通算25回目(多分)の抗癌剤治療に入院しました
夕食
あれ?献立表の絵が残っていません
受付は38番目でした
早くに行って病室待ちするより、10時半の受付時間内に滑り込むか~考えものですね~
結局は11時過ぎまで待ったから、どちらが良いのか?
ただ、今回の部屋は奥の方でした
薬剤師さんが吐き気止めのお薬リストを持って来られました
追加は出してもらえると聞いたので、一安心しています
同室の方は同じ産婦人科系で、良くおしゃべりをしているので、巻き込まれると疲れそうだから、静かにしています
お互いの看護師さんや先生とのやり取りを聞いて症状を把握しているから、楽です
先ほど、卓上の時計を落としたら転倒したかと思ったらしく、カーテン越しに声をかけて下さいましたありがたいことです
予定表
予定表
やはり入院期間はシビアです
実のところおっかさんは姫ちゃんが心配なので、前回のような悪変がなければ、この表の通りに帰りたいです
でも、自分のことが出来ない状態ではどうしょうもないので、せめて気持ちだけでもがんばります
でも、自分のことが出来ない状態ではどうしょうもないので、せめて気持ちだけでもがんばります
昼食
夕食
あれ?献立表の絵が残っていません
近頃、このスマホはエラーが多くなりました
追記
ネタバレではないのですが、前回の治療入院中に叔母(ママリンの一番下の妹)が亡くなりました
姉の家族と家の工事をしてもらっている親戚以外には治療のことはズーッと教えていないので、電話にも出ないままでした
その事が~急変したのかも~
あの世からママリンや他の叔父さん、伯父さん、伯母さん、叔母さん達がおっかさんを怒っていたのかも😱
でも実際コロナ禍でお葬式に駆けつけることも出来ないし~
退院してから御包みを送って終わりになりました
当然ですが、他の従兄弟たちとも連絡をしていないままです
まー実際電話連絡してこちらの事をバラしてしまうのは、本意ではないしね~
気になっている従姉が三人~
どうしていらっしゃるか?
遠くに離れているし~
近くても施設に入っているので、合えないし~
と迷っている間に、此方が簡単に動けない状態です
問い合わせるのも怖い···
仕方ないね~
その昔、ママリンのお葬式の時に、一度に初七日、49日の法要を独断で済ませて~
親戚の皆さん一同が集まって下さる最後だからとお斎も斎場の一番良いものを出して~
初七日を一緒にするからと伝えていたので、火葬斎場からも皆さん戻って来てくれました
そこで、初七日と49日の法要までしました
最後に、「皆様、お互いに高齢者になりましたので、母の法要はこれを最後にしたいと思います」
と~
結局何故だか他の親戚一同が集まるのは、ママリンの葬儀最後になっちゃったわよ~
おっかさんの一番下の叔母さんは、歳が近かったから親しみがあったのです
セーター編んでもらった事が思いでです
姉上のセーターをほどいて、火鉢にかけて、沸騰したヤカンに専用器具を付け、それに毛糸を通して湯のしをしていました
その毛糸が冷めてから私の両腕にかけてママリンがヒトカセずつ巻き取っていました
それが後程私の新品セーターになってきました😊
なつかしい、本当に懐かしい思い出です
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