空は曇っていて風は寒かったんですが、散策しに出掛けたくなり外出。
以前購入した冊子、横浜市教育委員会編集・発行の「横浜市の古道」の中から相州道を選択。
冊子は閉じた状態でB4サイズで持ち歩くには邪魔になるので、関連したページをスキャンしてページを合成してPDF化。
PDF化したコース図をiPadに転送して地図の準備は完了。
保土ヶ谷区の岩間町付近から厚木に至る道なんですが、岩間町周辺は旧東海道やかなさわ・かまくら道、八王子往環道を散策した際に歩いていたのでスタート地点としてはパス。
スタート地点をどこにするか、地図を見て考えましたが、西谷浄水場からの道を歩いていないので西谷浄水場に近い相鉄上星川駅からスタート。
ゴールは三ツ境駅か瀬谷駅。気分次第で出発。
スタートの上星川駅です。
散策案内図で大まかな場所と途中の目印を確認。
駅のロータリから橋を渡ってすぐの信号機のある交差点の脇には蔵王高根神社。
馬頭観音、庚申塔、角塔(指差し)があります。
神社境内の桜はまだのようです。
水道坂と呼ばれる坂を上り、水道関連施設をチェック。
地図を見ると古道は西谷浄水場の中を通っていたようですが、施設内で一般人は通行不可ですので外周をまわって先の道へ。
西谷浄水場のグランドと体育館はいつの間にやら「YOKOHAMA FC LEOCトレーニングセンター」といういものに変わっていたようです。
ここで練習しているんでしょうかね?
「横浜の古道」を作成した当時の地図が古いのか、環状2号線が記載されておらずどうなる事かと思いましたが、地元の人の便宜を図ってちょっと迂回してましたが、道はあり環状2号線の下をくぐって先へ。
保土ヶ谷高校の外周の道を右へまわり住宅街の古道へ。
寄り道になるのですが、市沢の交番横の三角地に馬頭観音(弘明寺道)道標、庚申塔、猿田彦碑、二十六夜塔があると記述されていたので寄って撮影。
資料によると馬頭観音塔は慶応元年で庚申塔は天保二年だそうです。
長い間、風雨に晒されてきたのでかなり、角とか表面ははがれ落ちそうなほど劣化しています。
三反田からは2月に旭区散策の際に歩いた二俣川までのコースと同じです。
二俣川駅前まで歩き、普段車で走行する時に使う厚木街道から斜め右奥の道(分れ道には交番があり道路脇には旧厚木街道の標識があります。)を進みしばらくすると自転車駐車場の建屋の右手を登る道があるので右に進みます。
道の流れからすると左手の道に進みたいところですが、古道とされている道は右手の登り坂。
道に入ってすぐの左手の小さな公園と道の間の登った先には小さな神社。
石段を登った先に小さな鳥居と社だけがあります。
しばらくは道なりにただ歩くのみ。地図では農地であったり民家はないように描かれているところに現在は民家が建ち並んでいます。
また、歩いている内に改めて気付いたのですが、道の左右を見るといくつかの箇所で歩いている場所から下り坂。
つまり尾根道を歩いている事に気付かされます。古道の変遷はあるのでしょうが、尾根道=古道ですかね。
途中、いくつかの分れ道でどちらへ進むか悩むところもありましたが、携帯のGPSで現在地を確認しながら道を選択して無事三ツ境駅まで到着。
時間的にも昼時だったので食べ物屋さんを捜して商店街をしばらくうろつきました。
途中、見つけたのが「白姫神社」という神社を見掛けたので撮影。養蚕業は盛んだった時期、明治42年(1909年)11月に阿久和養蚕組合が伊勢神宮、外宮の「衣の神」を奉戴し、そのご神体を蚕の神としたそうです。
その後、養蚕業の衰退により阿久和町から三ツ境の現在地に遷座したということです。
本日のコースを地図にトレースしてみると判るのですが、昔の人が歩いて移動するために使われた道ですので安全に歩ける最短コースになっていますね。
ルートの詳細確認は GoogleMap ルートラボで!
