11月11日、胸のすくような快晴。
一並びの今日はチビ犬の命日。
一年・・・はやいような、遅いような、とにかく一年が経ち、また、寒い季節がやってきた。
ついこの前までは半袖でいられたはずなのに、もう重ね着しないと寒さを防げない。
しかも、この寒さは、これからもっと厳しくなるわけで、考えただけで憂鬱になる。
悲しみに暮れたアノ日・・・
はじめから、この悲しみは時が解決してくれることがわかっていた。
そして、代わり映えしない毎日ながらも、一年は確実に過ぎた。
少しずつだけど、その分、悲しみも寂しさも癒えてきている。
そうは言っても、チビ犬のことを忘れる日はほとんどなく、毎日のように思い出していた。
無意識のうちに・・・この現実世界にチビ犬がいた痕は少なくなってきているのに、思い出さなかった日は数えられる程度しかないと思う。
アノ時は、ホントに悲しかった!
いい歳のオッサンが子供のように泣く姿を思い出すと気恥ずかしい部分もあるけど、ま、それも私という人間。
そう・・・死んだ日とその後の三日間は涙の材料に事欠くことはなかった。
どこに行っても何を見ても涙が溢れる状態だったが、とりわけ、ヤバかったのは食器に残された食べかけの竹輪。
「ちょっと前まで喜んでかじってたのに・・・」
「全部食べないまま逝っちゃったんだ・・・」
その姿を脳裏に甦らせると、もう・・・悲しくて!切なくて!胸が痛くなった。
そして、ワンワンと号泣した(そのことを思い出すと、今でも目が潤んでくる)。
使い手のいなくなったペットフードや消耗品類は、早々にボランティア団体(動物愛護団体)に寄贈した。
ただ、その他のモノはなかなか始末できず。
いなくなって数ヶ月の間、トイレや食器等のチビ犬用品はそのままの状態で部屋に置いていた。
そして、時間を置きながら少しずつ片付けていった(しまっただけで捨ててはいない)。
今は、部屋の隅にハウスだけが残っている。
これもいつかしまわなければならないのだけど、なかなか気持ちが決まらない。
邪魔になっているわけでもないし、誰かに迷惑をかけているわけでもないし・・・
結局、もうしばらく、そのまま置いておくことになるのだろうと思っている。
続きはこちら
一並びの今日はチビ犬の命日。
一年・・・はやいような、遅いような、とにかく一年が経ち、また、寒い季節がやってきた。
ついこの前までは半袖でいられたはずなのに、もう重ね着しないと寒さを防げない。
しかも、この寒さは、これからもっと厳しくなるわけで、考えただけで憂鬱になる。
悲しみに暮れたアノ日・・・
はじめから、この悲しみは時が解決してくれることがわかっていた。
そして、代わり映えしない毎日ながらも、一年は確実に過ぎた。
少しずつだけど、その分、悲しみも寂しさも癒えてきている。
そうは言っても、チビ犬のことを忘れる日はほとんどなく、毎日のように思い出していた。
無意識のうちに・・・この現実世界にチビ犬がいた痕は少なくなってきているのに、思い出さなかった日は数えられる程度しかないと思う。
アノ時は、ホントに悲しかった!
いい歳のオッサンが子供のように泣く姿を思い出すと気恥ずかしい部分もあるけど、ま、それも私という人間。
そう・・・死んだ日とその後の三日間は涙の材料に事欠くことはなかった。
どこに行っても何を見ても涙が溢れる状態だったが、とりわけ、ヤバかったのは食器に残された食べかけの竹輪。
「ちょっと前まで喜んでかじってたのに・・・」
「全部食べないまま逝っちゃったんだ・・・」
その姿を脳裏に甦らせると、もう・・・悲しくて!切なくて!胸が痛くなった。
そして、ワンワンと号泣した(そのことを思い出すと、今でも目が潤んでくる)。
使い手のいなくなったペットフードや消耗品類は、早々にボランティア団体(動物愛護団体)に寄贈した。
ただ、その他のモノはなかなか始末できず。
いなくなって数ヶ月の間、トイレや食器等のチビ犬用品はそのままの状態で部屋に置いていた。
そして、時間を置きながら少しずつ片付けていった(しまっただけで捨ててはいない)。
今は、部屋の隅にハウスだけが残っている。
これもいつかしまわなければならないのだけど、なかなか気持ちが決まらない。
邪魔になっているわけでもないし、誰かに迷惑をかけているわけでもないし・・・
結局、もうしばらく、そのまま置いておくことになるのだろうと思っている。
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