夕方1つ

またまた心配なことが入り
大丈夫なのかなぁとずーっと想う。
自分もガタガタなのに人のことをこれだけ心配できるものなのかと
それでもどうか少しでも楽に早くなられますようにと一心に想う。
自分は身の置きどころないなあと何とか横になり情けない状態なのに。(笑)
案外自分の痛いことや辛いことって割と耐えられるけど
人の辛さは何とも心が重くなる。
不安になるときもある。
あー。神様
明日は今日よりもその方が楽になられますようにとふと願ったりしている。
人と言うものは
自分の痛みは自分が若い頃から不摂生や無茶な無理をしてきた結果ですから
こりゃ相応の結果だと諦めもつく。
人のことだとこれが不思議とわからないから心配になったり不安になったりするものなのだなあと想います。
ありがた迷惑な話だろうが。
家主のお姉さんのきみちゃんが
今日電話で
地域の人たちがあなたが来てとても喜んでおられるよって言ってくれた。
私は何にもしてないのに。
逆にお野菜頂いたり優しくしてもらってる。
寒い朝にゴミ出しにテクテク歩いてると
竹屋さんのおじちゃんが寒い中もうお仕事しておられた。
「おっはよ~ございまーす!」と大きい声で挨拶したら
おじちゃん笑いながら
「おー。元気だな。さみーから気をつけてな。」
笑顔で大きな声で応えてくださる。
みんな笑顔で応えてくださる。
ありがたいことだ。
今朝は今年の最後のゴミの日で
痛い腰を庇いながら
寒い朝てくてく。
でも今日は寒くない。
首元には手編みマフラー。
あったかい。
部屋でちょっと冷えたら
肩掛け。これも手編み。
あったかい。
愛を頂いてる。
だから私も愛を込めて作品作る。
愛をたくさんたくさん頂いたら
愛を今度は思い切り込めて。
私は人生の中で今が一番そんなふうに想える。
ようやく
ようやく
色んな人のあたたかさに気がついて感動し
喜び
そして自然に笑顔になり
しんどくても辛くても
それでも
愛を込めたいと想えるようになってきた。
玄関入った廊下の奥には
姫路から贈られた素敵な蝶の絵。
福という文字。
必要なところに飾ってと言ってくださり
私はここだと想いました。
蝶は私の守り神。
だからここにした。
明るい色彩が家の中に光を呼び込む。
光は喜びを産み
反射して周りを照らす鏡となる。
人を深く想い
大切に想うことの尊さを教えてもらった気がします。
家主のお姉さんのきみちゃんは
「ゆのんちゃんの周りにいい人たちいっぱいだね。」いつも言ってくださる
感謝しかない。
工房開きの日に嗚咽した。
ありがたくて嗚咽した。
裏の工房にまわって
風防室見て
きれいに左官仕事までしてもらった母屋の出たところと
2台の作業台見たときまた嗚咽した。
部屋の中にも。
一人では私は何にもできやしない。
本当に助けてもらったおかげさま。
がむしゃらに下積みしてきた頃から
歪んだ気持ちになったときもありました。
恥ずかしいけど
妬み嫉みもありました。
一通りダメな気持ちはみーんな持ったなあと感心するくらいだ。
満たされない気持ちを曲げて変になった時もありました。
そんなときでも励ましてもらったり支えてもらったり。
今度は私が作品の中に凄まじい愛を入れる番だ。
そんなエネルギーが内在する本気のおるごーる。
今までももちろん本気だ。
これからはその本気を積み重ねてきた自分の想いに翼をつけたい。
表現の翼をつけたい。
くたびれる事は肉体的にはあっても
精神的にくたびれはしない。
だって
下積み時代の苦しさに比べたら今は本当に驚くべき現実。
もちろんこれからもきっと母のこととかで試練もたくさんたくさんあると思います。
それでも心は絶対に腐らせることはない。
工房開きの日にそう想いました。
嗚咽したのは
これまでの色々なことが走馬灯のようにぐるぐるしたから。
本物の想いを表現し続けたい。
私の表現の青春はこれからだと想っています。
