喜びの種☆

yoshicoの徒然日月
ひとふたみよ
いつむゆななやここのたり、、ももちよろず
天の数歌

初冬満月🌕カミアリモチ(2024.11.16 6:29)

2024-11-14 22:52:12 | ナメコト(行事)
旧暦では10月、カミナツキの十五夜お月さま🌕
初冬の満月MAXは、十五夜の沈む早朝に当たります。(西暦2024.11.16 6:29)





カミアリモチ(カミナツキモチ・旧暦10月望)

ミのナメは そのメたえにて   
カミナツキ ウメしりぞけて   
シクレなす やゝそこにみち   
ヲおつくす かれヲゝナムチ   
カナツキに ぬるておたきて   
モロカミに モチヰほとこし
 ミカサフミナメコトのアヤ



ヲカミ(太陽・温)のエネルギーが尽きて夜が最も長くなる時節、
ヲカミの尽きてカミナシツキ。
一日に例えると夕日の最後のひと光が沈む、ヒカリなし、カナシ、夜となる。

ここから冬も本番、ひと雨ごとに風は冷たく吹いて、、♪
シクレ(時雨)とは、為し行く力の暮れる冷たい雨のこと。
厳しい寒さに負けぬよう、モチを焼いて食べ、病除けを図ります。
身体にヲカミ(温)のエネルギーを取り込む、カミアリのモチです。
イツモのクニカミ・ヲヲナムチは十月にヌルデ(白膠木・薬草)を焚いて諸臣に餅を施しました。
※ヌルデ:真っ赤に紅葉するウルシ科の落葉高木で、果実は下痢や咳の薬となる。


 
 松江の花図鑑 ヌルデ



ホツマツタヱ6アヤ「ヒノカミ・ソフキサキのアヤ」に、カミアリのモチヰの記述があります。
アマテルカミが富士南麓よりイサワのミヤ(現三重県志摩市磯部)に遷都されて後、
正后ムカツヒメの皇子オシホミミのご出産のご様子が描かれています。


ムカツヒメ フヂオカアナの   
オシホヰに うぶやのみみに   
あれませる ヲシホミのミコ   
オシヒトと イミナおふれて   
カミアリの モチヰたまゑは   
タミうたふ
            


アマテルカミの正后ムカツヒメが皇子をご出産なさいます。
フヂオカ山の井戸オシホヰのすぐ近くに産屋をお建てになり、
トヨケカミ伝来の「ミミノハ」の文の教えの下、
安産が成りましたことから、「オシホミ」の皇子と呼ばれます。
 ※ミミノハ:人が赤ん坊となって生まれ出でるまでの災いを除く方法を記したフミ(文献)。
イミナ(実名・まことな)は「オシヒト」と名付けられました。
ちょうど、カミアリ(旧暦十月)の事でしたので、
モチヰ(餅飯)がふるまわれ、民衆は歌ってのお祝いで賑やかでした。


縄文カレンダーも最後のページ!
次の満月(西暦12月15日)より2025年度版に移ります。
『縄文カレンダー』西暦2025年度版
おかげさまで、縄文カレンダーも10年目となりました。
心より感謝申し上げます。





トホカミヱヒタメ暦~ヲシテ文献から読み取れるコヨミ~
 2024年12月15日から2026年1月2日
 
『縄文カレンダー』では、ヲシテ文献の記述を基に、
コヨミを通して古代日本独自の概念や季節の過ごし方、
祭りの謂れなどについて紐解きます。 

縄文日本では、、
太陽の動きから東西南北・時間経過を認識し、
天体の運行から北極星を宇宙の中心アモトとして
宇宙創造祖アメミヲヤを祀りました。
アモトは宇宙の源であり、イノチの故郷、
「ヒトはアメミヲヤのワケミタマであり、アモトはタマの還る場所」として、
季節の節々に先祖のミタマに感謝を捧げ、お祭りを行っていました。

グレゴリオ暦(西暦)にも対応させ、
現在の祝祭日や二十四節季、雑節等も明記しました。

『縄文カレンダー』2025年度版
◎A4判カラー・竹紙20頁の冊子形。
一冊1500円でお分けしています。
※送料別途。※10冊以上は1冊1000円。

ご希望の方は、
送り先のご住所、お名前、希望冊数を下記までメールにてお知らせください。
送料は冊数により異なりますので、折り返し金額と振込先をお知らせします。
どうぞよろしくお願いいたします。

冨山喜子
【メール】yoshico1018@yahoo.co.jp


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栗名月・ヲカマツリ(旧暦9月14日:2024.10.16)

2024-10-14 14:00:35 | ナメコト(行事)
晩秋のコモチツキ(小望月)
刻々と色を変えてゆく空に浮かぶ栗名月♡
日暮れがだいぶ早くなりましたね。

電気のない時代、月夜の明かりはどんなにありがたかったことでしょう。
月は東に日は西に
10月の満月前後の月の出と日の入りの時刻(三重県)を見てみると、
15日十三夜(旧暦9月13日)16:02月出・17:19日入
16日小望月(旧暦9月14日)16:31月出・17:18日入
17日十五夜(旧暦9月15日)17:02月出・17;17日入※満月20:26
18日十六夜(旧暦9月16日)17:36月出・17:15日入
19日立待月(旧暦9月17日)18:15月出・17:14日入
ちなみに、
25日二十三夜を月待ちと呼びますが、
月が出るのが午前0時を過ぎ、月の出時刻が翌日になるからとか❣
皆々朝まで月を愛で集いての宴も秋の夜長に楽しみな行事だったでしょう、
お月さまの豆知識、知れば知るほどロマンチック💛






もちまえまつる         
ほがらつき まめやかうたゑ   
かみおとり かたちあかるき  
かもとかみ
   トシウチニナスコトのアヤ



こもちつきには
まめおそふ もちよりさむる
をかまつり まとかのなかの 
みはしらは かのかみかたち
 ミカサフミナメコトのアヤ



◎ヲカマツリ:旧暦9月14日(小望月・栗名月)
小望月には、マメをお供えします。
(まさに・まとまりくる)・(メカミ・冷)、
冬ヘの備え、注意喚起の意が込められています。

カミオトリとは、祖先を偲んでの古い時代の踊り、
ホカラツキにマメヤカを歌い、
(温・太陽の恵み)・(光・輝き)を祭ります。
季節は晩秋、満月を過ぎると冬はもうすぐそこです。


◎神嘗祭:旧暦9月16日(イクメ(垂仁)26年9月16日)
神嘗祭は明治6年の太陽暦改暦以前は旧暦9月17日でした。
改暦後、西暦の9月17日に実施となりましたが、
稲穂の生育が不十分な時期であるため、
明治12年以降は月遅れとして10月17日に実施されています。

神嘗祭は神宮の正月ともいわれ、式年遷宮後最初の神嘗祭を「大神嘗祭」と呼び、
伊勢の民衆は奉祝の行事を行います。

ホツマツタヱ「ヤマトヒメカミシヅムアヤ」の記述には、
イクメ26年9月16日、アマテルカミのお遷しが執り行われたとあります。
ヰソススカワのサコクシロのウチのミヤ(五十鈴川の神宮内宮)にわたましが行われ、
17日の夜にミタケハシラ(真の御柱・スヘラギ(天皇)の身長)を納め祭りました。

神嘗祭は、アマテルカミのイセミヤお遷しの奉祝行事がその源にあったのではないかと考えられます。





風が冷たく感じるようになりました。
志摩ではイセエビ漁の季節です♪





参考文献・参考資料
◎『ホツマ辞典』池田満著・展望社
◎ヲシテ文献の世界へようこそ-日本ヲシテ研究所「ヲシテ文献・大意」
◎『記紀原書ヲシテ』上・下巻 池田満著・展望社
◎よみがえる日本語:青木純雄・平岡憲人著・明治書院
◎よみがえる日本語Ⅱ:青木純雄・斯波克幸著・明治書院
※ヲシテフォントの商標権、意匠権は、日本ヲシテ研究所にあります。

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旧暦9月✨縄文のククリはカサネ・ココ

2024-09-30 20:33:51 | ナメコト(行事)
中秋の名月から早半月、
秋分を過ぎたら急に秋めいて来ましたね
月の巡りはナカツキ(旧暦9月1日、西暦10月3日)、
新月が晩秋を知らせます。
日に日に日暮れが早くなる秋の夜長です。

旧暦9月9日は、九つが重なるカサネ・ココ!
この呼称がなんとも可愛い♡
ククリの日と言われますが、
ホツマツタヱには、
シロヤマカミ、ココリヒメとあります。
菊理姫の菊はココナと呼ばれ、ココリヒメとも読めますね





🔵ナカツキ:旧暦九月・西暦2024.10.3~

なづきみつぎの
ここなさき をほとしきくの
ちりわたこ ささげてまつる
くりみさけ
 トシウチニナスコトのアヤ


ナカツキの名称は、漢字では長月ですが、ヲシテ文字で表すと、
 ナ:成る・熟成など 
 カ:つながる・来たる・秋・赤・西・秋など 
まさに「秋」。
 ※ナカという言葉をヲシテ文字で感じて、
  イメージを言葉にあらわしてみてください!
野山には収穫の時期を告げるココナ(菊)の花が秋風に咲き揺れます。





🌓カサネココ【旧暦9月9日・西暦2024.10.11】

ながつきは おおとしつげる
ここのみは かさねここくり   
ひとよみき
   ミカサフミナメコトのアヤ


9月9日、「重陽の節句」とか、「ククリ」としてお祝いしています。
古代日本では、九(ココノツ)が重なる「カサネ・ココ」としてお祭りしていました。
 コ:固まる・安定してつなぐなど 
   のイメージから「結実・収穫」が感じとれます。
清々しさを感じる季節、ココナ(菊)の花が咲き、オオトシ(収穫)の時を告げます。

ココのミハ(キクノチリワタコ)とは、
ココナ(菊・実りの季節を告げるハナ)の香りを焚きしめた温かい衣服のこと。

また、コタネ(子種・赤ん坊)の成長過程においても、
九ヶ月目は目鼻形や声が備わる時期。
芳しい香りに包まれて、より良い結実を祈ります。

栗の季節💛捧げて祭る「クリミザケ」。
栗実酒?栗見酒?
どんなお酒だったのでしょうか?

参考:
◎『ホツマ辞典』池田満著・展望社
◎ヲシテ文献の世界へようこそ-日本ヲシテ研究所「ヲシテ文献・大意」
http://www.zb.ztv.ne.jp/woshite/index.html
◎『記紀原書ヲシテ』上・下巻 池田満著・展望社
◎『よみがえる日本語』青木純雄・平岡憲人著・明治書院
◎『縄文カレンダー2022版』
※ヲシテフォントの商標権、意匠権は、日本ヲシテ研究所にあります。




縄文カレンダー2025版、
10月24日発送予定で現在進行中です!
追って正式にお知らせさせていただきます✨️
よろしくお願いします。



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中秋の名月(旧暦8月15日・西暦2024.9.17)

2024-09-15 20:19:44 | ナメコト(行事)
中秋の十五夜お月さま
古代縄文の先人たちも、この月を愛でていました。


【ハツキナカ:旧暦八月中】


かはにしそらの
をあけかみ はづきなかより
みめのとぐ にたこもちづき
ゐもはづき
  トシウチニナスコトのアヤ


西の夜空に天の川が架かります。
カのカミの守りです。
ヲアケカミとは天空の一光(ヲカミ・温1)を守るカミ。
秋のつるべ落としといわれるくらい、日に日に夕暮れが早まり、
秋の夜長の始まりです。

ハツキナカ(旧暦8月15日)よりミメカミ(メカミ・冷3)の涼やかさに空気も研がれます。
ミメノトグとは、ヲシテ文字から読み解くと、
「ミメカミの勢力が集まり来る!」イメージでもあります。


