鉄道模型のある生活ブログ

鉄道模型にかぎらす、なんでも書いてしまいます。

無我の境地

2025年03月13日 | 雑談

無我の境地になりたい。

さほど大した意味ではなくて、寝ていて朝方トイレに立った後、まだ1〜2時間は寝られるはずなのに寝付けない。

頭の中で色々の事が浮かんでは消え、それが段々増えてきて寝られないのだ、そして寝不足のまま朝を迎える。

だから、そう言う時に何も考えずに無我の境地になれれば寝られて気持ちの良い朝を迎えられると思うのだ。 

 

先日テレビで無我の境地になれる人をやっていました。

花を見ていると無我の境地になれるとか、盆栽をやっていて無我の境地になれるとかだ。

 

石清水八幡宮の湯立て行事である。 多分この方は無我の境地に入り込んで、熱湯を撒いているのだろう。

 

寝付けない時に、寝る方法は、羊が何匹と数える方法がある。 羊が1匹、2匹とかいうやつだ。数えているうちに寝ちゃうそうな。

自分の足の裏を考える人がいる、足のウラーと考えているうちに寝てしまうとか。

他には米軍の兵隊が寝る時に、顔の筋肉を緩める。 寝られない時には何か考えたりしていて、顔の筋肉が緊張しているので力を抜いて顔を緩める。 次に頭の筋肉を緩める、そして首の筋肉も力を抜くなど、段々全身の力を抜く方法だ。 体の力を抜くことだけを考える。

 

さて、寝られない時には何を考えているのだろうか、ほとんどが過去のことである。こんな事があった失敗してしまったとか、ぐちぐち過去のことを思い出している、思い出すたびに頭が冴えてくる。

一方、未来のことを考えることもあり、こんなことをしたい、あんなこともしたい、などなど考えるとウキウキまではゆかなくてもやはり頭が働く。

実はこうやって頭を働かしていると、ついには疲れて寝てしまうのだけれど、それまでに時間がかかる。

頭を働かさずに、即寝たい! だから無我の境地に落ち込めればと思うのだけれど。

 

何も考えないと言うことは難しい、難しすぎてできない、

 

でもって、私は悟ったね、 無我の境地とは、過去や未来のことを考えてはダメなのだ。 現在、今起こっていることを考えるのだ。

過去、未来の様な広く広がる世界を考えずに、今そのものを考える。 花を見ていたら花そのものだけを、足の裏を考えて今どんな状態かだけを考える、体の筋肉の緊張を緩めることだけに没頭できる、などなど、今そのものだけを考える様にすれば、それが無我の境地だ。

湯立ての熱湯を撒くのも、他のことを考えていてはできないし危険だ。だからそのことだけに集中して無我の境地で行っているのだろう。

今現在で、かつ目の前のことだけを考える世界に落ち込むのが、無我の世界だと、でもね、それって難しい。すぐに他の事を考えてしまうんです。 煩悩の成せる技ですね。

まあ、私の場合、朝方トイレに行った後、このブログに何を書こうか考えてしまうので、頭が冴えてしまうのですけれども、ブログが悪い!!

 

方丈記を書いた鴨長明。 その方丈(1坪ぐらいの狭い場所)があった跡です。

 

山の裾野のこんな狭い場所に小さな庵を作って、「行く川の流れは絶えずして、、」とか無我の境地に陥って書いていたんだろうか?

 

取り止めもないお話でした。

 

 


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