ヒマ人クラブ

NO MUSIC NO LIFE! ジャズ、ロック、フォークが好きです。気ままにやっていきます。

フォークの日 USED2 加川良ウィズすぎの暢を聴く!!!

2022-04-10 | 日本のフォーク・ロック

昨日の夕食後、『USED2』TWINS Record 2004年発売 を聴きました。

2017年4月5日没、加川良御大が亡くなられて5年が過ぎました。

ライブ音源を聴けば、目の前には御大の姿が。

これまでブログにアップしてこなかった御大に頂いたサイン。

2005年5月2日の日付。場所は、足助のかじやさん。

当時組んでいた すぎの暢さんのサインとともに。  

通称かじたさんの先代オーナーも亡くなられました。

御大つながりで、多くの方とかじやさんで出会いました。

高田渡さん、シバさん、斉藤哲夫さん、いとうたかおさん、大塚まさじさん、及川恒平さん、山崎ハコさん、井上利成さん、徳田健さん、東京バンド、阪本正義さん、そして、ありやまじゅんじさん 他それぞれのファンの方々、加川組の皆さん。

春は、楽しい思い出と淋しい思い出があり、感慨に耽りながら聴いていました。

続けて、3回も。

今の時代、YouTubeを検索すれば、御大のお姿を拝見できます。

いつまでも。

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カラオケの持ち歌

2019-03-28 | 日本のフォーク・ロック

グループサウンズ テンプターズのボーカルだったショーケンこと萩原健一さんが亡くなったとSNSで知った。

「エメラルドの伝説」、「神様お願い」はカラオケの定番。

「酒と泪と男と女」は、河島英五よりショーケンで聴いた。

「大阪で生まれた女」もBOROよりショーケンで聴いた。

ショーケンで柳ジョージを知った。

『熱狂雷舞』はテープダビングして繰り返して聴いた。

『DONJUAN LIVE』もテープダビングして繰り返し聞いた。

「ぐでんぐでん」は持ち歌。

『俺とお前は飲んだくれ、いつも同じ店に来て...』をいつも同じ店で歌ってた。

マッチではなく、ショーケンが唄う「愚か者」が好き。

内田裕也氏が亡くなった時、コメントを出していたので、

闘病していたなんて思いもよらなかった。

突然の訃報。

合掌。

 

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四人囃子

2014-01-28 | 日本のフォーク・ロック

手元に1冊の本がある。

2003年3月発行の『ロック画報 11』である。

特集は、四人囃子とクールスR.C.であった。

目次を見てみると、「佐久間正英インタヴュー」の記事がある。

そこで、そのページを見ると

「プロデューサーとしての自分にとって あのバンドでの経験はすごく大きかった 佐久間正英インタヴュー」

とある見出しが目に飛び込んできた。

この本には、付録としてスペシャル・サンプラーCDが付いている。

それは、本の裏表紙に未開封のまま貼り付いている。

本を読む時にできる折り目が入っていない。

ということは、購入してから10年も放ったらかしにしていたのだ。

CDの曲目を見てみると、

アルバム『2002 LIVE』アウト・テイク曲が2曲収録されている。

「泳ぐなネッシー」と「カーニバルがやってくるぞ」である。

これ欲しさに購入したのだと推測される。

苦笑...

ではでは。

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四人囃子 佐久間正英氏逝去

2014-01-20 | 日本のフォーク・ロック

小生の音楽遍歴とも関わるのであるが、「ロックは洋楽」から「ニッポンのロック」に目を向けるようになったのは、1990年代になってからです。

ジョー山中のアルバムは1枚所有していましたが、これは「メイク・アップ」聴きたさ故です。

フラワー・トラべリン・バンドよりはっぴいえんどが好きでした。

英語でロックするなら、本場には勝てない。

日本語のロックは、日本人にしかできない。

’80年代のフュージョン・ブームの中で聴いた「PRISM」で知った森園勝敏。

’90年代後半から2000年代にかけて四人囃子に覚醒。

中身もよく知らないまま、再発アルバムを購入。

高校生の頃、レコード店で見かけた『二十歳の原点』サウンド・トラック・アルバム。

20年以上の時を経て覚醒。

このバンドのベーシストが、佐久間正英氏。

氏が名プロデューサーだったことは、全く知らなかった。

早川義夫と二人で組んだ「Ces Chiens」は、昨年CSの再放送番組で知った。

ご冥福をお祈りいたします。

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年が明けて知った!