ニタコモチツキ【ハツキモチ(旧暦8月十五夜・西暦2024.9.17】

かのなめは あのあかりもる
ほつきなか みめにとぐつき
いものこの さわおいあいて
  ミカサフミ・ナメコトのアヤ


ニタコモチツキ(中秋満月)。
ミメカミ(メカミ冷3:ヲカミ温1)のとぐ、清々しく涼やかな夜空に美しく輝きます。
 :赤・秋・夕陽・西など 
 ・集める・足すなど 
 ・固まる・強まるなど
お供えはイモ(サトイモ)。
イモのコが沢山付いてくる事から実りの象徴としてお祝いします。
中秋の名月(十五夜・望)より秋もいよいよ深まりゆきます。




季節は秋の至りを迎え、の守りに入ります。
『ハツキナカ(秋分頃の満月・旧暦8月15日・西暦2024.9.17)より、
 ナカツキスヱ(立冬頃の晦日月・旧暦9月29日・西暦2024.10.31)』

満月を過ぎると夜空は輝きを増し、ヨルナミをうけて空気も涼やかになります。
ナカツキ(旧暦9月)には清々しく冴え、野菊が収穫の時を告げます。




「カ」カミカタチ(文字形)

まとかのなかの ミハシラは カのカミカタチ ミカサフミナメコトのアヤ

ウツホ(大気・空などア母韻)に響く、ヲカミのヒトヒカリ(一温・カ行父音)。
清々しくアカルキ姿形です。





参考:
◎『ホツマ辞典』池田満著・展望社
◎ヲシテ文献の世界へようこそ-日本ヲシテ研究所「ヲシテ文献・大意」
◎『記紀原書ヲシテ』上・下巻 池田満著・展望社
◎『よみがえる日本語』青木純雄・平岡憲人著・明治書院
◎『縄文カレンダー2023版』
※ヲシテフォントの商標権、意匠権は、日本ヲシテ研究所にあります。


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ハツキハツヒ(旧暦八月朔日・西暦2024.9.3 10:55)

2024-08-30 22:12:07 | ナメコト(行事)
旧暦では八朔を迎えます!
ハツキハツヒ(旧暦8月1日・西暦2024.9.3)、中秋へと向かう新月です。
夕暮れも早くなってきましたね💦





ほつみはつひは
うけまつり ふめたつかぜに
かやおふす ふしあれのわき
そろをゑは しなどまつりに
のわきうつ ほをのはらゐぞ
 ミカサフミナメコトのアヤ



【ハツキ:旧暦八月】
ハツキになると、いよいよフタ・メ(メカミ2冷・ヲカミ2温)が立ち、
温かさと冷たさの裂け目が出来ます。
その間をノワキ(台風)が吹き、嵐がカヤクサ(茅・草)を伏します。
ソロ(穀物・田畑の作物)に悪影響のヲヱ(目に見える災い)は、
シナト(風の自然神)を祭って、ノワキ(台風)の害を除くようにします。
ホヲのハラヰ(祓い)です。

天気予報の天気図をみると、低気圧と高気圧の間が台風の通り道となっています。
気象衛星目線?!
縄文の先人は、それをイメージしていたのか!?と驚きます!!!
ここ数年、毎年日本の各地で豪雨による大災害が頻発しています。
大地の再生を本気で見直さないと、、
身の回りのできるところからしっかりと見直していきたいですね。

「大地の再生・結の杜づくり」←ちぇきら
 木々の声を聴き、風を読み、大地の呼吸を感じる。
 循環と再生を、みんなの手で。
 造園技師・矢野智徳(やのとものり)氏が
 長年にわたる観察と実践のくり返しを経て見出した環境再生の手法を学び、
 傷んだ自然の環境再生施工と、この手法の研究・普及啓発をテーマに活動しています。
 杜人(もりびと)環境再生医矢野智徳の挑戦https://lingkaranfilms.com/



はつきはしめは
ふためさく あらしくさふす
うかほきの ほつみならふる
ほもとかみ
 トシウチニナスコトのアヤ



●シナトマツリ【ハツキハツヒ(旧暦八月朔)】
実りの秋を迎え、心配なのは台風被害です。
フタメサク(メカミ2冷・ヲカミ2温の裂け目)にノワキ(台風)が吹き、
カヤ・クサ(茅・草)を伏します。
田畑の作物への悪影響がないように、シナト(風の自然神)をお祭りし、
ヲヱ(災害・台風の害)を除くようにします。
「八朔祭り」(風の被害に遭わぬよう風神を祭り五穀豊穣を祈る)の起原は、縄文時代に遡ります。


伊勢神宮内宮別宮の「風日祈宮」(かざひのみのみや)と
外宮の「風宮」(かぜのみや)を中心とする伊勢神宮125社では、
西暦8月4日、風の神様に感謝しさらなる五穀豊穣を祈願する
「風日祈祭(かざひのみさい)」が執り行われます。
同祭は毎年2回、5月14日と8月4日に行われ、
5月には雨風を凌ぐ「蓑」(みの)と「笠」(かさ)を奉納し、
8月は稲がさらに実って穂を垂れて成長するようにと五穀豊穣を祈願します。
※参考:伊勢志摩経済新聞記事。


また、雑節のひとつで、立春を起算日として
二百十日目(2024.8.31)と二百二十日目(2024.9.10)は
八朔(2024.9.3)とならび農業の三大厄日とされています。
季節の移り変わりの目安となる「季節点」のひとつで、
台風が来て天気が荒れやすいと言われ、
夏目漱石の『二百十日』でも、二百十日の荒天が描かれています。
台風襲来の特異日とされ、奈良の大和神社で二百十日前三日に行う「風鎮祭」や、
富山市の「おわら風の盆」など、各地で風鎮めの祭が催されてきました。




●ハツホマツリ【ハツキハツヒ(旧暦八月朔)】
稲作(陸稲)のはじまりは、三代アマカミトヨクンヌの時代(縄文中期頃)。
ウケモチが、ヒヨウルタネから実ったハツホ(初穂)をハツキハツヒに献上しました。
宮中ではカシキ(赤・白・黄)のユフのニギテを立て、
アメナカフシをお祭りして初穂をお供えします。
お祭りのご膳には、穀物を臼で搗いたシラゲ(精米)を炊きます。
※ウケマツリについては、ホツマツタヱ15アヤに詳しいです。

ホツマツタヱ《十五アヤ・ミケヨロズナリソメのアヤ》より抜粋。

むかしナカクニ         
ウケモチの カミがうけなお   
アにこゑは ヒヨウルタネお   
アにくたす ひうるにはゆる   
ウルのソは ウルタのそなゑ   
ヨルナミに はゆるナロナは   
ハタのタネ
           

『ヒトの食の歴史を紐解いてみましょう。
 昔、ナカニク(現近畿地方)のクニカミ(国司)に、 
 ウケモチという人がいました。
 より良い民生の向上を願い、より良い農作物の種を求めていました。
 イノリは通じ、ヒヨウルタネを得ることが出来ました。

 ヒヨウルタネとは、
 ヒルナミ・ヨルナミをそれぞれ効率よく受けて育つ種のタネです。
 ヒルナミ(太陽エネルギー)を効率よく受けるのは、
 ウルタ(水田)に作ると良い苗の稲。
 ヨルナミ(主に月からもたらされるエネルギー)を効率よく受けるのは、
 ナロナのハタ(畑)用のタネ(種・種類)です。』

クニトコタチの         
アメまつる ミケはこのみか   
クニサツチ うむウケモチの   
ヤヨのマコ いまのカダなり   
ウケモチが ハヅキハツヒに   
なるハツホ トヨクンヌシに   
たてまつる
           

『さらに昔、、
 初代アマカミ・クニトコタチの頃のお祭りのお供えは木の実でした。
 二代クニサツチから別れ出たのがウケモチです。
 ウケモチの子孫が八代続いて、当代(アマテルカミの世)はカダのカミです。
 ウケモチは、ヒヨウルタネからの初収穫のハツホ(初穂)を、
 ハツキハツヒ(八月朔)に当時の三代アマカミ・トヨクンヌシに献上しました。』

キミはカシキの         
ユフニキテ アメナカフシの   
カミまつる ソロのほづみの   
ミケもまた ウスツキシラゲ   
ハツヒには カヰとシルとぞ
   

『このヒヨウルタネの初穂で、トヨクンヌはお祭りをなさいます。
 中心を表すカシキ(赤・白・黄)のユフのニギテ(白い植物の繊維に染色した幣)を立て、
 その中心にアメナカフシ(人類初発のミナカヌシ)をお祭りして初穂を供えます。
 お祭りのご膳には、穀物を臼で搗いたシラゲ(精米)を炊き、
 ハツヒ(新月・一日)にはカヰ(お粥)とシル(汁物)をお供えします。』





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夏越の祓・旧暦ミナツキスヱ・2024.8.3

2024-08-01 20:11:33 | ナメコト(行事)
西暦の6月30日、一年の半分が過ぎ、
神社には夏越の祓いの茅の輪が設えられていました。

「夏越の祓い」
ヲシテ文献のトホカミヱヒタメ暦にも、
ミナツキスヱ、旧暦6月30日(2024.8.3)にチノワヌケとあります。
紀元前からの習わしです。

また、桃の実に力を得ていたそうです🍑
現代では、これから来る酷暑を前に夏を乗り切るイメージですが、
翌日の新月(2024.8.4)より季節は秋、
立秋から秋分頃の守り、ホのカミへと移ります。

ヲシテ文献より、『チノワ抜け』と『モモマツリ』の行事をご紹介します。




ミナツキスヱは
いよかわき モモにちまうる
チノワヌケ ゐそらおはらふ
ミナツキや
  トシウチニナスコトのアヤ



ミナツキ末(旧暦6月末)頃は、最も暑く乾き、苦しい時期です。
夏越しの祓いモモマツリは桃の実に活力(チ・チカラ)を得ます。
この頃に、メガミ(冷たさの働き)の一棒(一冷)が完全に立ち、
熱さと冷たさの競い合いも止んできます。
一年の折り返し点、秋へと向かう巡りが身体に入り備わるように、
「チノワヌケ」の行事を行います。


モモマツリ【ミナツキスヱ(旧暦六月末)】

モモ(桃)は、晩春に花咲かせ、夏の終わりに実ります。
満を持してのモモの実に活力を得ます。 

日本最古のモモは、縄文時代前期の桃核が長崎県多良見町の伊木力遺跡から出土しています。
モモは水分も豊富で実も大きく甘く♡残暑厳しい中、ありがたい果実ですね。
モモ🍑に含まれる栄養素と効能(期待できる効果)を調べてみました。
※参考:桃・良好倶楽部https://ryoko-club.com/food/peach-nutrition.html

◎ペクチン:
 腸内の乳酸菌を増やし、腸の調子を整え、便秘や下痢の予防が期待できます。
 コレステロール値を下げる、血糖値の上昇を抑えるなどの効能もあります。
◎カリウム:
 細胞内の水分量を調節するなどの働きがあり、体内の余計な塩分を排出し、
 血圧の安定、むくみの解消、筋肉の収縮を正常に行うなどの効能があります。
◎カテキン:
 強い抗酸化作用を持ち、
 老化防止やがん予防、免疫力を高めるなどの効能があります。
 また、血糖値の上昇を抑える、脂質の吸収を抑制する働きがあり、
 肌老化を防ぐ効能などが期待されます。
◎鉄分、マグネシウム:
 鉄分は酸素を全身に運ぶ、マグネシウムは様々な生理機能に必須の栄養素。
 カラダを温める作用があり、貧血や冷え性の改善などの効能が期待できます。

また、桃の種は「桃仁(トウニン)」という生薬として使われています。
種の核を取り出して日干ししたもので、血の巡りを良くする働きがあり、
月経不順や便秘を解消する効能なども期待されます。

桃は、様々な栄養がバランスよく含まれ、夏バテの予防にもおすすめです。
桃の葉を煮出した水で行水すると、汗疹もおさまります。


チノワヌケ(大祓)【ミナツキスヱ(旧暦六月末)】

夏越しの祓い。(ミナのマツリ・ミナツキの大祓)
チノワヌケは、ヰソラ(暑さや乾きの災い・心を逸らせる悪影響の及ぼし)を払う行事です。
健康長寿の習わしとして教え広められました。

