昨日、猪谷関所歴史探訪ウォーク ~飛騨街道西道をめぐり、3つの国境を眺望する~ に参加しました。
猪谷関所館主催の行事は去年に引き続き2度目の参加です。
猪谷関所館に着くと、なんと受付が1番目でした。
我が家から猪谷までは比較的近いのですが、念のため早めに家に出たので、かなりの余裕をもって到着してしまいました。
予定の時刻まで「籠の渡し」に座ってみていると館長さんが写真を撮って下さいました。
最初上から下がった綱を持っていたのですが、この綱は繋がる為の物では無く、荷物が落ちないように結ぶ為の綱だそうです。
昨日はお天気が良く、気温が少し高めでしたが、涼風が吹き渡りとてもさわやかなウォーキング日和となりました。
出発して最初の見学地は西膳寺
ここの所運動不足で、ここ2ケ月程ヨガにも行けていないので若干の不安がありましたが、頑張って157段の石段の方の道に挑戦しました。
塩屋秋貞の墓
上杉謙信に攻められた塩屋秋貞は猪谷の塔婆坂で落命したと伝えられているそうです。
旧飛騨街道西道
この道は越中から米、塩、鰤を運び、飛騨からは木材を運んだ道です。
我々には森林浴を楽しみながらの散歩道でしたが、当時は1匹10kgもの鰤を5~6匹背負って運んだと思うと苦労がしのばれます。
蟹寺公民館(滋眼院)で休憩
その昔、寺の沼地に蟹の妖怪が住みつき村人を苦しめていたのを海岸寺の住職が禅問答で蟹を退治したとの事です。
八重菊、八重牡丹の墓
源平の合戦の時の、籠の渡しにまつわる、八重菊、八重牡丹の悲しい伝説をお聞きしました。
蟹寺発電所
落差134.5m、出力5万kwの蟹寺発電所は、大正14年に完成し、当時東洋一だったそうです。
電車も通っていない険しい道を牛や人力で資材を運び現場で組み立てたという事ですから驚きです。
その発電機がいまでも稼働して電気を起こし続けている事にも驚きます。
当時東洋一だった蟹寺発電所の出力は今では関西電力の発電量のわずか0.25%だそうです。
城ケ山のふもと 3つの国境
加賀藩、富山藩、天領の3つの国境が見える当時の防衛拠点だったそうです。
西猪谷関所跡
以前館長さんが赴任された時に、「富山の南の果て」と言ったら、地元の方が「ここは南の玄関口」と言われたそうです。
現在の館長さん、前の館長さん、前の前の館長さんが詳しく解説をして下さり、歴史に触れながらの楽しいウォーキングになりました。
猪谷関所館主催の行事は去年に引き続き2度目の参加です。
猪谷関所館に着くと、なんと受付が1番目でした。
我が家から猪谷までは比較的近いのですが、念のため早めに家に出たので、かなりの余裕をもって到着してしまいました。
予定の時刻まで「籠の渡し」に座ってみていると館長さんが写真を撮って下さいました。
最初上から下がった綱を持っていたのですが、この綱は繋がる為の物では無く、荷物が落ちないように結ぶ為の綱だそうです。
昨日はお天気が良く、気温が少し高めでしたが、涼風が吹き渡りとてもさわやかなウォーキング日和となりました。
出発して最初の見学地は西膳寺
ここの所運動不足で、ここ2ケ月程ヨガにも行けていないので若干の不安がありましたが、頑張って157段の石段の方の道に挑戦しました。
塩屋秋貞の墓
上杉謙信に攻められた塩屋秋貞は猪谷の塔婆坂で落命したと伝えられているそうです。
旧飛騨街道西道
この道は越中から米、塩、鰤を運び、飛騨からは木材を運んだ道です。
我々には森林浴を楽しみながらの散歩道でしたが、当時は1匹10kgもの鰤を5~6匹背負って運んだと思うと苦労がしのばれます。
蟹寺公民館(滋眼院)で休憩
その昔、寺の沼地に蟹の妖怪が住みつき村人を苦しめていたのを海岸寺の住職が禅問答で蟹を退治したとの事です。
八重菊、八重牡丹の墓
源平の合戦の時の、籠の渡しにまつわる、八重菊、八重牡丹の悲しい伝説をお聞きしました。
蟹寺発電所
落差134.5m、出力5万kwの蟹寺発電所は、大正14年に完成し、当時東洋一だったそうです。
電車も通っていない険しい道を牛や人力で資材を運び現場で組み立てたという事ですから驚きです。
その発電機がいまでも稼働して電気を起こし続けている事にも驚きます。
当時東洋一だった蟹寺発電所の出力は今では関西電力の発電量のわずか0.25%だそうです。
城ケ山のふもと 3つの国境
加賀藩、富山藩、天領の3つの国境が見える当時の防衛拠点だったそうです。
西猪谷関所跡
以前館長さんが赴任された時に、「富山の南の果て」と言ったら、地元の方が「ここは南の玄関口」と言われたそうです。
現在の館長さん、前の館長さん、前の前の館長さんが詳しく解説をして下さり、歴史に触れながらの楽しいウォーキングになりました。