新聞の訃報欄に、思いがけない人の名を見つけて、驚くことは多い。「え、あの人が亡くなったのか! あの人も・・・」
そして、己の馬齢を顧みる。
☆☆☆波瀬満子(はせみつこ)本名・白波瀬智子さん。4月19日急性腎不全のため死去・・・劇団四季を経て、谷川俊太郎さんらと「ことばあそびの会」を設立。NHKの・・・☆☆☆
波瀬さんに初めて会ったのは、代官山の小部屋での“会話会”だった。ゲストスピーカーとして参加していただいた。胸に大きな星の縫い取りをしたセーターを着て、大きな瞳をくるくる回しながら話し始める。
・・・神奈川の受賞身障児の施設で、子供を前に、「あ」という言葉だけで、対話をしたいと申し出た。施設長は笑って言った。
「そりゃダメですよ。ココの子はね。話に集中して聞けるのは、せいぜい20秒ですから・・・」
波瀬さんは、絨毯の上に思い思いの姿勢で転がっている子供たちの中に立った。そして、さまざまな 「あ」という音を出し続けた。
「あ あっ あああ あああああ あーあーあああ・・・」
波瀬さんの表現力は無限に広がる。「あ」の音が打ち寄せる波の如く、川のせせらぎの如く、雲の行くなすが如くに続いた。「あ」の山道だ。「あ」の津波だ。
子どもたちの表情が、次第に解けてゆく・・・
やがて、子ども達は不自由な体をずらしながら、波瀬さんを囲んだ・・・中には涙を流して反応する子供もでてきた・・・
もっとも驚いたのは施設長だった。
そして一時間半、「あ」の音はようやく止まった。
感動の渦が巻き起こった・・・
聞き入っていた“会話会”の参加者の目には、涙が溢れていた。
「人間の肉声の持つ表現力の地平」を誰もが感じていた。
その波瀬さんに、私は頼んだ。
「今、三省堂から“中学生向けの教材作成を頼まれている”力を貸してくれませんか」
彼女は、全面的に、協力してくださった。
「あっ あっ あーあ あ・あ・あ・ああーーーあっあああ・・・」
久しぶりに、教材のCDのホコリを払って耳を傾けた。
NHKの「あいうえお」の「オコソトノ姫」のイメージも浮かんでくる。
もっと生きていて頂きたかった人だった。純粋に、日本語の音を楽しみ、味わうことを、実践し、教えてくれた人だった。
「あ ああ ああああああ」
素敵な人は、なぜ皆、逝ってしまうのか。
大きい目を、倍の大きさに拡げて、波瀬さんは逝かれたのだろうか。
「嗚呼」