ホツマツタヱ10アヤに「チノワヌケ」の記述があります。
抜粋でご紹介します。

※ホツマツタヱ《10アヤ・カシマタチ・ツリタイのアヤ》より

ミホヒコのつま         
スヱツミが イクタマヨリメ   
ソヤコうむ コシアチハセの    
シラタマメ ソヤのひめうむ   
ミソムたり ゆだねひたせは   
みことのり たまふヲシテは   
コモリカミ セミのおかわに   
みそぎして チノワにたゝす   
ミナツキや タミながらふる   
はらいなりけり         

二代オオモノヌシ・クシヒコとミホツヒメとの間に一人産まれたミホヒコは、
ヨロギマロと呼ばれ、薬草園のおかげで医学に秀でた特技を得、
後に十代アマキミ・ニニキネの病を治したりと大活躍します。
ミホヒコ(三代オオモノヌシ・コモリカミ)は、妻を二人迎えます。
スヱツミの娘、イクタマヨリヒメは、18人の男の子を産みました。
 ※スヱツミ:陶荒田神社・大阪府堺市中区。
       弥生土器の量産に成功したと考えられます。
コシのアチハセの娘、シラタマヒメは、18人の女の子を産み、
合せて36人の子宝に恵まれ、アマテルカミより「コモリカミ」の称号の
ヲシテ(文書)を授けられました。

コモリカミは病除けに、夏の終わりにミソギをして体調を整えます。
ミナツキの末は、一年の折り返しの時、その隙間に魔が入り込まないよう、
セミの小川にミソギをして障りを祓い、
さらにチノワ(茅の輪・大自然のエネルギーの集まる循環の輪)を潜り、
夏から秋への季節の変わりを心身に実感させるのです。


ミナツキ(旧暦六月)の末のミソギとチノワ抜けの行事は、
健康長寿への習わしとコモリカミは一般の人にも教え広めました。
※セミのオガワ:下鴨神社社叢の糺すの森を流れる小川
        コモリカミの父クシヒコが、京都盆地の開発に携わっていたことから、
        タタスのモリにもよく来ていたと推察されます。
        当時は、下鴨神社創建以前でしたので、
        鬱蒼とした原生林に近い森であったと思われます。

※コモリの子供達は、京都盆地の開発に貢献し、神社や地名としても残っています。
 八坂神社(京都市東山区祇園町北側) ヤサカヒコ(八男)
 太田神社(京都市北区上賀茂本山)  オオタ(十一男)
 石座神社(京都市左京区岩倉上蔵町) イワクラ(十二男):

参考:
◎『ホツマ辞典』池田満著・展望社
◎ヲシテ文献の世界へようこそ-日本ヲシテ研究所「ヲシテ文献・大意」
http://www.zb.ztv.ne.jp/woshite/index.html
◎『記紀原書ヲシテ』上・下巻 池田満著・望社
◎『よみがえる日本語』青木純雄・平岡憲人著・明治書院
※ヲシテフォントの商標権、意匠権は、日本ヲシテ研究所にあります。




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麻奉るタナハタのホシマツリ(旧暦7月7日・西暦2024.8.10)

2024-07-06 02:28:58 | ナメコト(行事)
🌙タナハタのホシマツリ【アフミツキ七日(旧暦七月七日・西暦2024.8.10)】

旧暦ではまだひと月ほど先ですが、
ヲシテ文献に記された「タナハタのホシマツリ」をご紹介します。
現代の七夕は、
織姫と彦星の物語と願い事を書いた短冊を笹に吊るすのが主流ですが、
紀元前、古代日本のタナハタは、

ご先祖さまとのつながりを思い、アメに心を通わせる大切な祖先祭りです。

タナハタは、旧暦では秋のはじめのお祭りで、
弓張(七日)から満月(十五夜)を迎え、
シムのモチホギ、満月を愛で、祝い、仰ぎ踊ればアイうくる、、
まさに盆踊り!
現代のお盆にあたるご先祖供養へと変化を遂げてきたように思います。
ヲシテ文献の伝える、ヒノモト・ヤマトのタナハタマツリをご紹介します。





ユミハリにうむ 
イウとアサ ヲトタナハタの ホシマツリ
 ミカサフミナメコトノアヤ

ユミハリ(7日・弓張月)にウム(績む・植物の繊維を糸にする)、イウ(木綿)とアサ(麻)。
ご先祖さまとの尊いイノチのつながりを思い、感謝を込めて麻糸を績みます。



マヲマユミ ヰトおつむぎて
タクハタや アワのホギウタ
カヂにオシ
  トシウチニナスコトのアヤ


糸はつながりの象徴。
心をアメに通わせて、始まりのイト(糸)を績む。



たて糸は、ご先祖(アメ・天)とのつながり・恵み・教え、
よこ糸は、今世・社会のつながり。
たて糸、よこ糸踏み分けて、よじれやゆがみのないように、美しい文様を織りなします。

恵みを織る、、
秩序やマツリゴト、家や社会に準えて、
機織りは、アメのノリ(宇宙の法則・自然の理)を目に見える形に整えていく、
女性に託されたもっとも神聖な仕事でした。





星を奉り、麻、梶、楮などの上等な織布をお供えします。
カジ(梶の葉)に、アワ(天地自然)を讃えるウタや願い事を記して捧げ供えます。

北の星(北極星)は、宇宙の源・アメミヲヤ(宇宙創造祖)の位置と考えられていました。
縄文の宇宙観。
地球、太陽系は、キタのホシから降されるアメミヲヤのハラのウチ。
天の川銀河のハラの内です。
クニタマ(地球)を取り巻く宇宙が「タカマのハラ」なのです。
漢字の高い天の原、では至れない縄文哲学がヲシテ(文字形)によって感じられるのです。

タナハタマツリは、
ヒトの生誕の不思議を知り、誕生を祝い感謝する行事。
人体のそもそもの源であるタマ・シヰのタマ(ヒトの意識)が、
大宇宙の中心から降され(ヲト)、ヒトが人体に具現して地球上に生まれ出でくる。
クニタマ(地球)で母のコミヤ(子宮)に宿ったコタネの成長がある程度(五ヶ月)に達した時、
アモトから降されて来たタマがコタネと結び、やがて誕生する。
先祖から連綿と引き継がれてきた人の生命とは、まさしく不可思議なものとして祭祀します。

タナハタは、オオナメヱ(大嘗祭)のユキ・スキのミヤ(悠紀・主基)のうちの
ユキノミヤと同じカミを祭っています。
アメトコタチと呼ばれるコホシ(九星・アメミヲヤとトホカミヱヒタメ)です。



タナハタマツリに用いられるカヂ(梶)の葉については、
アワ(天地自然)を讃える歌を書く習わしがあり、
後世、短冊に願い事を記す初めともみられます。
また、京都冷泉家にて、毎年行われる七月七日の乞巧奠(きっこうでん)では現在でも、
梶の葉が主奠として用いられ、和歌を書いて水に浮かべたり、結び捧げたりするそうです。




 
いつかの八月の志摩、ホツマなんばり勉強会にて、主催のヤスコさんのお計らい♡で、
カジ(梶)の葉らしき葉っぱに墨でみんなで文字を書きました。
葉の表面に短い産毛がザラっとしているので、墨の乗りがとても良かったです。
いろんな葉っぱを短冊にして書いてみるのも楽しいですね♡葉書♡


アワウタシリーズ♡七夕バージョン♪
「たなばたさま」のメロディにアワウタをのせて~歌ってみてください♪
作詞:権藤はなよ・補作詞:林柳波・作曲: 下総皖一

ささの葉さ~らさら~ のきばに揺れる
あぁかぁは~な~ま~ いきひにみうく

お星さまきらきら きんぎんすなご
ふぅぬぅむえけ~ へねめおこほの

五色のたんざく わたしが書いた
もぉとぉろそよ をてれせゑつる

お星さまきらきら そらから見てる
す~ゆぅん~ちり しゐたらさやわ



参考:
◎『ホツマ辞典』池田満著・展望社
◎ヲシテ文献の世界へようこそ-日本ヲシテ研究所「ヲシテ文献・大意」
◎『記紀原書ヲシテ』上・下巻 池田満著・望社
◎『よみがえる日本語』青木純雄・平岡憲人著・明治書院
※ヲシテフォントの商標権、意匠権は、日本ヲシテ研究所にあります。

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☾アオヒマツリ【ウツキスヱ:旧暦四月末・西暦2024.6.5】

2024-06-06 23:14:29 | ナメコト(行事)
紀元前、弥生と呼ばれる時代のアオヒマツリは、
ウツキスヱ、盛夏(夏至)へと向かう準備のメヲマツリ。
イノチの源、メヲ(メカミヲカミ・陰陽)を讃えるお祭りです。





つきすえは あおひかつらの
めをまつり
  トシウチニナスコトのアヤ


 
ヲカミ(温・陽)の象徴に「アオヒ」を奉ります。
葉に滴りくる雨(サツユ・サミタレ)に活き活きとしています。
・天空に、・成り固まり、・開き来る。

メカミ(冷・陰)の象徴は、秋に実ってゆく力を貯め込んでおこうとする配慮から、
「カツラ」をお祭りします。
・赤くなる秋の要素が、・集まって、・下の方に広がっている。




京都の賀茂御祖神社(下鴨神社)と賀茂別雷神社(上賀茂神社)の大祭、
葵祭は、西暦5月15日ですが、明治の改暦前は旧暦4月の中の酉の日に行われていました。

京都三大祭りの一つ「葵祭」は、新型コロナウイルス感染拡大防止に伴い、
3年連続で「路頭の儀」を中止していましたが、
作年は雨天延期の16日、上皇ご夫妻もご覧になる中、4年ぶりに行われたそうです。





※写真:NHKnewswebより。



「アオヒ・カツラ」のメヲマツリには、ホツマツタヱに逸話も綴られています。
京都上加茂神社のご祭神ワケイカツチは、
ヲシテ文献には10代アマカミ・ニニキネと記されています。

ニニキネは、灌漑用水による京都の新田開拓の際、
災害をもたらす雷雨を火と水に分け、
人の役に立つように、コントロールできるようにと、
火のカミは雷の害を防ぐため、「愛宕神社」に祀り、
水のカミは水害を防ぎ利水をはかるため、「貴船神社」に祀りました。
アマテルカミはたいそう喜ばれ、
ニニキネさまに『ワケイカツチ』の讃え名を賜りました。


さて、時は11代アマカミ・ホオデミさまご即位の際、
御后トヨタマヒメさまが、産屋の屋根の吹き合わせず状態でお生まれになったのが、
ウガヤフキアハセス、12代アマカミとなるカモヒトさまです。
ホオデミさまが皇位を継がれたのちも、ミヤコに上がろうとしないトヨタマヒメ、、

トヨタマヒメは、
身重の身体で難破した船から岸まで自力で泳ぎ着いたことを恥じ、
また、産後の養生で寝転んでくつろいでいる姿を夫に見られてしまったことを恥じて、
ツクシの郷へ帰ろうと、貴船神社に居られました。

皇位を譲られたニニキネさまはオオエキミとなられ、
「アオイの葉」(ヲの象徴)と「カツラの葉」(メの象徴)を携えて、
貴船神社のトヨタマヒメのもとへ訪れ、
「どちらかがかけているのではありませんか?」とお尋ねになりました、、。

「養生のムロ(室)をのぞいたのはホオデミの恥じで、あなたの恥ではありません。
 難破した船より海に落ち、自力で岸まで泳ぎ着いたことは立派な事で恥ではありません。」
初代クニトコタチさまからの連綿と続くアマカミの御子を守らんとした、
健き(たけき)心をお褒めになり、大切なことには執着し、つまらぬことから離れる、、
ツク・ハナルの教えに、トヨタマヒメをおさとしになられました。

後に、ニニキネさまは、
ツクシ高千穂に向かわれ、高千穂峰でカミアガリなさいました。
中腹の霧島神宮でお祭りし、トヨタマヒメがワケイカツチのミヤ(上賀茂神社)でお祭りし、
ホオデミさまが都のミヅホのミヤ(琵琶湖東南岸)でお祭りしました。