2014-01-02 | 日本のフォーク・ロック

大瀧詠一氏、急死の報。

日本のニューロック創生期に、日本語で歌うロック・バンド『はっぴいえんど』のヴォーカル、ギターを担当。

小生は、’71年中津川フォークジャンボリーのライブアルバムに録音された「かくれんぼ」、「12月の雨の日」によって『はっぴいえんど』を知った。

この頃は、ロックと言えば洋楽指向で、上記の2曲と「春よ来い」の3曲はお気に入りであったが、アルバムにはまだ興味がなかった。

その後、岡林信康のバックで録音されたものを聴いたりしていた。

1990年代後半になって、ロックや日本のフォークのライブアルバムを収集するようになって、『はっぴいえんど』のCDアルバムなどを手に入れたが、バンド解散後の各メンバーのソロ活動には関心はなく、ナイアガラ・サウンドにもほとんど興味は持たなかった。

2004年発売の『はっぴいえんどBOX』が最後に手に入れたものとなる。

元旦は、氏の追悼の意を込めて、『はっぴいえんど CITY』と『ライブ!!はっぴいえんど』の2枚のアルバムを聴いた。

ライブアルバムは、伝説の解散コンサートと謳っているが、そのサウンドは小生が求めた『はっぴいえんど』ではなく、すでにスタートしていたソロ活動の延長線上にあるサウンドであった(特に、鈴木茂のギター・ソロ)。

これを、発売当時、FM放送で聴いた時、来るニューミュージックを支えた新しいサウンドを認めつつも、単純には受け入れることはできなかった。

その後、山下達郎やユーミンの音楽によって少しずつ受け入れることとなるのだが。

氏の活躍の大きさは認めつつも、未だ小生自身は『はっぴいえんど』に留まったままである。

’70年代に活躍したミュージシャンが今、60歳代半ばとなってきているが、あるライブで誰かが言っていたことは、「生涯現役で唄えたらいいなぁ」、「ミック・ジャガーも今の歳まで歌い続けるとは思っていなかっただろう」と。

高田渡氏が亡くなって以降、ミュージシャンとファンがお互いに健康で無事を確かめ合う感じで、毎年1回行われるライブを「生存確認ライブ」と小生は位置づけている。

小生も、食後に2種類の錠剤を飲んでいる身。

大瀧氏に、合掌。

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絶頂期の死 受け継がれる歌

2010-02-24 | 日本のフォーク・ロック

NHKの教育テレビで、井上陽水氏を4夜に亘って取り上げた『LIFE』が放送されましたが、今度は高田渡氏です。

第1回放送は見逃してしまいましたが、第2、3回は見逃しませんでした。

今日の24日午前5時35分から25分間、第3回放送の再放送があります。

そして、午後10時25分から第4回の放送があります。

そのテーマが『絶頂期の死 受け継がれる歌』です。

番組名は、『知る楽 こだわり人物伝 孤高のフォークシンガー 高田 渡』です。

参考に、これまでのテーマを挙げておきます。

第1回 民衆の心を歌に 原点は少年時代

第2回 “日本語フォーク”の先駆者

第3回 反骨人生 時代に背を向けて

お見逃しのないように!

