世界中から熱苦しく・・・「ふじもん世界放学ブログ」

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【ふじもん世界放浪「放学記」第4章中東編 『現実』ザータリキャンプ・シリア難民レポートvol.1】

2013-11-13 22:31:25 | 日記
2013年11月13日。

《僕がヨルダンに来た目的。それは死海でもぺトラ遺跡でもなく、内戦で苦しむシリア難民の『現実』をこの目で見、そして伝えること。大量のシリア難民が毎日流れ込んでいる「ザータリ難民キャンプ」。普通の観光客では絶対入ることのできないこの難民キャンプに、僕は何とか入ることができた。》

僕が旅をする理由。色々あるけど、そのうちの1つは「世界の今を伝え、子ども達に少しでも海外に関心を持ってもらうこと」。シリア内戦のニュースは日本でもたくさん報道されており、そのニュースを見る度に僕は僕なりに心を痛めていた。

ザータリの存在を知ったのは、そんなニュースの中の1つだった。それを見て僕は決めた。「この旅の中で、必ずザータリ難民キャンプを訪れる!」と。


ザータリ難民キャンプ。ヨルダンの首都アンマンから、北東に約50~60kmのところにある、ヨルダン国内最大のシリア難民キャンプだ。現在なんと17万人を超える人数が収容されており、元々6万人程度の収容を想定して作られたこのキャンプのキャパシティーは限界に達しているという。

アンマンからタクシーやバスを乗り継ぐこと約2時間半。ようやく「ザータリ難民キャンプ」のメインゲートに到着した。

アンマン近郊にあるパレスチナ人の難民キャンプなどは、誰でも中に入ることができる。以前の僕のブログで紹介もさせていただいた通り、学校などの見学もさせてくれる。しかし、このザータリ難民キャンプはそうはいかない。異常なまでの数のシリア難民が日々流れ込んでおり、キャンプ内の治安も不安な面が多い。そのため、周囲には厳しい警備が敷かれているのだ。

本来であればキャンプ内で活動するNGOなどでなければパーミッションは取れないそうなのだが、僕は八方手を尽くして、何とかパーミッションを入手することができた。


首都アンマンから北へ北へと上がっていくと、その景色は徐々に寂しくなっていく。立ち並ぶ家屋は貧しいものとなり、一面に広がる砂漠からもどことなく郷愁が感じられる。

バスで走ること約1時間。シリアとの国境付近の街イルビットに到着した。ここで車を乗り換え、一路東へと僕は進んだ。

その景色は、首都のアンマンとは大きく異なるものであった。ただ一面に広がる砂漠の中に、そこだけ開墾されたのであろうか、時々緑の植物が生い茂っている。建物はポツンポツンとしかた建っておらず、ひたすらに渋滞が続くアンマンの喧騒が嘘のようだった。ちょっと北へ進めば、そこはなお内戦が続くシリア。どことなく緊張感が漂っているような気がした。

45分ほど走ったであろうか、右側に白い街並みが見えてきた。その白いものとは何か。それはシリア難民のために建てられたテントの群れなのだ。

僕はついに「ザータリ難民キャンプ」に辿り着いた。


メインゲートから中に入る。そこには軍と警察が厳重な警備を敷いており、もちろん写真撮影などは厳禁。行き交う多くの人をかき分けて僕は中へ中へを進んで行った。

人口17万人を超えるザータリ難民キャンプ。ここはもはや1つの「街」なのだ。メインストリートには商店が立ち並び、人々は「そこで生きているのが当然のように」生活をしている。何とも不思議な光景だ。


これまでにいくつかの難民キャンプを見てきたが、まず大きな違いを1つ感じた。それは、建物は全てテントだということだ。アンマン近郊のパレスチナ難民キャンプなどは、建物はコンクリートで建てられており、一見するとそれは、僕たち日本人がイメージする「難民キャンプ」ではない。普通の「街」なのだ。

しかし、ザータリは違っていた。ほぼ全てがテントなのである。僕は1つでも多く見、そして感じようと、メインストリートを車で走り抜けた。
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街中をしばらく走り終えた後、僕たちは車を停めた。車から降りた僕は、歩いて人々の様子を見ることができた。


これが、ザータリ難民キャンプ。一面に広がるテント。ここに、17万人を超えるシリア人が住んでいるのだ。


家族を失った人も多くいる。家族がまだシリア国内に残っている人も多くいる。命からがらこの地まで辿り着いた人も多くいる。そんな人たちが集まる、このザータリ。人々は、いったいどんな表情をしているのだろうか。


しかし、子ども達はやっぱり「子ども達」だった。屈託のない笑顔で僕の周りに寄って来る子ども達。どこの世界に行っても、どんな境遇に置かれても、子ども達はやっぱり変わらない。この子達の目を見ていると、どうにかして希望ある平和な未来を築けないものかと、自然と思わされる。


テントの中も見学させていただいた。昼間こそ温かいが、夜はかなり冷えるという。この薄いテントだけで、毎日夜を越すことができるのだろうか。


あるテントの中では、一組の老夫婦が休んでいた。2人とも疲れ果てた表情で床に座り、しかし僕の訪問を歓迎してくれた。そしてなんと、僕のために「椅子に座りなさい」と、車椅子を僕に寄越してくれたのだ。


何という優しさか。僕は英語で「大丈夫ですよ、本当にありがとうございます」と伝えたが、本当に伝わったのか・・・。それとも、車椅子に座った方が良かったのか・・・。僕は有り難く、そして申し訳なく、言葉にならない気持ちでそのおじいさんと握手をした。

傍らにはおばあさんが座っていた。美しいアバヤに身を包んだおばあさん。女性なので写真を撮ることは出来なかったが、その身体からは、何とも言えない悲しみが滲み出ているような気もした。

僕はアラビア語が分からないのが悔しくてしかたなかった。おばあさんは、しきりに僕に何かを語り掛けていた。でも、一言も分からない。僕はただ、うなずくことしかできなかった。そして最後に握手を交わしたとき・・・僕は何故か涙が出てきたおばあさんとは何1つ会話など出来ていない。何を話していたのか、1つも分かっていない。でも、それでも何故か、その手から伝わってくるものがあった。僕は何も返せなかったけど、ただ、その手から伝わる「何か」を受け止めていた。


「ザータリのトイレを見に行こう。」誰かが行った。僕はトイレへを足を運んだ。

ブロックが積まれた建物の中に、シャワーとトイレが向かい合って並んでいた。しかし、それはもちろん清潔などと言えるものではない。もちろん電気も通っていない。常に水が足りないこのザータリでは、毎日シャワーを浴びることなど不可能である。その横にある水道からも、水は出なかった。これが、このキャンプでの生活なのだ。


キャンプの中にはいくつかの大きな水道タンクが設置されており、人々はこの水を大切に使っている。朝この水道タンクを見たときは、人々は列を作って水を汲みに来ていた。


一通りキャンプ内を見学させていただいた僕は、今日宿泊させていただくシリア人のご家庭にやって来た。

命からがら逃れて来たシリア人と過ごす一夜。ここでも僕は、一生忘れることのできない夜を過ごすことになる。

(次回に続く・・・)

2013年11月13日。また戻って来てしまった(笑)、アンマン市内の安宿にて。