喪があけて、ホオデミさまは、トヨタマヒメに和歌を届けました。
トヨタマヒメは「アオヒ」と「カツラ」の葉を添えて返し歌を詠みました。
迎えの輿にのり、トヨタマヒメはミヅホのミヤにお輿入れです。
京都上賀茂神社の葵祭りは、ニニキネさまの教えの様子を現在に伝えるお祭りです。


また、ホツマツタヱ27アヤに
「キフネ」貴船神社にまつわるフナタマの詳しい記述があります。
上賀茂神社や愛宕神社、貴船神社の御由緒も、ヲシテ文献にしっかりと描かれています。
以下抜粋です。

かしはでは ヒメはおもむろ   
ミヅハミヤ むかしなぎさに   
ちかいして ミソロのタツの   
ミタマゑて なもアヰソロの   
カミとなる タミヅおまもり   
フネおうむ キフネのカミは   
フナタマか フネはいにしえ 
  

トヨタマヒメのオモムロは、
ミツハのミヤ(貴船神社)にお納めしました。
それは昔、ヒメが海難事故に遭った時、ミソロのタツのミタマ(力)を
得て、自ら泳ぎ助かったことに由来します。
トヨタマヒメは「アヰソロのカミ」として祭られています。
貴船神社の奥宮がトヨタマヒメのお祭りのミヤです。

タツは水を司り、タミズ(農業用水)を守り、フネにも関与するモノです。
貴船神社は、10代アマキミ・ニニキネ(ワケイカツチ)が水の自然神ミツハノメを祭って、
水害を防ぎ、用水の確保に役立てようとしたことに始まります。
「キフネのカミ」とは、フネの創始や作り方の進展に功績のあったタマ(人々)に
感謝をする意もあって名付けられました。
フナタマ(船についての功労者)の歴史について述べましょう。


シマツヒコ くちきにのれる   
ウノトリの あづみかわゆく   
イカタノリ さほさしおぼえ   
フネとなす
            

フネの創始は、大昔のシマツヒコに遡ります。
クチキ(朽木)に乗るウノトリ(鵜)がアヅミカワ(滋賀・安曇川)を下ってゆくのを見て、
イカタ(筏:思い(イ)のままに右(カ)に左(タ)に川を下る)を組み、
竿を差して操縦する方法を見出し、フネを作りました。


コのオキツヒコ         
カモおみて カイおつくれは  
マゴのシガ ホワニなすナよ   
カナサキは オカメおつくる
   

シマツヒコの子のオキツヒコは、カモ(鴨)の足掻き走行を見て、
自ら漕ぐカイ(櫂)を発明し、
自走可能なカモ(ミシ)フネを作りました。

マゴ(孫)のシガは、風を受けるホ(帆)を考案し、
労力も極めて少ない快速船、ワニフネを作りました。

7代目の子孫カナサキ(住吉)の作ったオカメは、大型で多くのカイ(櫂)を
備え、多くの人や物資を乗せることができるようになりました。


そのマゴの ハデカミのコの   
トヨタマと ミツハメとフネ   
つくるカミ ムツフナダマぞ 
  

カナサキ(住吉)の孫のハデカミの子のトヨタマヒメは、フネの守りのカミです。
ミツハメ(水の自然神)を併せて、ムツフナタマ(六神のフナタマ)として祭ります。



参考文献・参考資料
◎『ホツマ辞典』池田満著・展望社
◎ヲシテ文献の世界へようこそ-日本ヲシテ研究所「ヲシテ文献・大意」
◎『記紀原書ヲシテ』上・下巻 池田満著・展望社
◎『よみがえる日本語』青木純雄・平岡憲人著・明治書院
◎『縄文カレンダー』冨山喜子編
※ヲシテフォントの商標権、意匠権は、日本ヲシテ研究所にあります


『縄文カレンダー』
ヲシテ文献の記述をもとに縄文時代の季節感や行事を、
現代のグレゴリオ暦と太陰太陽暦(旧暦)に表しています。
今に伝わる「ヒナマツリ」や「タナハタ」、「豆まき」等、祭りの発祥や謂れも、
たいへんに興味深く、古来日本の慣わしや精神、思想が覗え、
縄文の宇宙的概念や死生観をも読み取れる「コヨミ」です。
縄文カレンダーの一年は、冬の至りの満月から月の巡りの十二カ月です。
A4判カラー・竹紙20頁冊子型。
一冊1000円(@1500円を立夏よりお値引き+送料込)でお分けしています。

ご希望の方は、
送り先のご住所、お名前、希望冊数を下記までメールにてお知らせください。

冨山喜子
【メール】yoshico1018@yahoo.co.jp







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縄文のこどもの日🎏サツキヰツカ

2024-05-05 00:49:48 | ナメコト(行事)
☽ヰワタマツリ【旧暦5月5日・西暦2024.6.10】

旧暦5月5日こどもの日、
ヲシテ時代のサツキヰツカの「ヰワタマツリ」は、
コタネ(胎児)の健やかなる成長を願う腹帯の教えを伝え広める行事です。
腹帯は、イワタオビやヒタチオビとも呼ばれ、
鹿嶋神宮の「腹帯」は、古のヒノモト・ヤマトを伝えています。
犬が安産だからじゃあないです💦






5月5日、ヰヰ(五五)、
数字の連なる日はメヲ(メカミ・ヲカミ、メヲト)のお祭りです。
サミダレ(五月雨)に勢いづくアヤメを愛で、チマキでお祝いします。

のりくらべ ゐゐのつつたち     さつさはゐわた 
めをのほぎ ゐわたちまきや     のりはゐゐ みなそこにふす
めもとかみ             めのなさけ  これカミカタチ

    トシウチニナスコトのアヤ      ミカサフミナメコトのアヤ



「ヰワタマツリ」とは、ハラオビ(腹帯)の教えを伝える行事。

ヰワタヲビ(腹帯)には、コタネ(子種・赤ん坊)の健やかなる成長に、
よくない障りのないようにと祈るタラチネ(父母)の思いが込められています。
「サツサ」には魔除けの意があり、チマキのツルギ(剣)で祓い、ハラオビで守ります。

妊娠五ヶ月に入るとアモト(宇宙の源)からタマが降され、
タマノヲが地上のシヰとむすび、ココロが備わり、内臓が形作られると考えられていました。

「タマ・シヰ」とは、縄文の哲学的概念で、
人の心には「タマ」(良心)と「シヰ」(生命維持欲・物欲・性欲)があると考え、
併せてタマシヰと呼び、タマシヰは生きたヒトであるとしていました。

<タマ>:ココロハ・タマ・ミヤヒの三つ。
<シヰ>:シヰ・シムの二つ。

併せて五つを「ヰクラ」(五クラ・五つの見えない心の働き)といい、
タマとシヰの結び役をタマノヲといいます。
また、人のタマは、宇宙のアモト(大元)からやってくるとヲシテ文献は伝えています。

ホツマツタヱの1アヤのアワウタの効能として、
 おのつとコヱも あきらかに
 ヰクラムワタヲ ネコヱわけ
 
という一説があります。
 ヰクラ(五つの見えない心の働き)・ムワタ(内臓)・ヲ
 ネコヱわけ(人体構成・心と体の元)

◎タマに関連する人の内臓:フクシ・ナカゴ・キモ
ココロハ:宇宙の大元とつながろうとする心・真心:フクシ(肺・大腸)
タマ:この世を楽しもうとする心:ナカゴ(心臓・小腸)
ミヤヒ:記憶・情け・あわれむ心:キモ(肝臓・胆のう)

◎シヰに関連する人の内臓:ヨコシ・ムラト・ワタ
シヰ:何かが欲しいという心・食欲など:ヨコシ(脾臓・胃)
シム:性欲・強い物欲など:ムラト(腎臓・膀胱)
・  :ワタ(三焦)

この「タマ」こそは、
量子力学でいうところの「ゼロポイント・フィールド」であり、
村上和雄博士のいうところの「サムシング・グレイト」なのではないか⁈
また、「ミーム遺伝子」の概念に近いのでは、、
と、私は秘かに確信しています。


後の時代には
「五臓六腑」(肺・心臓・肝臓・脾臓・腎臓・大腸・小腸・胆のう・胃・膀胱・三焦)と表されますが、
ヤマトコトハの「五クラ六ワタ」は、漢字の五臓六腑とは意味・概念が異なります!
・ヰクラ:見えない心の五つの働き(タマ・シヰ)
・ムワタ:内臓。  


ハラオビ(腹帯)の縦糸はヲツル(雄鶴)の羽24筋、横糸はメツル(雌鶴)の羽24筋、
併せて48のアワの守り、そしてオビの長さは、夫の身長とあります。
ヨソヤ(四十八)のアワの守りと父親の愛で包みこむ、、
そんな思いのあらわれなのかもしれませんね。






     
ノリクラベ  ヰヰノツツタチ(馬術の技法)。
国家の形態を整えてゆく行事にも因むようになります。
秩序維持強化の訓練行事として、ノリユミ(乗り弓・流鏑馬)も行われていました。
子供の日の鯉のぼりや武者人形も、その発展的行事とも考えられます。

京都上賀茂神社の西暦5月5日の賀茂競馬(かもくらべうま)は、
いにしえの伝統がその源に在りそうです。※写真:上賀茂社
旧暦の5月は夏の至り、万木生い茂り、実を結んでゆく準備に入ります。


「ヰヰノツツタチ」の記述が、ホツマツタヱ十九アヤ・ノリノリヒトヌキのアヤにあります。
抜粋でご紹介します。

ムマのさためは         
めはなより おほねえヤタの   
つゝたちは ヰタヰキのりお   
はつきもち さつきゐつかの   
ことほぎの のりにかけたは   
あやしあり たとえふとくと   
ヤツヰヰの わりあひかがゑ   
たまふへし 
  
        


高度な技に適したムマ(馬)は、目鼻の先からオホネ(尾骨)に至る長さが
ヤタ(八尺・一般国民男子平均身長)のものがおおよそです。
ツツタチ(繋がり立つ位置?詳細未詳)は、ヰタヰキ(五尺五寸)の位置が最も適しています。
全体の長さのヤタ(八尺)をハツキモチ(八月満月)に例えたら、ヰタヰキ(五尺五寸)は、
五月五日に相当します。
五月五日のノリ(乗馬)の祭典はなんとも神妙です。
たとえ太く体格のよいムマであっても、
ヤツヰヰ(八対五・五)の割合を考えて対応すればよいのです。(以上抜粋)


また、ヰワタオビのお話は、ホツマツタヱ16アヤに詳しくあるので、ここにご紹介します。
タケミカツチ(カシマカミ・鹿嶋神宮)の一人娘ヒトリヒメのご懐妊に際し、
安産を祈念したコモリカミ(三代モノヌシ)の「ミタネフミ」のご講義より抜粋です。


もしあやまれは         
タネたちて みとがめあれど   
そのひとは まだたちもたず   
つゑうたず ひとうちころす   
ゆえもなし メはひとみちに   
おもえとも ねたみわつらふ   
むねのホが オロチとなりて   
コタネかむ さわりのぞかん   
よつきふみ つゝしむあやの   
はなとはな うてばちるなり   
もろともに つねにつゝしみ   
なわすれそこれ
         


まちがった強い思い込みはタネを断つほどの力があるのです。
でもその人は手にタチ(剣・武器)を持っているわけでも、
ツヱ(制裁の棒)で人を打つわけでもなく、人を打ち殺すわけではありません。
女性は一途に思い詰めることが多いですが、妬みの思いを募らせて心を患うこともあります。
胸に燃える炎が、やがてオロチとなりて他人のコタネを噛み砕きます。
「ヨツキフミ」とは、そんな禍を防御するための教えです。
「ツツシム」ということを良く理解してください。
ハナとハナ、打ち合えば双方ともに散ってしまいます。
ツツシミとは、日常の常に気をつける、ということなのです。
決して忘れないでください。


ハラミコお とひうるための   
たひやどり あるひヒメカミ   
またのとひ おしえのおびは   
わさありや コモリこたえて   
タマキネの をしゑのおびは   
ミミノハに しなわきまえて   
クニおさむ おびはヰわみの   
かためなり ヲはしたあわせ   
メはうえぞ
 

