この歳で誕生日にしみじみと幸せを感じるとは思いませんでした。
正直、子どもが生まれてからは特にほんっとにどーでもいい行事のひとつでもあって、忘れちゃうこともありました。
それでも家族にお祝いしてもらったりして、それはそれで幸せでした。
でも、今年はまた、格別な気がしています。
去年の誕生日は、ベットの上でした。
そもそも、去年の誕生日は迎えることができないかなあと思いながら過ごしてまして、何とか生き延び続けているだけでした。
母の日が近いので、母の日に一緒にお祝いをすることが多いのですが、去年は主人と娘がコロナ禍なのにお花を買いに行ってくれました。でも、食事も用意しなきゃとかで、テイクアウトの品をあれこれと買っているうちに、すっかり忘れて家の近くまで帰ってきてしまったとか。
「あ!お花!」
「そうだ!お花を買いに出かけたのに!」
と汗だくのふたりは、そのまま方向を変えてお花を買い求めに行ってくれたようです。
買ってきてくれた赤いカーネーションは、雑然とした部屋に全く似合わず、とても綺麗でした。
私はそのカーネーションのお世話もできないのに、毎日毎日、ベットから見つめていました。
枯れる頃には、少しお世話もできるようになっていました。
間引きしたあとの、ずいぶん小さくなったカーネンションを眺めながら、私の身代わりになってくれたのかな、と思いました。
今年は今年で。
「ママの誕生日だよ。何しようか、パパ!」と娘。
私の目の前で、おおっぴらに誕生日会議をするのでしょうか?と笑ながら聞くと
「おっと。忘れていたぞ。」
と、主人。
得意の忘れん坊が出たようです。
「今年もお花にしようよ!」
娘、パパの忘れんぼぶりになれ過ぎて、全く気にしていません。そして私も気になりません。
「えー。いいよー。お花はさ、枯れちゃうし、もったいないよ。」
と私が断りますと
「えー!」
と声をあげて、しまったとばかりにおしだまるパパ。
「あれ?お花、もう買ったの?何買ったの?」
と娘。
「しまったー。。いや、そう来るとは。」
とパパ。
どうも、サプライズのつもりでお花を注文しておいてくれたそうなのです。
本当にサプライズが下手な人です。振り返れば、嘘や秘密が苦手過ぎて、サプライズが成功した試しはないかもしれません。
そんなこんなで、我が家には娘がこつこつと用意してくれた折り紙の花束と、主人が用意してくれた本物の花束とがやってきました。
ましになったとはいえ、相変わらず雑然とした部屋ですが、あたたかい雰囲気になりました。
「来年は出世して、もっと大きいのね!」
とパパが宣言してくれましたが、いやいやいや、と突っ込みつつ。
そうですね、来年を想定できること、楽しみが増えることはとっても幸せです。
お祝いのメッセージをいただいたり、大好きな肉まんをと宅配便が届いたり、もう朝からサプライズがあって、なんとありがたいことかと、さらにしみじみ。
今年も歳を重ねることができて、ありがたい限りです。
今年はより一層の恩返しの年になるといいなと、思いだけはひしひしと。焦らずゆっくり参りたいと思います。