、僕は愕然としてしまった。
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http://blog.goo.ne.jp/team-nondakure/e/184bc7411dd6e059908684cc4509804c
ダハブのあと首都のカイロに向かった。カイロではエチオピアのビザを取得することが目的だったので、目的を果たした僕はサクサクと南部の街・アスワンに向かったのだが・・・。
このアスワンに着いて街を歩き、すぐに感じたことがある。
「何だか・・・貧しいな・・・。」
この「貧しい」という言葉を軽々しく使うのは良くないのかもしれない。物質的には「貧しくない」のかもしれない日本だって、精神的に見たら果たしてどうなのか?「豊か」だと言えるのか?何を以て「貧しい」のか「貧しくない」のか、その定義は困難であろう。
その議論は少し置いておいて、僕がここで「貧しい」と表現したのは、物質的な意味である。以前エジプトに来た時はあまり感じなかったのだが、今回僕はものすごくこの国の「貧しさ」を感じている。
アスワンの街は小さく、2つの大きなメインストリートくらいしか普通観光客は歩かない。
そこを歩いている分には「ああ、エジプトだな」という感じなのだが、一歩道を外れると、「あれ、こんなに貧しい国だったっけ」と感じずにはいられない、かなり荒廃した街が広がっているのだ。その街の様子に、僕は驚かされた。
エジプトの客引きはかなりしつこい。黙っていても勝手に話を進めて買わせようとするし、「これいくら?」と聞いても、まず100%ぼったくってくる。
正直何度も「あ~うぜぇなこいつら!」と思ったことはある。しかし彼らが住んでいる街を見、そして彼らも必死に生活のためにものを売っていることを思うと・・・しつこくついてくることもぼったくってくることも、そこに悪意を感じられなくなる。「先進国」と言われている国からやってきた1人の人間として、どのような接し方をすることが本当に正しいのか、深く考えさせられてしまう。
ある客引きと、こんな会話をした。
「ヘイジャパニーズ、グッドプライス!カモン!」
「ノー、アイハブノーマネー。」
「ノーマネー?ノーノー、ユーハブマネー!」
「ノー、ノーマネー。」
「ノー!ユーカムエジプト。ユーハブマネー!」
僕はハッとした。「そうか、僕はエジプトに来ている。ということは、金があるということか・・・。」
あまりにも当たり前と言えば当たり前の話だ。僕が言う「ノーマネー」は、彼らに通じるはずがない。僕が言いたい「ノーマネー」は、彼らの感覚とは異なるものなのだ。彼らの「ノーマネー」と僕の「ノーマネー」は、別の世界の話なのだ。
僕はヨルダンに着いてすぐの、あるタクシー運転手との会話を思い出した。
ヨルダンの空港に着いた僕は、バスに乗って市内まで移動した。そこからはセルビスと言われている乗合いのタクシーか普通のタクシーで移動するしかなかったのだが、ちょうど金曜日だったので(ヨルダンでは金曜日が祝日にあたる)、仕方なくタクシーに乗ることにした。
そこでタクシーの運転手と値段交渉をしていたのだが、僕はその中で「アイアムプア、ノーマネー」という表現を使って、値段を安くしようとした。
その時、運転手は僕にこう言った。
「貧しい?金がない?何を言ってんだ、あの人を見ろ、あの人は今を生きるために、ゴミを拾って生きている。あれを貧しいというんだ。オマエは日本でああいう生活をしているのか?違うだろう。オマエは貧しくない、金も持っている。そうだろう?」
僕らからちょっと離れたところには、ゴミを拾う浮浪者の方がいた。運転手の彼は彼を指して、僕に強い口調で言ったのだ。
僕は何も返せなかった。何の言葉も出てこなかった。値段交渉をしているのに、僕の方が完全に気圧されてしまい、強く言えなくなってしまった。
僕たち日本人はよく「ノーマネー」という表現を使って、客引きを断ったり値段交渉をしたりする。しかしその「ノーマネー」とは、いったい何なのだろう。
僕たちは世界的に見れば、間違いなく「金がある」国民だ。決して「ノーマネー」ではない。
バックパッカーはいわゆる「貧乏旅行」だ。でも、本当に貧乏なの?本当に貧乏なら、そもそも旅行なんて行けないじゃん。旅をしている時なんて、結局は無収入なんでしょ?それでも旅できるんだから、贅沢なもんだよね。
そんな自問自答が、僕の頭を過ぎる。
ベネズエラで仲良くなった青年とよくフェイスブックで連絡を取っているが、彼はよく僕にこう言う。
「僕の夢は世界中を旅することなんだ。マサキは今旅をしていて羨ましいよ!僕もいつか世界中に行ってみたい。でも今は、なかなか仕事が見つからないんだ。まずは仕事を見つけないといけないんだ。」
彼はとっても気さくに僕に連絡をしてくれる。でも僕は、その返信に困ってしまうことがある。
僕は日本という国に生まれて、決して裕福な家庭だったわけじゃないけどこうして旅も出来て、今を生きている。僕は彼に、どんな言葉を返すべきなのだろう。彼の心の内は、本当はどのようなものなのだろう。
僕は今旅をしている。多くのものを学んでいるつもりだけど、その反面色んなものがどんどん分からなくもなってくる。
また同じ結論になってしまうけど・・・それでいいと思って今、世界を歩いている。その絶望感と無力感が、新たなスタートになると信じている。僕みたいな愚かな凡人が、すぐに悟れるはずがない。だから、その悩みを抱えることでいいんだと、僕は信じている。
明日もきっと、たくさんの客引きが僕に声をかけてくる。何といって僕は断るべきなのか。こんな小さなことすら、僕は分からないんだなぁ・・・。でもさ、正直言うとさ、ホントにしつこくてうざいって思ってしまうんだよなぁ・・・。
2013年11月22日。アスワンの中心部にある、部屋でもWi-Fiがガンガン入ってくれて大変有り難い安宿の一室にて。
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