癒しの庭Ⅲ

集おう癒しの庭へ

まみちゃん、素敵な結婚式、おめでとうございます。

2008年11月15日 | Weblog

 

    まみちゃん、ご結婚おめでとうございます。素敵な旦那様、素敵な結婚式でした。

 

           

 

                       

 

                                         

 

            

 

      

 

    まみちゃん、豪華絢爛とても素敵です。素敵な旦那様からは肖像権のご了解を頂くのを忘れていたことが悔やまれます。ゆなちゃんはエンジェルのよう、おりこうさんで大活躍でした。

  

  我が家のひな姫さんは・・・

       

  二次会で大活躍、素晴らしい!     

  まみちゃん、ご両家の皆様、おめでとうございます。末長く幸多きことを祈念しております

 

 

         

 

       


敷石つくり、再開・・・

2008年11月14日 | Weblog

              

               

    延べ段にする「敷石」つくりを再開しました。これまでに大きいもの(長方形)が3枚,小さいもの(正方形)が3枚出来ています。今回はそれぞれの4作目に挑戦です。洗い出しを上手につくることが目標です。

        

   同じ大きさの「鉄平石」しか残っていなく、あまり面白いデザインにはならないようです。大分「砂利」を入れ、5時間ほどして洗い出したら以前よりは砂利見えるようになりました。

 

         

               

   どなたかこの花の名前をご存じでないでしょうか。

  西根(八幡平市)の道の駅で買い求めた時は「ひとめぼれ」という名前で(名札が付いていた)、珍しいことに私が買い求めたのですが最近気になることがあって調べたら「ひとめぼれ」では検索できませんでした。

   気になったことは、この花は夏は朝の涼しい時間で無いと開花しないのです。昼を過ぎる頃には花はしぼんでしまいます。ところが秋になってからは午後まで咲いています。

   この花はきっと寒い地方の植物だと思って調べて見ようと思った次第です。どなたかこの花の名前がお分かりの方はコメントを頂ければ幸いです。

                                              

   種はたくさん取れたので来年度も楽しみです。コメントを頂けた方には種をプレゼントしようと思います。よろしくお願いします

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


小堀遠州の植栽と刈り込みの時期

2008年11月13日 | Weblog

    

    

  小堀遠州さんのお庭をたどると植栽のデザインがモダンであることに気づきます。ここは頼久寺(岡山県)、小堀遠州作のお庭です。

 

                                                   

 

    

  サツキやツツジを中心としたたくさんの植栽が綺麗に刈り込まれています。この刈り込みは江戸初期に始まったと言われます(刈り込み挟みが初めてつくられた)。それ故、小堀遠州さんのお庭には大胆な刈り込みが行われているのだと思います。

  刈り込みは何を考えて刈り込んでいるのでしょうか。   

   私もあまり多くを考えず程よく丸く刈り込むように刈ってきたのですが、ここ頼久寺の刈り込みは「青海波」と言われるように、一つ一つの刈り込みは海の波を思い浮かべるように刈り込んでいるのだそうです。ですから、それぞれの刈り込みは単なる丸い刈り込みではなく、右や左が盛り上がった刈り込みがつくられ、全体としてまとまりを見せています。 

   この刈り込みは年中行って良いのでしょうか・

 

   答えはこの景にあります。サツキの花が咲き始めています。サツキの花芽は当市では開花後、6月中に刈り込みを終えなければなりません。花後、サツキは来年の花芽の準備を7月になると始めます。その為に6月中に刈り込みや剪定を終えなければならないのです。7月以降に刈り込みや剪定を行うとせっかく出来た来年5月開花予定の花芽を刈り取ってしまい、来シーズンは花がさかないということになります。

   たいていの樹木の花は普通年に1回しか咲きません。そうした樹木の場合は花が終わったら直ちに刈り込みや剪定を行うと翌年のしっかりとした開花が約束されます。

 

                 

                 

   樹木の中には年に1回だけではなく、お世話の仕方次第では年中お花を咲かせる樹木もあります。こうした樹は剪定が難しいです。原則通り「花が終わったら切る」で良いはずなのですが、我が家のガーデナーさんが「ハイビスカス」や「アブチロン」、「ブーゲンビリア」などは、肥料(ハイポネックス)に活性剤(HB101)が状況に応じて施されているので、枝の先にたくさんの花芽がついていて、もったいなくて枝が切れないのです。こうした場合はかまわず大きくするか、花を犠牲にして切り詰めるしかありません(本当はこっちの方が簡単かも・・・)。

 

    金沢兼六園のいサツキも変形の(綺麗な丸刈りでない)刈り方をしていました。今後は、小堀遠州さんの刈り込みに学び、よく考えた刈り込み剪定をしようと思います

  

     付記

                        小堀遠州さんの肖像      

   

小堀遠州

  一六〇〇(慶長五)年の関ケ原の戦いで毛利氏は広大な領地を徳川氏によって没収され、毛利氏の勢力圏にあった備中国(今の岡山県)は徳川氏の直接支配地となった。そして、小堀正次(遠州の父)が備中国奉行として政治をおこない、松山城を守ることとなった。当時、臥牛山上の松山城は備中兵乱以来荒れるにまかされており、麓の御根小屋も戦火で焼けていたので、正次はやむなく城下の頼久寺を仮の住まいとした。

