ときぶーの時間

募金の受付先 東邦銀行 安積支店 普通0644994 名義がんばる福島
みなさんご支援宜しくお願いいたします。

原発は今でも危ない!

2012-04-10 08:35:38 | 日記
NO-123
いつも松村を応援してくれている方からのメールで、本当に日本の原発の怖さを知り、ついにアメリカも動き出したという記事を知らせてくれたので是非、みなさんにも見て頂きたく紹介させて頂きます。

http://kaleido11.blog111.fc2.com/blog-entry-1198.html これを検索して見て下さい。時間がある人はビデオを、時間の無い方は読んで下さい。元スイス大使の村田光平氏の話が掲載されてます。

福島原発の4号機が危ない事と。もし4号機が爆発を起こし6375本の燃料棒が燃え出したら?世界に破滅の道が訪れる事を訴えています。

4号機プールが破損したとすれば、本当に北半球が終ってしまうので、米政府も、いまだに危機感もなく世界に対しての責任感もない野田政権と日本政府に業を煮やしたのですと書いてあります。

それなのに政府は、今でも原発を再稼働させる気でいる。国民を守る本当の政治家はいないのだろうか?僕は日本の政治家にがっかりしています。

国策と声を大きくして50を超える原発施設を作ってきた日本。福島の事故で、住民はおろか残された動物たちの事も救わずにいる。これが先進国と言われた(過去形です)僕たちの国。日本の姿なのだ。

4号機プールにはチェルノブイリの8倍のセシウムがあるらしいですが、原発立地の市町村の方に言いたい。もし、自分の町の原発が事故を起こしたらどうしますか?

福島原発は冷温停止宣言されましたが、今でも1億ベクレル近い放射能を出し続けているとも書かれています。

僕らも「絶対に日本の原発は事故なんて起こさない!」と本当に思っていた。いや信じていた。今の原発は事故を起こすべくして起こしたんだと知識人が言ったけど、本当に他人ごとではありません。

もし、あの福島原発で本社の指示を無視して、吉田所長(昨年退任)が海水注入を強引に指示し行動していなければ、東京にも人が住めなくなっていたんです。東京の人口1300万人を超える人たちは、どこへ避難すればいいのでしょうか?

東京だけではありません。栃木・群馬・茨城・埼玉・千葉・神奈川まで、その被害が出ていたら日本はどうなっていたでしょうか?恐ろしいことです。4200万人を超える人口ですよ!何処にその人たちの避難場所があるのでしょうか?

東京だけで、僕ら避難者の約81倍の人たちが避難しなければならない。その補償を国は出来る訳ないでしょ!約16万人の僕ら住民の補償をしないのだから・・・

今日は原発反対!を唱えて書かせて頂きました。強制避難区域の富岡町の松村は、今日からまた一人で放たれた牛に水や餌をやり、放たれた牛には餌付けして、早く保護してあげようと懸命の努力をしています。

これからも、松村と富岡町の牛たちをご支援下さい。どうぞ宜しくお願い致します。








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嬉しいことも。

2012-04-09 08:00:35 | 日記
NO-122
2日ほど私用でブログお休みさせていただきましたが、強制避難区域の松村の方では嬉しい事がたくさんあったようです。

子犬の件ご心配かけました。11匹の子犬たちはそれぞれ里親の元へ春の旅立ちをしました。松村が乳離れをしてからと言っていたが昨日、子犬たちはこれから安心して暮らせる環境に。いやぁ~ホントに良かったです。



それよりも嬉しかったのは、2匹の子犬の里親にもなってくれた二本松市の善光寺住職さんで被災家畜を守る会の山本志流さんとその仲間が応援に駆け付け、松村が忙しすぎてあまり進んでいなかった柵作りを手伝ってくれたことだ。

 二本松の善弘寺で動物供養祭でお経を読誦してくれた山本住職と供養祭前の松村。

午後4時半頃に電話を入れたのだが、何やら電話の向こうが騒がしく聞こえたから、なんかあったのか?と僕が聞いたら少し息を切らしながら「明日で柵が完成する!」と松村が話してくれた。

山本さんは自分の他に3人乗せて来た。福島のために何かをしたいと立ち上げたいわき市のNPO法人のガッツ福島の遠藤さんも駆けつけ、バックホーン(建設機械)を運んできて昨日は松村のために仕事をしてくれた。

新しい仲間が増え、みんなの協力を得て動き出した。上の2人の他に役場の人も。。。現場の松村が今まで何から何まで一人でやっていたから出来ずにいたことをみんなが協力してくれて....

