沖縄が復帰40年になりました。当時私はここにいてTVで式典の様子を見ていました。屋良主席の苦渋の表情が印象に残っています。その年に私は無事長女を出産しました。この年生まれの子どものことを沖縄では「ふっきっ子」と言います。母の新しいヘルパーさんもおつれあいも「ふっきっ子」です。立派な大人です。
平和を願って復帰したはずが40年たっても軍事基地はかわらないとは一人アメリカのせいばかりではないでしょう。
当時小学6年生だったという作家の目取真俊さんのブログ「海鳴りの島から」に、「復帰の日、教室で記念メダルが配られたあと、教師の話を聞いて、クラス全員でメダルを返した」とありました。
ツイッター情報では、全国紙の記者の話では「危険危険」という安保村と、「安全安全」という原子力村の住人は同じ人たちとのことです。マスゴミといわれないようにちゃんと報道してほしいものですね。
せめてよかったことといえば、信頼できる人がだれかを自分で知ることくらいでしょうか。
写真は沖縄の氷少な目ぜんざいと塩せんべいです。最近はあまり食べませんが、空港に着くと食べたくなり、見つかったらうるさい人たちに見つかったりしました。
平和を願って復帰したはずが40年たっても軍事基地はかわらないとは一人アメリカのせいばかりではないでしょう。
当時小学6年生だったという作家の目取真俊さんのブログ「海鳴りの島から」に、「復帰の日、教室で記念メダルが配られたあと、教師の話を聞いて、クラス全員でメダルを返した」とありました。
ツイッター情報では、全国紙の記者の話では「危険危険」という安保村と、「安全安全」という原子力村の住人は同じ人たちとのことです。マスゴミといわれないようにちゃんと報道してほしいものですね。
せめてよかったことといえば、信頼できる人がだれかを自分で知ることくらいでしょうか。
写真は沖縄の氷少な目ぜんざいと塩せんべいです。最近はあまり食べませんが、空港に着くと食べたくなり、見つかったらうるさい人たちに見つかったりしました。