特殊清掃「戦う男たち」コメント公開

戦友の意見交換の場として公開しています。

負けるな(公開コメント版)

2017-12-31 09:08:49 | Weblog
薄日差す曇空の大晦日。
2017年も今日でおしまい。
例によって、私は、大晦日の今日が仕事納めで、元旦の明日が仕事始め。
正月三が日ぐらいはゆっくり休んでみたいところだけど、珍業の零細企業に そのゆとりはない。
「だから・・・」というわけではないけど、私は、神社仏閣への初詣とかは、毎年、当然のように行かない。
単に時間がないからではなく、そっち系の信心もなければ興味もないから。
大袈裟な言い方だけど、それを越えて、逆に、心害があるくらいに思っている。

それでも、年末年始の祝ムードは好き。
人生において何十回か目の正月を迎えられることを祝いたい。
だから、今夜は、そんな気分を肴に、美味い酒を飲もうと思う。
ま、そうは言っても、明日も朝から仕事だから深酒はできないし、「美味い酒」といっても、飲むのはいつものウイスキー。
正月だからと言って、特別な酒を用意しているわけではない。
ただ、このウイスキー、頂きモノなのだけど、12年物のスコッチで、なかなかの美味。
また、なかなかの値段。
特別なことでもないかぎり、自腹では手が出ない。
それが、私の飲ペースで2~3か月分くらいもあり、私の気分を上げてくれている。

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あったかぞく(公開コメント版)

2017-12-19 08:55:31 | Weblog
夏の暑さが夢のよう・・・
師走に入り、冬らしい寒さが続いている。
「例年の比べて寒さは厳しい」とのことだけど、“冬ってこんなもの”だと思う。
異常気象に苛まれすぎて、気候に関して世の中が少々過敏になっているような気がしないでもない。

とにかく、冬は空気が澄んで景色もきれい。
上がりきらない陽に景色は眩しく輝き、夕焼けも一段と映え、星も夜空を満たす。
とりわけ、アクアラインから眺めは私のお気に入り。
頻繁に走るルートなのに、透明な日は360度の全景をいつもマジマジと見回してしまう。
千葉県・東京都・神奈川県の街々に幕張・都心・横浜のビル群、羽田空港を離着陸する飛行機に東京湾に浮かぶ船、街の向こうに見える山々、富士山はもちろん、またそのうち登りたいと思っている筑波山まで見える。

そんな日の夜は、あったかい風呂にゆっくり浸かって身体をほぐしたいところだけど、ケチな私は、水道光熱費を抑えるため、短いシャワーだけで済ませることが多い。
もちろん、湯を出しっぱなしになんかしない。
だから、頭や身体を洗っている間は、寒くて寒くて仕方がない!
鳥肌を立て、ガタガタと震えながら風呂に入っている。

ただ、侘びしいことばかりではない。
その分、就寝時の布団がありがたく思える。
昨年は掛布団をグレードアップして そのあたたかさに感激したのだが、今年は敷布団もグレードアップして その寝心地のよさは更に向上。
ツラい労働からも解放され、あとはゆっくり眠るだけ。
まるで、あたたかい風呂に浸かっているかのようにリラックスできるのである。


冬の足音が聞こえる晩秋の午後、私の携帯が知らない番号で鳴った。
知らない番号で携帯が鳴るのは日常茶飯事なので、私はいつも通りよそ行きの作り声で電話をとった。

「お久しぶりです!」
「仕事、まだやってます?」

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熱(公開コメント版)

2017-07-17 08:22:35 | Weblog
梅雨入りが宣言されてしばらくたつけど、その梅雨はどこへ行ったのか。
東京近郊に限っていうと、梅雨らしい日はほとんどない。
猛暑!酷暑!強い陽射しが照りつける毎日、強い熱波に曝される毎日。
気の毒なことに、雨が降らなさ過ぎて、紫陽花の花ビラも干からびている。
このままいくと水不足になるのは必至。
飲水が欠くような事態は想像しにくいけど、異常気象? 恐怖感すら覚えるような空梅雨である。

