「ねえ、なんで旦那さんは開業しないの?」
唐突に、こんな質問が私に投げかけられたのは、いつもの通りジプトーンを見つめている時でした。
麻酔薬が首に入り、目が片方開かない状態でベットに横たわる私に、先生や看護師さんたちがいろんな話をして励ましてくださいました。
しかし、この日はまた妙な話だなと思ったので、こうしてはっきりと記憶にあるのだと思います。
「え?それは。まだ経験も浅いですし、時期じゃないと思ってるのではないですかね。あとは。」
「そんなの、十分よ!若い方が楽ってこともあるしね。で、あとは、ってなに?」
麻酔科の先生は、ほぼ間髪入れずにぽんぽんと会話をされる、典型的な「頭の回転が良い」方でした。
私は会話について行くのがやっとの時も往々にしてありました。
「えーっと、その、私も病気ですし、子どもも小さいですし。」
「え?そんなの気にしてたら人生何もできないじゃない!みんな何かしら抱えてるものよ!」
「あはは、そうですねえ。」
この日もまた、先生は私を元気付けるために、ある種適当な話をしてこられたんだと思っていました。
ところが、数週間後。
「ねえ、なんで旦那さんは開業しないんだっけ?開業したいって思ってないの?」
「はい?」
「医者になったらさあ、開業したいってチラリとは思うんじゃない?」
「えーっと、まあそうですね、一国一城になってみたいと言ってはいましたけど。」
「けど、何?」
「夢の話ですよ。それに最近はあまり言わなくなりました。」
「えー、開業なんてそんな夢にしておくものでもないわよ!」
とまあ、こんな感じで、誘導尋問のような会話もありつつ、時々開業話を私にしてくれました。
このあたりから、私自身も少し開業ってなんだろうって考えるようになりまして。
先生が開業されたきっかけなどもコラムがあったので読みました。
でも、やっぱりどこか非現実的でした。
そんなある日。
「ねえ、旦那さん、開業しないの?足りないのよ!」
と言われました。
「え?足りない?」
変な話、主人の夢を叶えるだけなら、私は突き動かされることはついぞなかったと思います。
この「足りない」という話を聞いてから、一気に私の中で風が吹きだしました。
足りないところに必要な医療資源を持ってくること、そしてささやかな主人の夢を叶えること。
私がすべき、恩返しのように感じたのです。
こうして、私の病状が一番悪い時に、主人の開業話はスタートすることになったのです。