  正次が松山城を守ったのは、松山城が備中の中心にあって戦略的にも重要な位置を占めていたからであり、西国の大名のおさえとしたのである。一六〇四(慶長九)年正次が死去し、子の政一が跡を継いで備中国奉行となった。政一は、一般に遠州と呼ばれた。遠州は武十としても立身出世を遂げたが、多芸多能な天才であり、いろいろな面で後世に名を残した。茶の湯に優れ、天下第一の茶匠の地位に上りつめ、武家茶人の筆頭に挙げられた。

   その茶の湯は「きれいさび」と評さどうしはんぞうえんうではつされ、将軍家茶道師範の名を得て遠州流をおこした。建築や造園にも天才的な腕を発揮しており、今日でも私たちの目に触れることが出来る二条城二の丸や江戸城の庭等、数々の建築や庭園がある。


松山城と御根小屋の建設

 備中国奉行として実権を握った遠州は、備中国だけでなく西国大名をおさえるためにも、荒廃していた松山城を再建した。小松山の中世の山城の遺構の上に近世の城を造ったのである。また、御根小屋跡に陣屋を建設し、頼久寺からこれに移っている。遠州の建設した陣屋は、小松山の山城に対して下屋敷と呼ばれていた。下屋敷には茶室を造り、庭園を作庭している。遠州の作った庭は現在も高梁高等学校の中に残されている。


備中の特産品づくり

   遠州は、備中国の特産物を集めて上方に送ることに力を注いだ。とくに、彼が重視したのが紙と鉄であった。高梁川流域は古くから楮の産地で、これを原料とした各種の紙の生産がさかんであった。なかでも、広瀬の柳井氏の特産物である備中壇紙は全国的に知られていた。備中壇紙は鎌倉時代後期から生産されていたが、江戸時代になると幕府や朝廷の紙の御用をつとめる柳井家が生産を独占していた。備中壇紙は表面が美しく純白上質の和紙で、形の大小や紙質によって大高・中高・小高の三種類があった。

   大高壇紙は紙質が最も厚く、朝廷や幕府の公用文書に用いられた。中高は大高と同じ大きさであるが、紙質がやや薄くて主に松山城で使用された。小高は大高の半分の人きさで紙質はさらに薄く、色紙や短冊用に使われていた。遠州は備中国奉行として柳井家を支配することにより、幕府・大名からの必要に応じて紙の生産・集荷を行う仕組みをつくりあげた。壇紙は、明治維新以後、原料の楮の調達が難しくなったうえに、特殊な紙のため需要が激減し生産されなくなった。備中は、古代から鉄の産地として有名であった。

「延喜式」にも、備中は鉄を生産する国と記されているほどである。遠州は、鉄を井高や松山に集めて高瀬舟で高梁川を下って河口まで運び、ここからは海船に積み込み上方に運搬したのである。また、遠州は備中国奉行のころ法曽焼を始めたとされ、現在新見市法曽に窯跡が伝えられいる。


国指定の名勝頼久寺庭園

  遠州が備中国奉行のときつくったのが頼久寺庭園であり、国指定の「名勝」として知られている。頼久寺は鎌倉時代の一三二六(嘉歴元)年、中国の元から帰国した臨済宗の高僧、じやくしつえんおうぜんじかいざんあしかがたかうじこんりゆうあんこく寂室円応禅師が開山したと伝えられている。足利尊氏が諸国に命じて建立させた安国寺の一つである。一五〇九(永正六)年、この地を領した上野頼久が修築して寺が一新したので、その子頼氏が父の名を寺につけ頼久寺となった。

   その後、備中兵乱で頼久寺は焼失し、毛利輝元が再建したのが現在の頼久寺である。頼久寺の庭園は、ここを仮の住まいとした小堀遠州が若いころ作庭したものである。つるかめぜんいんしきほうらいていえんあづちももやまこの庭は一般に鶴亀の庭と呼ばれている。禅院式蓬莱庭園であり、安土桃山時代から江戸初期にかけての典型的な書院式枯山水の庭園として知られている。あたごやましやつけいはもんはくさたいはるかに望む愛宕山を借景にし、庭一面に敷きつめた波紋のはき目のある臼砂は大海を、中央に石組みで鶴島、やや後に亀島を、そして書院から左手のサツキの大刈込みは大海の波を表現している。じひつせいさついひんさいねん頼久寺には遠州自筆の制札や遺品が保存されており、=二一二九(暦応二)年の西念勧進による石燈籠もある。

         

   

 

 

 

 


小堀遠州さんの橋を考える→見とれる!