          

コモリカミの講義にじっと聞き入るヒトリヒメでしたが、初めての妊娠は、
まだまだ不安に思うことも多く、コモリカミはしばらく滞在することになりました。
おそらく、タケミカツチの歓待を受け、カシマのミヤでの滞在でしたでしょう。
ある日のこと、ヒトリヒメはまた質問なさいました。
「オビ(腹帯)について、詳しく教えていただきたいのですが。」
コモリカミは答えます。
「腹帯については、タマキネ(トヨケカミ)の『ミミノハ』の教えに詳しくあります。
腹帯はヰワミの固め、つまり、(五色の固形物による)物質化の成長を、
外的な妨害要素から保護するためのものなのです。」
 ※ヰワミ:ヰツイロのハニもてつくる(14アヤ)・ヰいろハニ、これクラワタと(16アヤ)
男の子を孕んだ場合には、オビは下合わせに、
女の子の場合は上合わせにします。


はらみのおびは         
かつらきの よつきやしろに   
みたねのる ときにアメより   
にいとりの ひとはおつれは   
アマツノリ これはいふきの   
なるもみぢ ばけてかつらき   
いとりやま はねさきみれば   
フソヨすぢ かずそなはれと   
つねあらず もろとりみれは   
ソヰにさけ ヒタカミにツル   
たてまつる はねさきみれは   
フソヨなり かれもろはねお   
よりたゝし ヲツルおたてに   
メおよこに ケフのほそぬの   
おりもつて ヨソヤそなはる   
みはらおび          
 



そもそも孕みの帯のはじまりは、トヨケカミが七代イサナギ・イサナミの皇太子誕生を願い、
カツラキに世継ぎ子を得るためのヨツキヤシロを建て、八千回のミソギをし、
祈っていた時の事、アメ(空)からニイトリの羽根が一葉落ちてきたのです。
『アマツノリ』それはアマのお告げであるかも知れない。
その一葉の羽先を見てみますと、フソヨ(二十四)のスヂ(筋)があります。
フソヨとは、アワウタ(ヨソヤ・四十八音)の半分です。
縦横フソヨ筋ずつで編めば、ヨソヤのアヤ(布・文章)になります。
普通の鳥の羽根は、ソヰ(十五)に分かれており、フソヨはとても珍しく、

その羽根の鳥を探し求めていましたら、ヒタカミのトヨケのもとにツル(鶴)が献上されました。
羽根先をみるとフソヨの筋でしたので、鶴の羽を縒りただし、
ヲ(オス)の羽根を縦糸に、メ(メス)の羽根を横糸に、布を織りゆきます。
ケフのホソヌノとは、ヨソヤ(四十八・完全)が備わるミハラオビ(御腹帯)です。
 ミハラ:コタネが種を成してさらに実体化する。
 オヒ:固め護り、形に形成すること
腹帯には、コタネへの深い思いが込められていました。


ははのイサナミ         
ながはらみ コソムつきへて   
うみたまふ アマテルカミぞ   
ハタレマの さはれどおびに   
とゝのひて ヨソヤそなはる   
そのためし てれはヒメキミ   
さはらねと いきすひたちと   
なすおびぞ ときにミカツチ   
いぶかしく いきすひたちと   
なるおびの わざにいきすは   
いつこえか 
          


ハハ(母・生成為し行くもの)のイサナミの妊娠期間はとても長く、
コソム(九十六)月を経て、アマテルカミをご出産なさいました。 
※ハラミ:ハ生成・ラ為し行き・ミ実体化

コタネを噛み砕こうと攻め寄ってくるハタレマをオビが防いでくれます。
※ハタレマ:ハ(生成・形成)をタレル(垂れる・垂れさせる)、マ(影響を及ぼす)。

オビにより整いて、ヨソヤ(四十八・元素の成り立ち・完全)が備わります。
ヒメキミにはハタレマのような悪い障りもないでしょうが、
「イキス・ヒタチ」と為すオビを締められることをお勧めします。

と、コモリカミがトヨケカミの故事から講義なさいましたその時、
父のタケミカツチがふと疑問を呈します。
「我がクニは、イキス(息栖のミヤ)・ヒタチ(常陸のミヤ)とも呼ばれます。
それはオビに関係があるとのことですが、どのような謂れなのでしょうか。」


ときにコモリの         
こたえには むかしトヨケの   
のたまふは アメよりさつく   
ケフのおび アメにのとりて   
ちゝのたけ くらぶるおびに   
はゝのいき ひたちとなるは   
いたくなり アメにうなづき   
はにあみて つらなりそたつ   
このためし ちゝのめくみは   
いたゝくア はゝのいつくし   
のするはに
 
          


コモリカミの答えには、
「それは昔、トヨケカミの教えにありました。
アメ(天・アマカミ)からの賜わりモノ(宝物)としてのケフ(ヒタチオビの別名)のオビは、
アメ(天地創造の構造)に則って織りあげられています。
オビの丈はチチ(父)の身丈に合わせます。
そこにハハ(母)のイキス(息・心が来る事)がヒタチ(養い・育む)となるのです。

アメ(宇宙の中心)からタマ(魂の本体)の分け降しを頂き、
そして、ハ(地球の方)よりシヰ(魂の生命維持の部分)が編み込まれ、タマシヰとなるのです。
そこに物質が備わって育って来ることでコタネに成長します。
チチ(父親)の恵みはイタタク・「ア」(降臨するタマをこころにと、来させること)、
ハハ(母親)のイツクシ(こころにと編み為すこと)は
「ノ」(成りかためる事)をするハニ(固形化・物質化)となるのです。


アマテルカミも         
わすれじと いとフソヨすぢ   
よりあはせ メヲはふたえの   
みはとおり このみはめして   
あさことに あめつちまつり   
たらちねに つかふみこゝろ   
そのキミも これともふせは
   


アマテルカミも、この事を忘れてはならないとおっしゃっています。
そこで、イト(糸・こころの集まり・固形化してゆく)を二十四筋縒り合せて紡ぎ、
縦横にメ(横)・ヲ(縦)を準えてハフタエ(柔らかい織物)の衣を作ります。
その衣を召して、毎朝、アメツチを祭り、タラチネ(両親)への感謝を祈ります。
そこには、コタネ形成・生成への深い敬慕と感謝の念が込められているのです。
ケフとは、毎朝、毎朝の意味もあり、
 ケ:来たり為さしめる
 フ:開き発展する様子)という,
コタネが生成し成長する意味合いも込められています。

中略

これおうく カトリとカシマ   
イキスミヤ たまふひたちの   
おびのなも ヰハタオビとぞ   
たけヤタは ヤソヨロヲノコ   
なれたけぞ はらみのうちの   
あそひには まめおひろえよ   
まめなるぞ もしもソフこお   
うむはゝは ツキのくらいそ   
ひとはらみ ミツこおうめは   
ミひかりの さいわひありと   
アメにつぐ あまねくふれて
 
  


ここに、カトリ(フツヌシのミヤ)とカシマ(タケミカツチのミヤ)、
さらにイキス(アマノコヤネ・ヒトリヒメのミヤ)のミヤにそれぞれヒタチのオヒを、
時のアマカミ・オシホミミから賜りました。
オビの名もヰ・ワタ・オヒ(ヰワタ帯)といいます。
コタネのつつがなき成長を守る帯で、長さはヤタ(八尺)、国民男子平均身長に合わせたもの。
オシホミミはケフのホソヌノをヒタチオビとして賜りミコトノリなさいました。

「ハラミのウチ(妊娠中)の遊びには、マメ(豆)拾いが良いでしょう。
その子はマメ(何事にも熱心であること)になることでしょう。
マメ(熱心さ)はすべてにおいて、身の宝だと思います。
もしも十二人の子宝に恵まれた母は、ツキ(月)の位として賞賛しましょう。
三つ子を産んだ母は、ミ(三)ヒカリのサイワヒ(幸せ)に浴するものです。
ともにアメ(朝廷)に報告してください。賜わり物を授与します。」
※ホツマツタヱ《十六アヤ・ハラミツツシムオヒのアヤ》より抜粋。


参考文献・参考資料
◎『ホツマ辞典』池田満著・展望社
◎ヲシテ文献の世界へようこそ-日本ヲシテ研究所「ヲシテ文献・大意」
◎『記紀原書ヲシテ』上・下巻 池田満著・展望社
◎『よみがえる日本語』青木純雄・平岡憲人著・明治書院
◎『縄文カレンダー』冨山喜子編
※ヲシテフォントの商標権、意匠権は、日本ヲシテ研究所にあります。




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ウツキ・サビラキ・夏は来ぬ!

2024-05-01 01:49:04 | ナメコト(行事)
ウツキハツヒ(旧暦4月1日・西暦2024.5.8 12:22)夏は来ぬ!
トホカミヱヒタメ、
の守りは立夏から夏至頃🌞
太陽の巡りの立夏(2024.5.5)を迎え、
この新月から夏至に向かい、ヲカミ(陽)のエネルギーもぐんぐん加速していきます。
ちなみに、5月1日は夏も近づく八十八夜!
茶摘みのメロディ~にアワウタを乗せて~~~♪






ウツキ「ウ」は、
熱エネルギー・温・動く・ウイ(初・発動・発意)・生まれる・大いなるの意~イメージ。
*「動き」様々な変化・動く・生れる・移動を強調。
*「熱」の発生・伝達。熱のあるところには必ず「動き」がある。
*「原動力」大地から立ち昇るエネルギー、いままさに(現在進行形)。
*「大いなる」大きいモノ・果てしないモノ・激しいモノ
立夏からぐんぐんと日が伸び、夏至に向かうエネルギッシュなイメージです。


メはツネにすむ
みづのかみ うづきはうめの
ヲおまねく さなゑあおみて
なつおつぐ  なかわたぬきて
 トシウチニナスコトのアヤ




立夏から夏至頃はメのカミ、ツネ(西北)の守りです。
日ごとに昼が長くなり、早苗が青さを増し、夏を告げます。
近年では立夏より前にすでに真夏日の陽気
衣替えが追いつきません💦

のヲシテ文字の表しは、
ミナソコにふす メのなさけ

ヲカミ(温エネルギー・陽)極まる陽光に、
メカミ(冷エネルギー・陰)の及ぼしは(マ行父音)水の底に潜り、
サミタレ(五月雨)のミツ(水・エ母音)に響くカミカタチ(文字形)。


🌕満月にはサヒラキマツリ【旧暦4.16・西暦2024.5.23】




つきなかは さびらきまつる   
ゐなるかみ
 ミカサフミナメコトのアヤ


(南)のヲシテは、太陽の恵みが広い大地に行き渡るイメージ。
太陽が一番高く昇る方角、ミにナミ享ける南、サビラキ(早苗開き・南開き)のお祭りをします。
田植えに必要な雨が、この時期に十分にもたらされる、
サミタレ(五月雨・梅雨)の恵みへの感謝の行事です。







お供えはフキの葉で包んだ豆ごはん。
フキは抗酸化作用もある身近な薬草です。
三重県の郷土料理「蕗俵」(ふきだわら)は、豆ご飯を蕗の葉で包みます。
田植えの時期に行う農耕神事では、田の一角に蕗俵を御供えし、豊作を祈願するそうです。







早苗の水田に映る太陽と月の✨光✨のさざなみ
ウケモチさんのヒヨウルタネの名に沁みます。
満月のサビラキマツリ、
遠い昔のご先祖さまも、水面に映る月の出を愛でていたのかもしれませんね💛


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縄文のひなまつり🌸ヤヨイミカ

2024-04-09 18:54:08 | ナメコト(行事)
ヒナマツリ【旧暦3月3日・西暦2024.4.11】

旧暦では今日(2024.4.9)よりヤヨイ!
まさに春爛漫🌸ハルウララ
桜も桃も満開です!
旧暦のヒナマツリ🎎
三日月と桃の花のコラボ🌛晴れるといいね

ヲシテ文献より、古来日本のヒナマツリをご紹介します。



日本で最初の結婚の儀を記念し、トツギのノリ(法)を教え導くお祭り。
満開のモモ(桃・百・子孫繁栄の象徴)の花の許、
クサモチ(よもぎ餅)とミキ(御酒)でメ・ヲのヒナマツリです。