一睡もせず疲れて帰って来た僕には、ご褒美だった。嬉しかった。本当にみんなありがとう。

今、人を見ると逃げて行く野生化した牛を、これで少しでも多く囲いの中に入れられる。富岡町は今、行政の協力もあって牛を保護出来ます。全国のみなさま、このたびは本当にありがとうございました。

僕は、まだ山本志流さんに会っていないので、松村が言ったことを紹介するしかないのだが、あの松村が「本当によくやってくれる。ただ感謝しかない」と口下手で滅多に人を褒めない男が山本さんの事を言う。

「ああいう、住職さんがいれば日本も大丈夫だべ!」とまで言ったから、よほど助けてもらってんだべな~と僕も思ったほどだ。山本住職と善弘寺に、そして被災家畜を守る会に僕も感謝いたします。

強制避難区域に残された牛たちの餌を集めるのを中心に活動していると聞いたが、実際に柵作りまでお手伝いしてくれて、山本志流さん本当にありがとうございました。

男同士!本音の付き合いが出来る。包み隠さず言い合いが出来るそんな仲間が一人ひとりと増えていく。松村にとってはこんなにうれしい事は無い。

みんなが彼を応援してくれる。本当にありがたい。全国のみなさん、世界のみなさん、松村と富岡町役場と富岡の牛をこれからも応援して下さい!宜しくお願いいたします。

引き続き募金も受付致しますので、どうぞよろしくお願いいたします。郵便貯金口座はこちらです。
記号 10270 番号 10419771 名義 がんばる福島





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行って来ました。

2012-04-06 08:55:03 | 日記
NO-121
昨日、朝3時に起きて少しボーとしてたかな?ブログを書き込みながら徐々に目をさまし、コーヒーとパンで朝食を摂り5時に福島へ向かった。

今回は眠かった。あくびをしながら運転し、途中で一度だけ休憩を取って約束の9時の15分前に四倉に着いた。

少しは瓦礫が撤去されてはいたものの、あの震災の傷跡をそのまま残している姿を見て、改めてがっかりした自分がいた。四倉にはよく行き、好きな港町だった。

 津波の傷跡を今でも残している四倉の姿。

松村は15分くらい遅れて来たが、彼のトラックの荷台には圧縮された牛の餌6個が乗せられており、これが牛の餌かと少しだけ違和感を感じながらも、触ってみたが硬かった。

持ってみようとしたら途轍もなく重い。これっていったい何キロくらいあるの?と松村に聞いたら、「一つで40Kgくらいある」と答えられ、これは絶対に僕には無理で大変な作業だと思った。

 バナナを食べる松村直登。

僕なら一つ運んだら嫌になるかも?いや、トラックの荷台まであげたらぎっくり腰かも?情けないけどそのくらい重かった。

これを二本松から運んで来たのは分かったけれど、これを牛舎に運ぶ時には大変だろうな~と、本当に感心した。

この一つで、牛5頭くらいの餌になるらしい。6個だから30頭くらいの餌になる訳だが、彼のトラックではたくさん積めないので、今度大きなトラックを借りると言っていた。

朝飯食ったのか?と聞いたら「まだだ。腹減った!」と言うので、僕は持っていたおにぎりとバナナを渡したのだが、おにぎり一個とバナナ2本をあっと言う間に食べた彼を見て、日頃から本当にろくなものを食べていないのだろうなと正直思った。

そこで、いつものごとく彼に持ってきたお土産をあげた。今回は、厚揚げの詰め合わせと甘いものを少々。

彼とは二週間前に会ったはずなのに、何故か懐かしく感じ僕の発した挨拶の言葉が、やあ久しぶり!これには自分でもびっくりした。

話すことが多すぎて一時間があっという間に過ぎてしまったのだが、彼の餌やりの大切な時間を邪魔しちゃ悪いと気を遣い、早々に引き揚げねばならなかったが本当はもっと話したかった。

電話で話すこと出来ないことも話せるから、あって話す方がやはりいいなあって実感した。

 このあと富岡町に向かった松村。 

みなさんからの宿題だった新口座。郵便局へ行って開設してまいりました。募金も引き続き宜しくお願いします。
記号 10270 番号 10419771 名義 がんばる福島

富岡町の牛と富岡町役場と松村を、これからもどうぞご支援下さい。明日と、あさってと法事で静岡に行ってますので、ブログは2日間お休みさせて頂きますので、宜しくお願い致します。

