ときぶーの時間

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川内村の事。

2014-08-18 08:30:00 | 日記
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松村直登のブログ 「警戒区域に生きる松村直登の闘い」 

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NO669
今年の10月に隣の町村で川内村の避難指示が解除される。
17日に住民懇談会が開かれたらしいが、住民の事など全く考えていない様子が分かる。

川内村は緑の多い山村と言った方がみなさんに伝えやすい。
家の周りを除染しただけで、山々は殆ど除染していない。
他の町村よりいくら被曝線量が低いと言っても、若い人や子供たちは絶対に帰れないだろう。

僕はそんな川内村に帰還した60代の知人夫婦を訪ねてみた。


知人の家の風情のある庭です。

知人は川内村に戻り生活しているが「ここいら辺も放射能はあっぺなぁ~」と言いいながら、釣りが好きで伸びきった草をかき分け川まで行き、鮎、イワナ、鯉、フナなどを釣って楽しんでいる。


彼自慢の池には鯉やフナやイワナやヤマメが約100匹くらいいた。

そんな彼は、今年自分の子供がお盆に帰って来なかったのをがっかりしていた。
子供が帰って来ないという事は、可愛い孫の顔を見れないことで唯一の楽しみを奪われたことだ。


お孫さんに「じいちゃんの所は遊ぶとこないから、つまんない」と言われ、苦心して遊び場を作っていた。

僕だって両親が楽しみにしているなら帰りたいが、まだ小学生の二人の子供をここに連れて帰るなんてと考えたら躊躇してしまう。
僕は子供たちを連れて帰って来なかった知人の息子夫婦の辛さがよく分かった。


吹き矢にゴム銃を作り、的を作りと元大工の知人は、お孫さんとこれで遊ぶのを楽しみにしてた。


お手製のシーソーの前にやって来た彼が飼っている猫。

川内村の解除は南相馬市、富岡町、飯舘村の3市町村は準備区域との同時解除を目指している町村の前例になる。
僕は富岡町の町民だが、いささか危惧している。


鉢植えになった山野草の数々がところ狭しと置かれていた。

避難指示を解除したところで、病院も無い、スーパーもない、学校も何もない所でどうやって暮らせと言うのだろうか?
避難指示解除をするなら、生活圏を整備してから解除しろ!と言いたい。

富岡だって避難指示準備区域と居住制限区域と帰還困難区域と3つの区域に分けられ、それぞれ3つの賠償金設定がなされている。
「居住制限区域でも帰還困難区域でも対して変わらないのに、何でこんな差別があるの。どちらにしても帰れないのに何でこんなおかしい事になるの」と84歳の義母が嘆く。

国も東電も本当に住民のことなど何とも思っていない。
陪賞金を減らすことに躍起だ。
知人の所に来ていた同じ川内村の住人に僕は言われた。
「あんたら賠償金もらってるんでしょ」と。

その眼は差別や格差をひがむ色の目だった。
同じ双葉郡の人に僕は初めて言われてとても嫌な気持ちになった。
このことはいわきでもどこでもある事なのだが、僕は初めて言われてショックだった。

被災者同士でひがみあったってしょうがないのだが、これが被災地のすがたかも知れない。
17日の住民懇談会では、川内村の住民から反発の声が相次いだらしいが、国はもっと住民の話を聞くべき。

とにかく原発事故が起きていい事など何もない。


おらが町の松ちゃんが良く言う。
「原発は事故を起したら全てを粉々にしてしまう」
「その人の人生も町の未来も大地と海とそこに生きるすべてのものを壊してしまう」
「原発なんか無くなればいい」と。

みなさん原発は事故を起したら数十年元に戻らないことを知って下さい。
松ちゃんも僕も被災住民は、原発事故に翻弄されて今を生きています。
原発再稼働に大反対!
これからも頑張りますので応援よろしくお願いいたします。









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