 

 

 

 

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バーボン・ストリート・ブルースのその前に

2010-01-24 | 日本のフォーク・ロック

いつものように、帰宅時の電車の待ち時間に本屋さんに立ち寄った時、「芸能人」のコーナーに目を引かれた。

「高田渡」の文字が目に飛び込んできたのだ。

『高田渡と父・豊の「生活の柄」』(社会評論社刊 本間健彦著)と題された本が、5、6冊ほど山積みされていた。

本の帯に、中川五郎氏がこの本に寄せた「ライナーノーツ Like father,like son.」の一文が使われていた。

小生は、まだこの本を3分の1程しか読み終えていないが、この「ライナーノーツ」が言わんとしたことが、わかり始めた。

『高田渡の名前が入った本書のタイトルに惹かれ、高田渡の本だと思って手に取って読み始めた読者は、「何だ、お父さんの話ばかりじゃないか」と、最初はとまどってしまうかもしれない。しかし読み終えた時には、誰もがこれは高田渡の本だ、彼の生き方が、彼の歌が、その根っこのところから、いちばんよくわかる本だと得心がいくことと思う。』(原文のまま引用)

実は、「お父さん」のことばかりではなく、「お祖父さん」の話もある。

『坂の上の雲』が明治維新後の日本を捉えた話であったが、この本の「お祖父さん」「お父さん」の時代も、明治、大正、昭和と連なり、興味深いものがある。

渡氏自身が著述した『バーボン・ストリート・ブルース』を手元に置いている人は、一読を薦めます。

小生の『バーボン・ストリート・ブルース』には、氏のサインが入っている。

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訃報

2010-01-18 | 日本のフォーク・ロック

今、NHKのニュースを見ていたら、

浅川マキさんの訃報が伝えられました。

名古屋のライブ出演のため宿泊していたホテルで亡くなっていたとのことでした。

昨年、『Darkness 1』、『同 3』、『同 4』と手に入れ、年末に通して聴いたところでした。

中学の時、深夜放送で聞いた「かもめ」が最初の出逢いでしょうか。

当時の年越しコンサートには、ジャズ・ミュージシャンの名とともに、「浅川マキ」の名があったように記憶しています。

このブログを分類するとき、どうしようかと思いましたが、小生が「浅川マキ」を知った頃は、フォークの中にいたので、これに従いました。

’77年冬、底冷えのする京大西部講堂で行われた2夜にわたるコンサートがライブ録音された。

下宿先の先輩とともに、足を運んだ。

泉谷しげるが飛び入りした。

生涯で初めて、自分が行ったコンサートがレコードになった。

合掌。

 

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金とく

2009-10-04 | 日本のフォーク・ロック

NHK名古屋放送局が制作しているローカル番組である。

毎週金曜日、夜8時から放送されている、ふるさとの魅力の再発見や地域の課題を取り上げる番組である。

10月2日(金)に『これが僕らのフォークソング ~中津川・伝説のコンサートから40年~』が、愛知、岐阜、三重県向けに放送された。

そして、今日4日(日)、午前10時05分から再放送された。

40年前にフォークジャンボリーを支えた若者たちは還暦を迎えて、再び挑戦した。

自分たちが心から楽しめる歌を。

今年開催された『椛の湖フォークジャンボリー』の準備の過程を中心的なスタッフを通して紹介した。

残念ながら、当日は雨天となってしまったが、彼等はそのステージに立ち、歌った。

フィールドフォーク・グループとして活動している我夢土下座(かむとぅげざ)がスタッフの中心メンバーとなっていたが、

地元のラジオ局の深夜放送で、「さよなら△、またきて□」という曲が一時よく流れていた。だから、我夢土下座の存在は知っていた。

また、彼等も、ジャンボリーのステージから育っていったシンガーとともに、歌い続けてきたことに「熱い思い」を感じる。

追記:加川ファンのK.さん。一瞬でしたが、映ってましたよ。

 

 

 

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忌野清志郎氏の訃報

2009-05-02 | 日本のフォーク・ロック

「ぼくの好きな先生」は、カラオケのお気に入り曲。

RCサクセションとの出逢いは、この曲に始まる。

中学3年の7月。

台風が上陸した真っ只中で行われたコンサート。

これが最初で最後のRC。

ドラゴンズ・ファンであった忌野氏。

最近は、小康状態であったと思っていた。

高田渡氏に次ぐ、私の青春のアイドルの死。

お悔み申し上げます。

合掌。

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酔っ払い

2009-03-04 | 日本のフォーク・ロック

今日は、少し酔っ払いました。

帰り道、

携帯デジタル・プレイヤーで加川良ウィズすぎの暢『USED』シリーズを聴きながら歩

きました。

御大の歩み。

’10年に40周年を迎えます。

デビュー30周年の時に、’30周年記念とはうたわれていませんが、

記念として作製されたのが『USED』シリーズです。

この3部作が計画された時に、スタジオ録音の話もあったと思います。

スタジオ録音盤の発売も待ちたいと思います。

ではでは。

単なる酔っ払いの「夢」でした。

 