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今から、福島へ。

2012-04-05 04:46:50 | 日記
NO-120
昨日の朝6時59分に松村から「こっちは大荒れの天気だ!雪も降ってる」と電話が入り、今日はどうするんだ?って聞いたら、二本松市の善弘寺に行き牛の件で山本さんに相談しに行くと言った。

こっちは一昨日ひどかったが今日はそうでもないよ!と、横浜の空を見ながら今日は温かくなりそうだと僕は返したが、福島はまだ雪が降るのである。

 松村の家の6匹の新入り君。

昨日、松村と僕のケータイに某TV局数社の取材要請があったが、二人とも忙しくて受けることが出来なかった。

それでも昨日、あるTV局で富岡町の牛の殺処分を中止したニュースを僕も見たし、産経新聞の記事も読ませて頂いた。

これだけの事をみんなの力を借りてやってしまったから、最後まであきらめずに牛を守る。松村も「もう、逃げられないぞ!」と僕に言ったのか?やるからには根性決めてやる決意を見せた。

 囲われた牛に藁をあげる松村直登。

自らの被曝を恐れずに、富岡町に残された犬や猫、鶏や豚に牛に餌を与えて一年間生きてきた男です。その彼が、誰よりも命の尊さを知っているし、誰よりも動物を愛し、動物たちの痛みや苦しみを知っている男です。

今回の事を非難する人がいれば僕はその人に聞きたい。自分だったら強制避難区域の動物を、放射能で自分が被曝する覚悟で助けてくれたのか?と。

絶対に出来ないと思います。僕は、それをやってきた松村の姿を一年間見て来ました。そんなこと言う人がいたら、人の事言う暇があったら避難区域の放たれた牛を助けるのを手伝ってくれ!と言いたい。

 餌をくれる松村によって来る牛。

本当に松村のおかげで、自分の人生が変わってしまった。ここまでくれば笑うしかない。(本当は笑えませんが)

昔の僕なら動物愛護なんて、別世界の事で彼との再会は、まさに悪魔のささやきであった。

泥沼状態に落とされてしまった感じ(笑い)これは、逃げられない状況になったということである。

  いたずらチビ助。

これから、いろいろと打ち合わせすることや早急にしなければならないことも多くなってきて、お互いにこれから忙しくなると思う。

今日、僕は今から福島へ行き、松村と会ったらとんぼ帰りして7日8日と法事で静岡に行くので、その準備をして出るから忙しい。

コメント欄にあった人間に頭をなでられたら、目から涙を流す牛たちを守りたい。全国のみなさん、命の尊さと命の大切さとうまく言えないけれど必ず守らねばなりません。

これからも是非、富岡の牛と富岡町役場と松村のために募金の輪を広げて下さい。宜しく、お願いいたします。みなさんの応援を心から感謝します。














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迷子だった子犬。

2012-04-04 08:05:14 | 日記
NO-119
全国のみなさん、そして世界のみなさん、応援ありがとうございました。たくさんのコメントもありがとうございました。たくさんすぎて返事を書けないでいたことを謝ります。

いつもと全然違う量なので、本当にすいませんでした。今日はいつものブログに戻ります。

数日前、彼から電話が入った時の事書きます。その時彼は「アキの子供が2匹いないんだ」と一言だけポツリと言った。

えっ!と僕は固まったが、何せ一連の騒ぎの中だったもので騒ぐことも出来ず困っていたのだが、なんということは無くて良かった。

まったく、心配かけてくれる。アキのいたずら小僧は、2匹とも無邪気に彼の家の中を遊びまわっていた。(彼は、朝8時半から役場で許可証の件があるので、前日には三春に泊まっていた。)

 

聞いた話、それが最悪なんだよね!彼の家の中はめちゃくちゃになり、とても人が住める状態ではなくなってしまったらしい。僕は彼には失礼だったが、笑った笑った。ゲラゲラと腹を抱えて笑ってしまった。

子犬たちは少しだけの隙間から家に侵入し、何でも興味があるからあちこち噛みついて、彼のパジャマはボロボロ。炭炬燵に2匹で入り、体中灰まみれになり家中を走り回ったから、灰だらけで大変な状況になっているらしい。

パジャマは松村のニオイがするからか、自分のベットにしてそのパジャマに寝ていたらしいのだが、たくさん噛んだのであろう?ボロボロになって出てきたと言った。それもあさっての方角から・・・・

障子もふすまもボロボロ。おしっこはいたるところでしてくれて、本当におばけ屋敷になり、「もうたくさんだ!」と叫ぶ寸前であったと思う。(大爆笑)

餌はたくさん家の中に保管されていたから、飢えてしまう事もなく子犬には遊園地のような感じだったのではなかろうか?