そんな季節の現場作業は、ホントにツラい!
あまりのしんどさや、はかどらなさに、イラついてくることもままある。
全身から汗が吹き出し、いくら飲んでも喉の渇きが癒えることはない。
心臓のバクバク感もハンパじゃない。
日陰で休んでも、少々のことでは治まらない。
若くない身体には、相当に堪える。

だけど、猛暑の中でキツい労苦を強いられているのは私だけではない。
外で働く多くの肉体労働者も同じこと
冷房のない所で汗をかいている人は巨万といる。
建築現場、工事現場、運配送etc・・・そんな異業の人達のがんばる姿に、私も励まされている。

気をつけなければならないのは熱中症。
特に、私の場合、一人作業が少なくないので、慎重に自己管理しなければならない。
しかし、まだ若いつもりでいる私。
どこからどう見ても若くないアラフィフのくせに、作業に没頭してしまい、ついつい休憩を後回しにしてしまう。
で、知らず知らずのうちに身体の水分が抜け、体温が上がっていく危険を放置してしまうのである。

孤独死現場で孤独死するのは私らしい死に方かもしれないけど、当然、そんなの本望ではない。
「死んでしまいたい」と思ってしまうような虚無感・疲労感・倦怠感に襲われることはしばしばあるけど、その根底には「健康で長生きしたい」という本性がある。
そして、“死”は、毎日 想うことだし、覚悟がいることはわかっているけど、やはり、恐怖感・切なさ・寂しさ・嫌悪感等を覚える
だから、もう少し悟れるくらいまでは生きていたい・・・今、壊れるわけにはいかない。

幸い、この猛暑にあっても、身体の調子を崩さず仕事ができている(相変わらず、精神のほうは不調が多いけど)。
しいて言えば、時折、軽い目眩と蕁麻疹がでるくらい。
病院にかかるほどのことにはなっていない。
とにもかくにも、生活がキツかろうが 仕事がツラかろうが、とりあえず、変わらぬ日常を過ごすことができていることに感謝!している。


先日、何度か取引したことのある不動産会社から、
「住人が孤独死した部屋があるので見てほしい」
との依頼が入った。
“この時季だから、結構なことになってるだろうな・・・”
“百聞は見にしかず、いちいち細かなことを訊くより現場に行ったほうがはやい”
と思った私は、ややテンションを上げながら、早速、その翌日に現地調査の予定を入れた。

訪れたのは、古いアパートの一室。
先入観が働いて、その部屋からは“いかにも”といった雰囲気が漂っているように見えた。
私は、現場に設置されたkeyboxの鍵を使って開錠。
やや緊張しながら、手袋をつけた右手でゆっくりとドアを引いた。

凄まじい悪臭が噴出してくることを予想し、専用マスクを首にブラ下げて構えていた私。
しかし、中から漂ってきたのは、熱せられた空気とホコリっぽい臭いだけ。
私のテンションと部屋の実情は、明らかにミスマッチ。
私は、“安堵”というより“怪訝”な気持ちを抱きながら、部屋に足を踏み入れた。

間取りは1DK。
狭い部屋で、一目で部屋全体を見渡すことができた。
が、明確な汚染痕はどこにも見当たらず。
また、ウジも這っておらず、ハエも飛んでおらず。
部屋の中央に敷かれた薄汚れた布団が、故人の最期の姿を想像させるくらいだった。

部屋の状態は、それと言われなければわからないくらいのライト級。
もちろん、それは、故人、遺族、大家、不動産会社、他住民、そして私、誰にとっても幸いなこと。
本来なら安堵すべきことなのに、私は、拍子抜けした感じの妙な感覚を覚えた。
私は、へビー級を覚悟して現場に出向いたわけで、せっかく火をつけた特掃魂が無駄になったことに対するもったいなさ・寂しさみたいなものを感じたのだ。

