ヒマ人クラブ

NO MUSIC NO LIFE! ジャズ、ロック、フォークが好きです。気ままにやっていきます。

9月のありやまじゅんじ

2009-09-27 | 日本のフォーク・ロック(ライブ)

毎年恒例のハウス・オブ・クレイジーでのライブに行ってきました。

いつもは11月に行っていたのを9月に行いました。

本人曰く、「暑くもなく、寒くもなく、これから9月にやろうか」と。

なぜ11月にやっていたのかは、マスターにお聞きください。

休憩時に置かれたギター

さて、昨年はお誘いいただいたのに打ち上げに行けなかったので、今回は1時間弱ではありましたが、ご一緒させてもらいました。

上田さんとのぼちぼちいこかライブは、

名古屋が飛ばされてるので、いつかは東海地区もよろしくとお願いしました。

東三河に来てくれれば、もっと嬉しいんですけどね。

待ってますよ。

DVD持って行くのを忘れたので、その時にサインを。

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京大時計台

2009-09-24 | 息抜き

手塚氏の講演以外に、元京都市立芸術大学学長 梅原猛氏の講演を記念ホールで聞いた。

著作『隠された十字架 法隆寺論』で話題となり、著名人となっていた氏であったが、著作『学問のすすめ』をちょうど読んでいた頃であったので、講演に出かけた。

講演の内容は、上記の2作品から触れられ、講演後に持参した『学問のすすめ』にサインをいただいた。

氏は愛知県知多半島の先端、南知多町内海で育ったそうで、サインをいただくとき、あつかましくも「私は、半田育ちです」って声をかけました。

さて、最後にもう一つ。

時計台記念館の2階、国際交流ホールとなっている場所は、学園紛争の跡の名残か、埃にまみれた板間だけのホールで、壇上にピアノが置かれていた。

河島英五のコンサートが行われた。

「酒と泪と男と女」がTV・CMで流れ、人気沸騰中でのコンサート開催であった。

たしか、学園祭の頃で無料コンサートでなかったかと。

というのも、この時のコンサートを地元TV局が収録。たまたま、実家に戻っていた時に、30分番組でこの時の映像を見ている。

残念ながら、DVDには収録されていなかったと思う。

ホールの半分も埋まっていなかったが、観客は当然総立ちで人気者を見ようと沸いていた。

この時に聞いた「てんびんばかり」や「何かいいことないかな」は強烈な印象を植え付けられた。

彼がその後、アフガニスタンかどこかへ旅立つのを契機に、彼の音楽から離れていった。

「野風増」、「時代おくれ」、「生きてりゃいいさ」など広く音楽ファンやカラオケファンに受け入れられていったが、河島に求めていたのは、私の若気の至り、ほとばしるエネルギーの放出、その熱い思いであった。

いい歌なら、歌謡曲の中にもある。

フォーク・ソングというくくりに入れて見てしまったのかもしれないが、

今も、昔も、その時の「感性」で聞いて、ドキドキするかどうか、ワクワクするかどうかが、私の趣味の音楽に対する判断基準である。

時には、「詞」に心打たれ、時には「音」に耳を傾け、時には「リズム」に乗って踊る。

だから、聴く音楽を限定しないようにしている。

ロックが好き、フォークも好き、ジャズも好き。

お金と時間がないから、クラシックやソウル・ミュージックなどに目が向いていないだけ。

最近は、和楽器やシタールなど民族楽器の「音」が気になっている。

ではでは。

 

 

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今日は一日落語の日

2009-09-23 | 息抜き

見てますか?あるいは、見ましたか?