満身創痍、本当に疲れて帰って来る松村を、11匹の子犬が我先にと迎えてくれてその疲れを癒してくれる可愛い子犬たちである。怒るに怒れず、真っ青になった松村がいた。

彼が帰って来ると、彼が歩くのにも困るほど足元にまとわりついて、必ずその中の一匹は彼に足を踏まれてキャンキャン!と鳴く子犬がいると聞いていた。

だから、家に入るのも外のトイレを使うとき時も本当に、大変なんだと彼は言っていた。

またその日、足を踏まれた子犬は他の犬に彼を取られないようにと走って来て飛びつくから、新調したズボンはいつも彼らの爪で、ほつれがあるズボンになり、これには笑っていたけれどホントに困っていた彼だった。



それでも本当にひどいらしく、「当分住めねえ!まず、掃除しなくちゃ灰だらけで寝られねえよ!」と。人の不幸は蜜の味?性格の悪い僕は、電話の向こうの彼を想像しておかしくて笑いが止まらなかった。

彼は、家の中を見たときに「なんじゃこりゃ!」とわが目を疑ったらしく、いなくなって心配かけてた子犬が家の中にいたときは「おまえら、ホントにやってくれるよな・・・・」と、がっくし。

一部の人だけは早くから知っていたようですが、ご心配をおかけいたしました。彼の家の中で発見しました。それも大掃除のお土産付きで・・・(大笑い)

話は変わりますが、みなさんのおかげで富岡町の牛が生き延びられました。このことには本当に感謝いたしております。

これからが、本当に大変なのです。みなさんのご支援が本当に必要なのもこれからなのです。本当に、松村と富岡町役場と富岡町の牛のために、募金をお願いしたいと思います。

富岡町役場は、震災後約1万6千人いた住民が約6千人他県に避難し、まともに税収が入らない状況にあります。牛を助けると言っても、予算が無いという状況なのです。

みなさん本当に助けて下さい。富岡町の牛と富岡町役場のためにも、どうかお願いいたします。僕らも一生懸命に働きますから、お力を貸してください。

牛の餌代はもちろん、施設や設備の問題、管理する人の問題と本当に大変な問題をクリアしていかねばなりません。

コメントにありました郵貯の口座も明日、福島に行って作ってきます。松村に代わりお願いさせて頂きますが、生き延びられた牛のために、どうぞよろしくお願いいたします。

















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お礼と。お詫びと。お願い。

2012-04-03 07:16:40 | 日記
NO-118
全国のみなさま、世界のみなさま、各団体のみなさま本当にありがとうございました。みなさんのおかげで、重く大きな壁の扉が少し開きました。

そのことに感謝してもしきれません。今は肩の荷が下りたように思います。それと同時にみなさんの力って凄いなぁって・・・・何よりもみなさんが応援してくれたのが本当に嬉しかったです。

 アキと子犬に癒される松村直登。

今日は台風並みの嵐だって天気予報は出てましたが、昨日だけは僕の心には春がやってきたような感じでした。

去年の今頃は、震災からまだ一か月くらいで避難所から新宿の娘のワンルームマンションに避難し、軽い鬱(放心)状態で花見なんて考えられなかったけれど、今年は桜をゆっくりと見てみたいです。

昨日、同じ富岡町の住民の方からコメント頂いて、役場のみなさんだけに留まらず町民のみなさまにもご迷惑をおかけしたことを、深く反省しお詫びします。富岡町の町民のみなさま、本当に申し訳ありませんでした。

今回応援してくれたみなさまに、ときぶ~からお願いです。役場への応援メッセージはFAXかメールでお願いします。電話は業務に差支えが出てしまうのでかけないで頂きますようお願い申し上げます。

昨日の松村は、役場で許可証をもらってから東京新聞の取材を受け、そのあとイギリスの除染研究チームの人と会い、それから動物に餌をやり一日を終えた。

とにかく忙しい男なので、昨日の事も当たり前のように思っているのか?少しも変わらず動いている。今日は朝から牛の餌やりから入ると昨日言っていた。

彼が囲われた牛を見て回る。水はあるか?餌は足りてるか?こうして彼の仕事が始まる。農水省の方も餌やりしてくれているので、少しだけ余裕が出来たらしい。

いろいろな意味で良い方向に進んでいると思う。彼にとっても、これからが本当に大変なので、全国のみなさま、世界のみなさま、各団体のみなさま、これからも松村直登と富岡町役場の応援を宜しくお願い致します。

