2013年11月19日。
《シリア難民が住むのコンテナの中で次の日の朝を迎えた僕。でも、気が気じゃない気分でこの日の朝を迎えた。この朝のうちにザータリ難民キャンプを出なければいけなくなってしまったのだが、そこにはこんなことがあったんです・・・。》
本当に参りましたよ。
今回ザータリに入る許可証(パーミッション)は、あるヨルダン人の男性にお願いしたんですよ。彼は日本語もけっこう話せて日本人相手に商売もしているし、信じていたんですよ。
でもですよ、ザータリの打ち合わせをする度に、約束を破るわけですよ。時間通りに来ないしドタキャンしたり。でも、ザータリに行くためにはこの人を頼るしかなかったので、内心ムカつきながらも話を進めていたわけですよ。
ちなみに僕はこの人に辿り着く前に、あらゆるNGOやUnicefの事務所まで尋ねに行ったんですよ。でも、全然相手にしてもらえず、もはや為す術がなくなっている状態だったんですよ。
そしてようやく、ザータリに行けることになったんですよ。でもですよ、当日もヒドイわけですよ。
時間通りには来ないし言っていた内容と全然違うし、もうハラワタ煮えくり返りそうなくらいイライラしていたんですよ。でも、チャンスはここしかなかったので、我慢していたわけですよ。
そしてお金の話になったときに、もう1人の日本人が支払いの仕方の相談を持ち掛けたわけですよ。そしたらですよ、何故か突然ブチ切れたんですよ。「お金を払わない」なんて言っていないのにですよ。
僕はもちろんお金を用意していましたよ。でも、あまりにも言ってることとやっていることが違うので、その点だけはしっかり話して支払いをしようと思っていたんですよ。
でですね、ちょっとだけその人ともめてしまったんですよ。
僕は冷静に話がしたかったんですよ。でもとんでもなく激高をしてしまい、話にならなかったんですよ。そしたらこの人、自分だけ先に帰って行ってしまったんですよ。あっという間に車で走り去ってですよ。
そして去り際に一言、「オマエらのパーミッションは自分が持っているから、明日オマエらは逮捕されるからな!」と言い残してですよ。もう最悪の展開ですよ。
断じて僕らは悪くないですよ。ホントに冷静に話そうとしたんですよ。でももうどうしようもなくなってしまったんですよ・・・。
ということで、パーミッションのないままザータリに滞在することになってしまった僕たちは、分かりやすく言えば「不法滞在」になってしまったわけですよ。もし今の状態で警察に見つかれば、マジで逮捕ですよ。ちなみに無許可でザータリに入ろうとして警察に見つかり逮捕されて、そのまま10時間以上拘留された人も知ってるんですよ。そんなのマジで勘弁ですよ。
もし見つかったら、「入ろうとした」ではなく、「入ってしまった」ということで問われるわけですよ。そりゃ確かに入ったときはちゃんとパーミッションはあったけど、今は手元にないわけだし、どういう扱いになるのか分からないわけですよ。そりゃやっぱり不安ですよ。
時間は午後5時くらいになっており、暗くもなってきたので、もうどうしようもないわけですよ。そこでなんとかシリア人の方のご厚意をいただき、泊めてもらえることになったんですよ。
本当は1泊だけじゃなく、何泊かする予定だったんですよ。でもパーミッションがない今、一刻も早く外に出ないとマジでまずいわけですよ。
事情を分かってくれたシリア人の方は、「正面には必ず警察がいるから、出るのは無理だ。だから、シリア人がいつも出入りしている、最近合法になった(これは本当かどうか分からないのですが)道があるから、そこから出ればいい」と言ってくれたわけですよ。
でも、そんな風に言われても不安なわけですよ。その方が言うには、そこには警察はいないから全然大丈夫とのことなんですよ。シリア人に紛れて出てしまえば平気だと。でもでも、不安なわけですよ。こんなことで警察のお世話にはなりたくないわけですよ。
とは言っても為す術がないので、そのシリア人を信じるしかないわけですよ。「朝の7時半くらいがベストだから、一緒に外まで行こう」と言ってくれて、僕たちはそれに従うことにしたんですよ。
7時30分。僕たちはコンテナを出た。バックパックは目立つのでリヤカーを手配してそれに乗せ、カバーをして見えなくした。僕たちはパーカーを着てフードを被り、出来るだけ目立たないように心掛けた。
そこはまさに「道なき道」だった。凹凸の激しい土の上を歩く。土の上には足跡が残っており、数人のシリア人が僕らと同じく歩いて外に向かっていた。
距離にしてみれば、大したことはない。でも、一歩一歩が本当に長く感じられた。まるで北朝鮮から脱北する人の気分のようだ・・・。
「どうか誰もいませんように・・・」祈るような気持ちで、一歩一歩足を進める。
ついに出入り口らしき建物が見えてきた。
そして・・・!