やよいのはしめ         
ももやなき みきひなまつり
ゑもぎもち たみなわしろに
たねおまく
   ミカサフミナメコトのアヤ


やよゐきて ももさきめをの
ひなまつり くさもちさけに
ひくゑもせ
   トシウチニナスコトのアヤ



ヒナとは半人前(未熟・七分目)のこと、
メヲトとなり一人前のヒト(一から十)となる意が込められています。

トツギのミキ(御酒)は、身籠る(ミ)女性から先に飲み、兆す(キ)男性にすすめます。
三三九度は、ヤヨイミカ(三月三日)のトツギ(度)固め(コ・九つ)のミキ(酒)のこと。
三日月をミキに浮かべてすすめます。
サカツキ(盃)の名は、逆さに映る月のことから。



また、メヲトとは、
ヨメ(良き女)とヨオト(良き男)が
それぞれの役割で力を合わせ、
為し固め、子孫につなげるという意です。
トツギとは、「トのヲシヱ」をつなぐ儀なのです。
日本語はなんて素晴らしいのでしょう♡

桃の花の下、夕暮れの細い三日月を愛でながら、男女でお酒を酌み交わす、、
春の大人のひな祭りとして復活させたいですね!
うれしいひな祭りの節にあわのうたをのせるとピッタリはまって楽しくなりますよ♪
きょうはたのしいたらさやわ~~(^^♪


「ヒナマツリ」の所縁について、
ホツマツタヱ2アヤ・アメナナヨトコミキのアヤより抜粋でご紹介します。

よつぎのヲカミ         
ウビチニの スビチおいるる   
さひあひの そのもとおりわ   
コシクニの ひなるのたけの   
かんみやに きのみおもちて   
あれませば にわにうゑおく   
ミトセのち やよひのみかに   
はなもみも ももなるゆえに   
もものはな フタカミのなも   
モモヒナギ モモヒナミなり
    

四代アマカミはウヒチニ(ヲカミ)でした。
稲作(陸稲)の導入により社会構造に変革がもたらされ、
時代の要請として、女性の社会的役割が求められてきました。
ウヒチニはスヒチニを正后に定め、ここに婚姻の制度が起きました。
サヒアヒとも呼ばれる婚姻制度は、広くタミにも広まってゆきます。

その元オリは、、
ウヒチニが、モモ(日本固有種のモモ)の木の実をお持ちなって
皇位(みくらい)に即かれたことから。

コシクニのヒナルノタケ(福井県越前市中平吹町・日野神社・日野山)の
カンミヤの庭に植えられましたところ、
三年の後の弥生三日、
ハナ(花)も、モモ(百ほどにも多く)に咲き、ミ(実)も成りゆくようです。
それで、もも(モモ・生じて固まる)のハナと名付けられました。
ウヒチニ・スヒチニのフタカミをモモヒナギ・モモヒナミと
お呼びするようになったのは、モモのハナとミに由来します。


ヒナはまた ひとなるまえよ   
キミわソの きのみによりて   
ヲカミわキ メカミわミとぞ   
なつきます ひとなるのちに   
やよひみか ミキつくりそめ   
たてまつる

           

また、「ヒナ」とはヒト(一から十)になるマエ(以前)で、
メヲトとなり初めて一人前という意味です。
ハナもミもそ(ソ・揃う所)の木の実の由来によって、
ヲカミは「キ」、メカミは「ミ」と名が付きました。
ヒトとして表明する婚姻の儀は、弥生の三日にミキ(お酒)を醸し奉ります。


ももとにくめる         
ミキにツキ うつりすすむる   
メカミまづ のみてすすむる   
のちヲカミ のみてましわる   
とこのみき みあつければや
   


モモの花の許、白酒を酌み、細い三日月を映し浮かべてミキ(酒)を勧めます。
メカミがまづお飲みになり、ヲカミに勧めます。
ミ(実・女性)を結ぶ、キ(木・男性)春の兆しのお酒の名の通りです。
ミキを飲みて男女が交わります。
「トコ」(トのヲシヱの精神で絆を固める・床)の「ミキ」(お酒)です。
「ミ」(生じ来る)のメヲト(夫婦)としての意識が篤く備わります。


あすみあさ さむかわあびる   
そでひちて うすのにこころ   
またきとて なもウビチニと   
スビチカミ これもウビにる   
ふることや おおきすくなき   
うすのなも このひなかたの   
ヲわかむり うおそではかま   
メわこそで うわかつきなり 

  

正月三日朝に、サムカワで清めましたときのこと、袖が濡れてしまいました。
ヲカミはメカミをかばって水浴びをしていたので、
ヲカミの袖は大きくヒチテ(濡れて)、メカミは少ないヒチでした。

「ニココロ」、にこやかな、やさしい、思い遣りのお心です。
「ウ」(大きい)と「ス」(少ない)の「ニ」(思い遣り)の心の仕草に現れた
尊いことと、ウヒチニ・スヒチニとお呼びするようになりました。

「ウヒ」とは、クニタマ(地球)の形作られる以前の状態も意識した命名です。
ウヒが煮上がって、固体・液体と気体の分離が進みクニタマに形成されました。

大きい少ないのウスのフルコト(故事)から、ヒナカタ(雛形)が作られます。
ヲ(男)はウオソデ(大袖)とハカマ(袴)、
メ(女)はコソデ(小袖)とカツキ(被衣)です。


このときに みなつまいれて   
ヤソつつき もろたみもみな   
つまさたむ あめなるみちの   
そなわりて たぐひなるより   
としかぞえ ヰモつきあまの   
まさかきや 
          


雛形が示されたので、広く国民にも結婚の制度が広まります。
まず、ヤソ(八十)のトミ(臣)たちが婚姻を行い、
タミ(国民)もツマを定めました。

ウヒよりクニタマが形成され、そこから人類の発生が起きたわけですから、
アメ(天体)の形成からの歴史を踏まえたミチの「トツギ」の制度は、
「アメナルミチ」ともいえるわけです。
これよりタクイ(家族、血族)も生じてきます。

中略

フタカミの ましわるときに   
トコミキや トコわトホコに   
コおもとむ
           

フタカミ(イサナギ・イサナミ)の交わる時も、トコミキ(酒)が用いられました。
トコミキの「トコ」とは、
「トのヲシテ」の「ト」と「ホコ」の「コ」でもあり、
「オノコロ」の「コ」にも掛かって意味します。
国家の安定を実現するためにも、コ(子)を求むるわけです。


ささけわとこよ         
ゐのくちの スクナミカミの   
たけかふに すすめがもみお   
いるおみて ミキつくりそめ   
すすめけり モモヒナギより   
ササナミと なおたまふより   
なもささけ そのカミいまに   
ささけやま ここのくみとわ   
やよいみか さかつきうめる   
カミのなも ヒナカタケとぞ   
たたゆなりける

         

そもそも、「ササケ(酒)」の名は、
トコヨ(琵琶湖湖岸地方)のヰノクチのスクナミカミ(後のスヒチニ)の所にあった竹株に、
スズメがモミ(籾)を入れているのを見て、お酒に醗酵するのを発見したことに由来します。
タケの別名のササからササケ(笹食・酒)と命名されました。

ミキを醸して奉り、モモヒナギ(四代アマカミ)より「ササナミ」という名を賜りました方は、
「ササケヤマ(沙沙貴神社、滋賀県近江八幡市常楽寺)」に当時いらっしゃったとのことです。

ココノクミ(固めの杯)の謂れは、
ヤヨイミカ(三月三日)に結婚の儀式を初めて執り行った故事に因んでいます。
今の世の三三九度とは、、
ヤヨイ三日のトつぎ固めの御酒の意ですね。
サカツキ(酒に逆さに映る細い月、杯)の名称を生んだ四代アマカミ・モモヒナギを尊んで、
その山をヒナガタケ(日野山、日永嶽、福井県越前市)と讃えるのです。


「トコミキ」の所縁について
ホツマツタヱ4アヤ・ヒノカミ・ミヅミナのアヤより抜粋です。
七代アマカミ・イサナギ・イサナミのお話です。

あるひヲカミが         
ヲヱとえは ヒメのこたえは   
ツキのヲヱ ながれととまり   
ミカののち みのきよけれは   
ヒまちすと ヲカミもゑみて   
もろともに おがむヒノワの   
とびくたり フタカミのまえ   
おちととむ おもわすいたく   
ゆめここち さめてうるほひ   
こころよく ミヤにかえれは   
ヤマスミが ササミキすすむ 

  

そんなある日のことでした。
ヲカミ(イサナギ)が月の障りを尋ねますと、イサナミは「三日前に月の障りが終わり、
身も清く気持ちも良いので、ヒ(太陽)待ちをしましょう」とお答えになり、
イサナギも「それは良いことですね」と笑顔で答えます。

一心に心を併せ、日の出を拝んでいますと、
ヒノワがフタカミのすぐ目の前に飛び来たって輝いているように見え、
まるで夢のような心地でした。

心の中がポカポカとしてウキウキと快く、、ミヤに戻りますと、、
オオヤマスミが、ササミキ(お酒)を勧めてくれました。
このタイミングの良さには、得も言われぬ神妙さを感じます。



かれヲカミ トコミキしるや   
メのこたえ コトサカノヲが   
ミチきけは トコミキはまつ   
メがのみて のちヲにすすむ   
とこいりの メはことあげず   
ヲのよそヰ メがしりとつく   
したつゆお すえばたがゐに   
うちとけて たましまかわの   
うちみやに やとるコタネの   
トツキノリ こおととのふる   
トコミキは クニうむミチの   
ヲシヱぞと 

          

ヲカミはトコミキについてメカミに尋ね、メカミはお答えになられました。
「トツキ(結婚)の際、トコミキのことは聞いたことがありました。
コトサカノヲに尋ねましたらば、このようにお教え下さいました。」

イサナミは言葉を続けます。
「トコミキ(寝所にてのお床入の際にお召し上がりになるお酒)は、、
まず始めに女性から飲み、次いで男性に勧めます。
その後、床入では女性はコトアゲ(願文を言う事)をしないことになっています。
男性の誘いに、女性が寄り添いとつく(トツク・交わる・トを継ぐ)のです。
そして、シタツユ(精子)を得てお互いが本当に打ち解けるようになります。
アモト(大宇宙の中心)から、ヒトの形成の元となるタマが降され、
ウチミヤ(子宮:見えないものが物質を結び合せて具体化させてゆく場所)に
子種が宿る、これが「トツキノリ」です。」
子種の宿り整うるプロセスは、国家形成の方途とよく似ています。


「ひなまつり」と「スクナヒコナ」
ホツマツタヱ9アヤ・ヤクモウチコトツクルアヤより抜粋です。

スクナヒコナは         
アワシマの かだがきならひ   
ひなまつり をしえていたる   
かだのうら アワシマカミぞ
 
  

さらに後、スクナヒコナは、
アワシマ(琵琶湖周辺もしくは淡路島、、フタカミに由来、、)のカタガキ(コト)の楽曲演奏を習い、
ヒナマツリ(四代アマカミのトツギノリ)を全国各所に教えつつ巡りました。
行き至った場所はカダノウラ(現和歌山市加太)でした。
そこで、スクナヒコナはアワシマカミと讃え呼ばれるようになります。
※加太淡嶋神社(延喜式記載の古い神社)として、伝承も残されています。
 雛流し、二万体の人形で有名な神社です。
 ご祭神は少彦名命・大己貴命・息長足姫命(神功皇后)



ヲシテ文字で感じよう!
📌メヲト:メ(女性)・ヲ(男性)・ト(力を合わせ、子孫につなげる)▲夫婦。
📌トツキ:日本最初の国号「トコヨクニ」とは、トの教えを建国の理念とした事。
「タミが力を合わせ、得意を持ち寄りみんなでより良い世を為しつなげてゆく」意。
結婚式は「ト」を継ぐ儀なのです。×嫁ぐ。



