特殊清掃「戦う男たち」コメント公開

戦友の意見交換の場として公開しています。

生き疲れ(公開コメント版)

2017-04-11 08:56:58 | その他
陽春の候、一年半近くかかった工事も終わり、 桜花より先に“ガードマンF氏”の姿はなくなった。
(※昨年12月7日「万歳!」 本年3月3日「努め人」参照)

私にとってF氏は、まったくのアカの他人。
日課のウォーキング中、ほんの数分の立ち話をするだけの関係。
だけど、雑談を重ねるうちに、何かが情を厚くしていった。
F氏が親と同年代だからか・・・
自分と同じく、ハードな肉体労働者だからか・・・
自分と同じく、社会の底辺に生きているからか・・・
後悔多そうな過去が自分と重なったからか・・・
生きることに苦しむ姿が自分と重なったからか・・・
・・・どことなく自分を見ているようで、自分の将来を見ているようで、とにかく、アカの他人のようには思えなくなっていた。

最後の日の三週間余前のこと、
「ここの仕事もそろそろ終わりだね・・・」
照れ臭そうに私に伝えたF氏。
「そうですよね・・・さびしくなるなぁ・・・」
その日が近いことはわかっていたものの、あらためて言われて、ややしんみりした私。
「おかげで楽しく仕事ができたよ」
F氏はそう言って笑った。

続きはこちら

大海知らず(公開コメント版)

2017-04-06 13:32:40 | その他
桜花爛漫の候。
進学、卒業、就職、転職等々、環境や気分も新たに新生活をスタートさせた人も多いだろう。
新生活のスタートにあたっては、旧知の人との別れもあれば、新たな人との出会いもあっただろう。
いい出会いがあれば結構なことだけど、この人間社会では、そうでないことも少なくない。そこが悩ましいところ。

“人間関係”は、人の幸福感に大きな影響を及ぼし、人生を左右することもある。
人によって よい方向に導かれることもあれば、よくない方向に流されることもある。
人を好きになることもあれば、嫌いになることもある。
友人、知人、夫婦、親子、親族、上司、同僚、部下、取引先、近所・・・
パワハラ、セクハラ、いじめ、陰口、争い事・・・
歪んだ人間関係が、せっかく入った学校を去らせ、せっかく就いた仕事を辞めさせ、せっかく着いた住居を移させる事態に追い込むこともある。
逆に、良好な人間関係は、生活を楽しくさせ 人を幸せにする。
だから、人は、良好な人間関係を築くことに努め、良好な人間関係を保つことに努める。

しかし、正悪は別にして、世の中には自分とウマが合わない人・反りが合わない人がいる。
そして、イヤでもそんな人と関わらざるを得ないことがある。
プライベートだと距離を空けやすいけど、仕事の場合、そんなワガママは許されない。
関わる人を選ぶことはできず、気の合う相手とだけ付き合うなんて不可能。
不自然な作り笑いと、本音を隠した建前と、心にもない社交辞令を駆使して、ときにストレスでアップアップしながらも荒れる人波を泳いでいかなければならない。
それが、なかなか楽じゃないことなのである。

続きはこちら

老の行方 ~その二~(公開コメント版)

2017-03-21 07:48:07 | その他
先月下旬、久しぶりに実家に行った。
数えてみると、両親と顔を合わせるのは三年九ヶ月余ぶりで、
「え!?もうそんなに経った!?」
と、自分でも驚いた。
ただ、よくよく振り返ってみると、それも仕方なかった。
私の仕事は、土日祝祭日も盆も正月も関係なく、私には“盆暮に実家に顔を出す”という習慣がない。
おまけに、私などは、あまり休みをとらないものだから、たまの休暇は自分のことをこなすだけで手一杯で、“親の顔を見に行こう”なんて気は起きない。
せいぜい、一~二ヶ月に一度くらい、様子伺いの電話を入れるくらい。
今回も特段の用があったわけではなく、たまたま仕事のタイミングがよかったのと、老い先短い両親ことが ふと頭に浮かんだからだった。

続きはこちら

大心災(公開コメント版)

2017-03-11 16:36:31 | その他
今日は、2017年3月11日。
あれから六年が経った・・・
“六年”という年月は、長いようで短く、短いようで長い・・・
ある人にとっては長く、また、ある人にとっては短かっただろう。
ほとんど第三者の私が、わざわざこのタイミングを選んで大震災のことに触れるのは“ありきたり”で安っぽいことかも。
また、まるで何かの記念日のように、節目の日だけ感傷に浸っているようで、偽善色を濃くするだけかもしれない。
しかし、地震大国に暮す以上、他人事にはできない現実があるわけで、そこのところを啓蒙するため、また、自分(人)にとって大切なことを訓ずるため、繰り返しになる内容を承知で書こうと思い立った。

被災地に比べれば、私の生活圏はほとんど“無傷”。
当初は色々な不自由が発生したけど、どれもこれも早々に解決。
街にも身体にも心にも、コレといった傷跡は残っていない。
ただ、この小さな一生において、あれほどの出来事に遭遇することは稀だろう。
そして、アノ時の衝撃は、生涯忘れることはないだろう。

続きはこちら

幸せのドン底(公開コメント版)

2017-01-04 09:20:41 | その他
2017謹賀新年。
古来より何ら変わることがないスピードで時は過ぎ、また新たな年が明けた。
そして、正月三が日も終わり、街は祝の余韻を残しながら乾いた日常に戻りつつある。

世の中には、私のように、年末年始関係なく働いた人もいれば、休暇を楽しんだ人もいただろう。
そして、晴々した気分で仕事始めを迎えた人もいれば、欝々とした気分で仕事始めを迎えた人もいるだろう。
私の場合、元旦の朝、快晴の空とは裏腹にちょっと欝っぽくなってしまった。
寒いはずなのにジットリと脂汗がでて、夜が明けることに疲れを覚えた。
長年の付き合い・・・慣れた症状とはいえ、なかなかしんどいものがある。
何はともあれ、こうして新年を迎えることができたことに感謝!感謝!

そんな年末年始、多くの人が財布の紐をゆるませたことだろう。
私の財布の紐も少しはゆるんだけど、ほんの少しだけ。
質素倹約生活が身に滲みついているため、そんなに出費はかさまなかった。
また、仕事柄、複数日の旅行や遠出のレジャー等に出かけられないわけで、それも出費が抑えられた要因になっていると思う(嬉しいような、嬉しくないような・・・)。

とにもかくにも、お金は、得難く、使い易いもの。
気を抜いていると、アッという間に、しかも無尽蔵になくなっていく。
だから、細かいところも意識して、質素倹約を心掛ける必要がある。
いい年した社会人のクセに、一円もお金を遣わない日だってザラにある。
自分で言うのもなんだけど、その倹約ブリ(ケチぶり)は自慢してもいいくらいのレベルだと思う。
だけど、バカ丸出しになってしまうから、あまり細かな話は差し控える。

続きはこちら