2008年11月12日 | Weblog

 

 

  

 除夜の鐘でご存じの京都「知恩院」の枯山水庭園は

小堀遠州さん(江戸初期)の作です。

白砂に長い自然石の橋は傑作だと思います。

 

 

   

こちらは中村金作氏作の足立美術館の枯山水庭園の一部です。

お庭全体は昭和44~47年に作られたもので、

小堀遠州さんの橋石造りと似た雰囲気を感じます。

 

 

   

 

桂離宮の雨橋立、小堀遠州さん作、景の中に橋が生きています。

 

 

  

 最近の私庭です。

天橋立に岬灯籠は桂離宮の庭を枯山水に移した作品だと思います。

橋と橋向こうの大きな石の間に白砂が見える位の距離が合ったら、

ゆったりとした心安まるお庭になったと私は思うのですが、

やはり広さは最高の贅沢、

出来る限り広く見える工夫をしたいと思います。

  

小堀遠州さんは奥が深く、

単純に真似ただけではその良さは現れません。

その精神を学んで、その精神で新たなお庭を作ったら、

最近我が師と思い始めた小堀遠州氏のお庭と共感できるのかもしれません。

   まずは、良い敷石を作れるよう根気よく努めてみたいと思います

 

 

← ブログランキングへ参加しています。

        緑の所をクリックして頂けると、ランキングがアップします。

クリックしてくださると、嬉しいです。

いつもの応援に感謝、励みになります ・・・ !!

 


初霜

2008年11月11日 | Weblog

 

    「秋田市で今朝初霜がみられました」というNHK秋田のニュースがありましたが、今朝は当市でも初霜が見られました。

 

        

 

              

                   

 

   朝はとても寒かったのですが、陽気がよく霜もすぐ溶けてしまいましたが・・・・

 

         

        

                                           

                                           

 

   一度だけの霜でしたが、日陰で強い霜を受けたお花は首を下げて再起不能となってしまいました。モミジの葉もほとんど落ちてしまいました。

  

    

  我が家のガーデナーさんの鉢は「明日は霜が降りるから」と全て家の中に入れました(さすがにガーディナーですね)。客間が鉢のお客さんで占領されたようになりましたが臨時の置き場です。

   これからそれぞれの適所に配置されます          

 

 

    omake

     

  霜害に遇わなかったモミジです。昨日今日は市内各所のモミジがとてもきれいです。今日の学習会の窓からも真っ赤なモミジ(椛)が見えていました。

     

 

                

 

 

       

 

 

 

 


待望の薬師山々頂、薬師神社へ・・・

2008年11月10日 | Weblog

 

   昨日はオジナオバナの島作りの日、秋田市からビデオ撮影の会社から2名がお出で下さり、里から薬師山のちょっと下までのカヤ運びの様子を撮影しました。私たち3名の調査委員も資料収集のために参観です。しかし、全部の島(火を焚くカヤをまとめた所)ができるまでに2時間半かかります。調査委員の3人の内、お一人は女性の方で御難気をかけては教育委員会の方と一緒に下の島の所に居て頂いて、私と例の神主さんでいつも一緒に行動して郷土の地誌を教えて頂いているS氏と一緒に全ての島を越えて薬師山の頂上の薬師神社を目指しました。

                     

            

   薬師山(海抜636m)は五の宮岳(海抜1.150m)の五号目です。かつて(25~6年前)、五の宮岳に2度登ったことがあるのですがこの神社については記憶がありません。その頃は神社には全く関心がなかったと思います。

  神社の右すぐ下に湧き水がありました。

 

          

    「薬師お神泉(お飼い清水)標高620米」と書いてあります。何と読むのでしょうか。「やくしおかみいずみ(おかいしみず)」とでも読むのでしょうか。わずかにタチタチとしか水が出ていませんでした。土が被さって塞がっている感じです。山の斜面のくぼ地から出ているのですから、もう少し掘ったら出てきそうな気がします。

 

    

 

    

 

   以前にここまで来る途中で「岩木山」を眺めて帰ったのですが 、今日は「岩木山」は見えませんでした。今朝家を出る時は雨がぽつぽつと降っていたので雨はあがっても雲はまだ山を隠していて残念ながら見ることは出来ませんでした。

   それにしても素晴らしい眺望です。ひとつずつゆっくりと場所や建物を確かめること楽しいです。

   次回からは双眼鏡も忘れず持って行こうと思いました・・・

 

 


今日は登山

2008年11月09日 | Weblog

 

    風邪がほとんど治った今日は登山の日です。来年3月に行われる「オジナオバナ」は五の宮岳の五合目にある「薬師山」から麓まで担ぎ上げた13の島(カヤを束ねたもたの)に火を点す伝統行事です。私たち3人の無形文化財調査委員は市内2カ所で行われる「オジナオバナ」をビデオと報告書に残すことが仕事です。

   今日は村の方々が薬師山までの13カ所まで茅(カヤ=ススキ)を担ぎ上げる日です。午前8時30分までに集会所へでかけました。22~23名位の方が集まっていました。自治会長さんの挨拶の後くじ引きが行われました。

 

    

                             