『宇治山田市史』宇治山田市役所編 年中行事より
「宮中神事」
◎桃花御饌【三月三日】
式は新菜御饌(わかなのみけ・正月七日)同様であるが、今日の御饌は長き草餅で、
内宮は桃枝を筒に立て、外宮は桃枝を五寸位に伐り、束ねたる草餅に横に挿して供える。

「民間行事」
◎桃の節供【三月三日】
民間では小豆飯を炊き、桃の酒を祝う外、女子のある家では雛祭とて内裡雛を飾り、
草餅を搗き菱餅を供へ、女児の庭訓に資したものである。
市中の人々は主人筋・師匠・得意先などへ節供の禮とて礼服にて廻禮する事もあった。
この廻禮は明治維新後絶えたが雛飾りは近来年を追うてだんだん盛んになった。

◎汐干狩【三月三日】
三月三日の汐干に二見浦には市中の老若男女の貝拾ひ遊びをする風俗であった。
能く干る時は、立石より凡そ十町許りも干潟となったと云ふ。(五十鈴落葉)



参考文献・参考資料
◎『ホツマ辞典』池田満著・展望社
◎ヲシテ文献の世界へようこそ-日本ヲシテ研究所「ヲシテ文献・大意」
 http://woshite.com/page5.html
◎『記紀原書ヲシテ』上・下巻 池田満著・展望社
◎『縄文カレンダー』冨山喜子編
◎『宇治山田市史』宇治山田市役所編 国書刊行会
※ヲシテフォントの商標権、意匠権は、日本ヲシテ研究所にあります。
編集:冨山喜子

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縄文の小正月❄旧暦1月望(西暦2024.2.24)

2024-02-22 13:58:53 | ナメコト(行事)
ムワタマツリ・トンドモチ【ムツキモチ(旧暦一月望・小正月)】

初春の満月!
旧暦ムツキ十五夜お月さま
西暦2024.2.24、21:30にmaxとなります。

日暮れからご来光までの夜空を一晩中照らす満月!
その朝にいただく小豆粥!
満月のエネルギー♡水に浸した小豆の月光浴!
アツキカユ、ヲシテ文字で感じるとまさにまさになヒモロケです!
恐るべし縄文の叡智✨

1月15日といえば、数年前までは成人式の祝日でした。
初春の満々の満月のエネルギーに因んでいたのではと思います。
成人を迎えられた方々へ謹んでお祝い申し上げます。
春、キザス東、のぼる朝日の波に乗り~いよいよです!



いつかの月の出。




もちのあさほぎ
あつきかゆ さむさにやふる
わたゑやみ さやけをけらに
とんどもち ゑさるかみあり
 トシウチニナスコトのアヤ


モチ(満月)の明けた朝に、ヒモロケ(日月のエネルギーの備わった食物)の
アツキ・カユ(小豆粥)で祝い、ワタ(内臓)へのヱヤミ(病気)を防ぎます。
ササ(笹・竹)、オケラ(薬草)を焚き、
モチ(トンドモチ・餅)を焼いてカユ(粥)に入れます。
小豆粥にお餅♡おしるこちゃんですね♪

現在でも1月15日は「鏡開き」・「トンド焼き」(左義長・小正月の火祭行事)が
全国各地で行われていますが、なんとヒノモト縄文起源の風習といえます!
日本のお正月♡


めをおえば もちのあしたは   
ひもろけの あづきのかゆに   
ゑやみよけ ささおけとんど   
もちやきて かゆはしらなす   
かみありの かゆふとまにや
 ミカサフミナメコトのアヤ


カユハシラナスカミアリのカユフトマニとは、
かゆ(カユ・来たりて跳ね返る様)のウラナイ(見えない世界の成り行く方向を知る)です。


※『宇治山田市史』宇治山田市役所編の年中行事より、
◎御竈木神事【正月十五日】「宮中神事」
神宮に御薪を奉納することで、これは昔、
朝廷にて臣下の薪を献ずる儀のあったのを移して、神前にも奉る式としたものであろう。
この日、一禰宜七荷、余の禰宜各六荷、権禰宜は各五荷、六位の権禰宜・大内人等は各三荷、
小内人は各二荷、諸社の祝部等は各一荷という定であった。
其の木は長さ七尺余りの白削りの細木で、九本を一荷としてある。
之を石壺の上に据えて「御木の数三千五百荷御入り候ふ」と申し、
政所が祝詞を奏し了って、御薪をば忌火屋殿に納める。

神事の祝詞には、
「吾々のかく奉るさまをば、平らけく安らけく聞食して朝廷賓位(みかどのみくらい)」は
動くことなく、常磐(ときわ)に堅磐(かきわ)に、夜の守日の守に護り幸い奉りたまひ
生まれまさむ皇子達をも慈しみ給ひ、百官(ももつかさ)に奉仕(つかえまつ)る人等をも
平らけく、安らけく、天下四方(あめのしたよも)の人民(おほみたから)の作る
五穀(いつくさのたなつもの)も豊かにめぐみ幸ひ給へ」
と祈る所に国民思想の明らかなる反映を見る。

訓読みのやまとことはのなんと美しい響き♡


◎小豆粥【正月十五日】「民間行事」
松飾りは、十四日の夜に納めるので、十五日朝に粥柱の角切餅を入れた小豆粥を煮、
飾りを取り去った跡へ供えるので、飾揚げの祝とも云った。※五十鈴落葉


参考文献・参考資料
◎『ホツマ辞典』池田満著・展望社
◎ヲシテ文献の世界へようこそ-日本ヲシテ研究所「ヲシテ文献・大意」
◎『記紀原書ヲシテ』上・下巻 池田満著・展望社
◎『縄文カレンダー』冨山喜子編
◎『宇治山田市史』宇治山田市役所編 国書刊行会
◎『志摩の民俗』三重県郷土史料刊行会 著者:鈴木敏雄
◎『伊勢神宮』ホームページhttp://www.isejingu.or.jp/index.html
※ヲシテフォントの商標権、意匠権は、日本ヲシテ研究所にあります。





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縄文の春七草【ムツキユミハリ】(旧暦1月7日・西暦2024.2.16)

2024-02-14 14:08:12 | ナメコト(行事)
七草・シムノフシヱ【ムツキユミハリ:旧暦1月7日】

ヲシテ七草
《ごげふ・はこべら・ゐたひらこ・すずな・すずしろ・すせり・なつ》


春の陽を享けて、野草アオナがいっせいに顔を出します。
弓張を祭る七草は、イノチ(生命)を養う行事です。
冬の間のビタミン・栄養不足など、滞ったからだに、
春の最初の芽吹きの力強いエネルギーをいただき、病や災いを払い整えます。


ヒの守りは、立春から春分頃。
一日に例えると夜明け前の一番冷え込む時間帯。
今年は立春より一週間の後に新月を迎え、春の陽気を実感しますね!

新月から七日目。
満月へと向かい、生え出でるエネルギーが強まります。
「ナナクサ」は春の最初のエネルギー!
庭もだいぶ緑色が目立ってきました。





しむのふしゑは
たるむつみ ゆみはりまつる
みそのなは ぬゑあしもちか
かさくさお こげふはこべら
ゐたひらこ すずなすずしろ
すせりなつ このなゝくさに
のぞくなり
   トシウチニナスコトのアヤ




しむのより ゆみつきのよは
ゐのみづに ヌエアシモチが   
ガダヲヱオ ごけふはこべな   
いたひらな すずなすずしろ   
すせりなず なみそにのぞく
 ミカサフミナメコトのアヤ


みそのなは… 味噌の七葉・菜葉?
なみそ… なみそ 七味噌・菜味噌?
春の七草、お粥さんだけじゃなく、味噌和えや味噌汁もいいですね♡
「味噌?」は、いつからあるのでしょう?

※味噌の起源ウィキペディア参照。
日本の味噌の原型は歴史が古く、弥生時代からとする説もあるが、
豆を用いた現在の味噌とは違う液体状のもので、魚醤に近い。
日本においては縄文時代から製塩が行われ、
醤(ひしお)などの塩蔵食品が作られていたと見られる。
縄文時代後期から弥生時代にかけて遺跡から穀物を塩蔵していた形跡が見つかっている。
古墳時代からは麹発酵の技術を加えたものとなった。
現在の味噌の起源に連なる最初は、奈良時代当時の文献に
「未醤」(みさう・みしょう:まだ豆の粒が残っている醤の意味)と呼ばれた食品の記録がある。



すずな・すずしろ♡志摩の朝市




ヲシテ春七草の記述は、ホツマツタヱ <19アヤ・その2> にあります。
ノリのフミ テルタエのアヤ(抜粋)

フソヰすゝ モゝミソゑたの   
としサナト ハルのハツヒに   
ヨのヒツギ ミコオシヒトに   
ゆつります アメよりイセに   
おりいます 
          


マサカキ暦二十五スゝ百三十枝のサナト(キシヱ暦五十八年)のハルのハツヒ(元日)に、
アマテルカミは皇太子オシヒトにアマカミを譲位なさいました。
アマテルカミは譲位ののち、人を教え導くことに熱意を持たれ、
イセのミヤ(現伊勢神宮内宮)にお遷りになられ、日々教導に捧げてゆかれるお考えでした。


ときにツキスミ         
オゝクマド ひつめアオコマ   
たてまつる カミおもしろく   
おほすれば クマトにたまふ   
ミアエには ヌヱアシモチが   
がさくさも ごげうはこべな   
いたひらこ すゝなすゝしろ   
すせりなつ このナゝクサに   
のぞくなり           



ちょうどその頃に、ツキスミ(九州)のオオクマド(アメクマ)が、
ヒツメ・アオコマ(馬ムマ・詳細未詳、、)を曳き歩んで参りました。
献上されたアオコマ(馬)に大変興味を示されたアマテルカミは、
オオクマドにミアエ(御饗)を賜うことになさいました。
ヌエアシモチ(悪さをする鳥?)がガサクサ(禍や病気、皮膚炎。詳細未詳)も、、
とは、冬の間のビタミン不足など滞った健康幣害を解消するの意でしょうか、
生命エネルギーに満ち溢れた春の新芽の七草です。
「ごげう・はこべな・いたひらこ・すずな・すずしろ・すせり・なづ」、
この七草に除くなり。


さくらばなれば         
またのモチ こかねひつめの   
クロコマの タカギがひけば   
たてまつる 
          


サクラの季節の満月(春分頃)に、ヒタカミ(東北)より、
当主七代タカミムスヒ・タカギがコカネ・ヒツメ(黄金の蹄?詳細未詳)のクロコマを
献上なさいました。
タカギはアマテルカミの従兄妹であり、ご学友であり、
また、九代オシホミミのお后チチヒメのお父上でもあります。


みつほマナヰに         
のりみゆき しばしばまつり   
きこしめす これそらくもり   
あらざりき  
         


これらの献上馬にはアマテルカミのお后三名がお乗りになり、
マナヰ(トヨケカミの御陵)まで御幸をなさり、お祭りをなさいました。
ひ孫にあたるオシホミミの九代アマカミご即位のご報告です。
天下安寧の一助となり、また女性にも乗馬の技術が浸透したことには、
トヨケカミもお喜びのことと思われます。



参考文献・参考資料
◎『ホツマ辞典』池田満著・展望社
◎ヲシテ文献の世界へようこそ-日本ヲシテ研究所「ヲシテ文献・大意」
◎『記紀原書ヲシテ』上・下巻 池田満著・展望社
◎『縄文カレンダー』冨山喜子編
※ヲシテフォントの商標権、意匠権は、日本ヲシテ研究所にあります。



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ハツヒマツリ【ムツキハツヒ(旧暦元旦・2024.2.10)】

2024-02-08 17:06:02 | ナメコト(行事)
2024年の旧暦元旦(旧正月)は、2月10日。
昨年は、1月22日と立春よりかなり早めのムツキ新月を迎え、
閏2月の挿入により、月の巡りの13ヶ月を経て、
今年は立春より後に旧暦元旦を迎えます。

縄文暦の年末年始の行事。      
2024年・R6
2月3日 トシワケ・節分
  4日 ハルタツヒ・立春
2月9日 シワススヱ
  10日 ハツヒマツリ・元旦・新月
  16日 ナナクサ・弓張
  24日 ムワタマツリ・小正月・満月
 

