最初に聞きたいのですが、日本語の「まじめ」は中国語の「认真」と同じでしょうか。
すくなくとも日本語の「言われたことをそのまま実行する=まじめ」は、物事の本質を見抜くためには役に立たないそうです。
また、「無駄・余裕・笑い」のない職場では、新しいアイデア・改善策が生まれることもありませんし、生産物の質を高めることもできません。そんなことをしているより、一つでも多く作ったほうがお金が増えるからです。
そして、人が受けるストレスの中で、「時間に追われる」ことによるストレスは、とても大きいのだそうです。
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私は、自分の授業は「アイデア勝負」だと思っています。
相手の人数・レベル・趣味・目的・性格・学習場所の環境・時間などの条件を元に、
その授業の最終目的地と、そこにたどり着くまでのストーリーを考えます。
それは、「○時間考えれば浮かんでくる」というものではありません。
あるときは30分も経たずに授業のストーリーが浮かんできますが、あるときには数日かけても「これだ!」というものが浮かんでこなかったりします。
そういうときには、仕方がありません。
買い物をしていても、ご飯を作っていても、頭の中は授業のことを考え続けています。
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ある人は、このような仕事の仕方を「まじめ・責任感がある」と言うかも知れませんし、私も(そうなのかな)と思っていました。
でも、「無駄がアイデアを生み出す」という心理実験の結果を知って、ようやく自分がしている意味が分かりました。
私は、「○時から○時まで」というように、時間で仕事を決められるのが大嫌いだったのです。
時間で労働を区切る、それは、自分がどんなものを生産しているのか、ということとは全く関係のないことだと、私は感じていたのだと思います。
そして、自分の働き方やエネルギーの使い方を時間に決められることが、どれぐらいのストレスになるのか、ということも感じていたのだと思います。
職人や研究者は、自分が納得するかどうかが仕事の基準ですし、それは時間で決められるものでありません。
また、私はときどき(いつも?)、ボーとしたり、フラフラ出歩いたりしていますが、それは、「頭の中に少し空間をつくっておくことが、新しいアイデアにつながる」(脳科学者)ということを、無意識に感じていたからだと思います。
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「先生はいつまでも子供みたい」と言われることもありますが、もし、時間に追われることに抵抗を感じなくなることが、大人になるということでしたら、私はたぶん、大人にはなれないでしょう。
自分の仕事を時間で区切られたり、無駄を省こうとして、新しいアイデアが浮かんでくるのを待つ時間がなくなったりするぐらいだったら、「子供みたい」「もっとまじめに仕事しなさい」と言われるほうがましだと思います。
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「先生の授業は遊びが多くて、効率が悪いと思う」と言われることもありますが、(ロボットみたいに語彙や文法を暗記するだけだったら、自分ひとりでやればいいのに)って思っていたりします。
(その日にやるべきことが終わったら、残りの時間は遊んだっていいんじゃないか)と思っていましたが、今は違います。
「その日にやるべきことが終わったら、残りの時間は遊んだり、無駄話をしたり、ボーっとしたり、散歩をしたりしなければいけない」のです。
時間で労働や勉強を区切ることに慣れると、次は時間に追われる生活をすることになります。
一切の無駄を省こうとすると、新しいアイデアや仕事・勉強の楽しさも失います。
だから、先生や上司に言われたことだけを実行するという「まじめなだけ」では、仕事も勉強も生活も、楽しくないだろうなと思うのです。
すくなくとも日本語の「言われたことをそのまま実行する=まじめ」は、物事の本質を見抜くためには役に立たないそうです。
また、「無駄・余裕・笑い」のない職場では、新しいアイデア・改善策が生まれることもありませんし、生産物の質を高めることもできません。そんなことをしているより、一つでも多く作ったほうがお金が増えるからです。
そして、人が受けるストレスの中で、「時間に追われる」ことによるストレスは、とても大きいのだそうです。
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私は、自分の授業は「アイデア勝負」だと思っています。
相手の人数・レベル・趣味・目的・性格・学習場所の環境・時間などの条件を元に、
その授業の最終目的地と、そこにたどり着くまでのストーリーを考えます。
それは、「○時間考えれば浮かんでくる」というものではありません。
あるときは30分も経たずに授業のストーリーが浮かんできますが、あるときには数日かけても「これだ!」というものが浮かんでこなかったりします。
そういうときには、仕方がありません。
買い物をしていても、ご飯を作っていても、頭の中は授業のことを考え続けています。
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ある人は、このような仕事の仕方を「まじめ・責任感がある」と言うかも知れませんし、私も(そうなのかな)と思っていました。
でも、「無駄がアイデアを生み出す」という心理実験の結果を知って、ようやく自分がしている意味が分かりました。
私は、「○時から○時まで」というように、時間で仕事を決められるのが大嫌いだったのです。
時間で労働を区切る、それは、自分がどんなものを生産しているのか、ということとは全く関係のないことだと、私は感じていたのだと思います。
そして、自分の働き方やエネルギーの使い方を時間に決められることが、どれぐらいのストレスになるのか、ということも感じていたのだと思います。
職人や研究者は、自分が納得するかどうかが仕事の基準ですし、それは時間で決められるものでありません。
また、私はときどき(いつも?)、ボーとしたり、フラフラ出歩いたりしていますが、それは、「頭の中に少し空間をつくっておくことが、新しいアイデアにつながる」(脳科学者)ということを、無意識に感じていたからだと思います。
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「先生はいつまでも子供みたい」と言われることもありますが、もし、時間に追われることに抵抗を感じなくなることが、大人になるということでしたら、私はたぶん、大人にはなれないでしょう。
自分の仕事を時間で区切られたり、無駄を省こうとして、新しいアイデアが浮かんでくるのを待つ時間がなくなったりするぐらいだったら、「子供みたい」「もっとまじめに仕事しなさい」と言われるほうがましだと思います。
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「先生の授業は遊びが多くて、効率が悪いと思う」と言われることもありますが、(ロボットみたいに語彙や文法を暗記するだけだったら、自分ひとりでやればいいのに)って思っていたりします。
(その日にやるべきことが終わったら、残りの時間は遊んだっていいんじゃないか)と思っていましたが、今は違います。
「その日にやるべきことが終わったら、残りの時間は遊んだり、無駄話をしたり、ボーっとしたり、散歩をしたりしなければいけない」のです。
時間で労働や勉強を区切ることに慣れると、次は時間に追われる生活をすることになります。
一切の無駄を省こうとすると、新しいアイデアや仕事・勉強の楽しさも失います。
だから、先生や上司に言われたことだけを実行するという「まじめなだけ」では、仕事も勉強も生活も、楽しくないだろうなと思うのです。