春分の日(2023.3.21)
ハルイタル🌸桜も開花のまさに春爛漫!
この日、旧暦ではキサラキ・ミソカ(2月30日)、
翌日はハツヒ(新月)で、本来ならばヤヨイ(3月)を迎えるところですが、
今年はここからもう一度キサラキ(旧暦閏2月)が始まります。
閏キサラキ🌸縄文のウリフツキとは?
太陰太陽暦(旧暦)では、
ムツキハツヒ(旧暦1月1日・新月)から始まる月の巡り(約354日)と、
ハルタツヒ(立春)から始まる太陽の巡り(365日)、
月の巡りの12ヶ月では1年365日に約11日足りません。
そこで、季節と月の巡りの調整のための閏月が約三年に一度挿入されます。
では、どこに閏月を挿入するのか?
太陽の巡りの基点は冬至・春分・夏至・秋分です。
旧暦では、月の巡りの12ヶ月を4等分して季節の目安とします。
春は、1,2,3月、ムツキ、キサラキ、ヤヨイ。
夏は、4,5,6月、ウツキ、サツキ、ミナツキ。
秋は、7,8,9月、アフミツキ、ハツキ、ナカツキ。
冬は、10,11,12月、カミナツキ、シモツキ、シワス。
立春は旧暦元旦ムツキハツヒ頃、
春分は、春の真ん中、旧暦2月キサラキの満月(十五夜)頃、
夏至は、夏の真ん中、旧暦5月サツキの満月頃、
秋分は、秋の真ん中、旧暦8月ハツキの満月(中秋の名月)頃、
冬至は、冬の真ん中、旧暦11月シモツキの満月頃が季節の目安となります。
が、
今年は春分の翌日が新月です。
月の巡りが約半月先に季節の到来を告げています。
このままでは夏至がミナツキに入ってしまうため、
今年は、旧暦2月末日の翌日(新月・ハツヒ)より
月の一巡りを閏月(閏キサラキ)としています。
その大いなる大宇宙のリズムを知り、丸ごと受け止めて、
そのウチ(内・中)にある私たちのイトナミ(営み)に活かす工夫から
トホカミヱヒタメ暦(縄文太陰太陽暦)は誕生したのですね!
今年は、季節の基点からの月の満ち欠けのエネルギーが反転しているので、
それがどのように作用するのかなど、観察してみるのもおもしろいですね。
縄文文明!
ヒヨミ(コヨミを作ること)は、早い時代から行われていました。
初代アマカミ・クニトコタチは、コヨミの樹であるマサカキを植えて、
長い年数の計数に用いました。
キ・ツ・ヲ・サ・ネ(東西中央南北)と
ア・ミ・ヤ・シ・ナ・ウ(天からのもたらしと大地の育み・暦を編みて人々を潤す)の
ソヒカミ(11カミ)を編みだして、ヒヨミを為すことを始めました。
キツヲサネ・アミヤシナウは、トシノリカミとも呼ばれます。
七代アマカミ・イサナギ・イサナミは、コヨミの守り神として、
ヤマサカミを祭ります。
ウツロヰ・シナトヘ・カクツチ・ミツハノメ・ハニヤスメ・
ヲヲトシ・スヘヤマスミ・タツタヒメのヤカミ(八カミ)です。
八代アマカミ・アマテルカミの時代には、コヨミのより高度な精度さが求められ、
初代ヒヨミノミヤ・オモイカネにより、閏月が設けられたと想像されます。
ヒヨミノミヤとは、毎年のコヨミ(暦)を作る重要な仕事で、
カガミのトミ(左の臣)の奥を守る長官にあたります。
初代ヒヨミノミヤ・オモイカネは、太陽の巡りをベースに、月の巡りを立てて、
コヨミの精度を高め、天体観測と計算により、太陰太陽暦に表しました。
◆オモイカネ・アチヒコ
アマテルカミのイサワノミヤ遷都の際、新都の造営の任に就き、
また、フタカミ(イサナギ・イサナミ)の長女ワカヒメとメヲトとなり、
皇太子オシホミミの教育を任された程の優秀な技術者です。
晩年、ヱナガタケ(恵那山)に納められたアマテルカミのヱナ(胞衣)を護るため、
恵那山東麓のシナノ(長野県飯田市阿智村)に居を移す。※阿智神社ご祭神。
ホツマツタヱの六アヤに
「ウリフツキ」(閏月)の記述があります。
アマテルカミの十三人目のオキサキに上がられたウリフヒメの名に因んでの
命名です。
ヒノモト初の試みである全国各地から十二人のオキサキを迎えたアマテルカミの
ご即位当時(縄文・弥生時代)の日本の成り立ちもうかがえます。
ホツマツタヱ(六アヤ)より抜粋でご紹介します。
フソヒスス モモフソムゑだ
としサナト やよいついたち
ひのやまと にいみやつくり
アメミコは ヒタカミよりぞ
うつります
マサカキのフソヒスス(21本目)、モモフソムヱダ(126枝)の
サナト(58年)の年の春のヤヨイツイタチ(旧3月1日・西暦4月上旬頃)。
ヒタカミ(東北地方)のトヨケカミの許へ留学されていたアマテルカミが
ご誕生地のヒノヤマ(富士山南麓)に新たに宮を建てお戻りになられました。
フタカミヱメお
みことのり カンミムスヒの
ヤソギネが モロとはかりて
フタカミ(イサナギ・イサナミ)は、お遷りに際してお后を定めようと、
ミコトノリ(詔)を出されました。
全国に豊かさと安定が及んでいた時代、各地より候補のヒメが続々と現れます。
カンミムスヒ(当代(六代)タカミムスヒ)のヤソキネ(イサナミの兄)が中心となり、
諸臣と相談し、キツサネ(東西南北)の四方にそれぞれ三段階、
