特殊清掃「戦う男たち」コメント公開

戦友の意見交換の場として公開しています。

ワンワン ワンワン(公開コメント版)

2015-11-05 09:13:24 | 遺品整理
11月11日、胸のすくような快晴。
一並びの今日はチビ犬の命日。
一年・・・はやいような、遅いような、とにかく一年が経ち、また、寒い季節がやってきた。
ついこの前までは半袖でいられたはずなのに、もう重ね着しないと寒さを防げない。
しかも、この寒さは、これからもっと厳しくなるわけで、考えただけで憂鬱になる。

悲しみに暮れたアノ日・・・
はじめから、この悲しみは時が解決してくれることがわかっていた。
そして、代わり映えしない毎日ながらも、一年は確実に過ぎた。
少しずつだけど、その分、悲しみも寂しさも癒えてきている。
そうは言っても、チビ犬のことを忘れる日はほとんどなく、毎日のように思い出していた。
無意識のうちに・・・この現実世界にチビ犬がいた痕は少なくなってきているのに、思い出さなかった日は数えられる程度しかないと思う。

アノ時は、ホントに悲しかった!
いい歳のオッサンが子供のように泣く姿を思い出すと気恥ずかしい部分もあるけど、ま、それも私という人間。
そう・・・死んだ日とその後の三日間は涙の材料に事欠くことはなかった。
どこに行っても何を見ても涙が溢れる状態だったが、とりわけ、ヤバかったのは食器に残された食べかけの竹輪。
「ちょっと前まで喜んでかじってたのに・・・」
「全部食べないまま逝っちゃったんだ・・・」
その姿を脳裏に甦らせると、もう・・・悲しくて!切なくて!胸が痛くなった。
そして、ワンワンと号泣した(そのことを思い出すと、今でも目が潤んでくる)。

使い手のいなくなったペットフードや消耗品類は、早々にボランティア団体(動物愛護団体)に寄贈した。
ただ、その他のモノはなかなか始末できず。
いなくなって数ヶ月の間、トイレや食器等のチビ犬用品はそのままの状態で部屋に置いていた。
そして、時間を置きながら少しずつ片付けていった(しまっただけで捨ててはいない)。
今は、部屋の隅にハウスだけが残っている。
これもいつかしまわなければならないのだけど、なかなか気持ちが決まらない。
邪魔になっているわけでもないし、誰かに迷惑をかけているわけでもないし・・・
結局、もうしばらく、そのまま置いておくことになるのだろうと思っている。


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二人三脚(公開コメント版)

2015-11-05 09:13:24 | 遺品整理
遺品処理の問い合わせが入った。
電話の向こうの声は初老の女性。
上品な言葉遣いと穏やかな語り口。
日常において、私みたいな下世話な人間と関わることはなさそうな雰囲気の人だった。

そんな女性の用件はこう・・・
しばらく前に母親が死去。
それにともなって、遺品が大量に発生。
友人や知人の手を借りながら、かなりの物は処分。
ただ、家具等の大型重量物が手に負えない。
そこで、その処分をお願いしたい。
・・・というものだった。

問題の大型重量物は、たったの数点。
手間はかかるが、費用は行政の粗大ゴミ処分を利用したほうが安く済む。
その他の遺品は自分の手で処理したわけだから、粗大ゴミだってできないわけはないはず。
したがって、女性の用件は、仕事になる可能性が低いうえ、仮に仕事なったとしても少額の売上にしかならないことが容易に想像され、私は、いまいちやる気が起きなかった。

私は、遺品の内容を確認し、概算の費用を伝えた。
そして、「行政の粗大ゴミ処分を利用されたほうが費用も安く済むと思いますけど・・・」と、アドバイスして、この話を締めかけた。
しかし、女性は、私が提示した金額を「高い」とも「安い」とも言わず。
どうも予算が決まっていないみたいで、「とにかく、一度、見に来て欲しい」と言う。
私の頭は、金にならなそうな依頼に難色を示したが、「これも何かの縁」と考えをあらため、スケジュールは私の都合を優先させてもらうことを条件に、現地調査に出向くことを約束した。

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馬鹿に説法(公開コメント版)

2015-03-20 15:16:05 | 遺品整理
私の世界は狭い。極めて小さい。
特異な小コミュニティーに属し、世の陰でレアな仕事をしながらひっそりと生きている。
一日中、外の誰とも会話しない日だってザラにある。
車での移動中、単独での作業中等、一人で黙っている時間は一日何時間もある。
だから、心の中の独り言が多い。自問自答が多い。
ただ、このポンコツ中年男、そうして歳は重ねているけど、中身はそれほど成長していない。
それでも、仕事においては大ベテラン。幸か不幸か。
教えることはあっても教わることはほとんどない。
新しいことは自らが吸収し、わからないことは自らが考えるしかない。
また、この歳になると、道を説いてくれる人もいない。
先に逝った人々の生き跡や、残された人々の生き様を受けて心の向きを変えながら、頭で理解する正義と心が傾く悪楽の狭間でブレながらフラフラと歩いている。