    島(カヤ)は高いところから順に1月、2月、3月と下がってきます。例年であれば12月で終わりなのですが、来年は旧暦では閏年ということで島は13個作ります。山の途中まで軽トラックで運び、その後は一人一人がカヤ5把ずつ背負って登ります。くじは一番上まで登る人を決めるくじでした。背負って登る人は19人でした。山に登った軽トラックも19台でした。

         

 

  1つの島を作るためには5人の背負った25把(5人×5把)が必要です。

                               

 

 全部を1回ででかすためには65人(25把×13島÷5把)は必要になります。その為13月や12月の下の島が出来た人はまた軽トラックで麓のカヤ置き場まで戻ってまた持ってくるのです。 

 

                     

             

              

 

   縄が足りなくなったグループは藤や葛(くず)の蔓を取って島を作っていました。

                           

  9時に行動を開始して11時30分に終わりました。

   3月の「オジナオバナ」の時は、まだ消えていない雪の斜面を島に火をつけるために登らなければなりませんが、今日の一人5把ずつ背負って山を登って島をつくるのが一番大変だと思いました。

   「昔は背負う人が50人も60人もいて楽しいものだったが・・・」とお年寄りの方が話していました。また、「一昨日村で亡くなった方がいてそちらに行っている人もいて今年は昨年よりも人数が足りず、時間も30程多くかかってしまった。」とも話していました。

  でも、若い方の参加もあって、始めてカヤを背負った若者はカヤの背負い方(縄のかけ方)を丁寧に教えてもらっていました。作業の途中での楽しい会話や笑い声もあり、江戸期から受け継がれている伝統行事の素晴らしさを実感することが出来ました

 

 


ひなこちゃんに遊んでもらいました!

2008年11月08日 | Weblog

 

       ひなこちゃんは早く起きて私を迎えてくれました。

                

            

                                          

                                                  

 

   きょうは青森にお出かけなのでひなこちゃんは素敵なお洋服を着ています。よく似合います。この次のまみちゃんの結婚式のときは赤いお洋服の予定です。楽しみですね。

                       

                               

                          

          

  ひなこちゃんはお遊びが上手です。ひなこちゃんが面白い顔をしたので私がまねをしたら、今度はひなこちゃんが私の顔まねをしました。「顔真似ごっこ」をしばらく楽しみました。あかんべえなどは絶対にしていません。

  次は「いないいないばあ」です。普通なら私がいないいないばあをしてひなこちゃんを遊ばせてあげるのですが、ひなこちゃんから椅子の間から顔を出して「ばあ~」と、そこで私もお相手をして「ばあ~」と、私が遊んでもらっている感じがした不思議な一時でした。

 

              

  ひなこちゃんはもしかすると人前でお話をするのが大好きな人になるのでは・・・そんな気がしました

 

 

 


ひなこちゃん来訪!

2008年11月07日 | Weblog

 

   青森市で友人の結婚式に明日出席ということで、アッキーさんとなおなおさんとにこにこひなこちゃんがお出で下さいました。

 

              

                                

 

             

 

                   

 

     

 

                 

               

 

                     

             

    ひなちゃんはとてもおりこうさんなひなちゃんに育っていました。いつもにこにこと楽しそう、物事にはむちゅうで頑張ります。       

                  

   リモコンなどを投げるようなことはありません。大事なものはちゃんと手渡してくれます。手渡したのに相手が持っていないと探したりします。して欲しいことがあると何やら一生懸命話します。とても立派です。

  明日はひなこちゃんたちは9時頃には青森に出発です 

 

             


橋添石(はしぞえいし)は必要か!

2008年11月07日 | Weblog

 

    我が家の庭には4つの橋があります。

  (1)  

   (2)  

  (3)   

  (4)   

   (1)と(2)の橋は仙台のプロの I 庭師さんが作って下さった橋です。(3)と(4)の橋は 自称庭師の私が作ったものです。(2)以外は全て「橋添石(はしぞえいし)」が添えてあります。

     

    「橋添石」とは ・・・・

           

 

        

 

  

  ある庭師さんは橋添石の必要性について次のように話しています(庭師口伝)。

 

  「石橋の四隅には(何箇所か省略することもあるが)、石を添えることが多い。橋に添えるから橋添石(はしぞえいし)、または橋を挟むように置くから橋挟石(はしばさみいし)と言う。昔からの役石だけあって、施工してみると、なるほどその必要性に感心させられる。
 石橋だけを据えても、土と石橋の木口がなじまず、石橋が土中に浮いたような状態になり、いつかは沈むような錯覚さえ感じられる(石橋の下には台石が据えてあるのだが、人目には見えない)。橋のすぐ前後に少なくとも二ヵ所の橋添石があれば、渡った時の安定感も良く、石橋は見違えるように精彩を放つ存在となるのである。」

   確かに、日本の名庭の橋石組みを見ると大部分には「橋添え石」がありますが、中には「橋添石」が無いものもいくらか見られます。

 

