ゴミの撤去処分について、電話で相談が入った。
声と語気で判断するに、相手は、老年の女性。
また、丁寧な言葉遣いと上品な語り口から、“お金持ちの家の奥様”を連想。
女性は、色々と相談したいことがあるみたいだったが、「まずは、事情をお話ししたい」という。
私は、「必要であれば伺うこともできますから、それもご検討ください」と前置きして、女性の話に耳を傾けた。
女性は、自己所有の一軒家で生活。
夫は数年前に死去し、この時は、40代になる娘(以後「当人」)と二人暮らし。
相談の内容は、当人が部屋に溜めたゴミの片付けについて。
しかし、話を聞くにつれ、問題の中核は“ゴミ”ではなく“当人”であることが明るみになってきた。
当人は、女性の一人娘。
裕福な家庭だったのだろう、小中、そして、高校も大学も、それなりのところへ進学。
「人並」という言葉は思慮なく使うべきではないのかもしれないけど、人並に成長。
そして、大学を卒業し、とある企業に就職。
父親のコネもあったようで、希望の職種で、しかも名のある企業。
夢と希望に満ち溢れ、その前途は揚々としていた。
しかし、ほどなくして、職場の人間関係に揉まれることに。
会社の方針は、「成果主義」の皮をかぶった競争主義で、同僚は「仲間」ではなくライバル。
そして、上司は、「指導管理者」ではなく、手柄は自分に、責任は部下に押しつける上官。
当時は、世の中に、「パワハラ」なんて言葉も問題意識もなく、黙って耐えるのが当り前の時世。
それに耐えられない者は、敗者として辞めていく・・・続きはこちら