2013年11月9日。
《僕は日本で生まれ育ってきた。世界中を周っていると、そんな僕には理解できないことがたくさんある。知識としては、言葉では理解できる。でも、感覚的にはなかなか理解できない。このイスラエルという国には、そんな「理解し難い」現実がある。》
ユダヤ人とパレスチナ人の対立が長らく続いているこのイスラエル。基本的にはイスラエルはユダヤ人の国家であるが、イスラエル国内にはパレスチナ人の自治が認められている地域、いわゆる「パレスチナ自治区」が存在する。2012年11月に国連から「オブザーバー国家」として承認されたこのパレスチナ自治区を、僕は予てから一度この目で見てみたいと思っていた。
一口に「パレスチナ自治区」と言っても、さまざまな街がある。僕は、パレスチナ人とイスラエル人が不思議な共存をしているというヘブロンという街に足を運んだ。
全てではないが、イスラエルとパレスチナ自治区の間には「分離壁」と呼ばれている壁が存在する。その壁にはたくさんの平和を求める壁画が描かれており、対立の中にも平和を求める人々の心の叫びが聞こえてくるようだ。
パレスチナ自治区はパレスチナ人の地域なので、当然パレスチナ人しか住んでいない。はずなのだが、実際にはそうではないらしい。パレスチナ自治区はパレスチナ人の居住区であるのに、かなりの人数のユダヤ人が入植をしているというのだ。これは国際的にも非難を浴びている事実である。
そしてこのヘブロンという街は、そのようなユダヤ人とパレスチナ人の対立が激しい街の1つである。僕はそんなヘブロンの街の「現実」と「今」を、どうしてもこの目で見てみたかった。
僕が生まれ育った日本という国は、身の危険を感じるような宗教対立は存在しない。
同じ街にいくつもの宗教を信仰している人々が存在し、そこに大きな対立が存在しているなんてことは、日本にはまずない。
知識そしては頭に入る。言葉としては理解できる。
でも、感覚的にはどうしても理解し難いのだ。
ヘブロンに到着した僕は、まずスーク(市場)の奥へ奥へを向かった。この先にユダヤ人とパレスチナ人が共存(?)する、不思議な空間があるというのだ。
スークを奥へ奥へと歩く。
パレスチナ人は実に不思議なもので、異様なまでに人懐っこい。いや、それを人懐っこいという表現でまとめていいのか僕には分からないのだが、大人から子どもまでとにかく絡みまくってくる。
アンマン近郊にある「ワヒダット・キャンプ」というパレスチナ難民のキャンプを訪れたときも、異様なまでに絡んでくるのだ。いささか不快に感じるくらい、それはもう休みなく引っ付いてくる。なぜこれほどまでに絡み付いてくるのかは正直謎だ。単なる国民性なのか、それともものを盗み取る隙を狙っているのか・・・。
さらに奥へとスークを歩いていく。すると、僕は「現実」を見た。
なんと、銃を持ったイスラエル兵が、上から見張っているのだ。
ここはパレスチナ自治区。パレスチナ人のための居住区のはずだ。しかしそこには「ダビデの星」を模った国旗を掲げ、銃を持つ兵士が存在する。何ということか、これが「現実」なのだ。
壁にはパレスチナの自由と独立を求める様々な文字が描かれている。やはりここは「パレスチナ人とユダヤ人が対立する最前線」なのだ。
しばらく歩くと、僕は不思議な通りに出た。普通のスークなのだが、上には金網が張られている。そしてその金網にはゴミが散乱し、頭上にはイスラエルの国旗が羽ばたいている。
なぜこのような状況になっているのか。理由は衝撃的だった。
ビルの上の階に住むユダヤ人が、パレスチナ人への嫌がらせのためにゴミを落とすというのだ。それを防ぐため、金網を張ったらしい。「ゴミを落とす」という行為自体は可愛いものに見えるが、何故そこまで嫌がらせをするの。何故そこまでいがみ合うのか。僕にはどうしても理解できない感覚がある。
スークを一歩外れると、イスラエルとパレスチナ自治区を隔てる「分離壁」が至るところに立ちふさがっている。そしてその分離壁の前では、パレスチナ人の子ども達が元気に遊んでいる。まるでテレビで見ているかのような光景だ。