   庭に橋を架けた場合には「橋添石(橋挟み石)は必要なのでしょうか。橋石組みの歴史についての次のような文章がありました。興味のある方はお読み下さい。

   「現存している石橋の中で最も古い例として、天龍寺の橋石組がある。滝石組の前に架かっているものそうであるが、橋石組の形態は、主として三橋式のものが多く、二橋は直線的に架けるが、残りの一橋は矩形に折られて架けられている。しかしながらその折り方が、時代が新しくなるにつれて、次第にその折れ方が強くなっていくことから、様式上の大凡の時代鑑定できる手段として憶えておくと良いであろう。橋石の厚みなどは、室町期から桃山期のものは薄い石が用いられることが多かったが、後に厚みのある石が好まれるようになる。特に天正から慶長期にかけては厚いものを使った例が多い。また切石の橋石は江戸初期以降のもので、やや反ったものとして拵えられ、西本願寺の対面所のものや徳島城の千秋閣庭園のものは代表的である。それ以後の切石橋は急速に弱々しい意匠となっていく。また橋石組の意匠に含まれるものとして、両端の袂に石が据えられているが、これを「橋挟みの石」とか「橋添え石」などと呼ぶ。これも室町時代頃には低い石が一石か二石であったものが、桃山期になると、それよりもやや高い立石が三石用いられるようになる。特に江戸初期においてはそのうちの一石は非常に高い立石として据えられる例が多い。更に橋石組の意匠の中で異彩を放つものとしては、玉澗流の橋石がある。これは非常に高い位置に架けられ、用としての橋石というより景として用いられている。」

     

               天龍寺(夢窓国士)

 

                   醍醐三宝院(竹田梅松軒)

 

       

                                     曼殊院(良尚親王)

 

   古い作庭でも橋添石のないものも見られます。

              退蔵院の枯山水

 

 新しい作庭では、小堀遠州(江戸初期)に橋添石のないものが見られます。小堀遠州は古い伝統にこだわらず桂離宮などのモダンな庭を作っています。 

 

  古い形式美(橋添石)に寄るかどうかは、古い形式美を超える美を作り出せるかどうか、ひとえに作庭家の感性が問われます。

     

         小堀遠州作 静岡県大鐘家庭園

 

            小堀遠州作 二条城二の丸庭園 

 

      小堀遠州作大徳寺芳春院

 

          小堀遠州作知恩院方丈

 

     小堀遠州作二条城二の丸庭園

 

     

  小堀遠州(こぼりえんしゅう)は1579(天正7)年に滋賀県に生まれ、桂離宮、名古屋城、駿府城、二条城の二の丸庭園など数々の作事奉行を歴任しました。静岡県ではとくに浜松市の龍潭寺が有名です。

   大徳寺孤篷庵、南禅寺金地院などが代表的な庭園で、岡山の頼久寺庭園、東湖園、安養寺庭園なども手がけたと言われています。浅草寺の中にある伝法院庭園も彼の作品らしいです。金沢の兼六園は小堀遠州の流れをくむ目黒淨定の作品です。
 また茶道を古田織部に学び、三大茶人と呼ばれ、遠州流茶道の創始者となり、三代将軍家光の茶道師範を務めたようにそうとうな多才の持ち主だったようです。
 

                        小堀遠州の足跡HP

                   小堀遠州作の枯山水庭のある宿泊施設「花の家」
 
 
   小堀遠州の庭を今後学んで見たいと思います

                             

← ブログランキングに参加しています

        緑の所をクリックして頂けると嬉しいです。

皆様の応援がエネルギーになっています。

                    ご訪問ありがとうございました

 


足湯を考える!

2008年11月06日 | Weblog

 

   足湯のことなどはこれまで一度も考えたことはなかったのですが、先週は根を詰めて資料作りをしたせいか、先月末から軽い風邪を惹いてしまいました。今日で一週間目で殆ど治りました。

    その間に病院に2つに行きました。最初は大きい病院に行ったのですが「呼吸器科」がお休みで「耳鼻科」で受診するように勧められました。耳鼻科へは小学生以降は行ったことが無いように思います。お医者さんはいきなりはなの中を見、耳の中を見て、「内視鏡でのどの様子を見ましょう」と言って鼻の穴から長い内視鏡を入れてやりました。苦しいのでのけぞると「頭を押さえて」と看護士さんに命令・・・。お薬を5日分出してくださいました。

   5日たったらお薬は無くなりました。風邪は殆ど治ったのですがお薬はもう少し欲しい感じです。しかしあの内視鏡が怖くて耳鼻科には行きませんでした。2週間に1回行っている「循環器」の病院で見ていただいてお薬をもらってきました。症状を良く聞いてそれに合った薬を出してくれました。

   おかあさんは「大根」と「生姜」をおろして熱いお湯を入れて飲ませてくれ、ハーブの足湯を作ってくれました。足湯であたたまって眠ったらぐっすり眠れて風邪も治った感じです。

   風邪をひいている方、冷え性の方には、睡眠前の足湯をお勧めします。おかあさんの作ってくれた足湯は「カモミールとポットマリーゴールド」が入っていたのだそうです。

  ネットでも様々な「足湯」が紹介されていたので見てみました。

                                 

 