私は、子供の頃から、人見知りで引っ込み思案な性格。
人と競り合うことが苦手。単なる“負けず嫌い”とは少し違うと思う。
他人を押しのけて先頭を走るタイプではなく、誰かの後を大人しく着いていくタイプ。
性格なんて、そんなに変わるものではなく、その辺のところは、この歳になってもあまり変わらない。
しかも、私は社交的な人間ではない。
だから、大勢の中に属することにストレスを感じる。
ただ、前ブログにも書いたように、不特定の誰かと限られた時間関わることに面白みを感じることがある。
特段の話をするわけでもないのだが、何気ない言葉のやりとりで自分の存在意義を感じられるときがある。
好きでやっている仕事ではないし、他の仕事を羨んでばかりいるけど、誰かと競り合うこともいらず、そういうところでは、この仕事は自分に合っているのかもしれない。


呼ばれて出向いたのは、一般的な一戸建。
依頼者は、初老の男性。

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涙酒(公開コメント版)

2015-03-16 16:56:22 | 遺品整理
更新頻度が低いことの言い訳のようだけど・・・っていうか、モロ言い訳だけど、ブログ製作は私の本業ではない。
ま、そうは言っても、ある種、仕事のようなもの。
そしてまた、仕事外の務めのような、趣味のような、息抜きのような、気分転換のような、そんな感じのものである。
しかし、昔の筆圧はどこへやら、今は、気の向くまま時間がゆるす範囲でやっている。
ただ、筆圧は低下しても、現場へ向かう意気に低下はない。
一件一件、仕事になりそうでもならなそうでも、とにかく走る。
そして、色々な状況で、色々な人と出会い、関わる。
正直なところ、気持ちよく仕事ができない人や不快な人がいることも事実。
だけど、大半の人は良識をもって普通に仕事をさせてくれる。
接してて気持ちがいい人、話してて楽しい人、見てて愉快な人、生き様に頭が下がる人、走った先には色んな人がいてなかなか面白い。
私は、口下手で人付き合いが苦手な孤独好きだけど、楽しくない仕事をしているからこそ人との関わりを面白く感じるのかもしれない。

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小満足(公開コメント版)

2015-03-07 15:04:00 | 遺品整理
昨年秋からのプチダイエット。
約三ヶ月で標準体重まで落とし、以降は、その維持に努めている。
ただ、維持のつもりでも、ダイエットで身についた習慣をベースに生活しているから、体重は微減を継続。
今では、夕食後の計測でも標準体重を下回るようになっている。
必要以上に痩せたいわけではないので、今後は、摂取カロリーと消費カロリーのバランスをうまくとっていきたいと思っている。

ダイエットの収穫は減量だけではない。
私は、これを通じて面白いことを発見した。
それを一言でいうと、
「空腹でしか味わえない満足感がある」
ということ。
そして、
「満腹で味わう満足感より、空腹で味わう満足感のほうが充足度が高い」
ということ。
ダイエットに難なく成功した達成感がそう思わせているのかもしれないけど、少し腹が減っているくらいが身体にも精神にも健康的なような気がする。
実際、空腹のほうが夜よく眠れるし、朝の心身も軽い。
現場でも、身体がよく動く。
「努力して・忍耐して・挑戦して得られる満足感は、楽して・楽しようとして得られる満足感に勝る」
この感覚をうまく伝えられないのが歯痒いけど、そんなきれいごとを、私は実感として覚えているのである。



「相続するかどうか考えてまして・・・」
「相続しない場合は頼めませんけど・・・」
依頼者の女性は、少し気マズそうに言った。
「大丈夫ですよ・・・現場を見ないと何も始められませんから」
仕事にならなそうでも現場を見に行くことをモットーとする私は、女性の躊躇いを掃うように明るく応えた。


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ぬくもり(公開コメント版)

2015-01-06 16:40:04 | 遺品整理
2015謹賀新年。
昨日から仕事始めの人も多かったのだろう。
今回の年末年始は、9連休だった人も多かったみたい。
私の身近にも、そういう人はたくさんいた。
羨ましいのはもちろんだけど、反面、そんなに長い間休んでいて労働意欲は低下しないのか心配になる。
そういう人は、土日祝祭日の休みや有給休暇をはじめ、GW・盆・暮と長期休暇がとれるのは当り前のことで休暇慣れしているから、休み明けの仕事はそんなに億劫ではないのだろうか。
私の場合、例によって、相当な欝になりそう・・・イヤ、なるに決まっている。
だとすると、私に長期休暇がないことは、自分のためになっていることなのかもしれないと思える。

「欝」といえば、今のところ、前回の冬期に比べればだいぶマシ。
一年前は、あまりにキツい思いをしたものだから、その苦味はハッキリと記憶に刻まれている。
そうは言っても、やはり、今回も調子が悪いことは悪い。
布団を頭からスッポリかぶり、
「このまま朝がこなければいいのに・・・」
なんて幼稚な考えに、身体が押さえられる日もあったりして難儀している。
それでも、今冬、“動いてみる”というスタンスを得た私は、視覚を通して精神に訴えるため、スマホの裏面に“ネガティブ禁止”のステッカーを貼った。
そして、待受画面のチビ犬(生前からそのまま)ともども、自分を叱咤するツールのひとつにしている。

