人には、いろんな立ち位置があると思うと以前書きましたが、
娘に教えられた話を今日はひとつ。
コロナ禍で、一体どうやって過ごしたらいいのかを思案する日々は続いていました。
娘は今、自主休校をしていますが、毎日感染者数の推移とにらめっこしながら私は悩みつづけていました。
学校に行って欲しい。
実際はこう思っています。正直なところ。
でも、私の行って欲しいという思いは私のわがままなのではないか。
感染のリスクを高めたり、私自身が感染して死ぬようなことがあったらこの子はその方が不幸だと思ったり。
いや、義務教育だし、行くべきなのではないか。
いや、家にいるのがめんどくさいから行かせたいと思って冷静な判断ができていないのではないか。
いや、こう悩んでいる母親といるくらいなら行った方が良いに決まっている。
でも悩みやめることはできません。
そして落ち込む。無駄に凹む。
免疫を落としているお母さんだから、仕方がありませんよ、というのも私の中では苦しかった。
私のせいで、娘が教育の機会を奪われ、私は1人になる時間を奪われている。
病気のせいでまた私たちは社会から取り残される。
全然仕方なくないです。
私の病気が娘を苦しめるなら、私は死んでもいいから子どもにとって良い生活を歩んでほしいと思うものです。私も親の端くれですから。
そんな日々でした。
今週の火曜日に、「学校に行きたいなあ」と娘が言いますので、それはそうだよなあ、と思い。
「よし、明日から行こうか!このままだと1学期が吹っ飛ぶよ。コロナにかかったらかかっただ!お母さんは覚悟を決めたよ。」
と言ったところ
「いや、行かないよ。」
と大真面目に答えてきました。
「え?なんで?行きたいんじゃないの?」
と私が聞き返しますと
「うん。行きたい。でも、今、もうコロナは大丈夫ってみんな油断してるのね。だから、私が行かないことで、まだダメなのかもしれないって注意してくれるとおもう。私が行かないことでみんなが気をつけてくれると思うから、行かない。」
とはっきり、言ったのです。
毎日の日課のお散歩をしている最中でした。
賑やかな街並みに、行くあてもなくただ万歩計の歩数を稼ぐだけのお散歩です。
その風景を見ながら、娘はそう言いました。
帰宅した主人にこの話をしますと
「は?行かないの?なんで?嘘でしょう?」
と言うので
「ママが嘘をつくわけないでしょ。」と呆れながら娘が父親を説得していました。
家族の覚悟がようやく決まりました。
親は、娘に教えられました。
今は、何をすべき時なのか。
何を大切にするべきか。
物事には優先順位があって、全ての願いを叶えることはできませんから、どれを行うかはその理念を基に決めるのですね。
娘は、世間やお友達を心配して、自主休校を決めました。
私の病状は気になるけど、あまり関係ないかなあと言っています。
子どもは私に勉強や生活態度について教わっていますが、もう理念や考え方は私を超えることがいっぱいあります。そんな子どもから、親はたくさん教わっています。
学校のお友達が何かを感じてくれたらいいなと、親バカなのかもしれませんが、願わずにはいられません。
そして、私も、行動をしっかりしたいと思う次第です。