足湯の効能 

  15分から20分程浸かれば、血行が良くなり体がポカポカ!風邪と疲労回復に効果があります。

   足湯をすると、足の末端や身体の芯まで温まり、縮んでいた血管が拡張します。血管が拡がることで、末端に滞っていた血液が流れ始め全身の血行が良くなり、全身が温まってきます。そして、血液循環が良くなってくると内臓機能を支配している自律神経の働きが正常化され、免疫力を高めることで自然治癒力を強くすると言われています。

 健康な体は、血液の循環によって栄養分や酸素などを体の各器官に届けるとともに、代謝によって産生された老廃物を回収できます。 しかし、血行が悪いと老廃物が排出されずにさまざまな体調の変化として現れます。 肩こり・腰痛・膝の痛み・目の疲れ・倦怠感・更年期障害・立ちくらみ・食欲低下・体力減退など身近な体調不良を引起します。足湯は、足の裏を効果的に暖め、血液の循環を良くすることができます。血液の循環がよくなると足だけではなく、体全体がぽかぽかしてきます。 気がつくと額にうっすら汗をかくくらいに。  

 

足湯の仕方

  1. ポリバケツ、もしくは、発泡クーラーに42度のお湯を15㎝の深さ位まで入れる(くるぶしが浸かるように)
  2. 椅子に座り、それから足を入れる。 (立った状態で足を入れると転倒の危険)
  3. 足を入れて20分くらい
  4. お湯がぬるくなるときは、お湯を継ぎ足します。やけどに注意!!

  足をお湯につけたら、後はテレビを見るも良し。 本を読むも良し。足湯は、バケツがあれば手軽にできる反面、お湯がすぐに冷めてしまうのが難点があります。

 

ハーブの様々な使い方

 ハーブは単品でもブレンドでも。ブレンドする時はいい香りのするものを中心にするのがおすすめです。

水虫に、足湯に

タイム

タイム、どくだみ、ミント類(特にペパーミント、ク-ルミント、はっか)
自然素材を加えるなら、酢かクエン酸

汗のにおいに

ペパーミント

ミント類(特にペパーミント、ク-ルミント、はっか)、パセリ、タイム、レモングラス、ラベンダー、ローズマリー、緑茶、どくだみ
自然素材を加えるなら、重曹、酢かクエン酸(重曹とクエン酸、重曹と酢の組み合わせでも)

あせも、かぶれやかゆみに

スペアミント

ラベンダー、ミント類、桃の葉、よもぎ、すぎな、びわの葉、どくだみ
自然素材を加えるなら、重曹、酢かクエン酸(重曹とクエン酸、重曹と酢の組み合わせでも)

肌をすっきり

レモングラス

ミント類(特にペパーミント、ク-ルミント、はっか)レモングラス、タイム、パセリ、ローズマリー、緑茶、桃の葉
自然素材を加えるなら、重曹、酢かクエン酸、塩(数種の組み合わせでも)

日焼けなどで炎症をおこした肌に

ラベンダー

ラベンダー、桃の葉
自然素材を加えるなら、はちみつ

目覚めのお風呂に

ローズマリー

ミント類(特にペパーミント、ク-ルミント、はっか)レモングラス、ローズマリー
自然素材を加えるなら、重曹


 

ハーブと一緒にお風呂にいれて効果を高める素材

        薬局で手に入る、手軽で安心な素材です。


 自然塩はよくお風呂に使われる素材です。塩は身体を温めてくれる効果があります。冬だけでなく、1日中冷房にさらされていると自覚はなくても身体の芯は冷えている場合があります。そんな時には大さじ2杯程度の塩を加えるとよいでしょう。関節や筋肉の痛みやアトピー性皮膚炎などにもよいといわれます。
血行促進作用でむくみを改善してくれるので、冷房の中、立ちっぱなしの仕事などの場合は特におすすめです。
 ※傷があるとしみるので注意してください。

重曹
 肌をすっきりさせてひきしめ効果もあります。皮膚を清潔に保つので、夏の汗をかきやすい時期にはぴったり。虫さされのかゆみ、肌のかぶれ、日焼け後のひりひりを一時的にやわらげる効果も期待できます。1回のお風呂に大さじ1杯程度いれるとよいでしょう。

酢、クエン酸
 共に似たような作用があります。石鹸でアルカリ性に傾いた肌を弱酸性に整えてくれるリンス効果で、肌が柔らかくすべすべになります。皮膚を清潔にし、お風呂あがりもさっぱり。水虫、日焼け、湿疹、あせもなどにも効果的。消臭効果や抗菌作用も期待できるので、足湯にも向いています。酢は手軽な素材ですが、若干においがあるので、においが気になる場合は足湯に使うとよいでしょう。1回のお風呂に小さじ2~大さじ1杯程度加えてみてください。
 ※酢、クエン酸とも、傷があるとしみるので注意してください。

はちみつ
 抗菌効果に優れています。肌をしっとりなめらかにする作用があるので、日焼けなどでかさついた肌におすすめです。1回のお風呂に小さじ2~大さじ1杯程度を目安に加えてみてください。


疲れた足(脚)に
  足のだるさが続いたり、足が重かったり、明け方、足がつったりということもあります。そんな時は血行促進作用と筋肉の疲労を和らげ、鎮痛効果のあるローズマリー、タイム、セージなど、また、鎮痛と鎮静効果もあるラベンダーやペパーミントを使います。

    

                                                               足湯のHP

                

  我が家のハーブコーディネーターさんに教えてもらいハーブを効果的に使っていこうと思います ・・・




中国の新しいジェット戦闘機!

