お母ちゃんの実家の住所は、チェンライ県パーン郡サーイカーオ町だ。
正しく、震源地のど真ん中、この真下7キロが震源地だと言う。
どうりで揺れたわけだ。
チェンライ始まって以来の?大地震が起こる3時間前に
わざわざチェンマイから来た我ら親子。
まるで、最大級の地震を我が体で体験しにきたかのようだった。
ニュースクリップに載っていたこのホテル、パーンの町で一番大きな4階建ての
ホテルだ。 お父ちゃんも何回か泊まった事もあるが被害は大きかったようだ。
地震直後、数十分おきに余震がくるので怖くて家に近寄れず
道路に座り込み地震の恐怖を話し合っている。
この時点で、情報はまったくなし、震源地が何処で、どのくらいの
被害があるのかもわからない。
まもなくして停電となり、テレビからの情報も届かない。
ただ、皆さん携帯電話やネットが使える道具?をお持ちなので
それを使用して現状を理解しようとしている。
聞けばチェンマイも被害を受けているとの情報もあり
急いでおとうちゃんの住んでいるコンドーの友人に電話してみた。
なにしろ、震源地や被災場所が何処なのかわからない、ひょっとして
チェンマイが震源地か?なんて心配したが、同じコンドーに住んでいる
友人の「大丈夫です」と言う答えに安心した。
まだ、津波などの心配がない北タイなので少しは安心していたが
情報が入らないのはやはり心細い。
日本のような情報網は発達していないため、直接あちこちに住む
友人との会話だけが頼りである。
お父ちゃんの友人がチェンライ市内のコンドミニアムに住んでいる
ので電話で状況を聞いてみると
チェンライ市内も揺れたようだ、そして、彼の情報では
チェンライ県の南部が震源地らしいとの情報を得た。
これらの情報を総合して、震源地はどうやらパーン郡らしいと
想像した。 これらの情報がはっきりしたのは翌日のテレビ報道で
わかったことだった。
そんなことを村人同士話し合っている最中でも余震は続く。
余震の中にはかなり規模のでかいのもあった。
地震によるさらなる被害がないように車を外に出した。
当初、この先の屋根の下の駐車場に入れておいたが、屋根が崩れると
いけないので、お父ちゃんは車を移動。
さらに、門が開かなくなるといけないので、開けることにした。
強い余震が続く中、実家の前の中庭に親類一同が集まる。
この状況は、村の中でも同じで、各親戚同士が肩を寄せ合い集まった。
こんな時、親戚の結束力は非常に固い。
何が起きても助け合おうとの意思がはっきりわかる。
先ほどムーガタを食べた子供たちだが、地震騒ぎでまた腹が減った。
息子も一緒になって食べること食べること、食欲旺盛だ。
家の中には入れないので玄関先で飯を食う。
何処の家でもこんな感じであった。
その内、息子は飽きだし猫と遊び始めた。
何回目かの余震を恐々体験しているうちに夜になった。
何処の家でも、車庫から車を出している。
タイで車は高級品ですからね!
夜になるとやることもなく、寝ることも出来ずに、男衆は飲み始める。
といっても、地震が怖いのでちょこっと飲む程度ですが。
伝統的タイ木造家屋は強い、壊れない、コンクリートではいので
壁にひびも入らない。 と言うわけでこの下で飲む。
お父ちゃんも少しだけ飲む。
そうして夜の10時
玄関先に敷いたゴザの上に布団を敷いて、みんなで雑魚寝。
老いも若木も、男も女も、皆親戚 ペチャクチャ話をしながら
いつのまにやら夢の中へ・・・・・・。
しかし・・・・大きな余震が朝まで続く。
その度に皆さん大声を出して庭の真ん中に集まり非難。
こんな状況が、あちこちの村の中で行われていました。
北タイ地震1日目終了。
今日はここまで・・・・・。
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