「お前は負け犬」
「お前のブログは負け犬の遠吠え」
時折、そんな声が聞こえる。
そして、それは、自分を見つめ直すきっかけを与えてくれる。
勝敗の判断基準をどこに置くかによると思うけど、私はそれを否定しない。
容姿、収入、学歴、職業etc・・・私は、金持ちでもなく、社会的に高地位についているわけでもない。
人から羨望されるようなこともない。
そういう面では、人との勝負にはほとんど負けている。
だから、一般的にみて、“負け犬”と思われても仕方がない。
また、私の話には、“きれいごと”とされやすいネタやネガティブな愚痴が多い。
常に、不平・不満・不安感に支配され、陰気クサイ雰囲気がプンプン。
こうして自分を卑下する自虐ネタも好きで、それが陰気臭さを倍増させているかもしれない。
このブログにしたって、読んで明るい気分になれることは少なく、どちらかというと神妙な気分になることのほうが多いのではないだろうか。
しかし、負け犬は負け犬でも、不戦敗ではないと思っている。
一応は、戦っているつもりである。
生きていること・生きることを当然のことと思い、生きるということはどういうことか・生きるためには何をしなければならないのかなんてことは何も考えず、生に対して無責任でいられた若い頃は戦いを避けて通り、不戦敗を続けてきたこともあった。
しかし、この仕事を始めてからは、それも減ってきたように思う。
そして、ときには善戦したこともあったように思う。
完敗ではなく惜敗だったことがあったかもしれない。
それらを経て、わずかながらでも、努力することと忍耐することが身についてきたように思える(この歳になって、“手遅れ”の感もあるけど)。
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「お前のブログは負け犬の遠吠え」
時折、そんな声が聞こえる。
そして、それは、自分を見つめ直すきっかけを与えてくれる。
勝敗の判断基準をどこに置くかによると思うけど、私はそれを否定しない。
容姿、収入、学歴、職業etc・・・私は、金持ちでもなく、社会的に高地位についているわけでもない。
人から羨望されるようなこともない。
そういう面では、人との勝負にはほとんど負けている。
だから、一般的にみて、“負け犬”と思われても仕方がない。
また、私の話には、“きれいごと”とされやすいネタやネガティブな愚痴が多い。
常に、不平・不満・不安感に支配され、陰気クサイ雰囲気がプンプン。
こうして自分を卑下する自虐ネタも好きで、それが陰気臭さを倍増させているかもしれない。
このブログにしたって、読んで明るい気分になれることは少なく、どちらかというと神妙な気分になることのほうが多いのではないだろうか。
しかし、負け犬は負け犬でも、不戦敗ではないと思っている。
一応は、戦っているつもりである。
生きていること・生きることを当然のことと思い、生きるということはどういうことか・生きるためには何をしなければならないのかなんてことは何も考えず、生に対して無責任でいられた若い頃は戦いを避けて通り、不戦敗を続けてきたこともあった。
しかし、この仕事を始めてからは、それも減ってきたように思う。
そして、ときには善戦したこともあったように思う。
完敗ではなく惜敗だったことがあったかもしれない。
それらを経て、わずかながらでも、努力することと忍耐することが身についてきたように思える(この歳になって、“手遅れ”の感もあるけど)。
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