以前購入した冊子、横浜市教育委員会編集・発行の「横浜市の古道」の中から相州道を選択。
冊子は閉じた状態でB4サイズで持ち歩くには邪魔になるので、関連したページをスキャンしてページを合成してPDF化。
PDF化したコース図をiPadに転送して地図の準備は完了。
保土ヶ谷区の岩間町付近から厚木に至る道なんですが、岩間町周辺は旧東海道やかなさわ・かまくら道、八王子往環道を散策した際に歩いていたのでスタート地点としてはパス。
スタート地点をどこにするか、地図を見て考えましたが、西谷浄水場からの道を歩いていないので西谷浄水場に近い相鉄上星川駅からスタート。
ゴールは三ツ境駅か瀬谷駅。気分次第で出発。
スタートの上星川駅です。
散策案内図で大まかな場所と途中の目印を確認。
駅のロータリから橋を渡ってすぐの信号機のある交差点の脇には蔵王高根神社。
馬頭観音、庚申塔、角塔(指差し)があります。
神社境内の桜はまだのようです。
水道坂と呼ばれる坂を上り、水道関連施設をチェック。
地図を見ると古道は西谷浄水場の中を通っていたようですが、施設内で一般人は通行不可ですので外周をまわって先の道へ。
西谷浄水場のグランドと体育館はいつの間にやら「YOKOHAMA FC LEOCトレーニングセンター」といういものに変わっていたようです。
ここで練習しているんでしょうかね?
「横浜の古道」を作成した当時の地図が古いのか、環状2号線が記載されておらずどうなる事かと思いましたが、地元の人の便宜を図ってちょっと迂回してましたが、道はあり環状2号線の下をくぐって先へ。
保土ヶ谷高校の外周の道を右へまわり住宅街の古道へ。
寄り道になるのですが、市沢の交番横の三角地に馬頭観音(弘明寺道)道標、庚申塔、猿田彦碑、二十六夜塔があると記述されていたので寄って撮影。
資料によると馬頭観音塔は慶応元年で庚申塔は天保二年だそうです。
長い間、風雨に晒されてきたのでかなり、角とか表面ははがれ落ちそうなほど劣化しています。
三反田からは2月に旭区散策の際に歩いた二俣川までのコースと同じです。
二俣川駅前まで歩き、普段車で走行する時に使う厚木街道から斜め右奥の道(分れ道には交番があり道路脇には旧厚木街道の標識があります。)を進みしばらくすると自転車駐車場の建屋の右手を登る道があるので右に進みます。
道の流れからすると左手の道に進みたいところですが、古道とされている道は右手の登り坂。
道に入ってすぐの左手の小さな公園と道の間の登った先には小さな神社。
石段を登った先に小さな鳥居と社だけがあります。
しばらくは道なりにただ歩くのみ。地図では農地であったり民家はないように描かれているところに現在は民家が建ち並んでいます。
また、歩いている内に改めて気付いたのですが、道の左右を見るといくつかの箇所で歩いている場所から下り坂。
つまり尾根道を歩いている事に気付かされます。古道の変遷はあるのでしょうが、尾根道=古道ですかね。
途中、いくつかの分れ道でどちらへ進むか悩むところもありましたが、携帯のGPSで現在地を確認しながら道を選択して無事三ツ境駅まで到着。
時間的にも昼時だったので食べ物屋さんを捜して商店街をしばらくうろつきました。
途中、見つけたのが「白姫神社」という神社を見掛けたので撮影。養蚕業は盛んだった時期、明治42年(1909年)11月に阿久和養蚕組合が伊勢神宮、外宮の「衣の神」を奉戴し、そのご神体を蚕の神としたそうです。
その後、養蚕業の衰退により阿久和町から三ツ境の現在地に遷座したということです。
本日のコースを地図にトレースしてみると判るのですが、昔の人が歩いて移動するために使われた道ですので安全に歩ける最短コースになっていますね。
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