特殊清掃「戦う男たち」コメント公開

戦友の意見交換の場として公開しています。

終宴(公開コメント版)

2013-03-28 13:59:34 | 孤独死 遺品整理
楽しいことばかりじゃない、嬉しいことばかりじゃない、ありがたいことばかりじゃない毎日。
ひどく苦しむこともあれば、ひどく悩むこともある。
もちろん、たいした苦悩もなく平穏な日もある。
そんな日々の楽しみは、やはり晩酌。
質素な肴と安酒ながら、結構、楽しいものである。

ただ、問題もある。
それは量。
百薬の長といわれる酒も、飲みすぎれば毒になる。
それがわかっていてもやめられない。

毎晩、泥酔するほど飲んでいるわけではない。
そんなことしてたら、それこそ身体と金がもたない。
だけど、翌朝の不快感・倦怠感と腹の具合を考えると、やはり、飲みすぎの感は否めない。
更には、身体だけではなく、精神にも悪影響を及ぼしているような気もする。

酒で身体を壊して仕事ができなくなったら大変。
私にとっては労災みたいなものだけど、実際に労災が適用されるわけはない。
どちらにしろ、自分が苦しむことになるし、まわりにも多大な迷惑をかける。
そうなる前になんとかしなければ・・・そう思いながらこの歳になっている。

そこで、決めた。
週二日の休肝日をもうけることを。
禁酒は土台無理な話だし、日々の減酒も基準が曖昧でなし崩しになりやすい。
週休肝二日は基準もルールも明確で、逃げ道がないので意志の弱い私に向いている。

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年頭の念頭(公開コメント版)

2013-01-28 14:22:39 | 孤独死 遺品整理
2013年 謹賀新年(既に死語?)。
今年も、つまらないことをグズグズ考えて、暗闇を暴走してやろうと開き直っている。
答をだせる頭を持っていないことは承知のうえで。

大晦日の31日は現場仕事はなかった。
一日中事務所にいて、たまっていた雑用やデスクワークを片付けた。
(デスワーカーにも少なからずのデスクワークがあるんだな。)
また、翌日も業務予定はなかったので、「明日(元旦)は休めそうだな」と、気持ちを完全にゆるめていた。

ところが・・・
夕方になって、一件の相談が舞い込んだ。
まだひと月も経っていない案件なので相談の内容まで明かすのは差し控えるが、依頼者はとにかく作業を急いでいた。
「今夜でもいいから来てほしい」といった具合に。
しかし、そのタイミングで、その仕事に行きたがるスタッフがいるわけはなく・・・
また、誰かに「行ってこい」とも言えず・・・結局、私が行くことに。
しかし、既に正月の前味に心身がゆるんでいた私。
楽したくて仕方がなく、とても行く気にはなれず・・・
私は、大人気なくグズった。
結局、翌日の朝一で行くことで、依頼者との協議は決着した。

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自憂(公開コメント版)

2012-11-23 15:30:51 | 孤独死 遺品整理
「どうしてくれんのよ!みんな“出ていく”って言ってるじゃない!」
「家賃収入で生活してるのに、この先、どうすればいいのよ!」
女性は、怒り心頭の様子で男性に怒鳴った。

「相続は放棄しますが、とりあえず、部屋を空にするまではこちらの責任でやります」
「申し訳ありませんが、あとのことは責任持てません」
男性は、女性の激高も意に介さず、淡々と自分の心積もりを話した。

「掃除だけでも先にやった方がいいかと・・・」
「近所に迷惑がかかってるようですから・・・」
揉め事に巻き込まれるのを避けたかった私は、話の向きを変えようと努力した。


現場は、古い町並みに建つ老朽アパート。
一階に二部屋、二階に二部屋。
その二階の一室で、孤独死・腐乱死体が発生したのだった。

そこにいたのは三人。
現場アパート大家である女性と、故人の甥である男性、そして、特殊清掃業者の私。
かってでたわけではないが、第三者である私は仲裁役のようになってしまい、双方から事情をきくことになってしまった。

大家女性は70代。
資産家というわけではなく、運用している不動産はこのアパートだけ。
安くない固定資産税を払いながら、少ない年金と家賃収入でなんとか生活を維持。
本件が原因で他住人も「出て行く」と言っており、家賃収入がなくなれば生活が破綻するのは明らか。
「場合によっては、アパートを叩き売りし、その資金を余生で食いつぶしていくしかないか・・・」と不安に駆られていた。

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食わず嫌い(公開コメント版)

2012-02-07 09:11:10 | 孤独死 遺品整理
疑問に思う・・・
「孤独死ってよくないことだろうか・・・」と。

昨今は、「無縁社会」といった言葉が流行り、大きな社会問題として取り上げられることが多くなってきた。
そして、その延長線上には孤独死が置かれている。
無縁社会に対する問題提起は、そのまま孤独死を問題視することにつながっている。

大方の人達は、通常の孤独死を否定的に捉える。
しかし、故人の歴史や事情を知らない他人が、その死に方の是非を判断していいものかどうか、疑問を持つ。
住み慣れた自分の家で、一人で死んでいくことは、そんなに悪いことだろうか・・・
そこが病院じゃなく、看取る人がいないだけで、そんなに問題だろうか・・・
もともと、人は一人で死んでいくものじゃないのだろうか・・・
個人の問題・家族の問題を社会の問題として社会がフォローしケアするのはいいことだと思うけど、“悪”として決め付けるのはどんなものだろうか・・・
「孤独死=社会問題」「孤独死=社会悪」とするのは、あまりに浅はかではないだろうか・・・
死に様の否定は、本人の生き様まで否定することのようにも感じられて、何とも言えない違和感を覚えてしまう。

そもそも、残された人の手を煩わせない死・・・人に迷惑をかけない死なんてない。
自殺はもちろんとして、通常の死でも、少なからず誰かの手を煩わせるもの。
先人の始末は、後人の務め。
それを継承しながら、人は代々生きている。
死もまた、自然の営みのひとつ。
身体は孤独でも、死に際の精神まで孤独とは限らない。
この社会は、一人きりの死を闇雲に嫌悪するのではなく、あたたかく受け止めることをおぼえてもいいのではないかと思う。


「管理しているマンションで孤独死が発生した」
「大至急、来て欲しい!」

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