> <不等記号を発明したトマス・ハリオット
オックスフォード大学出身の数学者・天文学者トマス・ハリオット(Thomas Harriot 1560頃-1621)は
鼻に生じたがんにより1621年に死亡した。
彼は、新大陸からタバコを持ち帰り、喫煙は身体に良いと考えてその後ずっとパイプを離さなかった。
喫煙によるがんの犠牲者第1号かもしれないと言われている。
タバコ喫煙の普及を促進した積極的な援護者としても知られる
新大陸開拓者ローリー卿
映画『エリザベス ゴールド・エイジ』に登場するエリザベス女王の愛人
ローリー卿(Walter Raleigh, 1554年-1618年)は、新大陸でのイギリスの
最初の植民地を築いたことで知られる。
後進国イギリスが新大陸に進出するには、海賊行為だけではダメで、
植民地開拓が重要と考えていた。この当時としては先進的な思考の持ち主だ。
トマス・ハリオットとの出会いは、支配下にある海賊達の頭と航海術を高めるために、
天体観測・数学を教育する必要がありオックスフォード大学出身の数学者を採用した。
これが、ハリオットであり、ローリー卿がホワイトホール宮殿で斬首刑になるまで
二人は終世のパートナーであった。
それにしても、何かをなして長生きするということは、至難な業であることは間違いない。
「まったく何もしないよりも、何にも値しないことをするほうがいい」とは、ハリオットの言葉だが、
メモ以外何も残さなかった天才ハリオットだから言えることだろう。
ローリー卿の新大陸植民事業とハリオットの博物誌
ローリー卿は、出資者を集め1585年にアメリカ大陸ロアノーク島入植事業を開始したが、女王からは彼の出港の許可が出ず、
代わりにミッションを持って行ったのが盟友ハリオットだ。
そのミッションとは、処女女王にちなんでヴァージニアと名づけられた
新大陸の住民・植物相・動物相に関して詳細な記録を取り、
新大陸への出資者・入植者を集めるための宣伝パンフレットをつくる目的を持っていった。
ハリオットは、1586年ロアノーク島でキャプテン・ドレイクの船隊に救助され翌年イギリスに帰還し、
1588年の3月に新大陸ヴァージニアを紹介する四つ折のパンフレットを発行した。
簡潔な文章で記述された新大陸の博物誌であり、彼がお気に入りの“タバコ”に関しては
「原住民が他の作物と切り離して栽培する草にアッポウォックと呼ばれるものがある。
これは西インディーズでは栽培地域により呼称がいろいろと異なる。
スペイン人はこれをタバコと称している。」
こんな紹介がされている。
新大陸アメリカの博物学書が誕生した。
これは今日、ぺーバーバックとして廉価で入手することができる。
太陽の黒点の発見者ハリオットは、科学的な観察眼を持った博物学者としても一流であることがわかる。
A Briefe and True Report of the New Found Land of Virginia (Rosenwald Collection Reprint Series) (ペーパーバック)
ロアノーク島の謎
1587年、第二次ロアノーク島入植事業がはじまり、女性や子供を含む107人が再びロアノーク島に上陸した。
イギリスとスペイン「無敵艦隊」との大海戦が始まったため、ロアノーク島への物資補給船の出発が大幅に遅れてしまい、
ようやく1590年に救助隊が到着した時、ロアノーク植民地は文字どおり空っぽになっていた。
インディオ、海賊などに殺された或いは奴隷として拉致されたなどの憶測はあるが、
ローリー卿の入植事業は失敗と終わった。
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