今、BSハイビジョンで『落語家 桂枝雀の世界』を見ながら打ち込んでいる。

午後3時から午後8時まで5時間ぶっとうしの放送である。

いくら『今日は一日・・・』と銘打ったとは言え、10時間の特集のうち、その半分を一個人にスポットを当てている。

異例である。

枝雀は、人間国宝桂米朝一門の一番弟子。

師匠米朝氏は、脳梗塞で入院していたが22日に退院したと報道されている。

さて、枝雀を話題としたかというと、

学生時代、社会人になってからも見ていたテレビ番組に『枝雀寄席』というのがあった。

枝雀のじゃべりと落語で構成されおり、しゃべりの後で落語に入るので、一気にその世界に引きずり込まれたのであった。

しゃべりの中で、「緊張と緩和」(緊張の緩和とも言うが、私の記憶にはこう残っている。)という話があった。緊張の中に生み出される緩和が『笑い』を生むという。だから、緊張の緩和と聞いた人もいるわけである。

閑話休題、この「緊張と緩和」は私の人生訓にもなっている。

決して、『笑い』を取るためではありません。笑!

まぁ、演奏の強弱、休符の使い方みたいなものでしょうか。

残念なことは、この貴重な人材を失ったことです。

DVDもたくさん発売されていますが、

まだそちらに回す余裕がないので、

5時間しっかり、録画してます。

ではでは。

 

 

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鉄腕アトム

2009-09-23 | 息抜き

9月19日(土)から11月30日(月)まで、ラグーナ蒲郡で、

手塚治虫生誕80周年記念 鉄腕アトム

が行われています。

最近の流行なのか、3mを越える巨大アトムが皆さんをお待ちしているそうです。

さて、アトムの製作者、手塚治虫氏が私が学生の時、京都大学に講演に来ました。

今は「百周年時計台記念館」と名付けれた時計台は、大学正門の正面に位置し、西部講堂とともに京大のシンボルとして親しまれました。

その建物の1階北側、ちょうど時計台の裏側に、今は「百周年記念ホール」となっている半円形状のホールがありました。

ここに、手塚氏が講演に来たのです。

季節がいつだったかは覚えていませんが、亡くなられる10年程前の頃です。

大きなB紙が用意されており、ここにアトムの絵を書きながら講演されました。

この講演で、アトムは実は女の子として作ろうとしていたという話を聞きました。

他に、「10万馬力」が「100万馬力」になった話など聞かせていただきました。

細かなことは忘れてしまいましたが、握手していただいた思い出は忘れません。

そして、この時計台にはまだ想い出が。

 

 

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岡林信康レーベル

2009-09-21 | 日本のフォーク・ロック(音源)

いつの間にか、こんなレーベルが立ち上がっていたんですね。

って、気が付きませんでした。

既に、

ベストコレクション「歌祭り」シリーズが3枚と、

『御歌囃子参上!!岡林信康エンヤトットミュージックベストコレクション』という、やたらと題名の長い「歌祭り」のベスト盤が出ていたんです。

「歌祭り」シリーズは手に入れているのに、気付きませんでした。恥!!!

さて、このレーベルから新譜が発売された。

と言っても新録ではない。

『岡林信康リサイタル 中野サンプラザ1975』と題された実況録音盤。

’75年は所属のレコード会社をソニーからコロンビアに移って、

演歌アルバム『うつし絵』を発表。

演歌の女王 美空ひばりが、このアルバムの中から「月の夜汽車」、「風の流れに」を吹き込みしている。

12月16日、中野サンプラザで行われたリサイタルに、ひばりがやって来た。

そして、岡林の呼びかけに応じてひばりはステージ上に立った。

さらに、演歌ギターの名手 木村好夫氏のバンドをバックに

風の流れに」をソロで歌ったのであった。

この時の二人の掛け合いが面白い。

そして、お嬢の声の艶やかなこと。

この瞬間を聴くために、このアルバムはある。

岡林がコロンビアに移ったのを機に、氏の音楽から離れっていった。

これは自然な流れで、フォーク・ソング自体がニュー・ミュージックに取って代わられようとしていた時期である。

ニュー・ミュージックは世間に受け入れられ、多くのヒット曲を生んだが、歌謡界にも取り込まれてしまった。

私自身の音楽的趣向も大きな転換期が訪れようとしていた。

このことは、またいずれ。

ではでは。

 