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FORK LIFE 倶楽部vol.1

2008-06-16 | 日本のフォーク・ロック

知っている人、購入した人からすれば今頃と思われるかもしれないが。

『FORK LIFE 倶楽部vol.1』

という雑誌を購入した。

この雑誌の発売は、御大のページで知っていたのであるが、

定価1,500円はなかなかの値段で、

容易には手は出せない価格である。

雑誌の創刊号の表紙を御大が飾るってのは、

後にも先もないことであろう。

しかも、その写真は御大ファンであるキャシャーンさんの手によるもの。

見事な構図である。

電車に乗るまでの時間待ちで、本屋に立ち寄った。

音楽雑誌コーナーの棚の中に、「加川良」の文字を見つけた。

手に取って見ると

春先に発売されたこの雑誌であった。

これも縁とレジに向かった。

 

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フォークソング されどわれらが日々

2008-05-10 | 日本のフォーク・ロック

文藝春秋刊 2008年3月13日発売

電車に乗るまでの待ち時間に少し余裕があったので本屋さんに立ち寄った。

珍しく、音楽コーナーだけでなく、文庫・新書コーナーから新刊コーナーも回った。    4冊購入した。そのうちの1冊である。

新刊コーナーに置かれていた。

帯に『13組15人が熱く語る「あの頃」と「現在」』と書かれ、

南こうせつ、りりィ、NSP...

と名前が記されていた。

普通なら、そのまま手に取らずやり過ごすのであるが、

今日は、そこに、

友川かずき

の名を見つけた。

思わず本を手に取って、そのページを括る。

友川の名前の横に

「どうしようもなく

湧き上がってくる言葉を

吐き出したくて

音楽を続けている」とあった。

他の本でも、彼のことが記載されているものを読んでいるが、

買いを決めた。

帰宅して、食後すぐに読み始めた。

半分くらいを飛ばし読みし、

友川のページへ。

彼に惹きつけられている何かの一端を

「どんなに生活が苦しくても、詩を書いて歌い続ける。

ステージで満足しても、それで終わりってことがないんです。欲求がそれ以上になる。

よし、もっと、次もっともっと行こう、って。」

と彼が語った言葉が表してくれているので、ここに転載した。

他の人たちの語りも、確かに熱かった。

http://www.bunshun.co.jp/book_db/3/70/04/9784163700403.shtml 文藝春秋書誌ファイル

 

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4月9日

2008-04-10 | 日本のフォーク・ロック

近年、「フォークの日」と呼んでいる。アルフィーの坂崎氏の番組で使用されていたが、加川御大も「フォークの日」に因んで、4月20日に、下北沢にあるラ・カーニャでソロ・ライブを行う。

 加川氏を知った、あの中津川に高田渡氏とともに、シバもいた。

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大阪名物「くいだおれ」の閉店のお知らせ

2008-04-08 | 日本のフォーク・ロック

今日のヤフー記事で見かけたので、以前、ありやまさんの掲示板に記載した記事を再掲します。

アナログ・プレイヤーの上に1年間溜めに溜めまくったCDを片付けて、お皿を回してみました。折角の機会なので、『ぼちぼちいこか』の音質聞き比べ。レコード(再発廉価盤)、CD、リマスター盤CDの3種類。約半日、聞き比べしました。スピーカーや部屋により違いがあると思いますが、個人的には、レコードの音が一番低音が出ていて、しっくりきました。みなさんも、是非どうぞ。(注:リマスター盤は入手困難になっています。) 

創業60年で閉店。いさぎよい引き際。名残惜しい!

http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/natnews/topics/136132/

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