世界中から熱苦しく・・・「ふじもん世界放学ブログ」

元「変な学校先生」私ふじもんが、ただ今世界を駆け巡っています!世界の今と僕の魂をお届けしますので、ぜひお読み下さ~い!

【ふじもん世界放浪「放学記」第4章中東編 『アバヤのその下』物語。】

2013-11-29 05:54:56 | 日記
2013年11月28日。


《アラブ世界の女性と言えば、この服装「アバヤ」。パキスタンなどでは「ブルカ」と言われているそうだが、頭から足まで黒系統一色で身体全体を隠していることは同じである。このアバヤの下に在る女性の姿。僕は今日、ちょっとだけ『アバヤのその下』を垣間見ることができた。》


イスラム圏を旅していると、必ず目にするのがこの独特の女性の服装「アバヤ」。都市部の女性は洋服を着てスカーフを巻いているという姿の人の方が多いが、ちょっと田舎に行くと、まだまだこのアバヤ姿の女性を多く目にする。

僕はこのアバヤが大好きだ。何というか、ミステリアスで、ちょっと怖いような雰囲気もあって・・・。とても魅力的である。ついつい見とれてしまうほどだ。イスラム教の女性は外で男性と話をすることは滅多にないので、アバヤを着ているいわゆる「イスラムの女性」と接する機会はなかなかない。特に外国人の旅行者なら尚更だ。


エジプトでも有数の観光地の1つ、ルクソール。僕はこのルクソールからアスワンに電車で戻るために、駅に向かった。

列車の発車時刻は12時半の予定。しかしここはエジプト、時間通りに来るはずはない。イライラしても仕方ないので、僕は気長に電車の到着を待ちながら、ベンチに座って昼飯を食べていた。

13時。なかなか電車はやって来ない。ホームはかなりのエジプト人で溢れ始めていた。どうやら外国人は僕一人のようだ。

ちょっと写真を撮ろうと思い、僕はバックをイスの上に置いて席を立った。その瞬間、さすがエジプト。サッと僕のバックをどけて、立っていたアバヤ姿の女性が僕の席を占領した。僕が座っていた長いベンチには、横一列5人くらいの女性が座っており、立っている人と一緒に談笑していたのだ。

「おいおいおい、まぁ予想通りだけどね。」

僕は席に戻って、「あの~、ここ僕の席なんですけど・・・」的なオーラを出してみた。するとその隣の女性が席を立ち、「こっちに座る?」と声をかけてくれた。

「いや、大丈夫ですよ。皆さんで座って下さい。」

僕がそう答えると、珍しくそのアバヤ姿の女性は僕に色々と話し掛けてきた。

「お、これはチャンス!」そう思った僕は、なかなか話す機会のないアバヤ姿の女性と色々話してみようと思った。


普段アラブの街を歩いていて、アバヤ姿の女性をじっくり見ることは失礼である。そして外では男性との接触をほとんど持たないので、彼女たちがどのような人柄でどのような話し方をするのか、なかなか見ることができない。だから、こうしてじっくり話をすることができるのは貴重な機会なのだ。


すごく新鮮だった。

しかしその新鮮さというのは、何てことはない、「普通のおばちゃんやおねーちゃん」ということなのだ。

他愛もない話で盛り上がるし、大笑いもする。それは、どこの国でもある女性の姿であった。



子どもは好奇心旺盛に外国人を見ると絡んでくる。しかし一定の年齢になると、それはピタッとなくなる。学校でのイスラムの教育の影響なのだろう。それが良いとか悪いとかではなくて、本当に全く女性から話しかけられることはなくなる。男性はウザイくらいいい歳おっさんがガンガン絡んでくるのに(笑)。


イラク戦争の時であっただろうか、アフガニスタンの「ブルカ」が話題になった。頭から足まで全身を隠し、一切肌を出すことすら許されないその風貌から、女性への抑圧の象徴であるかのように報道されていた。

僕もニュースを見ていて、何となくそんなイメージを与えられていた。アバヤやブルカを着ている女性は抑圧の対象で、自由もなく、心も荒んでいるかのような・・・。そんな印象を与えられていた。

ましてや宗教上の理由から、特に外国人の男性と外で話す機会など滅多にない。余計にイメージばかりが先行してしまい、まるでアラブの女性は女性差別の象徴的な存在のようにマスコミも取り上げていたような気がする。


電車を待つ駅のホームで、僕は5~6人のアバヤを着た女性と話をしていた。アラビア語が分からず、僕がふざけて発音の真似をしてみればみんな手を叩いて大笑いするし、日本人だと言えば、トヨタ!ソニー!と称賛してくれるし、自分の子どもが寄って来れば頬ずりして可愛がるし、お茶を売る人が来れば、僕の分も買ってくれて「一緒に飲もう!」と言ってくれるし。

普段全く話すことはできないけど、それは何てことはない、普通の女性の姿だった。とても楽しそうにみんなで話をし、ワイワイ大騒ぎをする。その姿からは抑圧のイメージなんて全くない。むしろ幸せそうな女性の姿に僕は見えた。

でも、やはりそこには戒律があるのであろう、一瞬盛り上がったものの、僕を含めての会話はすぐに終わった。しかし、女性同士の会話はワイワイ続いていた。それはまさに「おばちゃんのお茶会」のようであった。


「アバヤのその下」にあったもの、それは何てことはない、普通の女性の姿であった。僕は見ていて、そして少しだけ大いに一緒に盛り上がって話をすることができて、何だかとても心が温まった。そこには抑圧などとは程遠い、楽しそうに話をする女性の姿があったからだ。


女性が肌を露出できる=女性の自由の象徴なのか?

そんなことはないと思う。それはあまりにも短絡的な方程式だ。ただの西洋的な視点であて、そんな単純な話ではない。



電車の中でも、彼女たちの談笑は続いていた。こんなに近くでイスラムの女性たちが長い時間ワイワイ話をしているのを見るのは初めてだった。もちろんアラビア語なので何を言っているのかは知る由もないが、その楽しそうな雰囲気はすぐに感じ取れた。


男女共生とか、何が差別で何が平等なのかとか、何だか難しいことを少しだけ考えさせられた電車の中になった。

そういう問いを追求していくことも大事なのだろうけど、今日の僕はそんなのはどうでもよかった。「アバヤのその下」を垣間見ることができ、そしてその下の愛や平和や温かさを感じることができた。

今日の僕には、それで十分だった。



やっぱりさ、人類みんな平和を望んでるのさ!

当たり前の幸せを、当たり前の幸せを・・・。

「アバヤのその下」は、改めて僕にそのことを教えてくれたような気がする。


そして何事も、先入観や偏見や一部の情報だけで判断しちゃいけない。自分で感じてみて、初めて自分の心に落ちる。

そう、一切を捨てて、自分の心で感じること。


大切な教えを受けた、ルクソール~アスワンの電車だった。



2013年11月26日。またまた舞い戻ってきてしまった、アスワンの安宿にて。



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