もちろん、作業は楽なほうがいい。
キツい作業なんてまっぴらゴメン。
だけど、皮肉なもので、やり終えたときの清々しさ(満足感?達成感?)は、仕事がハードであればあるほど高い。
晩酌の味も同じ。
がんばった分だけ、味が上がる。
そんな日は、「今日もよく働いた!」「美味しく飲めてありがたい!」と、ビールやハイボールをリットル単位で飲んでいく。
最近は、生涯を通じて縁遠かったブランデーやワインを飲むこともある。
そうして、次のエネルギーをチャージして後、疲れた身体を汗臭い布団に横たえるのである。

その旨味を覚えたせいでもないだろうけど、現場の状況が酷ければ酷いほど熱を帯びる私。
「いよいよ変態になってきたか?」
と、自分でもそう思う。
だけど、私は、要領よく楽する自分より、真正面でがんばる自分の方が好き。
労苦に喘いでも、辛酸を舐めても、がんばったことは無駄にならないから。
不本意な結果しか得られなくても、希望が失われても、その欠片は残るから。
そして、がんばった経験と希望の欠片は、次の自分と新たな未来をつくってくれるから。


例によって、ブログの更新がとまっている。
重症化しやすい現場と この暑さで、肉体的にも精神的にも時間的にも、ブログを書く余裕がなくなっているから。
多分、次回の更新も、しばらく先になることだろう。
だけど、「がんばりたい!」という情熱は持っている。
そして、生きているかぎり、この想いは持ち続けていたいと思っている。

略儀ながら、がんばって生きている・・・がんばって生きようとしていることの報告まで。

2017年 盛夏 特掃隊長

蕁麻心(公開コメント版)

2016-08-15 08:26:43 | Weblog
二週間ほど前のことになる。
午前中、とある現場に現地調査に出かけた。
依頼の内容は、家財生活用品(遺品)処理。
家屋は古い一戸建で、家主は数年の入院の末に逝去。
当人は、早期に退院できると思っていたため、家は、入院時そのままの状態で維持。
しかし、そのまま数年が経過。
そして、結局、日常の生活に戻ることはできす、とってあった家財生活用品は丸ごと遺品となった。
私は、部屋一つ一つ、収納庫や押入れ一つ一つを確認はもちろん、物置、鉢植、ガラクタetc、荒れ放題の庭や外周も確認。
行く手を阻む草樹をはらいながら、まとわりつく蚊や蜘蛛の巣をはらいながら検分を進めた。

そうこうして約一時間。
調査を終えた私は、少し離れたコインPにとめておいた車に戻った。
そして、書類を片付けたり、靴を履き替えたりして帰り支度をはじめた。
そうしていると、腹部に違和感が。
ベルトラインに沿って痒みが発生。
シャツをめくり上げて覗いてみると、痒い部分が帯状のミミズ腫に。
私は、そこをポリポリ掻きながら、
「あそこの庭で、虫にでも刺されたんだな・・・」
「ま、放っとけば、そのうち治るだろ・・・」
と、まったく気にせず、次の仕事に車を走らせた。

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追憶の影(公開コメント版)

2016-07-06 07:58:06 | Weblog
遺品処理の依頼が入った。
依頼者は老年の男性。
「自宅の一部屋に家族の遺品がまとめてあるので、それを片付けてほしい」
とのこと。
私は、例によって、事前の現地調査が必要であることを説明し、その日時を約した。

訪れた現場は、古びた感のある一般的な一軒家。
約束の時間の五分前に家の前に車をとめると、その音を聞きつけてだろう、インターフォンを押す前に家の中から一人の男性がでてきた。
「こんにちは」
「お待ちしてました」
お互い、お互いのことはすぐにわかったので、すぐに 視線を合わせて挨拶を交わした。

目的の部屋は、家の二階の一室。
玄関を通された私は、男性の後をついて二階へ。
そこは、普通の六畳間ながら、日常の生活で立ち入っているような生活感はなく、色々なモノが所狭しと並べられ、また積み重ねられ、様相はまるで物置。
段ボール箱に入った荷物も多く、引っ越してきたばかりの家で、荷解きする前の荷物を仮置きしているような光景だった。