そこには誰もいなかった。周りのシリア人も、何事もなくノーチェックで通り抜けている。言われた通りだった。
「ほら、だから誰もいないって言ったじゃないか」と言わんばかりに、一緒についてきてくれたシリア人は僕たちを見ていた。彼らは笑顔で僕たちに話し掛けてくれた。
大通りに出たところで僕たちはタクシーを拾い、最寄りの一番大きな街へと向かった。
シリア人たちは僕たちに手を振って見送ってくれた。何とも不思議な光景だ、彼らのおかげで僕たちは何とかザータリを脱出することができ、そして僕たちを見送ってくれている。
いずれにしても、僕たちは自由になれた。長い長い、本当に長く感じられた夜だった。
タクシーの中では何より安心感が大半だったが、それと同時に心苦しかった。僕はなんと中途半端な形でザータリを訪れたことになってしまったのか・・・。シリア人の方々には、最後まで迷惑をおかけしてしまった。そんなつもりではなかったのに・・・。
僕は最大の目的であった「ザータリ難民キャンプ」に足を踏み入れることはできた。でも、目的としていたことはほとんど何も出来なかった。
まさかこんな展開でこの場を去ることになるとは・・・夢にも思っていなかった。
これまでで一番の「安堵感」と、これで一番の「申し訳なさ」と、これまでで一番の「複雑な気持ち」を同時に味わいながら、僕はマフラックの街へ向かっていった・・・。
2013年11月19日。日本人が大量に滞在している、紅海に面するシナイ半島の有名な安宿にて。
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《シリア難民が住むのコンテナの中で次の日の朝を迎えた僕。でも、気が気じゃない気分でこの日の朝を迎えた。この朝のうちにザータリ難民キャンプを出なければいけなくなってしまったのだが、そこにはこんなことがあったんです・・・。》
本当に参りましたよ。
今回ザータリに入る許可証(パーミッション)は、あるヨルダン人の男性にお願いしたんですよ。彼は日本語もけっこう話せて日本人相手に商売もしているし、信じていたんですよ。
でもですよ、ザータリの打ち合わせをする度に、約束を破るわけですよ。時間通りに来ないしドタキャンしたり。でも、ザータリに行くためにはこの人を頼るしかなかったので、内心ムカつきながらも話を進めていたわけですよ。
ちなみに僕はこの人に辿り着く前に、あらゆるNGOやUnicefの事務所まで尋ねに行ったんですよ。でも、全然相手にしてもらえず、もはや為す術がなくなっている状態だったんですよ。
そしてようやく、ザータリに行けることになったんですよ。でもですよ、当日もヒドイわけですよ。
時間通りには来ないし言っていた内容と全然違うし、もうハラワタ煮えくり返りそうなくらいイライラしていたんですよ。でも、チャンスはここしかなかったので、我慢していたわけですよ。
そしてお金の話になったときに、もう1人の日本人が支払いの仕方の相談を持ち掛けたわけですよ。そしたらですよ、何故か突然ブチ切れたんですよ。「お金を払わない」なんて言っていないのにですよ。
僕はもちろんお金を用意していましたよ。でも、あまりにも言ってることとやっていることが違うので、その点だけはしっかり話して支払いをしようと思っていたんですよ。
でですね、ちょっとだけその人ともめてしまったんですよ。
僕は冷静に話がしたかったんですよ。でもとんでもなく激高をしてしまい、話にならなかったんですよ。そしたらこの人、自分だけ先に帰って行ってしまったんですよ。あっという間に車で走り去ってですよ。
そして去り際に一言、「オマエらのパーミッションは自分が持っているから、明日オマエらは逮捕されるからな!」と言い残してですよ。もう最悪の展開ですよ。
断じて僕らは悪くないですよ。ホントに冷静に話そうとしたんですよ。でももうどうしようもなくなってしまったんですよ・・・。