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生きる側(公開コメント版)

2014-12-02 14:49:03 | 遺品整理
暦は、もう師走。
今年も残すところ一ヵ月。
「過ぎてみるとはやいな・・・」
いつもそう思う。

チビ犬がいなくなって、ちょうど三週間。
「寿命だった・・・」「天寿をまっとうした・・・」
と自分に言いきかせている。
ただ・・・やはり寂しい・・・
夢でもいいから、幽霊でもいいから、目の前に現れてほしいと思ってしまう。

毎日、チビ犬のことを思い出す。
まだ、思い出さない日はない。
でも、号泣することはなくなった。
(当日とその後の三日間は、恥ずかしいくらい大泣してしまった・・・)
傷心は少しずつ癒えているのか、それとも、時間によってそのかたちを変えているのか、自分でもわからないけど、
「このままだとツラ過ぎる・・・マズイ・・・」
と、自分で自分を心配していたから、落ち着きを取り戻しつつある状況に安堵している。

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活き生き(公開コメント版)

2014-06-13 14:26:08 | 遺品整理
暑くなってきた。
晴天の日は真夏同然。
本番はこれからというのに、すでに活気を失いつつある。
(ま、もともと活気のある人間じゃないけど・・・)
何でもかんでも歳のせいにして、自分の精神力のなさをごまかしているけど、やはり、キツいときはキツいし、ツラいときはツラい。
しかし、そんなときにこそ精神に活力を漲らせるチャンスがあるのかもしれない。
だから、今日もまた、重い日常に立ち上がることができるのかもしれない。


「就活」という言葉が世に出て久しい。
就職氷河期に対する言葉として使われることが多く、学生にとっては、明るいニュアンスのある言葉ではないだろう。
厳しい経済情勢が就職難を引き起こしているのは、誰の目にも明白。
希望の仕事に就けるのは一部の学生のよう。
私の時代には、今に言う「就活」という言葉はなかった(もちろん「就職活動」という言葉はあった)。
今と比べると、学生にとっては恵まれた時代だったからだろうか。
なのに、就いたのはこの職業。
普通ならなかなか見つけることができないレアな仕事を見つけた自分を、褒めていいのか貶していいのか、その扱いに困る。


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穴埋め(公開コメント版)

2014-01-20 08:38:42 | 遺品整理
遺品処理の依頼が入った。
依頼者は、中年の女性。
亡くなったのは、女性の母親。
現場は、古くて小さめのマンション。
もう長く誰も住んでいない部屋なのに、そういった雰囲気はなし。
リアルな生活感こそないものの、それなりの生活感が残っていた。

部屋は、女性が故人から相続したもので、賃貸物件でなし。
したがって、家賃もなければ退去期日もなし。
リスクといえば、維持費や税金、築年数が増える分の不動産価値の下落だけ。
退去するもしないも、売却するもしないも、女性の自己裁量で自由にできる物件だった。

女性の住まいは、現場から目と鼻の先。
現場までは歩いて往来できる距離で、女性は、故人のもとを頻繁に訪れていた。
故人は晩年も足腰は達者で、大きな不自由もなく一人暮らしを続けていた。
が、女性は、一人で暮らす母親のことが心配で、こまめに世話を焼いていた。

女性は、そんな暮らしが永遠に続くとは思っていなかった。
それでも、母親に対して、いつまでも元気でいてほしいという願いはやまなかった。
しかし、自然の摂理に逆らえる者はいない。
愛する母親は、晩春のある日、長寿をまっとうして先に逝ったのだった。

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Merry Christmas(公開コメント版)

2013-12-25 16:45:43 | 遺品整理
イヴの昨夜は、パーティーを楽しんだ人が多いのではないだろうか。
しかし、日本はキリスト教国ではない。
「キリスト教徒は100人に1人、またはそれ以下」とも言われる。
なのに、12月はクリスマスムード一色。
まるで、ほとんどの人がキリスト教徒であるかのように、「メリークリスマス!」と歓喜し、笑顔をふりまく。
正月は神式、葬儀は仏式、結婚式はキリスト教式等々、この節操を欠く無信心ぶりは、何ともおかしい。
それでも、クリスマスには、多くの人に幸せな時間が与えられるわけで、これもキリスト・イエスのお陰。
少なくとも、これくらいのことは覚えたいものである。

私は、例年通り、昨夜は静かに過ごした。
クリスマスケーキもなければ御馳走もなし。
夕飯はカレーにし、好物の酒も飲まなかった。
私にとってクリスマスイヴは、気分を騒がしくさせるものではない。
だからと言って、暗い気分で寂しくいたわけではない。
私なりに、幸せ気分を味わいながら、また、色んなことに感謝しながら過ごしたのである。


ある年の12月上旬、遺品処理の依頼が入った。
電話の向こうの声は、初老の男性。
落ち着いた話し方と丁寧な言葉遣いは、男性がそれなりの紳士であることを想像させた。


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