部屋には、老年の女性がいた。
女性は、男性の妻で、小さな椅子に腰掛け、自宅に現れた見ず知らずの私には目もくれず、ただ宙を見つめていた。
その顔は無表情で弱々しく、私は、ちょっと異様な空気を感じたが、とりあえず笑顔をつくって
「お邪魔します」
と挨拶。
すると、女性は、うつろな視線を私に移し、椅子に座ったまま私にお辞儀をしてくれた。

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追憶の光(公開コメント版)

2016-06-10 07:20:23 | Weblog
「死後、約一ヵ月余」
「汚れ具合はわからないけど、ニオイが酷くて入れない」
「とりあえず、中に入れるようにして欲しい」

依頼者は中年の女性。
亡くなったのは女性の叔母、つまり女性は故人の姪。
現場は、故人所有の一戸建。
遺体の処理は終わっており、あとは、その痕を始末するのみ。
境を狭く隣接した家屋はなく、メンタル的な部分を除けば、近隣に迷惑はかかっていないよう。
そして、亡くなって一ヵ月余も経っていれば、慌てる領域は越えている。
私は、気持ちが落ちつかなそうな女性に慌てる必要はないことを伝え、当日の夕方まで時間をもらい、現地調査に出向く約束をした。

人に頼られたときの私は、素の性質に似合わずパワフルになる。
依頼者が困った状況に遭い、自分が役に立てそうな場合は尚更。
自己を顕示するようで話でみっともないだけかもしれないけど、決して奇特な性格でもなければ、隣人愛を持っているわけでもないのに何となく張り切ってしまうのだ。
そんな私は、日中の作業を手早く片付け、予定より早く約束の現場へ向かった。

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自己不満足(公開コメント版)

2016-03-10 09:12:26 | Weblog
“死”のニュースは、毎日、世界中を駆け巡っている。
遠い世界だけのことではなく、それは、身近なところでも起こっている。
それを見れば、“死”というものは、いつ訪れてもおかしくないことがわかる。
人を死に至らしめるのは老いや病気が多いのは間違いないけど、それだけではない。
“生”というものは常に“死”と隣り合わせであり、人は、いつ死んでもおかしくない状況で生かされているのである。

あまりにインパクトが強すぎて、地が大きく揺れた恐ろしさが、まるで昨日のことのように思い出されるが、あれから明日で五年。
2011年3月11日の朝、その日で自分の人生が終わることを知って仕事や学校に出かけた人はどれだけいただろうか・・・
多分、一人もいなかったはず。
それでも、多くの人の人生が終わりを迎えた。
そして、それぞれの意思に関係なく、残された多くの人の人生が予期せぬ方向へ流されていった。

それでも、五年という時間は変わりなく過ぎた。
そして、過ぎた時間の分だけ、非被災地にとっての震災は遠くにぼやけていった。
それが、時間が持つ優しさでもあり冷たさでもある。
だからか、この時期以外、普段は、あまりニュースにもならなくなった。
どうでもいいように思える有名人のスキャンダルは飽き飽きするほど繰り返し報道されるのに、震災のニュースは、まるで“旬”でもあるかのように一時的なものになっている。
しかし、今でも、困っている人はたくさんいる。
長い苦しみに耐えている人はたくさんいる。
そして、ボランティアで、それを支えている人もたくさんいるのだろう。

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山場 ~大山編~(公開コメント版)

2016-02-01 07:05:45 | Weblog
先日、予定通り、大山(神奈川県伊勢原市)に行ってきた。
その日の朝は、快晴で気温2℃。
時刻は7:00過。
例によって、混雑を避けるため、早朝からスタート。
それでも、私は一番手ではなく、何人かの登山客が私より先に出発していった。
ただ、山登りは、人と競うものではなく、自分と競うもの。
私は、緊張感にも似た期待感をもって、ゆっくりと坂道を登り始めた。

