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松村直登のブログ 「警戒区域に生きる松村直登の闘い」
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〒979-0401福島県双葉郡広野町大字上北迫字岩沢29-38
ヤマト運輸 広野センター止め NPO法人 がんばる福島 までお願いします。
発送は「ヤマト運輸」のみ対応、他社の運送会社からは送ることができません。
皆様、ご支援をよろしくお願いいたします。
NO674
毎日、広島の大規模土砂災害のニュースが続く。
本当に気の毒な災害で胸が痛む。
過去に何度も同じ災害に見舞われているのに、何で何とかなんねぇかったんだ?と強く思う。
今日もお亡くなりになられた方々のご冥福を心からお祈りします。
僕たちも東日本大震災と原発事故を体験し、避難を余儀なくされ今に至りますが、災害とは本当に嫌なものです。
僕たちが町から避難した時、町のみんなは原発が爆発するなんて誰も思っていなかった。
もちろん僕もその中の一人で、2~3日で帰れると皆がそう思っていたから、ペットや家畜たちに悲劇が起きた。
今日の写真は今までの写真から再度ピックアップさせて頂きました。
放射能の中を一軒一軒家々を回り、餌と水を与えていた松ちゃんが撮った写真。
「お父さん、お母さん、僕、最後までおうちを守ったからね」というような犬の姿に涙。
松ちゃんは、これを最後に死んだ犬と猫の写真を撮らなくなった。
「俺だって死んでるの分かったら、そこにいけねぇし可哀想で見てらんねぇよ」と呟いた。
餓死した牛たちは、町に生きる動物にその体を食べられ、無残な姿で今もこのまま放置されている。
ここで牛の死肉を食べ、このようにその死肉も無くなってついに動けなくなり、ただ死を待っているようなぼろぼろになった犬を彼は保護した。
のちに犬の名前はキセキと名付けられ、今、里親さんの元で幸せに暮らしている。
避難所の思い出に、いいものはなかった。
避難所で一緒になった住民が、次々に爆発する原発事故のニュースを避難所のTVで見て「家にペットを置いて来てしまったので帰りたい」と、それは泣くも人もいれば喧嘩腰で役場職員に突っかかる人もいて、それは本当に嫌な光景だった。
住民は僕が知っている人だし、役場の人だって当然知っている人、そんな住民同志が争うような姿をずっと見ていて辛かった。
僕はペット飼っていなかったけど、飼い主はペットを置き去りにしてしまったと自分を責め、何とか迎えに行こうと必死。
役場職員は住民の命を放射能から守ろうと必死。
それぞれの思惑が一致しないから、これはこれで地獄のような日々を両者は過ごした。
共に辛かったと思います。
毎日が喧嘩してるような日々だったから。
今、考えれば原発に対して、自分がどれほど人任せでいい加減だったかを思い知らされた日でもあり、原発に対しての考え方が180度変わった日だった。
イタリア人ジャーナリストのアントニオ氏が取った写真。
震災後は、放射能まみれの町に残されたペットや動物たちのため、餌を与えて回っていた松ちゃんの姿です。
町の大部分の人が避難したのに僕は、原発が爆発した時に富岡の自宅にいた。
原発から約10kmの自宅で聞いた原発の爆発音は、とても大きな音だったのを今でも覚えてる。
それでも、それが原発の爆発音とは思わなかった。
爆発したその日、奇跡の電話が入り放射能に汚染されていることを知り、次の日の朝避難した。
彼にはイノブタも猫も犬も牛もダチョウもみんな一緒だった。
この写真もアントニオ氏の写真。
水も無い、電気も無い、生活を2日間して避難したが、風呂には入れないし、トイレの水は無くて流せなくなるし、電気もなくなりTVから情報は入らないし、エアコンは使えないで、ろうそくの灯りと石油ストーブ一台で過ごした。
炊飯器もオーブンも使えず、ご飯は冷凍ピラフをガスレンジを使い、フライパンで温めて朝昼晩と食べ続けた。
ガスはお湯も沸かせたし本当に助かった。
そんな訳でみなさん、いつ起こるか分からない災害に備えて、オール電化の方はカセットガスコンロとガスは常備しておいてください。
水と食料は一週間分くらい常備していて置いた方がいいと思います。
餓死だけは可哀想だと畜主さんが牛舎から放し町を放浪する牛にも餌を与えていた松ちゃん。
