一月も今日で終わりか・・・
私にとって、この一月はえらく長く感じるものだった。
正月を祝ったのはたった一月前のことなのに、だいぶ前のことのよう・・・
精神状態がよろしくないせいで、一日一日を噛みしめながら・味わいながら過ごしたものだから、長く感じたのだろうと思う。
ま、一日一日をそうして過ごすのは、悪いことではない。
むしろ、いいことだと思う。
心地いいのか悪いのかわからない疲労感をともなうけど、時間の有限性を意識しながら過ごすのは、なかなか乙なものである。
悪いことといえば、気持ちに余裕がないこと。
そのせいかどうか定かではないけど、日常の生活で、探しているモノが目の前にあるのに視界に入らないことがたまにある。
例えば、カバンの中のボールペンとか、冷蔵庫の中の調味料とか、下駄箱の上の鍵とか。
完全に視界の中にあるのに、自分ではそれに気づかない。
冷静に探せばすぐに見つかるはずなのに、目がそれに気づかないのである。
それでも、
「ここにあったはずなのに・・・」
「おかしいなぁ・・・」
と怪訝に思いながら探し続ける。
そうすると、大方のものは見つかる。
しかも、自分の視界の中から。
そうすると、視界の中にあったのにそれが完全に見えてなかったことに気づく。
そして、「俺、どうかしてるな・・・」と、何かのトリックにひっかかったような、キツネにつままれたような奇妙な気分になるのである。
続きはこちら
私にとって、この一月はえらく長く感じるものだった。
正月を祝ったのはたった一月前のことなのに、だいぶ前のことのよう・・・
精神状態がよろしくないせいで、一日一日を噛みしめながら・味わいながら過ごしたものだから、長く感じたのだろうと思う。
ま、一日一日をそうして過ごすのは、悪いことではない。
むしろ、いいことだと思う。
心地いいのか悪いのかわからない疲労感をともなうけど、時間の有限性を意識しながら過ごすのは、なかなか乙なものである。
悪いことといえば、気持ちに余裕がないこと。
そのせいかどうか定かではないけど、日常の生活で、探しているモノが目の前にあるのに視界に入らないことがたまにある。
例えば、カバンの中のボールペンとか、冷蔵庫の中の調味料とか、下駄箱の上の鍵とか。
完全に視界の中にあるのに、自分ではそれに気づかない。
冷静に探せばすぐに見つかるはずなのに、目がそれに気づかないのである。
それでも、
「ここにあったはずなのに・・・」
「おかしいなぁ・・・」
と怪訝に思いながら探し続ける。
そうすると、大方のものは見つかる。
しかも、自分の視界の中から。
そうすると、視界の中にあったのにそれが完全に見えてなかったことに気づく。
そして、「俺、どうかしてるな・・・」と、何かのトリックにひっかかったような、キツネにつままれたような奇妙な気分になるのである。
続きはこちら