父の故郷で歌います。
美しい空と山、清らかな水、温かい人々に、逢いに行きます。
「浜砂」という名前に誇りを持って、歌って来て良かった。
懐かしい人、まだ見ぬ人との出逢いを、楽しみにしています。
どうぞ、出版のお祝いに、そして私の歌を聴きに、いらしてください。
銀鏡からポスターが届きました。
ライブは、"ミニ” じゃ無くなると思います!
注:問い合せ先の「浜砂」さんは、私ではありません。
浜砂さんだらけですので(笑)どうぞご注意を。
父の故郷で歌います。
美しい空と山、清らかな水、温かい人々に、逢いに行きます。
「浜砂」という名前に誇りを持って、歌って来て良かった。
懐かしい人、まだ見ぬ人との出逢いを、楽しみにしています。
どうぞ、出版のお祝いに、そして私の歌を聴きに、いらしてください。
銀鏡からポスターが届きました。
ライブは、"ミニ” じゃ無くなると思います!
注:問い合せ先の「浜砂」さんは、私ではありません。
浜砂さんだらけですので(笑)どうぞご注意を。
天王洲銀河劇場で体験した"drumstruck" あれは何年前だったろう。
劇場に入ったとたん目に飛び込んで来たのは、
シート一つ一つ、全席に置いてある太鼓(ジェンベ)。
それだけでもうハイテンション。そして、ステージ上も客席も
一体となり繰り広げられるパフォーマンスに、血が騒いだ。
太鼓の音というのは、血が覚えている何かに訴えかけて来る。
懐かしい、というような生易しいものではない。強烈に感じるのだ。
それから数年、何となく気になっていた
「ドラムサークル」というものに、今日初めて触れた。
“drumstruck” は、一体となるといっても、やはりステージの上と下。
こちらはその名の通り、サークル。輪になって太鼓を叩く。
ここで奇妙な現象が起こる。自分が一体誰なのか。ここは何処なのか。
太鼓の音の渦の中で、心身がバラバラになりそうになる。それが
次第に行きつく場所に辿り着く頃、不思議な快感に包まれる。
ミュージシャン頭(耳)でやってると、非常に肩が凝る。
けれど、手探りで「解放」のボタンを見つけることに成功すると、
あとはもう心は自由だ。何にでもなれるし、何処へでも行ける。
ここでは何でもアリだ。音楽の変なルールは無いし、
間違いなど無いのだから、恥ずかしがる必要も無い。
けれど、自分が自分を縛っちゃうんだな。
本来頭カタイ&恥ずかしがり屋(ほんとよ)の私には、
良い準備体操(生きて行くための)だと思った。
歌を歌うということは「解放」する(素っ裸になる)ことだと思う。
ドラムサークルで感じたことはまさにそれだった。
私が歌を歌って来た道のりは、即ち
私が私をぶっ壊しながらもがいて来た道のりだ。
ここには、ぶっ壊したい人が一杯居るんじゃないかなと思った。
最後はオープンマイク。私もステージへ。
皆さんの太鼓の音聴いてたら、歌いたくなった。
G.ベコーの "Et maintenant"「そして今は」
伴奏者は居ない。アカペラだ。
そこにあのボレロのリズムがうねりながら絡む。
ああ。シャンソンなんて自由なんだよなぁ。Merci!
素敵な出逢いをありがとう。
前半のセッションで、大小さまざま、蛙の形の木魚。
ポクポクポク。ケロケロケロ。キャラキャラキャラ。
田んぼの真ん中で、私は蛙の子供。歌いながら眠ってしまいそうだった。
また逢う日まで。ケロケロケロ。。。
映画「最強の二人」(UNTOUCHABLE)を観た。
フランスでの大ヒットのニュースを聞いて、気になっていた。
首から下、全身麻痺の大富豪と、スラム街出身の黒人男。
芸術や文学の素養も、介護の経験も全くない、下ネタ炸裂のこの男が、
「生きる」ことを教えてくれている。
身分を飛び越えて、厚い友情と絆で結ばれてゆく二人。
イニシアチブをとっているのは、雇い主の方ではなく、この黒い男だ。
私は彼から「生きる」ということ、そして
「品格」というものを教わったような気がする。
人の、人としての品格とは何か。
それは生まれや育ち、教養や身分ではなく、
偽りの無い気持ちと、優しさと、潔さ。
黒い肌と瞳が、とても美しかった。
ありがとう!を、いっぱい言いたい気持ちだ。
~生きる勇気が湧いて来る~
キャッチコピーは正解だった。
乾いた土に恵みの雨が降るように、
冷たい部屋にストーブの火が点くように、
暗い道に街灯が灯るように、
しみじみと、じんわりと、泣かせてくれる映画だった。
Merci beaucoup !!!
心から。
公式サイトはこちら
8/26読売新聞に、「銀鏡神楽」の本の書評が載った。
ちょっと遅れてしまったが、こちらにご紹介する。
朝吹真理子氏の評。好感触。嬉しい。
この方の評には、大げさな言葉は無いが、
静かに、確かに、銀鏡の山里の息吹を感じて、
書いてくださってるのがわかる。有り難い。
電子新聞でも読めるので、良かったらご覧ください。
少しでも多くの人が、この本を手に取ってくれたら嬉しい。
私も前に、このブログで紹介した。
著者は銀鏡神社、権禰宜の浜砂武昭氏である。
この本の中にも「浜砂」という姓が沢山出て来る。
神楽を舞う人は浜砂姓が多い。
その名の通り、私にとってはもう他人事ではない。
自分のことのように嬉しく、本を抱いてみたり、
表紙を手のひらでさすってみたり、ぺらぺらめくっては、
独りいい気分になっているのである。
そしていよいよ今月、銀鏡に行く。
9月22日。銀鏡での出版記念会で、歌を歌う。
夢が叶う。それもこんなに目出たい日に。
父が居たらなぁ。。。
まだそんなことを言っている。
しっかり歌声を山に響かせるよ。
9月になると、思わず口ずさむのは、
ユーミンの「9月には帰らない」
きっともう何度も、ブログのタイトルにしたような。
私の青春は、ちょっとばかり「すねて」いて、
人と群れるのも苦手だったし、
中途半端な年頃は、大人も嫌いだったし、
海なんか眺めながら、独りで居た方が良いと思っていた。
そしてノートに勝手気侭な言葉を並べ、
今となってはその引き出しから、詞や文を書いているのだと気づく。
恐ろしいことだ。何の進歩があるというのだろう。
あまり代わり映えしていないのだよ。
そんな頃に聴いていた歌を、やはり今聴いてもいいと思う。
この歌の一番好きな歌詞は、
無口な人は 夏の日の儚さを
うまく言えずに バスの窓おろす
きっと前にも書いたっけな。
今日、バスで前に住んでいた家の前を通った。
街の風景は刻々と変わる。
バスの窓からちらりと見えたその家は、静まり返っていた。
儚さか。。
さて。
夏の疲れをいたわりながら、秋に向かう時。
あなたは何を想うのだろう。
よかったら、聴いてみてね ↓