牛を救ってくれた富岡町役場をどうか応援して下さい。本当に宜しくお願いします。

 松村の家族。アキの子供を抱く松村直登。

最後にこの数日間、松村の子犬が2匹いなくなっていましてご心配をおかけしましたが、見つかりましたのでご報告します。ありがとうございました。











コメント (28)
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みなさんありがとう!許可証が出ました。

2012-04-02 09:50:11 | 日記
NO-117
全国のみなさま、世界のみなさま、本当にありがとうございました。

松村から電話が入りました。今日二回目のブログがこんなに早く書けるとは思いませんでしたが、許可証よりも嬉しい知らせが入りました。

富岡町で、これから牛を囲ってあげて生かす方向に進むらしいです。殺処分取りやめです。

どれほどたくさんの抗議を皆様がしてくれたでしょうか・・・・感謝に堪えません。嬉しくて嬉しくて・・・
言葉になりません。

この苦境の中で、牛といえども同じ命の重さを持つ彼らがこれから富岡町のシンボルになると思います。

原発以外の産業がこれと言って何もない富岡町に、「住民が帰って来るときの安心のシンボルになる。」と松村は言いました。

これで富岡町もみなさんが応援してくれていることを励みに頑張れると思います。

牛は僕らの町のシンボルになる。苦しい中で牛を守り、みんなで助けていく。嬉しいです。

みなさま本当にありがとうございました。みなさんは殺される直前の牛の命を守ってくれたヒーローです。

お一人お一人に、厚くお礼の言葉を言いたいです。松村も同じ気持ちでいると思います。

これからも富岡町役場と松村直登を是非、応援して下さい。宜しくお願い致します。




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今日、決まる。

2012-04-02 06:45:30 | 日記
NO-116
みなさん、おはようございます。

この数日間、みなさまにもご心配ご迷惑をおかけしました事を、お詫び申し上げますとともに感謝いたします。

この数日間、僕は本当に悩み迷いました。富岡町の同じ住民である役場の人を責めたことを、正直今は悔やんでいます。もっと違う方法は無かったのかと・・・・

でも一時的であれ、書かなければ牛の殺処分が止められなかったと思ったし、書くことは本当に辛かった。書かれた二人もどんな気持ちでいたか?思い出すだけでも心苦しい。

僕はいつか富岡町に帰るつもりでいる人間です。だから、二人とはどこかで会うことになるでしょう。遺恨を自ら作って顔を合わせるのは勇気が要ります。

全国、世界のみなさんに言います。僕らの町は牛を生かす方向で動いていた。高邑の言葉を信じて。

彼らが悪かったのではなく、牛の殺処分を二人は断腸の思いで決断せざるを得なかった事をみなさんに知って欲しい!

喧嘩を売って、自ら謝ることなんて誰もしたくないでしょ。そのぐらい、富岡町の現状はひどい事をみんな知って下さい。

国会議員の高邑は、言ったことをやらないで原発事故で避難し苦しむ町の行政を、かき回すだけかき回し行政を後退させた。これは、はっきり言う。あんたの責任だ。

出来もしないことは言うな!迷惑千万!

この数日間の間に僕のブログでコメントしてくれたみなさんに感謝いたします。

困ったもんだ様、みか様、itaru様、masako様、Unknown様11名、コマ様、Min様、ろき様、ひめまる様、名無し様、ナンシー・セロン様、ナンシーの友達コメ様、ナンシーの友達様、クロス母様、UKCJAPAN様、まる様、おぐに様、埼玉県民様、モフ様、とらちゃん様、わん様、月のあかり様、いわきのあ様、Koharu様、桂子様、チロの母様、ai様、福ぽん様、Hirai様、うさぎのぽんた様、hara様、mari様、みほ様、Kyo様、横浜から様、Motoko様、チャーミー様、なふ様、雪様、りさ様、パフ様、まきこ様、みい様、そらまめ様、広様、ももこひめ様、佐々木和恵様、まこ様、えりあ様、ここ様、津田様、あさり様、東京都民様、しろ様、ミィー様、他たくさんのみなさま。(順不同)

本当に勇気づけられました。今日の松村の許可証が発行されましたらすぐにブログでお知らせいたしますので、少しだけお時間を下さい。

宜しくお願い致します。








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