ちなみに、2023年・R5
1月21日 シワススヱ
  22日 ハツヒマツリ・元旦・新月
28日 ナナクサ・弓張
2月3日 トシワケ・節分
4日 ハルタツヒ・立春
6日 ムワタマツリ・小正月・満月



今年は立春の後に大寒波到来で首都圏は大雪に見舞われました!
春は名のみの風の寒さや~♪
早春賦のメロデイにアワウタを乗せて~~(*^^)v
旧暦ムツキ満月の小正月を迎えると
漸く春を実感できるようになりますね❀







ハツヒマツリムツキハツヒ・旧暦元旦



ヒはツサカセの 
ふたをがめ きたればひらく
はつひぐさ ハツヒマツリは
ふとまがり やまのかやくり
うみのめも ところたちはな
ゐもがしら
  トシウチニナスコトのアヤ


ヒのナメは ツサにいなさの
ハツヒより フウおやわせて
オケラたき ワカメミツくみ
しとぎもち まがりかやくり
うなところ かくいもかしら
  ミカサフミナメコトのアヤ


春のハツヒ(元旦)を祝います。
ワカメ(若女)が初水を汲み、オケラ(薬草)を焚いて、シトギモチを作ります。
天地自然に感謝を込めて(アワのウヤマヒ)、
お供えは、フトマガリ(勾玉形の餅)、山・海の幸、カク(橘)、ヰモカシラ(里芋)。


◎元旦【ムツキ元旦】の「民間行事」
※『宇治山田市史』宇治山田市役所編の年中行事より、

鶏鳴を聞いて井水を汲み、手水を遣い口を洗い清むる。
之を「若水」ということは当地に限った事では無いが、
殊更に厳粛にこの行事を重んずる点は、当地の長所といってよい。
荒木田守武長官の有名な発句「元旦や神代の事もおもはるゝ」とある句、
この風俗あって初めて其の真義が表れるものである。




「ムツキハツヒ」元日は、アマテルカミ「ご誕生の日」です。
ホツマツタヱ四アヤ《ヒのカミのミヅミナのアヤ》よりご紹介します。

フソヒスズ モモフソヰえた   
としキシヱ はつひほのほの   
いつるとき ともにあれます   
みかたちの まとかのたまご   
いぶかしや ウヲヤヲキナの   
ヤマズミが ことほぎうたふ   


マサカキ暦21スゝ、125枝、キシヱ(31年目)の元旦。
初日の出がほのほのと登り来るとともに、ミコはお生まれになられたのです。
ミカタチのマトカノタマゴ(幸帽児・ヱナ(胞衣)をかぶったままでの出産)、
極めて珍しく尊いお姿です。
ウヲヤヲキナ(後見役)のオオヤマスミは、皇子のご誕生に言祝ぎ謡います。


むへなるや ゆきのよろしも   
みよつきも よよのさいわい   
ひらけりと           
おほよすがらに         
ことぶくも ミたびにおよふ 


と、朗らかに声高く言祝ぎます。
その声は、三度、富士山の麓に響き渡ります。


ゆきよろし ひとのとわしの   
こたゑにも トヨケのカミの   
をしゑあり さわるイソラの   
みそぎにて ヱナのかこみは   
おのころの たまことならは   
ゆきよろし
           

「ゆきよろし」とは、どういう意味でしょうか?
祝賀に集う人々からの問いかけに、オオヤマスミは謹んで言葉を続けました。
トヨケカミが、皇子の誕生を希う祈願の八千回のミソキの間に、
だんだんと解ってきたことと、お教え下さいました。

誕生の安寧を祈っていましたら、そこに、
「災いの障りを及ぼしてくるかもしれないモノ」があることに気が付きました。
それは、良くない思い、羨み、妬み、怨みの心の攻撃的な思いなどです。
これを「イソラ」と言います。
「ヱナ」は、それらを防いで健やかな育成ができるようにしてくれます。
※ヱナ(胞衣)ヱ:アモトからタマが降され来る。ナ:和やかに包まれた音韻の意。
ヱナがタマを包み守る成り立ちは、
より良きように整い纏まる「オノコロ」の言葉のとおりです。

「ゆききのみち」という言葉があります。
「ゆき」とは、大宇宙の中心アモトに「タマ」が戻ること。
「き」とは、アモトから「タマ」がこの世に降され来ることです。

春の正月元旦の初日とともにお生まれになられた美しい皇子、、
きっと前世がとてもおよろしかったのでしょう。
とオオヤマスミはお感じになられたのでした。


シラヤマヒメは         
うぶゆなす アカヒコくわに   
ひくいとお ナツメがをりて   
うぶきぬの みはたてまつる
   

シラヤマヒメ(イサナギの姉)が産湯を用意し、産着は絹糸名人アカヒコと
機織名人ナツメにより柔らかな絹布の衣に仕立て献上されたものです。
※赤日子神社(延喜式記載・愛知県蒲郡市)
伊勢神宮への絹糸奉納が令義解(西暦833年)に記されています。


みめぐみや アメにたなびく   
しらくもの かかるヤみねの   
ふるあられ ヒスミにこたま   
このみづお ぬのもてつくる   
ヤとよはた ヤすみにたてて   
キミとなる クラヰのやまの   
イチヰさく よにながらゑて   
さくもつは かみのほずゑぞ

   
皇子誕生の瑞祥は、富士山にも現れ、山頂に白雲が棚引きかかり、
富士の八峰に、またヒスミ(ヒタカミ)にも霰が降り注ぎました。
このミツ(瑞祥)の表しを、八枚の絹布の旗で作りました。
ヤトヨハタと呼ばれ、アマカミご即位の際に、八隅に立てるのが恒例です。
位山のイチヰのサクは最上級です。
長命を得て、このサクを持つことができるようになる人は、
クニトコタチの教えを身に付けた人と申せましょう。<抜粋>


参考文献・参照資料
◎ヲシテ文献の世界へようこそ:日本ヲシテ研究所「ヲシテ文献・大意」
◎ホツマ辞典:池田満著・展望社 
◎よみがえる日本語:青木純雄・平岡憲人著・明治書院
◎よみがえる日本語Ⅱ:青木純雄・斯波克幸著・明治書院 
※ヲシテフォントの商標権、意匠権は、日本ヲシテ研究所にあります。





『縄文カレンダー◇2024』
A4判カラー・竹紙20頁
一冊1500円でお分けしています。※立春より送料込。
ご希望の方は、
送り先ご住所・お名前・ご希望冊数を下記メール宛にお知らせください。
✉yoshico1018@yahoo.co.jp
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縄文の節分❄トシワケ・オニヤラヰ

2024-01-31 21:26:00 | ナメコト(行事)
2月3日は節分!
節分といえば、豆と鬼、そして近年では恵方巻も風物詩となりました。
ちなみに、2024年節分の恵方は、東北東(細かくいうと東北東微東)だそうです。

一年の節目、年の変わり目は、、
西暦では元旦を迎える大晦日ですが、
縄文ヲシテの記述では、
新年が「ハルタツヒ」(立春)、初春、迎春
その前日が「トシワケ」(節分)です!
ややこしいですが、元旦は新月のムツキハツヒ(2024.2.10)

縄文カレンダーもそうですが、月の巡り(旧暦)の12カ月は365日ではないからです。
カウントダウンは立春点、2月4日17:27に向けてでしょうか?

さて、縄文の節分・トシワケの行事は、また後ほど





ヲシテ文献『ミカサフミ』タカマナルアヤに
「立春」に関する記述があります!

「タカマ」とは私たちを取り巻く大宇宙のこと。
 縄文哲学恐るべしです!
 ぜひ原文を何度も何度も声に出してイメージしてみてください。


アマメクリ ヒはをゝきくて
ヒトおくれ ミモムソヰたび
ヒトトシの ハルタツヒには
もとにきて ひとたびもとの
ほしにあい つきはおもくて
ソミノリお おくれヒにあふ
ツイタチぞ ほしにソミあふ
アメはヱナ ヒツキヒトみな
アメのエナ そとはタカマノ
ハラまわり



1年365日は、ヒ(太陽)の巡りです。
ハルタツヒにはモトに来て、ひとたび元の星に会い、、
天体観測のその始まりの基準は「ハルタツヒ」(立春)です。

月の12ヵ月では365日に満ちず、
月は重くてソミノリ(13ヵ月)、遅れて「ツイタチ」になります。
トシワケは「ハルタツヒ」の前日です。

アメ(天)は、エナ(コミヤ・子宮)、
太陽も月も人も皆、アメのヱナ、
外はタカマ(大宇宙)のハラ(腹)まわり

太陽系まるごと、タカマ(大宇宙)のハラ(腹)の中、、という概念!



●トシワケ・オニヤラヰ

としわけのよは
まめおいり みなおにやらふ
かおひらき しめひきふさき
もののかき ほながゆつりは
はゑゆつは むぎにとしこへ
 ミカサフミナメコトのアヤ



「トシワケ」の夜は「オニヤラヰ」

オニとは、凝り固まった思いや憎しみ、嫉妬心などの事。
オニヤラヰとは、悪い芽が出ぬように豆を炒り、
マ(魔・悪心・障り)のメ(芽)を断つ行事です。




天地自然の安寧を祈願し、「トシノリカミ」「ヤマサカミ」をお祭りします。
カ(西)をヒラキ(柊)とヰワシ(鰯)で塞ぎます。
ウラジロやユヅリハで〆め飾り、麦を食して年越えのお祭りとします。

ちなみに、アマテルカミ最盛期のイサワノミヤのある志摩や鳥羽では、
現在でも「アラクサ」という行事が残っている地域があり、大晦日に豆まきをします。
豆炒りの時に先を削った木にイワシを刺して、パチパチと火であぶり、
その音と臭気で邪気を払うとされ、魔除けとして玄関にさしておくそうです。


◎トシノリカミ
初代クニトコタチの時代、
「キ・ツ・ヲ・サ・ネ」(東西中央南北方位、季節の守り)と
「ア・ミ・ヤ・シ・ナ・ウ」(食べ物・イノチ(生命)の守り・アメのもたらしと地上の育み)の
ソヒ(十一)カミを祭り、「トシノリカミ」としました。
東西南北中央、、中央にミハシラをイメージして、
宇宙からのもたらしと大地の育み、
とは、「ピラミッド」?!
わたしたちはみんな、その守りの内にある、、。ということですね。


◎ヤマサカミ
七代イサナギ・イサナミの時代(大きく事が整えられてきた時代)、
コヨミを守る役目を担ってもらうため、「ヤマサ」の八カミを添えて祭ることにしました。
自然神の八つの働きを祭ります。

ウツロヰ(大気)
シナトヘ(風)
カクツチ(火)
ミツハメ(水)
ハニヤス(土)
・自然界のヲヲトシカミ(穀物を成らせる)
スヘヤマスミ(木々が雨から土を守る)
タツタヒメ(火災からの守り)

トシワケには、天地自然の安寧を祈念する!



トシノリカミ・ヤマサカミについて、
ホツマツタヱ《22アヤ・オキツヒコ・ヒミツノハラヒ》より
抜粋で祭祀のノト(祝詞)をご紹介しています。
祓いの祝詞です。
ハライノリト
https://blog.goo.ne.jp/ten380445/e/c3d9cb93ad8386a554ae10731a58b8da


参考文献・参照資料
◎ヲシテ文献の世界へようこそ:日本ヲシテ研究所「ヲシテ文献・大意」
◎ホツマ辞典:池田満著・展望社 
◎よみがえる日本語:青木純雄・平岡憲人著・明治書院
◎よみがえる日本語Ⅱ:青木純雄・斯波克幸著・明治書院 
※ヲシテフォントの商標権、意匠権は、日本ヲシテ研究所にあります。





『縄文カレンダー』2024年度版 A4判カラー・竹紙20頁の冊子形。
一冊1500円でお分けしています。※立春より送料込。
ご希望の方は、送り先のご住所、お名前、冊数を下記までメールにてお知らせください。

冨山喜子
【メール】yoshico1018@yahoo.co.jp




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