昔
色んな困難で思うような進路も思うような事もできなかった若い頃
バブル世代でみんな楽しく遊んでました。
そんな中朝から夜中までデザインの職場に入り浸りだった私は
旅行行きたいなあとか
彼氏とデートしたいなあとか
そんなありきたりな事を割と夢見たりしてました。
あまりの忙しさにお茶やお花の先生は男の先生でしたし
夜遅くてもいいから通いなさいと言われて自転車で仕事終わり9時くらいに先生宅に飛び込む事も多かったです。
先生の奥さんに軽い物を食べさせてもらいすぐにお稽古して
帰りは夜中。
北野天満宮の方まで自転車で帰ると暗くて
ほんとにキツネ出そうだわと怖かったの覚えてます。
友達がスキー行ったり海外行ったりする中
お土産もらうばかりの私は小さな嘘をついては
ちょっとは旅もしてるのよ、みたいな見栄を張ったりしました。
負けたくない、なんて
今から考えたら馬鹿みたいな話です。
小さな嘘を積み重ねて虚構の自分を見せて対抗したいなんて。(笑)
本当は仕事ばかりでどこにもろくに行けなかったのですけど
それも今から考えたら誇りに思えばいいだけの話です。
私の選んだ人生ですから。
それを勝手に卑下して来た自分が
やがて少しずつ歪んでるなと気づいてるのになかなか矯正できずにいました。
結構な歳になってから
そんな歪みをストレートに指摘してくださり叱られたことで
私はようやく色んな自分で作った変なしがらみやこだわりや偏った考えから少しずつ開放されてきました。
世の中もっともっと辛い人はたくさん。
私は健康にも恵まれ、こうして人生後半
あれほど若い頃渇望し、それでもできずにいた創作の道にようやく辿り着けたんです。
これも奇跡みたいなものだなあと感謝しています。
素直になって
できないことはできないって言っても嫌われないし
人を頼っても情けない人だなんて思われないんだよと自分に言い聞かせ
本当の自分の姿にちゃんと向き合って
背伸びしたり、良く見せようとしたり、負けたくないからこうしたいと変に妄想したり虚勢張ったりという性格を
海にみーんな流してしまおう。って
去年波打ち際でじーっと佇みました。
私ができない人でも情けない人でも
大切にしてくださる方々はおられるし
虚勢張って自分に嘘をついてまで
人と渡り合うなんてしなくていいんだなと
波の音を聞きながら想いました。
もっと自然に
心を豊かにして穏やかに過ごしたいなあ。
そう思ったんです。
口癖みたいに
大丈夫。と毎日言ってましたけど
大丈夫じゃないときたくさんありました。
泣き言と、愚痴とは言うくせに
本来言わなきゃならない事は言わなかった。
立て分けができてなかったんですね。
親のように叱ってくださり
支えてもらい
こんな経験はまあもう二度とないだろうなあと想うような
風のあとりえのいろんなことでお世話になり
恩人や
友達や
いろんな皆さんのあたたかさに私は工房開きの神事の後
嗚咽が込み上げてきて泣いてしまいました。
私はこんなにも恵まれているじゃないの。
こんなにも幸せじゃないの。
なぜ見えなかったの?と。
我を張り可愛げなく虚勢張り愚痴こぼし
ああ情けないなあと想いました。
ありがたさと申し訳無さで泣いたんです。
初めて私は
もっと真剣に作品に向き合おう
そう想いました。
何かしら設備とか家の中の物とかあれこれ整わなかった中でも
いろんな皆さんからご支援頂きました。
そんな幸せな想いを作品に込めていき
作品が幸せな気を発する表現に高めていきたい。
もちろんこれまでも作品は私の純粋な想いを込めていました。
けれどもそこからまた一歩高めていきたいと思うんです。
まだまだ私は本当のありがたさに気づけてないこともたくさんあると想います。
でも
この地にあとりえを作れたことは
私にとって
本当の本物のゆのんの世界を作りなさいと言ってもらっているのだと毎日毎日心に刻みながら創作に励みたいなと思える場所です。
何年生きられるかなんてわかりません。
それでも私は
色んな人から教えて頂き学んだことを
これからは忘れることなく
純粋な音色
純音
JUNON
ゆのんのおるごーるを
つくりたいです。
深い感謝をかたちに。