スケ・ウチ・オシモの位を設け、十二人のお后をお選びすることとなりました。
※全国の集合統一的なアマカミの役割がここに認識されることになります。
クラキネの マスヒメモチコ
ネのスケと そのとめハヤコ
コマスヒメ ネのウチキサキ
ネ(北・現北陸地方)はイサナギのご出身地です。
イサナギの弟クラキネの娘ご姉妹、マスヒメ・モチコをネのスケに、
そのトメ(妹)のコマスヒメ・ハヤコをネのウチキサキにと決まりました。
ヤソキネの オオミヤミチコ
キのスケに タナハタコタヱ
キのウチメ
キ(東・現東北地方)は、議事進行のヤソキネの娘ご姉妹にと
オオミヤ・ミチコをキのスケに、
妹のタナハタ・コタヱをキのウチメに
サクラウチがメ
サクナタリ セオリツホノコ
サのスケに ワカヒメハナコ
サのウチメ
サ(南・現関東東海地方)は、オオヤマスミのご当代サクラウチの娘ご姉妹、
サクナタリ・セオリツホノコをサのスケに、
妹ワカヒメ・ハナコをサのウチメに
カナサキがメの
ハヤアキツ アキコはしほの
やもあいご ツのスケウチは
ムナカタが オリハタオサコ
オシモメは トヨヒメアヤコ
ツ(西・現近畿地方)のスケには、カナサキ(住吉)の娘、ハヤアキツ・アキコ、
大海原の潮の寄せ来る海上でお生まれになられたと聞いております。
とてもご闊達な姫君であらせられるとの事です。
ツのウチメは、カナサキのご親戚のムナカタの娘、オリハタ・オサコに
オシモメは、妹のトヨヒメ・アヤコ。
カスヤがメ イロノヱアサコ
サのオシモ カダがアヂコは
ネのオシモ ツクバハヤマが
ソガヒメは キのオシモぞと
カスヤ(九州地方)の娘、
イロノヱ・アサコには、サのオシモメにお成りいただきましょう。
ネ(北)のオシモメは、カダ(京都地方)の娘、アチコに、
キ(東)のオシモメは、ツクハハヤマ(関東地方)の娘、
ソガヒメにお成りいただきましょう。
※全国各地からの入内となり、何処の地方にも不満なく、、とはいえ、
建国はじまって以来の初の試み、、この事が思わぬ混乱の原因にもなって行きます。
つきによせ ミコはアマヒの
くらゐのる ヒノヤマのなも
オオヤマぞ かれオオヤマト
ヒタカミの ヤスクニのミヤ
十二人のお后は、十二か月の月に準えられました。
ミコ(アマテルカミ)は、「アマヒ」の位に就任されたのだと言われました。
富士山の古称、ハラミヤマも「ヒノヤマ」・「オオヤマ」との新呼称が付き、
新宮は「オオヤマ」をクニの中心に、「オオヤマト」力併せひとつになるための、
ヒタカミの「ヤスクニのミヤ」と名付けられました。
キツサネの ツホネはかわり
ミヤつかゑ そのなかひとり
すなおなる セオリツヒメの
ミヤヒには キミもきさはし
ふみおりて アマさがるヒに
ムカツヒメ ついにいれます
ウチミヤに
キツサネ(東西南北)のツホネ(局)のお后たちは、月替わりで宮仕えをします。
その中で、お一人、とても素直なお心のお后が居られました。
セオリツヒメ・ホノコさまです。
他人(ひと)を思い遣る「ミヤヒ(心の五つの働きの内の一つ)」のお気持ちの
強いお方で、アマテルカミは感動され、思わずキザハシ(階段)を踏み降りて
お迎えに歩き下られた程でした。
「あまさがるひ(アマヒのキミが降り)に、お迎えになられたヒメ」の意から、
「ムカツヒメ」の讃え名が付き、ウチミヤ(正后)におなりになりました。
カナヤマヒコが
ウリフヒメ ナガコおスケに
そなゑしむ みなはたおりて
みさほたつ これおコヨミの
ウリフツキ
サ(南)のスケの後任に、カナヤマヒコ(中仙道開拓)の娘、
ウリフヒメ・ナガコがお入りなさいます。
お后達はハタ(機)を織り、棹を立て、月毎にご奉仕役が交代します。
※ミサホとは、ハタ(機)の棹を立てる意
また、十三人目のウリフヒメの御名にちなみ、太陽と月の巡りの調整のための
挿入月を「ウリフツキ(閏月)」と称するようになりました。
参考文献・参考資料
◎『ホツマ辞典』池田満著・展望社
◎ヲシテ文献の世界へようこそ-日本ヲシテ研究所「ヲシテ文献・大意」
http://www.zb.ztv.ne.jp/woshite/index.html
◎『記紀原書ヲシテ』上・下巻 池田満著・展望社
◎『よみがえる日本語』青木純雄・平岡憲人著・明治書院
◎『縄文カレンダー』冨山喜子編
※ヲシテフォントの商標権、意匠権は、日本ヲシテ研究所にあります。
『縄文カレンダー』
ヲシテ文献の記述をもとに縄文時代の季節感や行事を、
現代のグレゴリオ暦と太陰太陽暦(旧暦)に表しています。
今に伝わる「ヒナマツリ」や「タナハタ」、「豆まき」等、祭りの発祥や謂れも、
たいへんに興味深く、古来日本の慣わしや精神、思想が覗え、
縄文の宇宙的概念や死生観をも読み取れる「コヨミ」です。
縄文カレンダーの一年は、冬の至りの満月から月の巡りの十二カ月です。
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