みなさん、おはようございます。
今日は、動物の保護以外に松ちゃんが活動して来たことを書きます。
それは原発事故被災地の現状を伝える広報活動でした。
彼は毎日、海外メディアのスタッフさんに追いかけられるほど、当時は時の人だった。
それは一つの会見から更に顕著になった。
2012年2月28日 アントニオさん撮影
彼は強制避難区域の現状を話すということで東京丸の内にある日本外国特派員協会にて会見が開かれた。
彼はここで福島原発事故で強制避難区域となった現状を全世界へ発信した。
そしてこの時、各国の記者からいろいろな質問を受けた。
外国人記者からすれば彼の一挙手一投足 話したことは当時、値千金の情報だったと思う。
理由は日本のマスコミが強制避難区域の現状を一切報道しなかったため、動物を保護するためたった一人でそこに住む彼の貴重な生の声が聞けたからだ。
松ちゃんはこの頃、日本のマスコミが政府と東電に忖度して福島原発事故被災地のニュースを一切報道しないことに苛立ちを感じていたから、世界のメディアが頼みの綱だったかも知れない。
だからこのあと日本では無名だったが海外では有名になった。
海外のイメージは福島=放射能=墓場くらいに思っていたのかも。
それほど醜悪なイメージ(放射能=死)を持たれていたのも日本のメディアが鉄のカーテンをして報道しなかったからだと思う。
2012年2月28日 アントニオさん撮影
松ちゃんは会見中、かなり緊張していていたが多くの質問に答えた。
記者たちもノートを取りペンを走らせていた。
会見をすべて終えたとき、さすがの松ちゃんも「いやぁ~緊張して何言ったか覚えてねぇ~」って言ったから、変なこと言ってなかったよとフォローした。
しかし、この会見がきっかけで海外メディアの取材が殺到することになった。
それは本当に凄かったです。
ここの会見場には60人はいたと思う。記者がパソコンで松ちゃんの通訳が話したことを即母国に内容を発信していた人もいた。
福島第一原発は4基爆発したのだから、チェルノブイリ原発事故より大きな事故とみられていたのだろうと思った。
2012年2月12日 アントニオさん撮影
会見時間が終了しても彼の所には多くの外国人記者が寄ってきて、時間内に聞けなかったことについて聞いていた。
当然、青い目の方が多かったのだが日本人?と思っていたら、中国、韓国など隣国の方もいて、福島原発事故について真剣に聞き出していた。
話を変えて国内でもいい出会いがありました。
僕が何度目かの避難先でブログを通して「どうしても松村さんに会いたい。もしくは応援させてほしい」との連絡を受け、僕はその人に会った。
彼女は被災地の動物を救助するだけのためにハイエースみたいな大きなワゴン車を買い、ご主人と何度も原発事故被災地に入り僕らのふるさとの犬たちを保護してくれた人だった。
話をしてみると原発事故現場に近いところまで行って犬を10匹保護してきたとか、トヨタのあるところの前でとか聞いて、場所も僕が知っているところであり、本当にやってくれている人だとを確信しました。
50匹くらい保護して知り合いの動物ボランティア団体に、その子たちを預け面倒見ていただいた。
彼女の家に招かれたときにビックリしました。家の中に13匹の犬が居たんだ。僕は老犬の里親になって1匹だけで悲鳴を上げているのに、ほんとうに凄い人だと思った。
それで、それが縁で彼女Yさんが入っているNPO団体の協力を得て福島の今を知ってもらう活動と、被災地の動物のための募金活動をすることができた。
2012年2月12日 アントニオさん撮影
横須賀中央駅前広場にて写真展と募金活動
1年で3回行われているイベントに何度も参加させていただきました。
応援してくださった横須賀市民の皆様、イベント運営関係者の皆様に感謝しています。
本当にありがとうございました。
2012年2月12日 アントニオさん撮影
イベント最終日の松ちゃん。
このイベントを皮切りに静岡の知人からも応援していただき、画廊のオーナーさんが1週間無料で画廊を貸し出してくださり、ここでも何度も広報活動と募金活動を開催させていただきました。
ありがったです。
ラジオ番組の出演をさせられた記憶があるな。
本当に松ちゃんは人に恵まれていると思います。
画廊のオーナー様、本当にありがとうございました。
紹介してくれた知人にも感謝しています。本当にありがとうございました。
この後も名古屋でのイベントとかいろいろありましたが、NPOがんばる福島と代表の松村直登を応援していただいたことに感謝申し上げます。
本当にありがとうございました。
次回は松ちゃんがフランスとドイツにへ行った時のことを書きます。
今日もお付き合いくださりありがとうございました。