 

 

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続・蔵出し劇場 二人のビッグショー

2009-09-08 | 日本のフォーク・ロック(映像)

2曲目「春のからっ風」

イントロで岡林がハーモニカを吹き、1番、2番を唄う。

3番を、泉谷節が響き渡る。

3曲目「愛する人へ」

岡林の唄であるが、泉谷の横でギターを弾き、泉谷が唄う。

ここで、二人のビッグショー恒例の大型写真がステージに登場。

サイモン&ガーファンクルの歌に導かれ、岡林4枚、泉谷4枚の計8枚の写真。

ここで、泉谷一人のステージとなる。

彼はこの頃、津波に襲われた北海道奥尻島を救えとフォークゲリラを行っていた。

「オーレー!オレオレオレー!いずみやだぁー!」と唄い出し、

4曲目「なぜ、こんな時代に」を唄う。

会場を肩車され、2階席まで回る泉谷。会場は大盛り上がり。

岡林にステージを引き継ぐ。

岡林曰く、耕した畑をイノシシに荒らされた後のようで唄いにくいとジョークを飛ばす。

5曲目「ペンノレ」

岡林が岡蒸気セッション’93をバックに唄う。

エンヤトット・サウンドで、こちらも盛り上がる。

6曲目、二人に戻って「春夏秋冬」。

ラスト7曲目。「ランブリン・ボーイ」。

’60年代、岡林がソロで唄っていたときに、よく唄われた歌。

   今、いのる流れ者  この旅に幸あれと

   今、いのる一人旅  あいつに幸あれと

泉谷が岡林に、「いっしょに、いっしょに」といっしょに唄うことを小声で促す。

   一人残され  この世の終わりに

   あいつに会ったなら あの世で二人 また旅に出よう

泉谷の、岡林といっしょに唄っていることに対するよろこびが、顔いっぱいにあふれている。

一ファンであったころのような表情であった。

この二人にはまってしまったからこそ、フォークソングを聴いた。

ニューミュージックが台頭し、アコギからエレアコに持ち替えた泉谷、毒気を感じなくなった岡林から遠ざかっていった。

泉谷は還暦を機に軸足を音楽の場に戻し、岡林は日比谷で狂い咲きコンサートを行った。

唄い続けてきたエネルギーを感じた。

昔も今も、変わらないエネルギーを。

 

 

 

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蔵出し劇場 二人のビッグショー

2009-09-03 | 日本のフォーク・ロック(映像)

こんな組み合わせの放送があったなんて知らなかった。

初回放送時に知っていれば、狂喜乱舞していたかもしれない。笑...

『二人のビッグ・ショー 泉谷しげる 岡林信康』

’93年10月25日放送。

この年は、岡林信康がデビュー25周年を迎え、9月10日に新宿厚生年金会館で記念コンサートが行われたのであった。

二人が、’70年代に交流があったなどとは、当時全く情報が入らなかった。

’73年12月31日から’74年1月1日にかけて行われたコンサートは、ライブ盤『1973 PM9:00→1974 AM3:00』(CBSソニー)となっているが、晴海貿易センターで行われたこの大晦日オールナイト・コンサートに、泉谷しげるも参加していたのだった。

ちょうどこの頃、田舎に引きこもった岡林のところへ泉谷が訪ねている。

放送の中で、岡林がこのことに触れているが、

今年、復刊された『伝説 岡林信康 増補改訂新装版』(白夜書房)の写真に二人が写っている。

さて、二人のビッグショーであるが、

泉谷は岡林を「師匠」と呼び、

1曲目「自由への長い旅」から始まった。

岡林のハーモニカを入れた前奏から、岡林、泉谷、泉谷、岡林、二人でハモルという具合で1番が唄われた。間奏とエンディングで泉谷がアコースティックでリードを入れるという趣向も。

昨日、BS2で再放送された。

続く。

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