2008年11月05日 | Weblog

 

 今日の魁新報で「中国、最新戦闘機を初披露」という記事を見ました。航空機フアン(庭師は航空機フアンでもあるのです)としてはとても気になる記事です。米国のF16ファイティングファルコンと性能的には似ていると思いますがスタイルが随分違います。

 

  

 

       

   調べてみる次のような戦闘機でした。

 

   殲(Jyen)10号とは、中国(中華人民共和国)がイスラエルの技術協力を得て独自に開発・製造した戦闘攻撃機であり、殲撃-10ともJ-10とも呼ばれていて、 米国、韓国、日本、の主力戦闘機であるF-15F-16や欧州の主力戦闘機ユーロファイター・タイフーンと互角の戦闘能力を持っていると想定されている。

 殲(Jyen)10号は、元々、イスラエルユーロファイター・タイフーンの設計技術を真似して独自開発を目指していたラヴィ戦闘機の製造が、アメリカ政府から圧力がかかって製造が出来なくなったので、アメリカに対する腹いせでラヴィ戦闘機の設計情報を技術協力の名の下に、中国に売ってしまったのである。 そのため、ラヴィ戦闘機ユーロファイター・タイフーンのコピー機)そのものの中国製戦闘機・殲(Jyen)10号が造られたわけである。

 機体の設計はラヴィ戦闘機の設計どおりで、インテイク(空気取入口)は胴体下部にあり、コックピットはインテイク上部前方に前のめりにせり出した形態である、主翼はデルタ翼で、無尾翼、ベントラルフィンを採用している。

 但し、エンジンはロシアの戦闘機Su-27などが搭載しているAI-31FNターボファンエンジン1基だけを搭載している。


            

   こちらが、殲(Jyen)10号のもととなったユーロファイター・タイフーン、エンジンは2基である。

 

                       

       ユーロ・タイフーンは噴出ノズルが2つ     

 

                                     

       従って、空気の取り入れ口も2つ

                   

    ドイツ(当時は西ドイツ)、イタリア、イギリス、スペイン、(フランス)、の4(5)カ国の共同で開発された汎用戦闘機である。長距離要撃機として開発され、上記4カ国の他フランスも一時加わっていたが途中で脱退し、ラファールという独自の戦闘機を作り上げることとなる。また開発時に仮想敵国であるソ連の崩壊、西ドイツの財政問題などの理由で一時は開発がストップすることもあった。
 外見は特徴的なデルタ翼とカナード翼(コクピットの両端の小さな翼)で、これは機動性の向上には効果があるがパイロットへの負担が大きい(F-2においても開発段階でカナード翼の付加というのもあったが上記の理由から採用はされなかった)。しかしユーロファイターはそれを高度な電子機器で補うことでパイロットへの負担は抑えられているという。

                        ユーロ・タイフーンの動画

 

  中国は米国のF-15のようなパワーのあるエンジン双発ではなく、F-16のようなエンジン単発機にユーロタイフーンに改造し、F-16を超えようとしたのである。

 

        

     F-15 イーグル(エンジン2基)

                                             F-15動画         

                        

   

     F-16 ファイティングファルコン(エンジン1基)

                                          F-16の動画

 

      

 

   

       F-22 ラプター(エンジン2基)     

                                                                        F-22の動画

 

    F-22は米国現在の主力戦闘機です。米国の戦闘機には鳥の名前がつけられています。F-16はファイルコン(タカ)、F-15はイーグル(ワシ)、F-22はラプター(フクロウ)です。ラプター(フクロウ)は鳥の中でもステルス機のF-22にふさわしい名前のように思います(ステルスとは電波反射赤外線放射などを抑え、敵から発見されづらくする技術が組み込まれた戦闘機です)。

   ちなみに日本の主力戦闘機は米国製のF-15イーグルです。F-22ラプターを米国は日本に売ってくれません(買うとすると1機200億<WBR>円以上です)。

 

  

   

        F-2 (エンジン1基)

                                            F-2の動画

   日本の三菱が作っている戦闘機はF-2です。米国のF-16にそっくりです。しかし、普通の F-2 は青く塗装している(デモ用は赤白)ので色で見分けがすぐ出来ます。

 

  三沢基地(青森県)に行くと F-2 と F-16はたくさん見ることができます。エンジン2基のエンジン音は大きく激しい音がします。F-2 と F-16ではF-2の方が逞しい音がします。

  私の目標は、機体を見ないでエンジン音だけで機種を当てることです。旅客機と戦闘機の違いが、エンジン単発と双発の違いは分かります。去年と今年は航空祭に行っていないのでF-2 と F-16の違いについては自信がなくなりました。

  来年は是非行きたいと思います  

 

    

     おまけ                                                                       ブルーインパルスの動画・・・じっくりご覧下さい!