ということで、パーミッションのないままザータリに滞在することになってしまった僕たちは、分かりやすく言えば「不法滞在」になってしまったわけですよ。もし今の状態で警察に見つかれば、マジで逮捕ですよ。ちなみに無許可でザータリに入ろうとして警察に見つかり逮捕されて、そのまま10時間以上拘留された人も知ってるんですよ。そんなのマジで勘弁ですよ。
もし見つかったら、「入ろうとした」ではなく、「入ってしまった」ということで問われるわけですよ。そりゃ確かに入ったときはちゃんとパーミッションはあったけど、今は手元にないわけだし、どういう扱いになるのか分からないわけですよ。そりゃやっぱり不安ですよ。
時間は午後5時くらいになっており、暗くもなってきたので、もうどうしようもないわけですよ。そこでなんとかシリア人の方のご厚意をいただき、泊めてもらえることになったんですよ。
本当は1泊だけじゃなく、何泊かする予定だったんですよ。でもパーミッションがない今、一刻も早く外に出ないとマジでまずいわけですよ。
事情を分かってくれたシリア人の方は、「正面には必ず警察がいるから、出るのは無理だ。だから、シリア人がいつも出入りしている、最近合法になった(これは本当かどうか分からないのですが)道があるから、そこから出ればいい」と言ってくれたわけですよ。
でも、そんな風に言われても不安なわけですよ。その方が言うには、そこには警察はいないから全然大丈夫とのことなんですよ。シリア人に紛れて出てしまえば平気だと。でもでも、不安なわけですよ。こんなことで警察のお世話にはなりたくないわけですよ。
とは言っても為す術がないので、そのシリア人を信じるしかないわけですよ。「朝の7時半くらいがベストだから、一緒に外まで行こう」と言ってくれて、僕たちはそれに従うことにしたんですよ。
7時30分。僕たちはコンテナを出た。バックパックは目立つのでリヤカーを手配してそれに乗せ、カバーをして見えなくした。僕たちはパーカーを着てフードを被り、出来るだけ目立たないように心掛けた。
そこはまさに「道なき道」だった。凹凸の激しい土の上を歩く。土の上には足跡が残っており、数人のシリア人が僕らと同じく歩いて外に向かっていた。
距離にしてみれば、大したことはない。でも、一歩一歩が本当に長く感じられた。まるで北朝鮮から脱北する人の気分のようだ・・・。
「どうか誰もいませんように・・・」祈るような気持ちで、一歩一歩足を進める。
ついに出入り口らしき建物が見えてきた。
そして・・・!
そこには誰もいなかった。周りのシリア人も、何事もなくノーチェックで通り抜けている。言われた通りだった。
「ほら、だから誰もいないって言ったじゃないか」と言わんばかりに、一緒についてきてくれたシリア人は僕たちを見ていた。彼らは笑顔で僕たちに話し掛けてくれた。
大通りに出たところで僕たちはタクシーを拾い、最寄りの一番大きな街へと向かった。
シリア人たちは僕たちに手を振って見送ってくれた。何とも不思議な光景だ、彼らのおかげで僕たちは何とかザータリを脱出することができ、そして僕たちを見送ってくれている。
いずれにしても、僕たちは自由になれた。長い長い、本当に長く感じられた夜だった。
タクシーの中では何より安心感が大半だったが、それと同時に心苦しかった。僕はなんと中途半端な形でザータリを訪れたことになってしまったのか・・・。シリア人の方々には、最後まで迷惑をおかけしてしまった。そんなつもりではなかったのに・・・。
僕は最大の目的であった「ザータリ難民キャンプ」に足を踏み入れることはできた。でも、目的としていたことはほとんど何も出来なかった。
まさかこんな展開でこの場を去ることになるとは・・・夢にも思っていなかった。
これまでで一番の「安堵感」と、これで一番の「申し訳なさ」と、これまでで一番の「複雑な気持ち」を同時に味わいながら、僕はマフラックの街へ向かっていった・・・。
2013年11月19日。日本人が大量に滞在している、紅海に面するシナイ半島の有名な安宿にて。
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