歩き続けるとスークは終わり、何やら物々しい鉄の回転扉があった。両サイドには、銃を持った兵士が立っている。その先には何があるというのか・・・。
先にあったもの、それはモスクだった。しかしそのそれは、実に不思議なモスクなのだ。
スーク側から見える入り口はパレスチナ人、つまりイスラム教徒の礼拝所で、なんとその裏はユダヤ人の礼拝所なのだ。いがみ合う2つの宗教。なんとその2つが、同じ礼拝所を共有しているのだ。
さらに驚くべきことがある。イスラム教徒の入り口のすぐ横には、なんとイスラエルの国旗を掲げた「ユダヤ人居住区」があり、銃を持ったイスラエル兵がいるのだ。何と摩訶不思議な光景なのか・・・。
イスラムの礼拝所の裏に回ると、そこにはなんと・・・!黒装束に身を固めた、いわゆる「正統派」のユダヤ教徒が平然と歩いているではないか!なんと奇妙な光景なのだろう。この裏では敵対するイスラム教徒が祈りを捧げているというのに・・・。
礼拝所の駐車場からスークに戻る。すると、イスラエルの国旗をいくつも掲げた家が建っていた。そしてその先には、物々しい雰囲気で警備にあたるイスラエル兵が立っている。
ここはパレスチナ自治区。ユダヤ教徒はいないはずなのに、このような不思議な世界が広がっている。僕はその不思議な光景に心が躍りつつも、その裏で何度も繰り広げられてきた殺し合いに心を痛めていた。
どうして仲良く共存できないのだろう。
どうしてお互いに「認め合い」ができないのだろう。
日本人である僕には、どうしてもそう思えてしまう。
しかし偶然出会った日本人ガイドの方が、次のように言っていた。
「それが信仰なんですよ。」
深い一言だった。
「日本人には理解できないかもしれません。でも、ユダヤ教を深く信仰している人にとっては、このヘブロンも譲り難い聖地であり、この地に住むことは神に約束された当然の権利なんです。だから彼らが今ここにいることは、彼らにとっては当然のことなんです。」
かつてこのヘブロンでは、血で血を洗う抗争が何度も繰り広げられたという。そして近年その対立は悪化しているらしいのだ。
イスラエル人側の世界では、ユダヤ教徒による世界が当然のように繰り広げられている。
パレスチナ人側の世界では、イスラム教徒による世界が当然のように繰り広げられている。
どちらにも、きっともっともな言い分があるのであろう。どちらにも、譲れないものがあるのであろう。
しかし、お互いに「何か」を譲らなければ、永遠に平和はやってこない。
僕には分からない。その「何か」をお互いに譲り合うことはできないのだろうか。
あるイスラエル人は、こう話していた。
「僕だって平和を願っている。みんなそうだよ。」
あるパレスチナ人は、こう話していた。
「アラブの国は、みんなイスラエルを忌み嫌っているんだ。」
イスラエルという国は、日本で報道されるような危険な戦闘がそこかしこで行われているなんてことはない。基本的には平和を維持しているし、観光客が入国することも何の問題もない。
しかし、その対立は確かに「在る」。僕はその現実を目の当たりにした。その対立は確かに深く深く存在し、戦闘こそ行われていなくとも、人々の心の中には深く深く「恨み・憎しみ・怒り」が存在する。何という世界なのだろう。何という解決し難き深い対立なのだろう。
ある日本人は、こう話していた。
「考えさせられるだけじゃダメだと思うんです。」
確かにそうだ。考えるだけじゃ何も始まらない。何も変わらない。でも、今の僕には考えることしかできない。何をしたら、この対立は少しでも解決に向かうのか。何をすれば、お互いに共存の道を歩めるのか。僕のような愚かな凡人には、有効な方法が思い浮かばない。
来た道と同じスークを歩き、僕は1人考える。そして自分の無力さを噛みしめる。でも、たとえそれ微力であったとしても、「何か」をすることが大切なはずだ。「何か」始めることが、大きな一歩に繋がるはずだ。
まずここに来たことが、小さくて大きな一歩。そう信じて、僕はイスラエルの国旗を目で追っていた。
2013年11月9日。どうやらここにも南京虫がいることが発覚した、エルサレムの安宿にて。
