天津ドーナツ

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音のイメージ 5 「あ」その三「音のバックボーン」…もとNHKアナウンサー塚越恒爾さんのブログから

2012-09-08 09:59:54 | ドーナツの宝
物集高見は、
・「あいうえおは、嘆くと驚くとによぶ音(コエ)にて、広く大きなるものをいふにかなふ」と言う。



「アアー」と歎き、「アッ」と驚く。「ウッ」と詰まり、「エエッ」と慌て、「オッとドッコイと」踏みとどまる。
しかし、ここには、「イ音」はあまり顔を出さない。
陰に回って「イイイイッ」と悔しがったりはするけれど、母音の中で、「イ」は異質の感がある。(これは「イ」の項で・・・)

物集さんの母音の仕分けのポイントは、文の後半、「〜広く大きなるものをいふにかなふ」にあると私は考える。
「広く大きなるもの」とは、母音の原理に叶っている。

母音とは、声帯で出す連続の韻(イン)であり、鐘の音が殷殷(インイン)と響くが如く、肉声を聞き手の耳に柔らかく届ける。
それに対して、子音とは口腔内で発する摩擦、軋み、破裂、あるいは、突破する音であり、いずれも瞬間の音だ。
だから、子音が強い肉声は、激しさや、苛立ちを伝え安いが、慈しみや、優しさを伝えるのには不向きだ。
本質的に、母音は「楽音」であり、「子音」は「刺激音」だと思えばよい。

古来、中国の音の分類によれば、母音は喉の音、喉音(コウオン)となる。西欧の言語分類でも、母音は“vowel”であり、子音は“consonants”と分けられている。(詳しく言えば、分類にいささか違いはあるが・・・)

・幸田露伴は、音幻論のなかで、「これら(アイウエオ)は、喉を大きく開き、明け放して出てくる音である」と述べた上で、現代は、その「喉の力が弱くなっている」と嘆いている。 
露伴の時代でさえも、日本語の音は、かなり衰退していたらしい。

現代に至っては、衰退どころではない。
今の若者の「早口傾向」の大半は、母音の弱さに起因している。キッチリと発音すべき母音を軽視する。母音をすっ飛ばす。この傾向は、都会育ちほど顕著で、日本語の美しさを失わせている。
露伴は言う。
就中「ア音のもつ意」は「発生の意」であると。そう、「あ」は韻の代表選手だ。

五つの母音の中でも「ウ→オ→ア」の三つの音は、特別大切だと、私も考える。
自然音に近い“ウ”から、順次アゴを開いて行くと、美しく響く“オ”を経て、解放音の“ア”に到達する。口腔の形をあえて変えずとも、アゴを開いて行くだけで「ウ→オ→ア」の響きを得る。
そして、この三つの韻こそが、日本語の音のバックボーンなのだ。

ああ、それなのに・・・アゴを動かさない日本人の何と多いことよ。
ことに、いまの若い人は、アゴを絶望的に動かそうとしない。
口先だけを、小器用に動かして、「ピヨピヨ、フチョフチョ、クニャクニャ、モゴモゴ・・・」と、絶え間なく“くっちゃべる”。小鳥のサエズリのごとく、小うるさいだけだ。
そこには、相手に思いを届けようなどとの意識は、ミジンも感じられない。口の中でツブヤキさえすれば、気が済むのだろうか。アゴどころか、舌の先と唇の端をわずかに動かすだけなのだ。
“ことば”というものは、“思い”を、“音韻”に乗せて、“聞き手”に届けるものじゃあないのか。
最早、音のバックボーンは失われ、日本語の音は消滅寸前だ。
我らは危機を訴えるが、文科省も学校も教師も、日本語の音韻など、教えているヒマはないというのだ。
「ああ アア 嗚呼!」