災害を回避できないなら、せめて防災グッズなどは必ず準備しておきましょう。
それは大事な家族のため、自分のため、恋人のため、色々あると思いますが、今日は災害に対する備えを少しだけ書かせて頂きました。
それではみなさん、またお会いしましょう。
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毎日、広島の大規模土砂災害のニュースが続く。
本当に気の毒な災害で胸が痛む。
過去に何度も同じ災害に見舞われているのに、何で何とかなんねぇかったんだ?と強く思う。
今日もお亡くなりになられた方々のご冥福を心からお祈りします。
僕たちも東日本大震災と原発事故を体験し、避難を余儀なくされ今に至りますが、災害とは本当に嫌なものです。
僕たちが町から避難した時、町のみんなは原発が爆発するなんて誰も思っていなかった。
もちろん僕もその中の一人で、2~3日で帰れると皆がそう思っていたから、ペットや家畜たちに悲劇が起きた。
今日の写真は今までの写真から再度ピックアップさせて頂きました。
放射能の中を一軒一軒家々を回り、餌と水を与えていた松ちゃんが撮った写真。
「お父さん、お母さん、僕、最後までおうちを守ったからね」というような犬の姿に涙。
松ちゃんは、これを最後に死んだ犬と猫の写真を撮らなくなった。
「俺だって死んでるの分かったら、そこにいけねぇし可哀想で見てらんねぇよ」と呟いた。
餓死した牛たちは、町に生きる動物にその体を食べられ、無残な姿で今もこのまま放置されている。
ここで牛の死肉を食べ、このようにその死肉も無くなってついに動けなくなり、ただ死を待っているようなぼろぼろになった犬を彼は保護した。
のちに犬の名前はキセキと名付けられ、今、里親さんの元で幸せに暮らしている。
避難所の思い出に、いいものはなかった。
避難所で一緒になった住民が、次々に爆発する原発事故のニュースを避難所のTVで見て「家にペットを置いて来てしまったので帰りたい」と、それは泣くも人もいれば喧嘩腰で役場職員に突っかかる人もいて、それは本当に嫌な光景だった。
住民は僕が知っている人だし、役場の人だって当然知っている人、そんな住民同志が争うような姿をずっと見ていて辛かった。
僕はペット飼っていなかったけど、飼い主はペットを置き去りにしてしまったと自分を責め、何とか迎えに行こうと必死。
役場職員は住民の命を放射能から守ろうと必死。
それぞれの思惑が一致しないから、これはこれで地獄のような日々を両者は過ごした。
共に辛かったと思います。
毎日が喧嘩してるような日々だったから。
今、考えれば原発に対して、自分がどれほど人任せでいい加減だったかを思い知らされた日でもあり、原発に対しての考え方が180度変わった日だった。
イタリア人ジャーナリストのアントニオ氏が取った写真。
震災後は、放射能まみれの町に残されたペットや動物たちのため、餌を与えて回っていた松ちゃんの姿です。
町の大部分の人が避難したのに僕は、原発が爆発した時に富岡の自宅にいた。
原発から約10kmの自宅で聞いた原発の爆発音は、とても大きな音だったのを今でも覚えてる。
それでも、それが原発の爆発音とは思わなかった。
爆発したその日、奇跡の電話が入り放射能に汚染されていることを知り、次の日の朝避難した。
彼にはイノブタも猫も犬も牛もダチョウもみんな一緒だった。
この写真もアントニオ氏の写真。
水も無い、電気も無い、生活を2日間して避難したが、風呂には入れないし、トイレの水は無くて流せなくなるし、電気もなくなりTVから情報は入らないし、エアコンは使えないで、ろうそくの灯りと石油ストーブ一台で過ごした。
炊飯器もオーブンも使えず、ご飯は冷凍ピラフをガスレンジを使い、フライパンで温めて朝昼晩と食べ続けた。
ガスはお湯も沸かせたし本当に助かった。
そんな訳でみなさん、いつ起こるか分からない災害に備えて、オール電化の方はカセットガスコンロとガスは常備しておいてください。
水と食料は一週間分くらい常備していて置いた方がいいと思います。
餓死だけは可哀想だと畜主さんが牛舎から放し町を放浪する牛にも餌を与えていた松ちゃん。
災害を回避できないなら、せめて防災グッズなどは必ず準備しておきましょう。
それは大事な家族のため、自分のため、恋人のため、色々あると思いますが、今日は災害に対する備えを少しだけ書かせて頂きました。
それではみなさん、またお会いしましょう。