 


砂紋を考える!

2008年11月04日 | Weblog

 

    いたずら気分で庭に砂紋を描いていましたが

一度は基本的なことを確認しておきたいと思います。

    枯山水に見られる砂紋など、多くは芸術性を求めて作られる。

箒目(ほうきめ)とも呼ばれ、

代表的な引き方には井桁紋 網代紋 青海波紋、渦巻紋 曲線紋などの種類があるようです。

                                  砂紋の描き方5種

  他、砂紋の引き方-22例-

            

     

                        

 

                           

      

                                                         

 

 美の壺「枯山水」では、多くの参照例がをみることができます。

                                 美の壺「枯山水」

 こんな砂紋もあるようです。

     海底の砂紋

      

テーブル式枯山水庭

 

      

  

東山魁夷さんの「砂紋」という絵です。こんな砂紋を作ってみたいと思います

 

 

-参考-

 

【山水庭の歴史】 

「枯山水」が作庭上の専門語として、最初に文献上に現れるのは、

平安時代に編集された『作庭記』であるといわれています。


それは池泉庭園の一部としてその一画に枯山水石組みをしたものでした(前期式枯山水 )。


山の斜面のように、水利が悪く、面積も限られた所に、

庭を生み出そうとしたとき、必然的に「枯山水」というスタイルが生まれました。

しかし、今日云う「枯山水」式庭園は、

室町時代、禅宗寺院の庭を中心に発達を遂げてきました。


かつて禅宗寺院の方丈の南側は儀式をとり行うための、

清浄を意味する白砂を敷き詰めた「無塵の庭」でした。


ところが、その後庇のある広縁が儀式の場にとってかわり、

さらに進んで室内となったことから、

南庭は儀式に用いられなくなりました。


そこで瞑想や座禅の場にふさわしい造景として、

「枯山水」というスタイルが発展していきました。

 

枯山水は、回遊式庭園や露地などの庭園と違い、

遊楽・散策などの実用的要素をもちません。

屋内から静かにこれに対峙して鑑賞するよう構成されています。


禅は深山幽谷の大自然の中で思惟思索をめぐらし、

座禅を行って悟りに至る、自らを変革する自立の宗教です。

禅者にとっては、遊興の世界は不要である。


白砂の上に大小の自然石を立てたり

、据えたり、組み合わせることで、ひとつの観念的世界を創造します。

それは山の峰や、滝が走る渓谷、大河やせせらぎ、

ひっそりと静まりかえった海、大海に浮かぶ島々まで、

さまざまな風景であったり、

または仏教世界観や宇宙観であったりします。

自然と向き合い、自らの存在と一体化することで、

無でなければならない自身を見い出す、境地に立とうとする。

それは見えざるものの中にそのものを見、

聴こえざるものの中から、そのものを聴くといったところに

枯山水の表現が求められたのです。

【 著名な枯山水庭園 】

龍安寺庭園、大徳寺大仙院庭園、龍源院庭園、妙心寺退蔵院庭園、東海庵庭園など。
前期式枯山水: 天龍寺、西芳寺など。

 

← ブログランキングへ参加しています。

        緑の所をクリックして頂けると、ランキングがアップします。

クリックしてくださると、嬉しいです。

いつもの応援に感謝、励みになります ・・・ !! 


 


秋が深まる・・・屋内では!

2008年11月03日 | Weblog

 

           

                     

                     

                            

                                     

                                                        

 

           

    アブチロンです。今年は4種類を寄せ植えして冬越しです。もう準備が出来、床暖のある部屋の陽当たりの良い場所で毎日花をさかせています。今冬は楽しい冬となりそうです。

 

                         

   ブーゲンビリアです。大きな懸崖に育ち花の色も濃くなっています。昨日からしょうこおかあさんとあゆちゃんが来て下さっています。今日お帰りの時に「おう、立派!」と感心していました。5度C以上の暖かい窓辺に置くと良いのでそろそろ玄関から暖かいお部屋に移動です。

   もう一つ大きいのは真っ赤な花を咲かせるハイビスカスです。今年の冬はお花がたくさんですが、私たちの住む場所がちょっと狭くなりそうです

 

 

 

                    

     


秋が深まる・・・花!

2008年11月02日 | Weblog

  

             

 

                         

                              

 

           

            

                              

 

    お庭では去りゆく秋を惜しむように花が咲いています。葉も秋の色に染まっています。

 

            

    「ハツユキカズラ」です。夏分は濃い緑色の元気な葉っぱでしたが、秋が深まるにつれて色々な色が見られるようになりました。地植えのものと鉢に入っているものと2株があります。寄せ植えにも地植えのグランドカバーにも使える優れものです。

   最近「つた」ものが好きになりました。鉢に寄せて植えると良い具合に垂れます。欠点は伸びすぎると処理に悩んでしまうことです