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《僕は日本で生まれ育ってきた。世界中を周っていると、そんな僕には理解できないことがたくさんある。知識としては、言葉では理解できる。でも、感覚的にはなかなか理解できない。このイスラエルという国には、そんな「理解し難い」現実がある。》
ユダヤ人とパレスチナ人の対立が長らく続いているこのイスラエル。基本的にはイスラエルはユダヤ人の国家であるが、イスラエル国内にはパレスチナ人の自治が認められている地域、いわゆる「パレスチナ自治区」が存在する。2012年11月に国連から「オブザーバー国家」として承認されたこのパレスチナ自治区を、僕は予てから一度この目で見てみたいと思っていた。
一口に「パレスチナ自治区」と言っても、さまざまな街がある。僕は、パレスチナ人とイスラエル人が不思議な共存をしているというヘブロンという街に足を運んだ。
全てではないが、イスラエルとパレスチナ自治区の間には「分離壁」と呼ばれている壁が存在する。その壁にはたくさんの平和を求める壁画が描かれており、対立の中にも平和を求める人々の心の叫びが聞こえてくるようだ。
パレスチナ自治区はパレスチナ人の地域なので、当然パレスチナ人しか住んでいない。はずなのだが、実際にはそうではないらしい。パレスチナ自治区はパレスチナ人の居住区であるのに、かなりの人数のユダヤ人が入植をしているというのだ。これは国際的にも非難を浴びている事実である。
そしてこのヘブロンという街は、そのようなユダヤ人とパレスチナ人の対立が激しい街の1つである。僕はそんなヘブロンの街の「現実」と「今」を、どうしてもこの目で見てみたかった。
僕が生まれ育った日本という国は、身の危険を感じるような宗教対立は存在しない。
同じ街にいくつもの宗教を信仰している人々が存在し、そこに大きな対立が存在しているなんてことは、日本にはまずない。
知識そしては頭に入る。言葉としては理解できる。
でも、感覚的にはどうしても理解し難いのだ。
ヘブロンに到着した僕は、まずスーク(市場)の奥へ奥へを向かった。この先にユダヤ人とパレスチナ人が共存(?)する、不思議な空間があるというのだ。
スークを奥へ奥へと歩く。
パレスチナ人は実に不思議なもので、異様なまでに人懐っこい。いや、それを人懐っこいという表現でまとめていいのか僕には分からないのだが、大人から子どもまでとにかく絡みまくってくる。
アンマン近郊にある「ワヒダット・キャンプ」というパレスチナ難民のキャンプを訪れたときも、異様なまでに絡んでくるのだ。いささか不快に感じるくらい、それはもう休みなく引っ付いてくる。なぜこれほどまでに絡み付いてくるのかは正直謎だ。単なる国民性なのか、それともものを盗み取る隙を狙っているのか・・・。
さらに奥へとスークを歩いていく。すると、僕は「現実」を見た。
なんと、銃を持ったイスラエル兵が、上から見張っているのだ。
ここはパレスチナ自治区。パレスチナ人のための居住区のはずだ。しかしそこには「ダビデの星」を模った国旗を掲げ、銃を持つ兵士が存在する。何ということか、これが「現実」なのだ。
壁にはパレスチナの自由と独立を求める様々な文字が描かれている。やはりここは「パレスチナ人とユダヤ人が対立する最前線」なのだ。
しばらく歩くと、僕は不思議な通りに出た。普通のスークなのだが、上には金網が張られている。そしてその金網にはゴミが散乱し、頭上にはイスラエルの国旗が羽ばたいている。
なぜこのような状況になっているのか。理由は衝撃的だった。
ビルの上の階に住むユダヤ人が、パレスチナ人への嫌がらせのためにゴミを落とすというのだ。それを防ぐため、金網を張ったらしい。「ゴミを落とす」という行為自体は可愛いものに見えるが、何故そこまで嫌がらせをするの。何故そこまでいがみ合うのか。僕にはどうしても理解できない感覚がある。
スークを一歩外れると、イスラエルとパレスチナ自治区を隔てる「分離壁」が至るところに立ちふさがっている。そしてその分離壁の前では、パレスチナ人の子ども達が元気に遊んでいる。まるでテレビで見ているかのような光景だ。
歩き続けるとスークは終わり、何やら物々しい鉄の回転扉があった。両サイドには、銃を持った兵士が立っている。その先には何があるというのか・・・。