とりあえずの目的地は、阿不利神社下社。
私は、開店前の土産物店や食堂が並ぶ「こま参道」を抜け、女坂へ。
阿不利神社下社へ上がるには、男坂と女坂の二コースあるのだが、スケベな私が“女”を選ぶのは至極当然。
迷うことなく女坂を選んだ私は、意気揚々と歩を進めた。
が、この女坂、女性と同じで簡単には進ませてくれない。
急な階段が幾重にも続き、まったく侮れない。
一昨秋に経験済みなので覚悟はできていたけど、それでも、早々と息はあがり臓もバクバク。
小刻みに休息を入れないと、とても登れたものではなかった。

阿不利神社下社に着いたのは8:00過。
他の登山客が恭(うやうや)しく社に向かって手を合わせる中、神道信仰を持たない私は気にせずスルー。
眺めのいいベンチに腰を降ろし、汗ダクの身体を外の冷気に晒した。
そして、リュックから朝食用に持ってきたパンを一個取り出し、それをウーロン茶とともに胃へ流し込んだ。
大食いの私がパン一個で満足できるわけはなかったけど、山登りの本番はそこから。
腹を重くしては差し障りがあるため、朝食はパン一個にとどめ、澄んだ空気で深呼吸をして後、山頂への登山口へ進んだ。

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山場 ~筑波山編~(公開コメント版)

2016-01-18 09:49:43 | Weblog
前ブログに書いたとおり、このところ精神状態がいまいち。
次々と襲ってくる虚無感や疲労感に翻弄されながら低空飛行を続けている。
それでもまだ“飛行”しているからマシ。
現実から逃げて着陸なんかしようものなら、二度と離陸できなくなるかもしれない。
再び飛び立つにしても、相当に難儀するはず。
力尽きての墜落なんか論外。
どうしたって避けなければならない。

私の人生が虚しいものなのではない。
私が人生を虚しく生きてしまっているだけ。
私は疲労を抱えているのではない。
私が疲労感を抱えてしまっているだけ。

つまり、問題なのは、この現実ではなく、この感性・感覚。
それは、気分にUp・Downがあることや、欝状態だけでなく躁状態もあることが証明している。
ただ、どんなに虚無感に襲われようが、どんなに疲労感を覚えようが、ジッとしているのはよくない。
気分転換なんて、そう簡単にできるものではないけど、何もせず悶々としていてもいいことはない。
何かすれば、少しは気が紛れるし、同じ憂鬱状態でも自分なりに策を講じている感が持てる。
だから、些細なことでもいいから、何かに努力し、何かに忍耐し、何かに挑戦したいと思っている。

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忘嫌者(公開コメント版)

2015-12-24 08:56:11 | Weblog
今年は暖冬と言われているが、その言葉の通り、先の何日か極端に暖かな日があった。
その日は、春を通り越して初夏のような暖かさで、現場で作業をしていても季節に似合わない大汗をかいた。
そうは言っても、冬は冬。
暖かな日は長く続かず、寒さは戻ってきている。

そうやって冬か深まっていく中、今年も、だんだんと終わりに近づいてきた。
そして、今日はクリスマスイブ。
街は、どこもかしこもクリスマスカラーで彩られ、「Merry Christmas」の文字が躍っている。
私には、クリスマスに宴会をする習慣はないけど、街の賑わいに包まれているだけで楽しい気分になる。
これもクリスマスの恩恵だろう。

私にとって、年の瀬の宴会といえば忘年会。
忘年会は「その年の苦労を忘れるための宴会」(諸説あり)と言われているように、本来は楽しく飲むべきもの。
だけど、実際は、職場や仕事上で行われることが多く、色んな人に気を使って忘年会自体が苦労になってしまっているケースも多そう。
前ブログにも書いたように、私も、今年は、仕事上で二回の忘年会があった。
ただ、無礼講ではないものの微礼講的な雰囲気で、そんなに堅苦しい思いはしなくて済んだ。
だからか、気をつけていたつもりなのに、ちょっと飲みすぎた。
若い頃に比べると弱くなったとはいえ、もともと酒は強いほうなので「泥酔」とまではいかなかったけど、結構酔ってしまった。
ま、それでも、記憶を喪失することもなく、醜態を晒すこともなく、社交的に楽しくやれたのでよかった。

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