先にあったもの、それはモスクだった。しかしそのそれは、実に不思議なモスクなのだ。
スーク側から見える入り口はパレスチナ人、つまりイスラム教徒の礼拝所で、なんとその裏はユダヤ人の礼拝所なのだ。いがみ合う2つの宗教。なんとその2つが、同じ礼拝所を共有しているのだ。
さらに驚くべきことがある。イスラム教徒の入り口のすぐ横には、なんとイスラエルの国旗を掲げた「ユダヤ人居住区」があり、銃を持ったイスラエル兵がいるのだ。何と摩訶不思議な光景なのか・・・。
イスラムの礼拝所の裏に回ると、そこにはなんと・・・!黒装束に身を固めた、いわゆる「正統派」のユダヤ教徒が平然と歩いているではないか!なんと奇妙な光景なのだろう。この裏では敵対するイスラム教徒が祈りを捧げているというのに・・・。
礼拝所の駐車場からスークに戻る。すると、イスラエルの国旗をいくつも掲げた家が建っていた。そしてその先には、物々しい雰囲気で警備にあたるイスラエル兵が立っている。
ここはパレスチナ自治区。ユダヤ教徒はいないはずなのに、このような不思議な世界が広がっている。僕はその不思議な光景に心が躍りつつも、その裏で何度も繰り広げられてきた殺し合いに心を痛めていた。
どうして仲良く共存できないのだろう。
どうしてお互いに「認め合い」ができないのだろう。
日本人である僕には、どうしてもそう思えてしまう。
しかし偶然出会った日本人ガイドの方が、次のように言っていた。
「それが信仰なんですよ。」
深い一言だった。
「日本人には理解できないかもしれません。でも、ユダヤ教を深く信仰している人にとっては、このヘブロンも譲り難い聖地であり、この地に住むことは神に約束された当然の権利なんです。だから彼らが今ここにいることは、彼らにとっては当然のことなんです。」
かつてこのヘブロンでは、血で血を洗う抗争が何度も繰り広げられたという。そして近年その対立は悪化しているらしいのだ。
イスラエル人側の世界では、ユダヤ教徒による世界が当然のように繰り広げられている。
パレスチナ人側の世界では、イスラム教徒による世界が当然のように繰り広げられている。
どちらにも、きっともっともな言い分があるのであろう。どちらにも、譲れないものがあるのであろう。
しかし、お互いに「何か」を譲らなければ、永遠に平和はやってこない。
僕には分からない。その「何か」をお互いに譲り合うことはできないのだろうか。
あるイスラエル人は、こう話していた。
「僕だって平和を願っている。みんなそうだよ。」
あるパレスチナ人は、こう話していた。
「アラブの国は、みんなイスラエルを忌み嫌っているんだ。」
イスラエルという国は、日本で報道されるような危険な戦闘がそこかしこで行われているなんてことはない。基本的には平和を維持しているし、観光客が入国することも何の問題もない。
しかし、その対立は確かに「在る」。僕はその現実を目の当たりにした。その対立は確かに深く深く存在し、戦闘こそ行われていなくとも、人々の心の中には深く深く「恨み・憎しみ・怒り」が存在する。何という世界なのだろう。何という解決し難き深い対立なのだろう。
ある日本人は、こう話していた。
「考えさせられるだけじゃダメだと思うんです。」
確かにそうだ。考えるだけじゃ何も始まらない。何も変わらない。でも、今の僕には考えることしかできない。何をしたら、この対立は少しでも解決に向かうのか。何をすれば、お互いに共存の道を歩めるのか。僕のような愚かな凡人には、有効な方法が思い浮かばない。
来た道と同じスークを歩き、僕は1人考える。そして自分の無力さを噛みしめる。でも、たとえそれ微力であったとしても、「何か」をすることが大切なはずだ。「何か」始めることが、大きな一歩に繋がるはずだ。
まずここに来たことが、小さくて大きな一歩。そう信じて、僕はイスラエルの国旗を目で追っていた。
2013年11月9日。どうやらここにも南京虫がいることが発覚した、エルサレムの安宿にて。
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